アブストラクト・シンキング 人間編

時富まいむ

序章

1

授業の開始を告げるのチャイムが鳴る10分前ほどの教室はまだ賑やかだ。女子は数人のグループを作りその中で男子にとって興の冷めるようなたわいもない話で盛り上がり、かといって男子もばらけてるだけでやってることは女子とそんなに変わらない。別にそれをどうこう言うつもりじゃない。俺だって、バスの時間の関係でいつも早く学校に着いてしまい暇な分こうやって後から来た友達と話すのは楽しいものだから。その会話の中身は、相手にもよるが大体ゲームや読んだ漫画や捕まえた虫がすごくレアとかくだらないものばかりだが。


ふと外に目を見やる。季節は冬。だだっ広いグラウンドは真っ白な雪に覆われていた。


「そんなことよりねぇ、聞いてよ!!」

「わぁっ!?」

耳元で何やら嬉しそうな声が俺を呼びかける。そこにはいかにも好奇でキラキラと目を輝かせて俺に迫る友人の姿があった。

「耳が痛いっつーの!・・・ていうかそんなことをまず話してないぞ。」

ツッコミと同時に屁理屈を垂れる。が、こいつはそんなことはお構いなしだ。

こいつの名前はセドリック。俺がこの学校に転校してきたその日からやたら馴れ馴れしく接してきて最初こそ鬱陶しかったものの、いまはこの学校で一番よく話す仲となった。家も近いし。

「リュー君ならきっと呆れてどっか行っちゃうような話なんだけど、僕すんごいもの見つけたんだ!きっと世紀の発見だよこれ・・・ってちょっと!どこ行くの!?」

どっか行っちゃうような話なんだったらどっか行ったって構わないじゃないか。やれやれ、そうわかってて何故話そうとするのか。メンタル強いのか。

「そういえば今日学級当番だから黒板・・・。」

「めちゃくちゃ綺麗だよ!僕の心みたいにね!」

適当にはぐらかしたが無慈悲にも黒板はもうひとりの学級登当番が綺麗に消してくれていた。そして心も綺麗らしい友人が俺の行く手を慌てて阻む。

「心の綺麗な奴のすることじゃないな。」

「もう!一言多いよ!お願いだから聞くだけ聞いてよ~。」

両手を合わせわざとらしく上目遣いで懇願する。よほど本人にとっては聞いて欲しい話なのか、その様はたいへん見苦しいのでとりあえず聞いてあげることにした。


「・・・昨日、公園でこんなもの拾ったんだ。」

そう言って上着のポケットから取り出したのは、ぐしゃぐしゃに丸められた赤色の紙切れ。

見た感じ、ただのゴミといったところだが、察したのか急いで紙を開いた。

「これは・・・?」

紙には、魔法陣らしき絵と黒いクレヨンで汚い字でこう書かれていた。

「「いせかいきっぷ」・・・?なんか、見覚えあるような・・・。」

はっきり言ってどこからどう見てもただのゴミ。ただ、そうだと断言できない何かが俺の頭の中にあった。直接見たことあるわけでもないのに見覚えのある、不思議な感覚に少々困惑した。

「さすがリュー君。君なら絶対知ってるんじゃないかって思ってたよ。」

セドリックの表情は好奇と、どこか恐怖がないまぜになり真剣味を帯びていた。

「・・・いや、俺もうろ覚えっつーか。思い出せそうで思い出せないんだ。」

そう、この紙はきっと初めて知るものじゃない。でも言葉通り思い出せないのだ。例えるなら、完成したパズルが途中で半分ぐらいまでばらけ落ちて絵がなんなのかわからないような・・・少し違うかもしれないけど。

「えー?世間を騒がせた結構ビッグな「事件」だったよ?」

こいつの記憶には鮮明に残っているらしいが、それほど重大な出来事ならここにいるどれだけの同級生が覚えているのだろう。まずは例の出来事がはっきり思い出せないことには聞けもしないが。

