第155話 やはり人の死は難しい






「改めて感謝を。貴方達のおかげで、多くの命が守られた。ありがとう」


 シーザーとの戦いが終わり、その後。

 勇者一行は再び、ハーディアの本殿へと戻っていた。


 神官達までもがマリンに操られ、その本人も姿を消したことで、本殿は混乱に陥っていた。しかしそこへ勇者の一行とハーディアを名乗る少女が現れた事件は、そんな混乱を吹き飛ばす衝撃を彼らに与えた。


 性質の悪い冗談と一蹴するには難しい神威が、ハーディアからは感じられた。崇める神が直々に姿を現したことに比べれば、最高指導者が居なくなること、この混乱の元がその者によることなど、些細な問題だった。


 ネコタ達は謁見の間に案内された。その部屋の奥は床が一段高くなっており、ハーディアを象った大人の女性の石像が置かれている。


 それを一目し、よく似ていると口にしたハーディアに、神官達はダラダラと汗を流した。明らかな皮肉に機嫌を損ねたと察し、胃がねじ切れる思いだった。ちなみにハーディアは本気で言っている。


 石像を背にするハーディアと、六人が向かい合っている。それを挟む形で、壁際に緊張した神官たちがズラリと並んでいた。圧迫面接に近いプレッシャーを感じるとネコタは思った。


 そんな中で、ハーディアの感謝の言葉である。目礼とはいえ頭を下げられ、神官たちが怖い目でネコタ達を睨んでいた。


 そして、怖いもの知らずのウサギは平然と返した。


「気にすんなよっ☆ 当然のことをしたまでさっ!」

「やめろやお前っ」

「少しは空気を読めよっ」


 ゴゴンッ、とラッシュとネコタが拳骨を落とし、不敬なウサギを黙らせる。せっかく助かったというのに、今度は神官たちに襲われるとなってはたまったものではない。


 それをクスリと笑い、ハーディアは言った。


「いいんだよ。彼が封印を解かなかったら、私はここに居なかった。彼のおかげで全員助かったようなものだ。本来ならばここの神官達がやらなければならないことを、彼が肩代わりしてくれたんだ。それなのに無礼だ不敬だのと騒ぐ恥知らずはここには居ないよ。ねぇ?」


「はっ……、はっ!! 仰る通りでございます!」


 ハーディアから意味深な目を向けられ、神官たちの中でも年嵩の男が慌てて頭を下げ、他もそれに追随する。


 下手人が巧妙だったと理解しているとはいえ、やはりハーディアも神官達の体たらくには思う所があったようだ。神官達にはこれ以上ない叱責に等しかった。


 そんな空気に気づかず、のんびりとした調子でフィーリアは首を傾げる。


「そういえば、どうして封印が解けたのでしょう? あの王様は、絶対に解けない自信があったようですが」


 ギクリッ、とエドガーは身を強張らせた。今さらになって、彼はおおよそを察していた。


「あの封印には魔力だけではなく、神の力が使われていたからね。少量でも良いから、それを使わないと鍵が解けない仕組みだったんだよ」


 フィーリアの当然の疑問に、ハーディアはあっさりと答える。そしてじっとエドガーを見つめながら言った。


「勇者の持つ聖剣くらいしか、あの封印は解けないはずだった。だけど、よく見れば君にも僅かだけど、アルマンディの力を感じる。どこかでアルマンディに会って、祝福でも受けたことがあるんじゃない?」


「ああ、なるほど。どうりで……エドガーって、ネコタと一緒にアルマンディ様に会ったことあるもんね」

「そういやアイツ、ネコタに関しては特に警戒していた節があったな。あれは封印が解ける唯一の存在だと分かっていたからだったのか。アイツもまさかウサギがそうだとは思いもよらなかっただろうな」


 納得するアメリアとジーナに、ほっとエドガーは息を吐く。チラリと見ると、ハーディアと目が合った。小さく微笑むハーディアに、エドガーもまた目で礼を伝える。


 ハーディアは頷くと、改めて六人を見回した。


「貴方達でなければ、あの者を止めることは出来なかった。死の神として、この恩には報いなければならない。何か願いはあるかな? 私に出来ることであれば、何でも叶えてあげるよ」

「いや、そんなっ、ハーディア様から何かを強請ろうだなんて……」


 思いがけない提案に、ラッシュが反射的に遠慮する。


 いくら本神ほんにんが良いと言ったとはいえ、死の神を相手に何かを強請ろうとする気にはなれなかった。あまりにも不敬過ぎて思わぬ罰が当たりそうだ。


 それは皆が同じ気持ちだったらしい。ハーディアの御厚意とはいえ、どこか難しい表情だ。エドガーですら安易に口を出せなかった。さすがに死の神が相手ではおっかなすぎる。これがアルマンディであれば遠慮なく要望を出すのだが。


「あの、それなら……本物の【死者の鏡】って、ありませんか?」


そんな中で、遠慮がちにアメリアが口を開いた。


「私、どうしても会いたい人が居て。結局、それは偽物だったんですけど。でも、もし本物の鏡があるなら、どうしても諦められなくて。あの、やっぱり鏡は存在しないんでしょうか? 死んだ人に会えるなんて、そんな凄い道具は……」


「もちろん存在するよ。生者を慰める為に、遥か昔、私がこの神殿に与えた物だ。ただ、あのゴミクズがすり替えた挙句壊してしまったようでね。本当に腹立たしい」


 ハーディアの表情が、みるみると険しくなる。罰は与えたとはいえ、よっぽど腹にすえかねているようだ。


 ハーディアの機嫌が悪くなり誰もが顔を青くする中、アメリア呆然と呟いた。


「壊したって……そんな、それじゃあもう……」


「安心しなさい。私なら何度でも同じものを作れる。使いたいなら、好きなだけ使わせてあげるよ」


 ハーディアが手を伸ばすと、そこから紫の光が漏れ出し、形を作り出す。

 数秒と経たないうちに、マリンに見せられた【死者の鏡】と同じものが現れた。


 姿形は全く同じ。だが、鏡の持つ雰囲気が明らかに違う。


 マリンがすり替えた鏡には、見る者を不安にさせる怪しい気配が在った。しかしこの鏡にはそれとは真逆、見た者の心を洗うような清浄さが感じられる。


「これが、本物の……」

「そうだよ。さぁ、遠慮なく使いなさい」


 ハーディアに促され、アメリアは頷き、鏡に近づいた。

 

 本物の【死者の鏡】が使われることに、誰もが緊張しながら、それを見守る。

 そして、エドガーはハッとその事実に気づいた。


 ──神が目の前で作り出したという、これ以上ない信頼!!

 ──これは、今度こそトトが生きていると伝わるのでは!?

 ──間違いなく完全勝利なのでは!?


