第4章 複雑な呪文
複雑な呪文 1
軽く睡眠をとって、深夜にアレックは再び物置部屋に閉じこもった。子どもたちもフローナも寝静まった頃に魔法を使ったが、アレックが物置部屋を出た時には肩掛けをしたフローナが心配そうに待っていた。
「まだお疲れでしょうに。私が急かしたばかりに、申し訳ございません」
フローナがお茶の用意を始めるのを見て、アレックは重い足取りでテーブルについた。
「二時間の制限が、本当にもどかしいよ」
そう言って、固まった背筋を伸ばす。「おかげで事が起こるまでずっと待機することになった」
「起きたことには何も手出しできませんものね。ともあれ、居場所がお分かりになったのですね」
紅茶を差し出して、フローナも向かいに腰掛ける。アレックは頷いて、フローナを見た。
「頼みがあるんだ。その前に、全部説明するから聞いてほしい。――まず、ヴァルメキ王の亡命の件から話すと、手を貸したことについては後悔はしていない。ただ、リンドグレーン副隊長には申し訳なく思っているよ。その辺は後で対処するつもりだ。フローナはグライフィーズについて、僕の居場所を突き止められていないと言っていたけど、あれは半分本当で、半分違う。ヴァルメキに行った時、一度攻撃を仕掛けられてペンダントの加護の魔法が働いたんだ。その残り香を追いかけてきたグライフィーズが最初に見つけたのがシルマ王女だった。僕が落したペンダントを彼女が拾っていたんだよ。あいつはペンダントを追った時点で、クアラーク城に出入りしている僕の存在などとうに確認しているはずだけど、それでもまずはシルマ王女から手を出した。彼女は今、人形の姿にされて動けない」
「なんですって!」
フローナが金切り声を上げた。
「昨日からずっと人形を探していたんだ。人形を最初に見つけたのは庭師だった。何も知らない庭師は、ぼろぼろのそれをゴミだと思って捨てようとした。それを止めたのがシルマ王女の侍女」
ああ、よかった……。声を震わせるフローナ。
アレックは続けた。
「だけど、最初の二時間でわかったのはそこまでだった。直接侍女に聞けば、彼女は人形を失くしたと言うじゃないか。おかげでもう一度石の魔法を使わなきゃいけなくなった。使用申請なんて出している余裕はない。こればかりは、無許可なのをフローナに黙っていてもらわないと」
「それは仕方ないことじゃありませんか。そもそも私は協会の人間じゃありません。申請が必要なことも知りませんしね。それで、その人形は」
アレックは軽く頷いた。さっき物置部屋で見たことがすべてだ。
「使用人頭が持ってるみたいだ。だから、夜が明けたら城に行ってくる。フローナに頼みたいのはその後だよ。変身術の呪いを一時的に抑えることはできても、完全に解く薬を僕は持っていない。材料を取り寄せるのにも時間がかかるだろうし、そもそも今の僕には手に入れる手段がない。ベルナール先生にお願いしてほしいんだ。僕からお願いするにしても、今この状況でブライアートに連絡を取るのは話をややこしくするだけだからね。それから、シルマ王女を
フローナにとっては責任重大だ。何せアレックの存在を隠しながら内密に動かなくてはいけない。先日のリンドグレーン副隊長しかり、自分一人で責任が取れないことにアレックはとてももどかさを感じていた。一人で何とかすると豪語したのが、結局は環境に甘えてばかりだ。
「わかりました。やってみましょう。ただし、ベルナール様には隠し事はできません。私から話しておきますが、よろしいですね? あのお方はきっと味方になってくださいます」
朝になり、ガットとミシェルが起きてくる前にアレックは城に向かった。連日の魔法で身体はもうふらふらだ。なんとか動けているのは、使用人頭のオルコット夫人を探して人形を引き取る。ただそれだけが頭にあったからだった。
使用人たちの朝は早い。ただでさえ、今は王女捜しにばたばたしているのだから、早朝の城内には人がたくさん出歩いていた。
オルコット夫人の姿を探すにも、どうにも見つからない。あちらこちらに声をかけていたら、そのうち王妃様の侍女だという女性につかまってしまった。
「アレック様。少しよろしいでしょうか。セレナ王妃がお呼びです」
それどころじゃないのに!
引き返して聞かなかったことにしたいところだったが、王妃様が呼んでいるとなれば無視もできない。アレックはどうにもあのセレナ王妃が苦手だ。初めて会った時から、まるですべて見透かされているような気がして恐い気さえする。
案内されるままに王様の執務室へ通されると、王妃様はすでに手前の席に座っていた。奥では王様と王室特別大臣、騎士隊長が額を合わせて険しい顔で話し合っている。
アレックが挨拶をすると、王妃様は目を細めて言った。「来てくれてありがとう」
「シルマ様を見つけられず、大変申し訳ございません」
ひとまず謝ると、王妃様はアレックを手招いた。不思議に思って護衛の顔をうかがうと、静かに頷かれたので、招かれるままに一歩前に出る。
「もっと近くへ」
びしりと言われて仕方なく、アレックは王妃様の指輪にはまった石ひとつでさえ見えるくらいに近づいた。
「顔色が悪いわ。具合がよくないなら、無理しないでお休みなさい。あなたが懸命にシルマを捜してくれているのはよく知ってる。その上、昨日は騎士隊の騒ぎにも駆けつけてくれたようね」
「いえ、体調なら――」
アレックが言いかけると、王妃様はさえぎって続けた。
「私も含め、皆あなたを頼りすぎてる。見返りを求めないあなたを利用していると言ってもいいくらいだと私は思うわ。あまり迷惑はかけられない」
「迷惑だなんて滅相もありません。シルマ様は必ず見つけます」
すかさずアレックが言い返すと、王妃様はじいっとアレックを見つめてきた。その青い瞳があまりにもシルマ王女そっくりだったので、どきっとしたアレックはとっさに視線を逸らせる。
「……これでは申し訳が立たないのよ」
そうつぶやく王妃様の言葉にアレックは首を傾げた。「何か――」と言いかけて、またもさえぎられる。
「素敵な目をしているわね。きれいな瞳。懐かしい友人を思い出すわ」
王妃様が部屋の壁に飾られた旗を見上げた。クアラークの薔薇の紋章。その左に熊の紋章。右にはフロックスの花の紋章。
アレックもつられて見上げてから、すぐに視線を戻した。
「若い頃の親友よ。彼女も息子の安否が知れないのですって。アレック、あなたご両親は?」
「両親とも健在です」
「心配をかけてはいけないわよ。成人したからといって、どうでもいいことはないの。そんな蒼い顔ではご両親は心配するわ。今日はお休みなさい」
優しい顔をして、けれど強く諭すように王妃様は言った。微笑んだその顔でも悲しみの色が浮かんでいる。椅子から立ち上がった王妃様は、アレックの横を通り過ぎて扉の方へと静かに去っていった。アレックはどうしようもない焦燥感を抱いた。今、彼女を見つけることができるのは自分しかいないのだ。
「妃殿下、必ずシルマ様を無事にお連れいたします」
声を張り上げて言う。足を止めた王妃様が、振り向かずに答えた。
「ありがとう。アレックは本当に優しいのね」
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