隻眼の召喚士
和希羅ナオ
第1話:召喚
「お兄ちゃん、ここは一体どこなの?」
金髪碧眼の少女は、視線を彷徨わせながらそう呟いた。歳は十歳前後だろうか、怯えている様子はなく、無表情だ。
なぜ、儀式服を着て、顔を隠した私のことを「お兄ちゃん」と呼んだのだろうか。眼の部分しか見えていないはずなのに――。少し高い私の身長から判断したのだろうか。線は細いはずだから、少なくとも体つきから判断したわけではないだろう。
「神殿みたいなところ」
彼女の言葉は正しい。ここはザクセン王国王都クレヴィルの中央神殿の大祭壇だからだ。
黒い貫頭衣のような服を着た少女は、表情を変えずに視線を周囲へと彷徨わせた。
記録に残されている地球人の服装とは異なっていることに、少しの疑問を感じた。我々の知らない時代、知らない国の出身かもしれない。
背後にいる主メイソン・アルブリットンから「予定通り行動しろ!」という、切羽詰まった命令が飛んでくる。私は一瞬そちらへ目をやると、仕方なく頷いた。もともと、それが私の役目であるから、是非もなかった。
「私の名はレイという。君の名は?」
レイ・ハードウィックという名の私は、主の忠実なる部下であり、同時に、彼の奴隷という存在であった。
「白い布、奇麗で、金色の細かい刺繍が入った、司祭みたいな恰好の人」
「あぁ、そうだね。私は司祭ではないけれど、似たようなものではあるかもしれない」
「目の部分だけ見えるの」
「すまない、そういう仕立ての服でね」
本来、私のような低い立場のものが着ることのできる儀式服ではなかったが、大祭壇に立ち入るものは、基本的にこの儀式服を着用しなければならなかった。例外は、聖水で清められた装備を纏った騎士たちだけだ。
「右目、黒い、でも、左目、赤い」
「あぁ、左目のこれは義眼でね、オッドアイというわけではないんだ」
茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せたが、彼女の表情はぴくりとも変わらなかった。
「後ろにも、人がいっぱい」
「ああ、そうだね、怖がらせてしまったら申し訳ない。危害を加えるつもりはないから、安心していい。訳あって、無理やり君を呼び出したんだ」
「イヴは大丈夫、イヴはいい子」
やっと彼女が名乗って、少し安堵する。
奇妙なずれを起こす会話に微かに違和感を覚えながら、彼女の精神が見た目相応に伴っていないのではないか、と推察した。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、イヴはそれ以上数えらない」
「一体、何の……」
と言いかけて、その視線の動きから、私の背後にいる人間の数を数えているのだと理解した。
「分かった」
そう呟くと、彼女は初めて微かな笑顔を見せた。
「何が?」
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、一、二、三、四、五……」
今度はカウントを繰り返し始める。九までしか数えられないなら、それを繰り返せばいいと判断したのだろう。
私の背後には、主メイソンに加え、彼の部下である複数の召喚士、鑑定士、そして三十名以上の重装備の騎士たちが控えている。
すべては、この召喚の儀のためだ。
「足が冷たい」
冬でないとはいえ、裸足の彼女には、冷えた大理石の床は堪えているのだろう。
「靴は後で用意するよ」
そう言いながら、私は主メイソンに再び視線をやった。せわしなく部下に指示をしている彼は、まだ平時の落ち着きを取り戻してはいない。準備はまだ整っていないということだ。
「窓がない」
「そうだね、ここは地下にあるんだ」
「地下に扉が一つ」