「もしかするとその事件が再び起こるかもしれない・・・ってところで僕が拾っちゃったんだけどね!あははは・・・。」

すると彼の背中を人差し指でつつく人物が一名。

「はは・・・ん?あー、ベー君?おはよ~。」

ベー君と雑なあだ名で呼ばれた金髪に赤いカチューシャが印象的な長身の少年がなにやら不機嫌そうに話しかける。

「・・・アレやったの、セドリックでしょ。」

セドリックはきょとんとしているが、指をさされた方向に視線を向けると「あ~。」と納得した。

教室の前のドアに挟まれている黒板消し。あの黒板を綺麗にお掃除してくれた分、真っ白だ。あんな古典的ないたずらは今では滅多にお目にかかれないだろうとすごく新鮮な気持ちになったがそれも一瞬。すぐに呆れてものも言えなくなった。

「うん!先生、どんな反応するかな~って。あははは、想像しただけでウケる・・・。」

いつのまに仕掛けたのか知らないが黒板消しが落ちてないということはそう早くない。

時間は五分前、あとは先生ぐらいしか入って来る人はいないだろう。多分。

「トイレ行けない。」

「あ・・・。」

その一言に脳天気に笑ってたセドリックの表情が固まった。

教室には大体後ろにもドアがあるが、なんと後ろのドアは壊れていて現在開けることができないのだ。だから、前がダメなら後ろから出ればいいとは言えないのだ。五分前だが、いや、五分前のギリギリの時間にもしトイレ等で教室を出たい人が出てきたらセドリックはどうするつもりだったんだろう。

「あは、あはは・・・ごめん!今回は諦めてアレ取り除いてくる!」

笑ってごまかしても無駄だと、セドリックは急いで自分の仕掛けたトラップを解除しようと走っていく。俺はその背中を無言無表情で見守るのみ。

「のわっ!?」

が、余程慌てていたのか何もないところで滑って転んでしまう。幸い机と机のあいだの通り道に綺麗に倒れたので派手な被害はなかった。本人の肉体は置いといて。

「何やってんだあいつは・・・。」

同級生が転んだのだ。騒ぎに数人が駆け寄る。

「別に・・・俺は行かないんだけど、トイレ。」

セドリックのイタズラを指摘した本人がぼそっとつぶやく。

「なんだそりゃ。」

さりげなくつっこむ俺の方は見向きもしない。だが、先ほどのむすっとした表情ではなく、俺と同じく無表情で。

「言ってあげただけ。」

「・・・・・・。」

このよくわからない奴はハーヴェイ。同級生っていうだけで仲が特別良いわけでもなければ別に悪いわけでもない。現時点で把握してるのは無愛想で何考えてるかわからない不思議なやつってことぐらいで、そこが女子には「クール」「すましている」と言われそこそこモテているらしいが、俺にしてみたらただぼーっとしているだけにしか見えない。実際、俺の斜め前の席にいるあいつは授業はもっぱら寝ていたりこっそりいかがわしい本か漫画を読んでいるなど女子のクールな男子像にはあてはまらないだろう。まぁ悪い奴じゃないし言っちゃああれだが人畜無害なので特になんとも思わないが。

「あと、まだ来てないの他にいるでしょ。リュドミールが嫌いなアイツ。」

今度は俺がきょとんとした。

「え?」



ほぼ同時に教室のドアが開く。しっかり挟まれて固定されていた黒板消しが何も知らない哀れなそいつの頭上に落下し、白い粉を撒き散らしながら床に落ちた。

「あ・・・。」

教室にいるみんながそちらを見ては、あるいは見て見ぬふりをして一斉に静まり返る。その場の空気がズシリと重みを増したのを感じるほど。

これならまだ先生の方が良かった。それこそ人によるが、俺のクラスの担任はこれぐらいなら子供のいたずらだと本気で咎めたりはしない。

それがどうだ。同学年の子に当たってしまったこの気まずさ。

クラスのムードメーカー的存在ポジションにいるやつでない限り、親しくない友人でもない限り、おとなしい子に限り、つまり大体はこういった空気になるというのに。

よりにもよって。

クラスのガキ大将がターゲットとなってしまったんだから。

「・・・お、おはよう、オスカー様。」

一番入り口の近くにいた男子が恐る恐る声をかける。もちろん、普段から誰かに様とつけられるような呼び方はされていない。

「ぁあん?」

ドスの効いた声に挨拶をした男子の方が跳ね上がる。

「ひいッ!すみません!!」

「すみません?テメェがやったのか、コレ。」

男子はひどく混乱しているように見えた。きっと咄嗟に出てしまっただけか、はたまたご機嫌斜めの彼に気を少しでも紛らわそうと挨拶したのが逆効果だったのに対しての「すみません」をどうやらいたずらをしたから謝ったのだと勘違いしたのだろう。

「い、いえやってません!!俺じゃない!もぶっ!」

自分ではないと涙目に主張する男子の顔にオスカーの拾った黒板消しが押し付けられる。

「テメェじゃねえんだな?お?なら誰がやった?見てねえとか言わせねえからな。」

力任せに押し付けられ息苦しそうにもがく男子と子供とは思えない歪んだ笑みを浮かべるオスカーと恐怖で固まる他多数。中には今にも泣きそうな奴までいたが必死に堪えている。

「俺様にこんな幼稚な真似をするとはいい度胸だ。」

更に彼は、自分がまだ教室にいないことに気づいていない人はいないだろうという前提で、ならこのいたずらがまだ来ていない自分に仕向けられた罠だと思い込んでいた。するとオスカーは黒板消しから手をはなしチョークの粉で白くお化粧をした男子の肩に手を回して教室にいる全員に向かって喚いた。

「なあ、おいお前ら!誰がこんなことやった!?やった奴は名乗りやがれ!でねえとコイツがどうなっても知らねえぞ!」


まるで尋問だ。みんなは口を頑なに閉じ下を向いている。当然ながらいたずらを仕掛けたのはただ一人なのだからそいつを除く皆は無罪になる。ならば犯人を知っている人がそいつがやったと言えば済む話なのだろうけど、何の関係もない男子があんな目に遭っているんだ。犯人がどうなるのか、想像しただけで恐ろしいのに告げ口した奴のせいでその光景を目の当たりにすることになるのだから。あとは人間関係の縺れ等、様々な事情が皆を黙らせていた。



「・・・。」

犯人のセドリックはというと、転んで倒れたままぴくりとも動かない。本人もまさかこうなるとは予想だにしていなかったに違いない。幸い、死角になってオスカーの視界から上手い具合に消えているが時間の問題だ。

「・・・・・・。」

一方俺は葛藤に苛立ちさえ覚えていた。

いたずらはそもそも良いことではない。誰であろうと相手を不快にさせたのなら然るべき対応をするよう、とりあえず本人が名乗らないのなら名指しして、きちんと罪の意識をもたせてあげるべきという至極真っ当な論理的な意思。

だが、相手はわざわざ見せしめまで行っている。個人的な意見として、いくら悪いことをしたとして仲の良い友達が酷い目に遭うのは見たくない。

「どうしたら・・・。」

思わず拳を作り力が入る。時間だけが過ぎていく。

「・・・ほらな、自分がよけりゃそれでいい。そうだと思ったぜ、面白え。」

「どういうことだ?」

心の声が怪訝につぶやく。オスカーはこうなることをあらかじめわかっていたような素振りを見せる。なら彼の茶番は何を意味するのか、さっぱり見当がつかない。オスカーが、最初に話しかけてきた男子の前に座り込み、ある提案をした。

