夏色パイナップル

みたらしもち狐

第壱話 大滝之岩姫

 むかーしむかし、あったってんがの。


 あるところに、若くて大層綺麗げな女子おんなごがおったんだと。


 幼子おさなごの時から、普通の人には見えねぇもんが見えてたみたいでよく一人で遊んでおった。


 成長するにつれ、『この村には神が宿る』と、言うようになり、いつしか村外れにある大きな滝を大滝様と言って一人で世話するようになったんだそうら。


 この娘もそろそろ結婚する歳になって、色んなところから『嫁にくれや』と、声はかかるろも、女子は貧富の差に関係無く、『おら、神様に仕えてる身らすけ、ダメら』と、決して首を縦に振らんかった。



 そんげなある時に、大滝の傍に怪我をした若武者が倒れておって、その娘が連れ帰り看病することになったんだと。


 半年ほど面倒を見てやると、若武者はすっかり元気になり、この恩を返したいと村のために働くようになったそうら。


 程なくして、この村を未曾有の大洪水が襲うだろうと、娘はこれを予知し村人へ避難を呼び掛けるんだろも、言うことを聞く者もおれば聞かない者もおった。


 そして、それは雷鳴と共にやってきた。

 まるで大きな桶をひっくり返したような大雨が降ってあっという間に川の水位は上がって、堤は決壊し、濁流が村を襲わんと迫ってくる。


 しかしこの娘、堤が破れる場所も事前に知っていて、村人が避難する時に少しでも時間を稼げるように、若武者と気収め程度の防水壁を作っておった。


 それが功を奏し、烈火の如く迫る濁流は勢いを失い、徐々に村へと魔の手を伸ばしてきたおかげで、老若男女の避難が滞りなく終わろうとしたまさにその時、若武者が最後の一人と、気を緩めた際に、誤って足を滑らし、荒れ狂う濁り水の中へと、姿を消してしまったそうら。


 その一瞬の出来事に娘は何もすることが出来んかった。


 座り込む娘は何を閃いたのか大滝へと急いで向かった。



 道中履物は滑って脱げる。

 それでも走る。

 足が枝や石で切れる。

 血が出る。

 痛い。

 辛い。

 何度も転んだ。

 それでも、それでも走る。

 全身どろんこ擦り傷まみれ。

 何度も挫けそうになる。

 それでも、それでも、それでも諦めることは無かった。



 ――やっと目の前に轟々と音を立てる大滝様が見えてきた。



 そして、大滝様に願ったと。



「大滝様一生のお願いらすけ、どうか、どうかおらの愛しげな人を助けてくらっしぇ」



 すると、その呼び掛けに滝の主は返す。



「……愛を持ってはならぬと言うた禁を、破った主を我は許せぬ。しかし、我の呼び掛けに呼応し、唯一我を信じ、尽くした主を無下にはできぬ。主の願いを叶える条件は、命と引き換えだ。それでもその男を助けたいと、主は願うか?」



 考えるよりも先に娘の口が動く。



「それでもいいすけ、お願いら、助けてくんなせえ!」



「よかろう」



 娘はあれよという間に五尺はあろうか立派な大イワナへと姿を変えた。



「助けたいのなら、主自身が助けよ。それが済んだらその身は我に捧げよ。良いな? さぁ、行くのだ!」



 娘は勢いよく川を下った。

 川の中を流れる木や石よりも速く、速く下った。

 山吹色に煌めく綺麗げな身体が擦れる。

 ボロボロになってもグングン下る。

 行く手を阻むモノは跳んで乗り越え。

 それでもダメなら地べたを這いずって。

 皮は裂け、肉も見える。

 助けたい。

 それだけが娘を動かした。

 あれは……

 見えた!!



 やがて、呼吸が出来ずに気を失っている若武者に追い付くと、その丸太のような太い胴体に乗せた。


 岸まで運ぶと、その男は奇跡的にも息を吹き返したそうな。


 男は虚ろなる意識の中で『……好きらったれ、生きてくらっしぇ』と、だけ聞こえそのまま意識を失ってしもうたんだと。


 しばらくして、気が付いた男は大急ぎて村人を避難させたところに行くろも、そこに娘の姿は無い。


 大声で娘の名前を叫んでも反応がまるでなくて、近くの村人達に娘はどこだと尋ねると、大滝の方へ走って言ったと何人かが言う。



 男も走った。

 限界に近い身体に鞭打つ。

 娘に出来てどうして俺に出来ないだろうか。

 俺はまだ思いなんて伝えられてねぇと。

 俺も好きらと。

 ありがとうと。



 男もまた、転んでも、足が切れても諦めなかったそうら。


 必死の思いで大滝まで辿り着くと、声にならない声で娘はいるかと、精一杯の声を搾ったんだと。


 そしたら、轟々と落ちた水を受ける大きな淵からスゥッと丸太のような、大きな大きな見た事も無いくらい大きなイワナが浮かんできたそうら。


 擦り傷まみれでもなお、その山吹色の輝きは失われんかった。



 娘は口を開いた。



「ごめんなさい。おら、おめを助けるために大滝様にお願いしたんだて。そしたら、命と引き換えにこの身体を貰ったんだて。これからは、大滝様と共に居ねばならねすけ……」



「助けてくれてありがとう。俺みてぇなどうしようも無かった、野垂れ死に寸前のヤツを助けてくれてありがとう。さっき別れ際に俺に言うたことの返答だけさせてくれや!!」



 娘はコクリとうなずく。



「……俺……って………………俺だっておめんこと大好きらったてば!!」



「おらと同じらったんらね……生きてきて一番いっちゃん嬉しかったて……恋なんてしねぇで、ずっと大滝様に仕えると思ってたおらにこんげな気持ちをさせてくれてありがとうられ」



 娘は泣き声で続ける。



「おら、もう行かんばならねすけ……おめは、おらの分まで生きてくれ! おらの分まで沢山いっぺこと幸せになってくれて!」



 娘はそう言うと、全身が見えるくらい高く、高く跳ね上がって、空中でヒラリと身をひねると、バッシャーンと、深い深い水の中に消えて行ったそうら。


 娘が消えると空は嘘のように晴れ渡ったろも、男はしばらくそこで、おいおいと泣き崩れてしまったんだと。


 その後、男は村の復興に取り組んだ。

 復興は成功した。

 前よりも立派な、立派な村になった。

 嫁も貰った。

 子供も授かった。


 そして、娘と大滝様を祀る立派な神社をこしらえて、今の大滝村の原型を作ったそうら。


 いちご、ぽかーんとさけた。



 姉貴の昔語りが終わると大きな拍手と共に、桜の花びらが四季の始まりを告げんとばかりに、風に乗って舞い散った。


 ここは岩姫神社境内。


 先程の短髪少女の語り部は、姉貴こと神野淵弥夜癒かんのぶち やよい


 鳴かないホトトギスは、拳で鳴かせるタイプだ。


 姉貴と言っても実の姉弟ではない。

 昔からの腐れ縁で、歳が一つ上だから親しみを込めてそう呼んでいる。



「はぁ、かったりぃて。なーしておらが、こんげなことをしんばねんだろっかね!」



 着ている巫女服の袖を捲り上げ、赤い紐で結びながら、観客として観覧していた俺達の方にしかめっ面で近寄ってくる。



「そりゃあ、姉貴が悪い事した罰だからでしょうよ」



「はて? 何の事らろっかね。おらは、ちぃーっとばかしリンゴを貰っただけらろもね。こんくれぇで怒るんだば、神様なん、よっぽケチられ」



 発言内容と腕組みが、とても巫女には不釣り合いだが、これでも立派な岩姫神社の巫女様である。


 対応は不適切と言えども語り部の腕は一級品で、齢十八ながらに地元の民話をほぼ暗記し、役者顔負けの演技で話す事ができる。


 まさに伝承者の名に相応しい。

 その弊害でかなり方言色が濃くなってしまっているが。



「弥夜癒ちゃんお疲れ様。はい、リンゴジュース!」



暁葉あげはサンキューらね」



「今日も良かったですよ。弥夜癒さん。」



「ま、ひめの姉ちゃんだからねー」



「おらを超える語り部なん、そうそういねぇいな」



 お褒めの言葉と献上品で少しは顔色が良くなったようだ。

 姉貴は結構単純なところがある。


 ちなみに今日の野外ライブは姉貴の窃盗……と言うても、自分の家の神社のお供え物に手を出した事による突然の決定で、一日語り部の刑に処されることになった。


 先程の民話は地元でも有名な民話で、俺らの住む、この大滝村の誕生物語だ。



「ねら、ちっとばか寄ってけや」



「はーいッ!」



 姉貴に勝る大声で呼ぶは、姉貴の親父さんだ。


 いつものように境内や社の掃除を手伝わされて美味しいものを頂く流れだと、親父さんの元へと集まったのだった。

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