キスから、始まる

墨華智緒

第1話 青い空を見ていたら、変な企みに巻き込まれた件

 解放感、というものだろうか。


 蒼い空に浮かぶ、千切れ千切れの白雲。

 日差しは眩しいが、湿気の少ない風が全開の窓から吹き込み、心地よい。

 クーラーもない古い教室だが、人工的な冷気より自然な風によって冷やされるほうが好きだ。


 建て増しで作られた別棟の3階にある教室も、話に聞くベビーブーム世代の頃には普通に使われていたのだろうが、それも昔の話。

 今は我がギター部の活動場所となって久しい。

 本棟と比べ古めかしい趣きがあるこの場所を、俺は嫌いではなかった。


 解放感、もしくは開放感かもしれないが、この重荷を下ろしたようなほっとした気持ち。

 俺だけの話では、多分ない。

 それを証拠に、三々五々に集まってきている女子部員たちの表情や、弾んだ声の会話からもそれは感じられた。


「やーっと、テスト終わったあ〜」

「化学、もう力尽きてたよ…」

「もう終わったことは忘れることにしてるから、あたし」

「ダメじゃん、忘れたら」

「そんなことよりさ、なんかこう、パーっと気晴らししたくない?」

「私も〜」

「ね、部活終わったら、みんなでカラオケ行かない?」

「おっ、乗った‼︎」

「いいね!」

「わたし、予約入れとくよっ。善は急げ〜!」

「遊ぶ時の行動力、ハンパねぇ」

「これを勉強にも応用できたらなぁ…」


 聞き耳など立てなくても、彼女たちの声はよく響く。

 そう、今日は一学期末試験の最終日。

 午前中にテストを終えた後の解放感のことを、断食月ラマダーン明けのイスラーム教徒に例えたのは、世界史教師だったか。イスラームを信奉する者ではない俺でも、一ヵ月断食(神と向き合う試験のようなもの、らしい)のあとの解放感は、実感できたことを思い出す。


 しかも、テスト後の授業は短縮日課や午前中4時間で放課が多い。球技大会なんてのもある。生徒の気持ちが半分夏休みモードになるのも当然といえる。

 まあ、3年で受験が控えている俺は、これから毎週のように模試や補講、予備校講習があるのでそれほどではないが、それでもなんとなく心沸き立つ感覚を感じていた。


 そんな、学校全体が浮かれている雰囲気。

 あのようなことに巻き込まれていったのには、その影響もあったんだろうな…。


 ♢♢♢


「岡本氏」


 ギタロン(普通のギター比べると胴が太く厚い、メキシコのギター)を手にしつつもチューニングをするでもなく、ぼんやり空を見ながら浮かれた後輩たちの話を聞くとはなしに耳に挟んでいた俺に、部長の佐藤が近づいて来ていた。


 申し遅れたが、俺の名前は岡本泰憲おかもとやすのりという。

 ありふれた名前、個性のない顔、積極的ではない性格。

 目立つ要素がないし、俺自身目立ちたいとも思ってないので、部活では副部長という肩書きで呼ばれることが圧倒的だが、佐藤のような同学年は姓で呼ぶ者もいる。


「ちょいっと、話があるんだけど」

「何?」

「…んー、ここじゃなんだし」

 彼女の目線をたどると、浮かれ後輩たちには聞かれたくない話題のようだ。


 珍しい、と思った。

 佐藤郁さとういくは、いつもはっきりズバズバ物申すタイプだ。

 裏表がなく、言うべき時にはガツンと言うが、切り替えが早く後には引かない。

 リーダー性もあり、一年生のときから将来の部長と言われていて、実際そうなった。

 そんな佐藤でも、言いにくい事はやはりあるのだろう。


 とは言え、俺にも佐藤から話をされる心当たりが、ないわけではない。

「あれか?全国大会の部屋割りか?」

「あー、それはもう、もらってる」

「じゃあ、宿泊費の徴収か?でもあれは来週締め切りでは…」

「違うよぉ〜。部活の話じゃないのさ。…まあ、全然関係ないってこともないんだけど…」


 俺は思わず、佐藤の顔を凝視してしまう。

 佐藤が?俺に?部活以外の話??


 入学時から一緒の部活、しかも部長と副部長だから、もちろん話はする。だが必要最低限の部活上の連絡以外の会話は、したことがない。

 まあ、この学校の異性で親しく話す人は誰もいないのだが。


「まあ、いいけど」

 多少、身構える気持ちもないわけではないが、佐藤を信頼していないわけでもない。

 ギタロンを脇に置き、立ち上がる。

「チューニング中ごめんね」

 という佐藤についていき、隣の部屋へ。


 かつてまだ特別教室として機能していた時代には、準備室として使われていたであろう細長いその部屋は、今はギター部の倉庫兼ガラクタ入れと化しており、歴代の賞状や古い楽譜といったものから、何に使ったわからないオブジェやかぶり物の残骸が転がる。

 女子部員の着替えにも使われるらしく、私物らしいものも結構ある。


 そこには先客がいた。

 2年生の佐々木と梶の、元気者女子コンビだ。

 この2人を見て、俺はピンときた。

 …が、確定ではない。

 思いついたまま話すほど、俺は無用心ではない。

 というか、口から先に生まれたと言われてる佐々木が、そんな間を与えなかったと言うのが正しいかもしれない。


「あ、岡本せぇんぱい〜、ちわっす〜」

 妙に語尾を伸ばして、先輩への敬意が感じられない言葉使いのが佐々木。

「副部長、わざわざ申し訳ありません」

 ペコリと頭を下げ、ちゃんと敬語を使えるのが梶。真面目そうな委員長タイプで、今時レトロな太い黒縁メガネがそれを増幅させている。


「いきなりですいませ〜ん。でもでもぉ、今日いぃ〜こと思いついちゃったんでぇ」

 …思いついた?

「端的にいいます。副部長に聞きたいのは2つです」

 梶が指を2本立てる。

「ひとつ目です。高橋に彼女がいるかご存知でしょうか?」

 高橋?

「いや…、他人とあんまりそう言う話はしないから」

「ええぇ〜、それを話さなくて、何話すんですかぁ?」

 いや、いろいろあるだろ。

「だから、みんなささやんみたいに、恋愛至上主義じゃないんだって」

 ちょっと困った笑い顔の佐藤が口を挟む。


 なんなんだ、一体?

 来年度の部長決めの話じゃないのか??






















 

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