彼女は視界の中にあるものを口に出さずにはいられないのだろうか。齢十の少女ということであれば、もう少し大人びた言葉や言動が出てきてもよさそうなものだが。想像以上に、精神は幼いのかもしれない。
貫頭衣のような服装からして、劣悪な環境に置かれていて、成長が伴っていないのだろうか。
「試してみるね」
「何を?」
「――*********」
イヴが何かを呟いた。
不意に、彼女の全身から黒い靄のようなものが浮かび上がった。
両手を広げると、突然、そこに巨大な剣のようなものが二つ現れた。
私の全身を強烈な寒気が走る。想定していたとはいえ、死すら予感させる状況の急激な変化に、心臓が大きく跳ねた。
「
私が叫んで背後を見たときには、すでに騎士たちが剣と盾を身構え、戦闘態勢に入っていた。同じく、慌てた様子で、主や部下たちが、騎士の背後へと次々と隠れていく。
「何か、出た」
首を傾げる彼女の両の手に握られたそれは、少女に不釣り合いな大きさのものだった。いや、大人であっても、それを扱えるものはほとんどいないように思える。短い柄に、二メートルはあるかと思える両刃の長い刀身、過去の記録にある大太刀をさらに長く、身巾を広くしたような形状だ。
不思議そうに、自らが出現させた剣のようなものを眺める彼女は、まるでその重たさを感じないかのように、軽々とそれを振り回している。
幸運なことに、剣が二つ出現しただけで、今だ、私の身には何も起こってはいない。体も精神も、周囲の環境の変化もない。つまり、魔法や呪いといった他へ影響を及ぼす干渉タイプの
だが、その幸運もいつ切れるか分からない。私と彼女の距離は一メートルほどしかない。その巨大な刀身を振り回されれば、私は簡単に一刀両断にされてしまうかもしれなかった。
「メイソン様!」
私の悲痛な叫びを、主メイソンは「まだだ!」と即座に切り捨てた。
「しかし……」
騎士の間から禿げた頭を少し出した彼に、「いいから、言われた通りそのまま時間を稼げ!」と再度発破をかけられる。
彼女はまだ不思議そうな様子で、両手に持った大剣の重さを確かめるようにクルクルと回して遊んでいた。
「それは……何?」
ついて出た言葉は、我ながら情けない問いだった。見ればわかるだろうに、忠実に命令を守ろうとするだけで、まともな会話になっていない。
「重くないよ?」
「そのようだね、それは……私も見ていてよく分かる」
「Waltz of Massacre――?」
再び、イヴはぽつりと口にする。
先ほどもその言葉を発していたのか?
それが
口に出さないと顕現しないのだろうか?
少なくとも私の知っている祝福ではないし、記録の中にも残っていなかった。「鏖殺のワルツ」とは、また物騒な名がついているものだ。背中に冷や汗が流れているのを感じる。どう見繕ったところで、生産系ではなく、戦闘系の
「危ないから、一度しまってくれるとありがたいのだけれど」
「イヴ、戦えるよ?」
ひっ、と思いがけない言葉が出て、私は自然と後ずさりした。いつ、その刀身が自らの身に振り下ろされるか分かったものではない。
私は初歩的な攻撃・防御魔法は使えるが、そもそも戦闘要員ではないのだ。
何より、イヴと名乗った目の前の少女の存在が、怖くて仕方がなかった。いきなり、何も知らない場所に飛ばされてきて、知らない大人に囲まれて、表情一つ変えず、取り乱しもしないのだ。感情の起伏といえば、数の数え方を思いついたときにみせた少しの笑顔だけだ。後は、少し怪訝そうな顔をするぐらいで、ほとんど無表情ときている。
挙句の果てに、華奢な体に不釣り合いな大剣を両手に構えている様子は、想定した範疇を超えていた。
だが、それも杞憂に終わった。
彼女の周囲に、手のひらサイズの魔法陣がいくつも浮かび上がる。それは、彼女を取り囲むように回転し、淡い光を放って消えていった。
「レイ!
主メイソンの言葉に安堵する。
まず、そもそもこの祝福を使用できる者自体が希少であり、ザクセン王国でも現在は二人しかいない。また、相手がこの祝福の存在を知らず、精神的に無防備な時にしか成功しないため、知識のある商人や貴族、騎士や冒険者など、一定の教育を受けたものには成立しないという欠点があった。だから、召喚してすぐに使用する必要があったのだ。
彼女にかけられた
第一拘束 異世界人は、この世界の人間を殺してはならない。また、その危険を看過してはならない。
第二拘束 異世界人は、この世界の人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一拘束に反する場合を除く。
第三拘束 異世界人は、前掲第一および第二拘束に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
主メイソンは、地球人の作家アイザック・アシモフという人物が示した「ロボット工学三原則」というものを過去の記録から発見し、それを召喚した地球人に適用するように改変した。それが「異世界人三拘束」というものだ。これを、召喚した異世界人、主に地球人に対して、拘束契約を使って縛りを与えてしまうのだ。拘束の種類は多ければ多いほど、成功確率は低くなるため、この三つという数は、我々にとって、とても都合がよかった。
これにより、彼女が私たちを殺すことはできなくなり、加えて、私たちの命令に絶対服従となった。
「イヴといったね。まずは、その危ない剣をしまってもらおうかな」
彼女は顔を顰めた。明らかに不満気だ。納得いかないといった様子で、大剣で地面をガンガンと叩いている。
「お兄ちゃん、イヴは言われたことに逆らえないみたい」
「そうだね、言われた通りにするんだ」
「しまうの」
「そうだね、いい子だ」
「うん、分かった」
煙が風でかき消されるように、一瞬で大剣が彼女の両の手から消えていった。
安堵していると、背後で、人の動きがあるのが分かった。騎士の波が割れ、その間から、主メイソンが前に進んでくる。彼だけは私たちとは異なり、純白の儀式服ではなく、深紅の儀式服を身に纏っていた。
齢七十を超える、王国召喚士の頂点。
国王直轄の召喚士部隊の長。
宰相も、軍部すらも簡単には手がだせない、ザクセン王国の不可侵領域。
コツコツと、彼がこちらへ近づいてくるにつれて、杖が大理石を叩く音が聞こえる。彼が私の隣に並んだとき、私は一歩下がって深々と頭を下げた。
「いざ目の前にすると、失望でしかないな」
私には一瞥もくれず、持っていた杖の先をイヴに向ける。
「三十年だぞ! 中央神殿に集まった膨大な魔力を使って、大人でもない、こんな幼い子供が一人召喚されるなど、前代未聞だ!」
紅潮した主メイソンの顔を見て、私は心の中で舌打ちをする。後始末が大変になりそうだ、と頭を抱える。
「はっ、しかしまだ、称号は分かっていないのでは?」
称号は
「まだ鑑定させておる最中だが、まさか、これが英雄であるわけなかろうて。剣を持っているからといって剣聖に見えるか。それとも何か、こんな薄汚れたガキが聖女であると思うてか」
鈍器のような大剣の両手持ちなのだから、
ふいに、三名の鑑定士が背後にいつの間にか控えていた。
そのうちの一人が前に出て、ぼそぼそと主メイソンの耳元で呟く。
「馬鹿な……」
眉を顰めて、主メイソンは自らの杖で大理石の床をドンッと強く叩いた。
「いや、ありうるのか、だから、大人一人分の魔力を使った? 神殿内の魔力をすべて持っていかれたと……」
何の話だろうか?
「メイソン様?」
先ほどまでの赤ら顔がさらに赤くなり、噴火したマグマのようになる。
「くそがぁ! 王国の戦力を増強させる、起死回生の一手となるはずだったのが、逆に爆弾をかかえる羽目になるとはッ!」
狂ったように地団駄を踏み、主メイソンは喚き散らす。今まで、大声で怒鳴り散らすことはあっても、ここまで取り乱した主メイソンの姿は見たことがない。
その様子に怯えたらしい鑑定士たちが、少しずつ後ずさりしていく。
「一体、何が?」
そう口に出して、鑑定士の一人が手に持って開いていた、過去に召喚された地球人の手記の一ページに目をやる。
――アンファンテリブル?
そのページには、ある称号の名が記載されていた。
あぁ、と、すべてを理解して、私は自然と一つ息を吐いた。
過去、それらの称号を持つものを召喚してしまったとき、その国は、人々は、等しく大混乱に陥った。故に、のちに『厄災』の一つとして分類された称号。
一つ、彼らは大人を等しく恐怖に陥れる。
一つ、彼らは異常な残虐性を持つ。
一つ、彼らは子供ゆえの無邪気さを併せ持つ。
アンファンテリブル――別名、恐るべき子供たち。
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