第2話 リィン・フュート
「――っ!?はぁっ、はぁ……。」
悪夢のような夢から目を覚ますと、そこは見慣れぬ部屋……ではなく、先程まで寝ていたベッドの上だった。服は汗でびっしょりと濡れており、身体にまとわりつくほどだった。少女が起きたことに気づいた虚は、再び安堵の表情を浮かべながら机に向かっていた博士に声を掛けていた。
「良かった……倒れている間、随分とうなされていたんだけど大丈夫だった?」
どうやら、気を失った少女を虚がベッドまで運んでくれたのだが、途中からずっとうなされていたらしい。今は大丈夫ですと博士に答えたが、念の為にと問診も行ってくれた。
「――うん、とりあえずは大丈夫そうだわぁ」
「……すみません、ありがとうございます。その、気を失った後に夢を見てました。それで、その――」
――必死に言葉を紡ごうとするが、涙が押し寄せ、言葉が詰まりそうになりながらも、ゆっくりと覚えている事を話していった。そんな少女を二人は心配そうに見つめていたが、何も言わずに最後まで聞いてくれた。
「……大変だったね」
全て話し終わったあと、虚は優しく頭を撫でてくれた。刹那、両親との穏やかな一時と、業火に消えゆく母親との死別が同時に脳裏をよぎり、
(あんなことは、もう……二度と……)
――そう静かに胸の奥で誓った。
少女が落ち着いた後、虚はじっと見つめながら黙り込んでいた。
「そ、虚……?」
「記憶喪失……本来であれば存在そのものが揺らいでもおかしくはないはず……もしかして」
止まることなく独り言を呟き……“逃さない”と言わんばかりにガシッと肩を掴み、見つめてきた。
(え……?なんで、こんなに近いの?)
困惑をよそに虚は徐々に近づき、心臓の鼓動が早くなってきていた。
「申し訳ないんだけど、君の身体を――あいたっ!?」
「虚ぁ……誤解を招くような事しちゃあ駄目でしょう!」
叩かれた頭を擦りながらやや不満そうな目を向けていたが、博士は気にする様子はなく、あらぬ誤解を招いたことを謝ったが胸の内はドキドキが止まらなかった。当の虚は今から話すつもりだったんだけどなぁ……とぼやきながら、叩かれた頭を擦る。
(び、びっくりした……何だったの?)
「えっと、今から君の“魂”の状態を見させてほしいんだけど大丈夫かな?」
正直何をするのかは皆目見当もつかなかったが、座るよう促されたため、椅子にじっとしながら待っていると虚の目が青白く光りだした。
『
ぶつぶつと呪文のようなものを唱えると目下に紋様が浮かび始めたと同時に、虚の表情はより険しくなっていく。
「――やっぱり……ねぇ、身体がサラサラと砂が崩れそうな違和感はない?」
「……っ!?」
身体の調子はさっき二人に話したので、何故同じことを聞くのかピンと来なかった。しかし、博士の顔は驚愕の色に染まっていた。
「ねぇ、もしかしてあの子の魂に輪廻の書が刻本されてなかったぁ?」
「……はい。ですが、すぐに始まるわけではないので、大丈夫だと思います。」
(輪廻の書?刻本?一体なんのこと?)
少女の疑問を
「あ、あの!一つ聞いても……いいですか?その、輪廻の書ってなんですか?それが無いと……大変なんですか?」
「それは……その……」
その疑問に博士は思わず口をつぐむ。 この静寂を切り裂いたのは虚だった。
「……輪廻の書は別世界で観測された事象や伝承、人の軌跡を本という形に変えて、人の魂に刻むことができる本なんだ」
「虚……!」
虚は大丈夫――とやや不満そうな博士を静止しながら話を続けた。
「本に書かれている内容は様々で、生き様だったり人生の終わり方……死に様なんかもね。」
曰く、『輪廻の書』はここリブラ・クロニクルから観測できる世界で起こった人の記憶に残りやすいもの――つまり、存在する力が強い内容を『伝承本』として記録し、
「輪廻の書の通りに最後まで人生を全うできる人は、この世界では幸せなことなんだよ。でも……魂に刻まれていなかったり、輪廻の書に書かれていないことが現実で起こると………」
「……どう、なるの?」
内心、嫌な予感はしていた。だが、このまま何も知らないままでは変わらないのは分かっていた。意を決して、何も起こらないでほしいと微かに震えた心の中で祈りながら続きに耳を傾ける。
「身体は砂のように崩れて、人から忘れられて……この世界から消える」
(やっぱり……死ぬの?)