 その事実に気づき、エドガーは今までの苦労が吹き飛ぶような思いだった。人知れずウキウキとしながら、ニマニマとした笑みがばれないよう口元を隠す。


 そして、アメリアは呼びかけた。


「──トト。聞こえる? 聞こえたら返事をして」


 不安そうな、縋るような声で、アメリアはもっとも会いたい少年の名を呼んだ。

 しかし、いくら待っても鏡の中で波紋が揺れるだけで、誰も映らない。


 何度名を呼んでも、同じだった。

 アメリアの呼び声に、鏡は応えなかった。


「そんな……どうして……?」


 アメリアのみならず、その場に居た全員が、おそるおそるとハーディアを見た。

 その視線の意味を察し、ハーディアは微笑みながら答えた。


「不具合はないよ。その鏡は間違いなく、死者を呼び出す力が在る。そして人の一生の間では、魂が浄化してなくなることもない」


「えっ? それってつまり……」

「──良かったじゃねぇか!!」


 その意味を察したネコタを遮るように、エドガーがはしゃいだ声を出した。


「鏡に不具合はない! なのに鏡に映らない! ってことは生きてるんだよ! トトって奴は!」

「トトが……生きてる?」


 エドガーの言葉に、アメリアの瞳が揺れた。

 覚悟を決めた筈だった。なのにそれが覆され、頭が混乱した。エドガーの言った意味を、受け止めることが出来なくなった。


 動揺するアメリアを励ますように、エドガーは言う。


「ああ! 生きてるんだよ、トトは! だから鏡に映らないんだ! 死んでなんかない! この世界のどこかで生きてるんだよ!」


「生きている……トトが、生きて……!」


 涙を浮かべながら、ゆっくりとアメリアは笑顔を作り、そして、ハッと目を瞠った。


「トトが生きている……なら、トトは何処に居るの? 何をやっているの? 何で今まで、私に会いに来てくれなかったの?」

「そ、それは……」

 

 誰にも分かる筈のない疑問だ。そして、それを知っていたとしても、エドガーには答えられない。


 答えに窮するエドガーに、アメリアは続けた。


「私が【賢者】で、王都に居ることは誰でも知っていることなんだよ? だったら、その気になれば会いにくることだってできるんじゃないの?」


「それは……そ、そうだ! ただの平民が【賢者】に会いたいって言っても、城の奴らだって会わそうとはしないだろ? きっと城の奴らに止められてたんだよ! そうに違いない!」


「そうだとしても、私に連絡を取りたければ、故郷に戻ってくればお父さんとお母さんとの手紙でいくらでも伝えられるよ? それすらしないっておかしくない?」


 もっともなことを言われ、エドガーは何も言えなかった。確かに、どうしても連絡を取りたければ、すぐにその手段が浮かぶだろう。


 それをしない、ということは……。


 アメリアは涙を堪えながら、かつての光景を思い出していた。


 大好きだった少年との、最後の別れを。


 自分が放ってしまった言葉で、傷つけてしまった少年のことを。


 震えた声で、アメリアは呟いた。


「やっぱり、トトは私のことが嫌いに……」

「──違う!!」


 アメリアの言葉を遮るように、エドガーは叫んだ。


「そんなことはない! ありえない! トトがアメリアを嫌うなんて、そんなこと……ッ!! きっと何か理由があるんだよ! 姿を見せられない何かが! 本当はトトだって、アメリアに会いたいって──」


