おしまいと天才と贈り物
犬丸寛太
第1話おしまいと天才と贈り物
書き出しが思い浮かばない。
それどころか、タイトルも、構成も、巧みな表現も、何も浮かばない。
僕は世間では若くして幾つもの賞を受賞した天才作家として通っている。
しかし、いつからだろうか。僕は文章が全くと言って良いほど書けなくなってしまった。
世間は僕の次回作を期待している。天才が生み出す壮大なスペクタクル、巧妙な構成、切なく甘い感動、ヒヤリとする幕引き。
プレッシャーだろうか、いや、初めて賞に応募したときはもっと苦しかった。頭をひねりにひねって、もがき苦しみながら僕は原稿用紙を引き裂くように物語を描いていた。
そもそも僕は苦しんでいない。机は綺麗に整頓され、目の前には一台のノートパソコンだけ。
選定されていない枝葉のように乱雑に物語を記した原稿用紙も、熟しきり落ちて弾けた果実のようなインクの跡も、何もない。
呆然としている所にチャイムが鳴った。
来客の予定は無いはずだが何だろう。
ドアののぞき窓から外を覗くと宅配便のようだ。サインをして受け取る。
小さな小包の中身はいったい何だろうか。最近何か注文した覚えはない。
僕は書斎へ戻りながら、送り主を確認する。どうやら、自分の通っていた小学校からのようだ。同窓会の誘いだろうか。それにしては小包にする必要はないだろうに。
椅子に座り小包を開けるとそれはブリキの缶詰だった。懐かしいヒーローがプリントされていてところどころ塗装がはげ落ちている。
じんわりと記憶が蘇ってくる。
これは小学四年生の時に二十年後の自分へ宛てたタイムカプセルだ。
中に何を入れたっけか。何しろ二十年前だよく覚えていない。箱を持ってみると随分軽い。振ればかさかさと音がする。手紙か何かだろうか。
僕は二十年間の歳月ですっかり軋んでしまった思い出をこじ開ける。
中身は、やはり紙だ。よく見ると原稿用紙のようだ。
思い出した。二十年前の僕は学校で表彰された自分の作文を入れたのだ。
当時の自分にとってもっとも輝かしいものを入れたのだろう。
古びた紙の匂いが否応なしに当時を思い出させる。
作文のテーマは“給食”だ。
僕は見事学校で表彰され、全校集会で作文を披露するはずだった。
しかし、緊張しすぎて具合が悪くなってしまった僕は当日学校を休んでしまったのだ。
結局、後日給食の時間に校内放送で生音読をするはめになった。
当時を懐かしみながら、随分茶けた原稿用紙を広げてみる。気を抜くと破れてしまいそうだ。
なるほどなるほど、実に子供らしい正直な文章だ。
給食は美味しい
給食の時間は友達とおしゃべりできる
給食のおばさんにありがとう
箇条書きにできる事を精一杯文章にして、枚数は原稿用紙二枚にも及んでいる。
今はもうパソコンを使うようになったから忘れていたけれど随分不器用な文字だ。先生は大変苦労しただろう。
昔の自分の文章を読むのはこっぱずかしいと思ったが流石に二十年前ともなると懐かしさの方が勝る。
幼いながらに自分の感想をはじめに、読み手への感謝を最後に持ってくるのはよくできている。美味しいとか楽しいとか、ありがとうとか、回りくどい言葉も一切ない。
読んでいて優しい気持ちになる文章だ。
何度も何度も推敲したのか、原稿用紙には消しゴムの跡だらけだ。
昔の自分は文章に対して、真摯で正直で愚かしいほどまっすぐだった。
ひとしきり読み終え、僕は原稿用紙を優しくデスクに置く。すると二枚目にもう一枚原稿用紙がくっついている。
文章は綺麗に閉じてある。当時の僕は三枚目に何を書いたのだろう。
ゆっくりと原稿用紙を引きはがす。ピリピリと気味の良い音とともに二十年前の自分の最後の文章が見えた。
おしまい
四百字詰の原稿用紙にはそれだけ書かれていた。
僕は苦笑してしまった。確かに文章は終わらせないといけない。結末を読み手に投げるなんて無責任だ。
しかし、先生に渡された原稿用紙は一人二枚だったはずだ。当時の僕はわざわざルール違反をしてまでこの四文字を入れたのだ。
これはある意味天才だ。今の僕には真似できない。
可笑しくて仕方がない。
やはり子供の感性には驚かされる。我がことながらあっぱれだ。
二十年の時を超えた幼き天才からの贈り物に倣って僕はおしまいとだけ書いた原稿を編集に送り付け書斎を後にした。
久しぶりに実家に帰って、母校を見に行こう。
暫く経って、編集から僕の身を案じる電話があったが、事情を説明するとそのまま出版しましょうなどと言ってきた。
実に商魂たくましい。他の作家にしてみれば堪ったものではないが、その文句は二十年前の天才に言ってほしいものだ。
僕は笑って同意した。
おしまい
おしまいと天才と贈り物 犬丸寛太 @kotaro3
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