願い
はじめ
知りたがりの男
周りの人にはあまり知られていないのだろう。
勤勉で誠実、明るく楽しく人あたりもよい人間であると、自分でも思う。
少なくとも見かけ上は。
一流と呼ばれる大学を卒業してから、有名企業を渡り歩き、法務を武器として、海外のITベンチャーを上場させた経験もある。
エリートだ、成功者だと誰しもが持ち上げてくれる。
たおやかな妻と元気な子供を授かって、趣味の旅行で世界を巡る。
順風満帆で幸せな人生を送っているように見えるだろう。
少なくとも見かけ上は。
だがそれは、見かけだけだ。
私はただ知りたかった。
初めから両親の愛情は知っていた。
遊びを知りたかったから外を駆けずりまわった。
勉強を知りたかったから予習をした。
悪いことを知りたかったから、窃盗も恐喝もした。
大変に叱られたことを憶えている。良心の呵責と後悔を知った。
情熱を知りたくて部活に打ち込み、恋を知りたかったからオシャレも知った。
社会を知られる大学で、言語を知れば、知人が増えた。
愛を知り、そして仕事を知れば、次の仕事を知ることができた。
だが、この世界は残酷だった。
知れば知るほど幸せは遠ざかっていった。
美味しいものを食べたとしても二度目からは幸せが減る。
金の使い道にも限度はある。
消費しても生み出しても、天井があることを知っている。
初めての性交より興奮することはないと知った。初恋の人でも、浮気相手でも。
清らかさは無知であることを知り、無知でいられる人を羨んだが、私には知ることを止められなかった。
褒められれば、影で妬まれることを知っている。
虚無だ無価値だと口に出せば、何も知らない連中に嘲られるだろう。
幸せなど、所詮科学反応だということを考えもしない連中に。
身体のメカニズムと感情の起伏だけで幸せは得られる。
エンドルフィンでもノルアドレナリンでも、セロトニンでもドーパミンでもいい。
いずれ投薬だけで幸せになれる時代が来る。
そんなことも知らないやつらを見下してしまう私は、この性格を変えられないことも知っている。
そんな人間の仕組みを知りながら、知識欲に突き動かされ、ニヒリズムに圧し潰される、私はなんと滑稽だろうか。
したことのない、見たことのないものがあるのは知っているのに。
その結果、私が得る幸せも知っているのだ。
ああ、楽しかった、と言うだろう。
美味しかった、サイコーだ、と言うだろう。
全身で幸せを享受して、笑いあって、感動して、涙して。
そして、世界から私の幸せが減ったことを知るのだ。
だが知らないことは恐怖だ。私は手を伸ばさずにはいられない。
恐怖を燃やせば幸せになる。
幸せの灰が絶望である。
灰を集めざるを得ない、滑稽な人間が私だ。
だが幸いなことに、私は私がどこまで灰の重さに耐えられるのかを知らない。
だからこそ願う。
私の絶望が恐怖を越えて、死を知る日を願う。
願い はじめ @yozora1021
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ちょっとした語りと思索を披露する場最新/ポンポコ
★39 エッセイ・ノンフィクション 連載中 118話
【適応障害】と診断されて最新/平 遊
★116 エッセイ・ノンフィクション 連載中 336話
コンナ音楽堂 ~古今東西アルバム探訪~最新/真野魚尾
★62 エッセイ・ノンフィクション 連載中 88話
うにゅほとの生活最新/八白 嘘
★13 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1,093話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます