第154話 やっぱり神は怖いわぁ……
死を司るがゆえの恐れ。死者を迎え入れ、慰めようとする慈愛。その二つを合わせ持つがゆえに、人に畏怖を抱かせる神、それがハーディアである。
しかし、今ハーディアと名乗った少女は、エドガー達が持っていたイメージとはかけ離れていた。
薄紫色の髪を肩まで伸ばし、その髪に合わせたかのようなドレス。気だる気で、眠たそうな目をしながら、ぼーっと宙を眺めている。
ふわふわと浮きながら、風に流されるがまま、ゆっくりと体が上下左右に流れる。ドレスの裾がふんわりと舞うのもあって、まるで水中を漂うクラゲのようだ。
やる気のなさそうな表情と、活力を感じられない色合いから、そのまま儚く消え去ってもおかしくないと思える少女だった。
これがハーディア? と、二人は同じことを思った。世間一般から伝わるハーディアに比べ、あまりにもらしくない。
その内心を知ってか知らずか。ハーディアは薄っすらと開けた目で、じっと二人を見つめる。そして、小さく頷いた。
「ありがとう。君たちのおかげで、私もようやく外に出れたよ」
そして、ふぅと疲れたような息を吐きだす。
「本当はもっと早く手を打ちたかったんだけどね。たかが人間風情に、まさかここまで完璧に封印されるとは思わなかった。
鍵がこっち側に作られたから、壊したくても壊せなくてね。私が干渉しようにも、この道を通ってでしか私は力を振るえないから、何も出来なかったんだ。
他の神だと領分が違うから手を出せないし。唯一アルマンディはそれが許されているのに、あのアホは何もしないし。
このまま見ていることしか出来ないのかと諦めかけていたけど、君たちのおかげで助かったよ。本当にありがとう」
「い、いえ。当然のことをしただけなので」
「あ、ああっ、そうだな。そんな礼を言われることでは……」
礼を述べるハーディアに、二人はうろたえた。頭が地面に向いた状態で礼を言われても、どう反応すればいいのか分からない。浮くのはいいとして、せめて頭の位置を戻してほしい。
困惑する二人をよそに、ハーディアは首を振って続ける。
「あれは常人には解けない、良くできた封印だった。実際、あの愚かな【幻術師】も解かれることは想定していなかったみたい。
あれの魂が騒いでいるよ。どうして、あり得ない、なんでこうなるってね」
ふふふっと、ハーディアは暗い笑みを浮かべる。
その表情にゾクリとしたものを二人は感じた。というか今、魂とか気になる単語が……思いかけて、考えるのを止める。追求すると怖い目にあうと直感した。
二人の意識を突くように、ハーディアはエドガーにスッと身を寄せ、耳元で囁く。
「あなたも大変だね。あんな性悪に目を付けられるなんて」
「────ッッッ!!」
ギクリッ、とエドガーは体を固まらせた。
ダラダラと嫌な汗を流すエドガーに、フッと優しくハーディアは微笑んだ。
「安心しなさい。もちろん彼女に言うつもりはないから。どんな形であれ、他の神が与えた試練に干渉することは許されていないしね。
でも、個人的には応援しているよ。人を玩具にして愉しむあの性質の悪い男を、精々見返してやりなさい」
「……感謝いたします。ハーディア様」
小さく目を瞠ると、エドガーはゆっくりと目を閉じ、真摯に礼を言った。その励ましに、伝承通りのハーディアが持つ慈愛を見た。
恐ろしくも、優しい神。見た目からは想像もできないが、間違いなくこの方がハーディアなのだろうと、エドガーは自然と敬意を抱いた。
さてと呟き、ハーディアはエドガーから離れる。
「本当は褒美でも渡したいところだけど、ごめんね。それよりも先にやらなくちゃいけないことがある」
「はっ! そ、そうだった。ハーディア様、頼む! あのバケモンをなんとかしてくれ!」
「私達を信じて、仲間が頑張っているんですっ! お願いしますっ、皆を助けてください!」
頭を下げる二人に、ハーディアは頷いた。
「安心しなさい。私が来た以上、アレの命運はもう尽きている。死を冒涜する愚か者を、私は決して許しはしない。──おいで」
ハーディアは洞窟の方へ目を向け、手を差し出した。
何をするのかと、不思議そうな顔で二人が洞窟を見る。そして次の瞬間、洞窟のほうから言いようのない悪寒が走った。
「ヒッ!? これって……何……?」
「分からん、分からんが……」
とにかく、ヤバい。
そうとしか言いようのない何かが、洞窟の中から近づいてきているのが分かった。
そしてそれが姿を見せた瞬間、二人は卒倒しかけるほどの恐怖を覚えた。