「名乗る奴はいない、で、お前も犯人を知った上でそいつだと言いたくない理由があるなら構わねえ。俺も結構頭にキテるからぶっちゃけ誰でもいいんだよ。」

男子は汚れた顔を拭いながらぽかんと口を開けて彼の方をただ見るばかり。言っている意味を理解していない彼にオスカーは続ける。

「じゃあこうすりゃいいんだよ。・・・お前にとって無関係な奴か嫌いな奴がやったって言えばいい。そしたら罪悪感もねえだろ?」

それは最悪の提案だった。しかもわざと周りにも聞こえるぐらいの声で。

「・・・・・・!」

「連帯責任なんてこたぁ言わないぜ?そうしたらお前には何にもしねえ。な?お前も助かりたいんだろ?」

男子はどうすればいいか頭がパニックに陥り口をパクパクさせている。

「こいつの為を思ってとかいう奴も名乗り出ていいんだけどなあ。誰でもいいから早く出てこい!」

しびれを切らしてとうとう怒鳴り声を上げる。そんな脅迫じみたもので誰が告白するだろう。皆、すっかり怖気づいてだんまりを決めている。

事の発端であるセドリックも、行動を起こすべきだと判断してもどう起こしていいかわからない俺も。


誰も名乗らないまま、最悪の空気のまま、チャイムが鳴るまでこの空間に居るのはとても耐えられない。あともう少しで鳴るはずなのに・・・。

「・・・俺がやった。」

と、まさか名乗り出たのはセドリックではなく、俺の隣で終始無表情で状況を傍観していたハーヴェイ。

「は?お前・・・。」

急な展開についていけない皆は声のした方向を向く。俺も同じだ。わけがわからない。名乗った所でデメリットどころか危害しかないのに。

「あ?テメェ・・・。」

苛立ちと敵意を込めた視線を向けるオスカーと微動だにしないハーヴェイ。

ただ、さっきまで怒りで血がのぼっていたオスカーの様子が微かに違ったふうに見えた。

「俺がやったって言ってるんだけど。やらないの?」

ハーヴェイは更に煽る。短気でなくとも、もしも自分が同じ状況なら腹を立てていたと思う。彼なら今にでも胸ぐら掴みタコ殴りにしていてもおかしくない。それぐらいオスカーはガキ大将なんて呼び名は甘いぐらい凶暴な奴だ。


でも何もしない。眉間にいっぱいシワを寄せ睨みながら、湧き上がる感情をぐっと押さえ込んでいる。

「やったんだからやれよ。やったって言った奴なら誰だっていいんだろ?・・・抵抗しない、たださあ。」

俺の前に歩みでたハーヴェイは相変わらずの無表情で淡々と続けた。

「黙ってボコられるのは嫌に決まってるけど、焦らされたりするのはもっと嫌いだから早くして。じゃないと・・・。」

嫌な予感が、全員の背筋を凍らせ、オスカーが反論な言葉を探し焦っていたところで。


-キーン、コーン・・・


救いのチャイムが鳴り響いた。

クラス中のほぼ皆が肩の力を抜き安堵の息を漏らす、が体の緊張の全ては解けず席には誰もつかなかった。しかし数人を除いた残りの皆はすぐに席に着くことができた。

「きりーつ・・・てちょっと!なんで起立で座るのよ!」

時間きっちりに担任の先生が来たからだ。

「ん?オスカー君どうしたの!真っ白じゃないの。」

一人だけ座るのに遅れたオスカーの異変にいち早く気づいた先生が大げさに吃驚する。オスカーはここでこそいたずらの事を正直に話せばいいのだけどどうやら誰かさんのせいでどうでもよくなったらしい。

「うっせえ、なんでもねえよババア、いって!?」

先生が小脇に抱えていた教材が容赦なく悪態ついたオスカーの頭上に振り下ろされる。帽子の上とはいえ角で叩かれたのだから相当痛いはずだ。両手で叩かれた箇所をおさえている。

「25歳のピッチピチレディーをババア呼ばわりしたらこうなるのよ。はいはい、とにかくみんなきりーつ!」

先生の二度の命令で皆はようやく起立する。

俺は周辺を見渡してみた。

ハーヴェイはまるで何事もなかったみたいに席に戻っている。もしかしてハーヴェイのさっきの行為はチャイムが鳴るまでの時間稼ぎだったのだろうか。

そして今度はセドリックの方を見やると偶然にも目が合い、こっちに笑顔でウインクをしてきた。怒りとか通り越して呆れてくる。これでちょっとは懲りてくれたらいいと願っていたがあの様子だとまったく懲りてないご様子だ。


なんとなくで流れてしまったがセドリックとの会話に出てきた事件について結局思い出すには至らなかった。休み時間は外で遊びたいので、給食の時間にでも聞くとするか・・・。

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