しかし、突きつけられた現実は非情だった。徐々に恐怖・不安・焦燥が心に渦巻き、押し寄せてくる。小さく身体が震えていることに気づいた虚が、優しく肩に手を置きながら心配ないと声を掛ける。
「ただ、例外として伝承本に登場していたり、別世界で大衆の記憶に刻まれている場合は消える可能性は低いって言われている……正直、記憶憶喪失の状態でここまで魂の揺らぎがないのは、本来起こり得るはずのないイレギュラーな事象だ。すぐには問題は起こらないと思うから、安心して」
だがしかし、そんな虚の説明も“消えてもおかしくない”という現実味を帯びてきた事実を前に、耳には入ってこなかった。
(嫌だ……まだ死にたくない、消えたくない……!)
大きくなっていく不安感ズキッと胸の奥の痛みを伴いながら大きくなっていき――
「……っ!?」
――刹那、サラサラと身体が崩れるような感覚がした
「あ……」
「……まずいっ!?身体が崩れ始めてる!」
身体中に不快感が駆け巡っていく。消えたくない――そう願っても止まることはなく、悲壮感が漂い始める。虚は戸惑い、博士は後悔で動けず、時間は刻一刻と過ぎていく。
「虚……っ」
「――っ!?……仕方がないっ!」
悲壮な目で、決意した目を向けながらガシッと少女の両肩を掴む。
「え、あ……」
驚き・戸惑いながら顔の近さに頬を赤らめ、その場から動けなかった。
「君はまだ、どう生きるかを選べる。その本が証明する限り、絶対に消えないから――っ、だから……リィン・フュート……もう、安心していいよ」
リィン・フュート――名前を聞くと全身から不快感が消滅していった。
「い、今のは……?」
「……ごめん。一刻を争う状況だったから、勝手に名前をつけさせてもらった」
自責の念に苛まれたように、勝手に決めてしまった事をひたすらに謝っていたが、少女――リィンは気にしてはいなかった。
「ううん、こっちこそ助けてくれてありがとう……リィン・フュートかぁ……名前、大事にするね」
心なしか胸の奥から感じるぬくもりを、初めて大切なモノをもらった無垢な子のようにリィンは静かに喜んでいた。
「……さて、一先ずはその場を凌いだけど、状況は変わりないわぁ」
一通り落ち着いたところで博士が話を切り出し、改めて確認していったが全てが不明で、存在が消える可能性は未だ存在している――状況は最悪なままだった。しかし、虚はすぐに消える可能性は薄いと言う。
「名前はその人がここで生きていた事を示す証だ。だから、また不安になったときに、魂が揺らいで消えそうになることはないと思う。ただ、すぐに消える可能性はゼロになったわけじゃない……早急に記憶の断編を取り戻して、リィン――君が誰なのかを君自身が知る必要がある。そのための鍵となるのは……おそらくその本だ」
『大戦の英雄〜双剣の守護者〜』を指差しながら、今後の方針として虚が挙げたのは主に三つだった。
一.虚の手伝いをしながら、記憶の断編に関連する事柄を探す
二.死を待つか
三.元の世界である“フェイドラグレア”に戻り、リィンの軌跡を辿る
「……この世界で大戦に関する記録は殆ど失われているに等しい。普通に探すのは難しいけど、実質的な統治機関である“クロニクル”の禁書庫なら、大戦に関連する記録を探すことができるかもしれない。そのためにもギルドでの依頼や僕の手伝いを通じて、名前が知られるようになれば閲覧する許可がもらえる可能性がある。もう一つはドラングローナ王国がある“フェイドラグレア”に戻ることだけど……」
「……あの、そもそも世界を渡ることって可能なんですか?」
「有事の際に他世界に渡れるゲートは、クロニクルの許可なしでは使用できないわぁ。あとは……噂程度だけど、地球の日本国に極秘に存在している鬼殺し四家……その中で空間術式を得意とする“黒神家”が世界渡りができると言われているわぁ。ただ、文献でしか見たことがないから詳しくは分からないけどぉ……」
博士と虚の話を踏まえても、現実的な選択肢は2つしかない――生きるために記憶の断編を探すか……死を待つか。
「後はリィンの意見を尊重する。可能な範囲で僕も博士も協力したいから、どうしたいのか決めてほしい」
――答えなんて、すでに決まっていた。自分が誰なのか?何故ここに居るのか?その疑問が解けるまで諦めるつもりはない。
「私は――」
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