「適当なこと言わないで!!」


 エドガー以上の声で、アメリアは叫んだ。

 不安や悲しみをそのまま、エドガーにぶつけた。


「どうしてエドガーにそんなことが分かるの!? トトのことなんか何も知らないくせに!! 何も知らないのに、無駄に期待させることなんか言わないでっ!!」

「アメリアッ! 俺は……ッ!」


 アメリアは目元を隠しながら走りだした。

 確かに零れた涙を見て、エドガーは動けなかった。


 アメリアが謁見の間から出ていくのを、誰も止めることが出来なかった。

 アメリアが姿を消してからようやく、ネコタが慌てたように動き出した。


「あっ。えっと……僕、アメリアさんを追いかけてきますっ!」

「あ~、あたしも行くわ。さすがに今のアイツは放っておけねぇ」


「えっ、あのっ、ちょっ……!」

「お、お前らっ、ちょっと待っ──」


 ネコタとジーナがすぐに追いかける。


 フィーリアはおろおろとしながら、二人が消えていった方とハーディアを交互に見た。

 そんなフィーリアの内心に同意しつつ、ラッシュは恐縮しながらハーディアに頭を下げる。


「ハーディア様、申し訳ありません。ただ、アイツらも悪気はなく……」

「分かっている。良いんだよ。私は気にしてないから」


 フッ、と悲し気に微笑みながら、ハーディアは遠く見るような目で言う。


「やはり人の死は難しい。良かれと思ってやったことが、こうして裏目に出てしまうこともある。これで死を司る神を名乗るとは笑わせる」


「いえっ、そんなことは……!」


「気遣いは無用。私がそう思っただけのことだから。

 さて。あの様子では鏡は報酬になり得ませんでした。ならば代わりの物を用意しなければならないね」


 そう言うと、ハーディアはまた手を伸ばし光を生み出した。

 鏡の時と同じように、ラッシュの胸元に光の粒子が集まり、形になる。


 ラッシュが恐る恐るとそれを受け止める。その両手には、薬瓶が一つ置かれていた。


「これは……薬、ですか?」


「薬、というよりもお酒ですね。【不死の妙薬ネクタル】。死者すら蘇らせる神の酒です」


「【ネクタル】!? これが!?」

「エ、エルフでも御伽噺でしか聞いたことが……」


 その正体を聞き、ラッシュとフィーリアは目を剥いてそれを見つめた。手にしたラッシュに至っては、緊張で震えている。今にも落としてしまいそうで怖かった。


 予想以上の反応に、ハーディアはくすくすと笑った。


「もっとも、伝承で伝わっているような不老不死にする力はないけどね。その瓶一本で、精々死者を一人生き返らせることが出来る程度だよ。でも、君達の旅には役に立つでしょう」


「いや、役に立つどころか……」


 一人、一度だけとはいえ、死人を蘇らせることができるのだ。これ以上ない保険になる。

 これを手にしただけで、今回の騒動を解決した甲斐があったと言い切れる。


「さて、私はそろそろお暇するとしよう。いつまでも神が現世に干渉するのは褒められたものではないからね」


 ふわりと宙を浮くと、ハーディアの身体が光になって、薄くなっていく。


「──エドガー。私は貴方を応援している。挫けずに頑張りなさい。たとえ、どんなに辛くとも」


 憐れむような瞳でそう言い残し、ハーディアはその姿を消した。


 静寂が訪れた謁見の間で、あちこちから大きなため息が漏れる。


 ラッシュも解放されたかのように肩を落とし、大きく息を吐いた。


「はぁ……どっと疲れたな。まさかこんなとんでもない物を受け取ろうとは」


「本当ですね。ですが、良いのでしょうか? こんな物を受け取ってしまって」


「ハーディア様から直々に頂いたんだ。便利な物には違いないんだし、素直に感謝して受け取ろう。まぁ、使わないに越したことはないけどな」


 ラッシュは慎重な手つきでネクタルを懐に入れる。そして、フィーリアに言った。


「あー、俺もアメリアを探しに行ってくるわ。アイツらだけじゃ心配だからな」

「そうですね。私達も──」


 言いかけたフィーリアに、ラッシュは首を振り、顎で促した。その先には、エドガーがポツンと立ち尽くしている。


 いつもより静かで、小さくなった背中を見て、フィーリアはコクンと頷いた。


「まぁ、なんだ。あんまり落ち込むなよ。アメリアも抑えられなくなって、つい口に出ちまっただけだ。冷静になれば、お前の気遣いだってことも分かるさ。じゃ、俺は行くからよ」


 悩んだ表情でエドガーにそう言い残し、ラッシュもアメリアを追いかける。

 フィーリアはそれを見届け、エドガーに声をかけた。


「あのっ、エドガー様? ラッシュさんの言う通りですよ。アメリアさんだってきっと、分かってくれ──」


「挫けず頑張れ、だとさ。まったく、ハーディア様も酷なことを言いやがるぜ」


 神が相手だろうが、いつも通りの威勢の良い言葉。

 しかし、フィーリアの耳にははっきりと分かった。


 その声はちょっとだけ、震えていた。


「こうなるって分かりきっていたのに……やっぱりきちぃな……覚悟していたつもりで、どっかで希望を持っていた。そんな簡単なことじゃねえって……分かっていた、つもりだったのにな」


「エドガー様……」


 それ以上、フィーリアは、エドガーに声をかけることが出来なかった。

 エドガーの背中は、泣いているように見えた。






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