粘着性のある黒い液体が、むりやり四つ足の獣を形どったような生物。見た目だけなら、スライムの亜種か、アメーバのように見える。
これだけならば、変わった形の魔物だとしか二人は思わない。だがそれが異常とも言えるのは、見た目ではない何かだ。
本能、としか言いようがない。どうしようもない恐怖感が、絶えず二人を襲っている。アレは生きる者が手を出してはいけない存在だと、謎めいた確信だけが在った。
ソレはハーディアに近づくと、大人しく首を差し出した。
ハーディアは微笑みながらその頭を撫でる。
「いい子だ。さぁ、仕事だよ。言わずとも分かるね? アレを捕まえてきなさい」
それは命じられた歓喜か、あるいは使命感ゆえの怒りか。ハーディアから命が与えられた途端、体が膨れ上がり、ギギギィイイイ! と金切り音のような吠え声が響いた。
四つ足の獸だった姿が崩れ、流線形となる。そして目にも止まらぬ速さで宙を飛び、一直線にネコタ達が戦っている方へと向かった。
「さて、私も先に行くとしよう。君たちは疲れているだろうし、のんびり来なさい。もう何も心配はいらないからね」
ハーディアは二人に微笑みかけると、体を光らせ、一瞬でその場から姿を消した。
ハーディアまでもが消えたと理解した時、二人はどっと疲れた様子で肩を落とす。
ぐったりとした表情で、アメリアは呟いた。
「怖かった……なんだったの、アレ?」
「分からねぇが……ハーディアの番犬、ペットみたいなもんじゃねぇか?」
「そんな可愛らしい物じゃないでしょ、あれは。私が殺されるかと思ったよ」
本気でそう思っていたのだろう。ほっとして力が抜けたのか、ペタンと尻もちをつく。
エドガーもそれに続き、バタンと大の字になって寝ころんだ。
アレの正体は分からない。だが、これだけは間違いなく言える。
もう何も心配はいらないと、二人は確信していた。
♦ ♦
「ぐっ、ぎっ……かっ!?」
ネコタ達はシーザーを相手に、最後まで奮闘した。だが、それでも結果が変わることはなかった。そしてとうとう、本当の限界を迎えていた。
ジーナは今、シーザーに首を掴まれ宙づりにされている。残った【氣】を回し、なんとか黒い波動による被害を抑えているものの、それを振りほどく力は残っていない。
「ジーナさん……! 今、助けに……!」
ネコタが動こうとするも、ガクリと膝から崩れ落ちる。もはや動くことすら出来ないほどネコタは疲弊していた。ラッシュとフィーリアも同様だ。
そんなネコタ達を見て、シーザーは鼻で笑った。
「もはや意識を保つことさえ困難だろうに。だが、貴様らの足掻きもここまで。そこで大人しく見ているがよい。まずはこの女から。すぐに貴様らの番だ」
「──ッッ!! くそぉ……!!」
見透かされ、悔しさが湧き出るが、体が思うように動かない。
仲間が殺されるところを見ていることしか出来ない不甲斐なさで、涙が零れる。
「ぐっ……くぅ……チクショウ……!」
「駄目です……! ジーナさん……!」
苦痛に顔を歪めるラッシュと、涙するフィーリア。
──ああ、そうだ。その顔だ。
ようやく望んだ光景が見れて、シーザーは機嫌を良くした。
自らの手で他者を嬲り、絶望させることこそが、シーザー幸福である。
「さて、念の為に聞いてやろう。何か言い残すことはあるか?」
「……地獄に堕ちろ……死にぞこない……ッ!」
ああ、最後まで活きの良い獲物だった。
シーザーは悦びながら、黒い波動の力を強めた。
「あっ……がっ……あぁぁ……!?」
黒い波動がジーナの【氣】を侵食し、活力を奪う。ゆっくりとジーナの身体から生気が抜けていき、徐々に筋肉が衰え、肌からみずみずしさが失くなっていく。
顔に皺が増え、老け込んでいく。そこだけ時の進みが違うような有様に、ネコタ達は絶望を覚えた。
「フフフッ、ああ、良い顔だ。どうだ? ゆっくりと死へ向かっていくことほど、恐怖を感じるものは──ッッ!?」
恐怖に染まっていくジーナの顔を楽しそうに眺めていたシーザーが、突然その様子を変えた。
ジーナから手を放すと、バッと背後を振り返る。
解放されたジーナはゴホゴホッとせき込み、そんなジーナを守ろうと、ネコタが何とか起き上がって駆け寄った。
「ジーナさん、大丈夫ですか? お体は……」
「あ、ああっ。力が入らねぇが、大丈夫だ。それより、なんで……」
一気に老け込んだが、この程度なら【氣】を回して体を活性化させればすぐ元に戻る。それよりも、なぜシーザーが手を離したかのほうが気になった。
そのシーザーは、ジーナやネコタの事など見向きもしない。
明後日の方に体を向け、じっとそちらを見ているだけだ。
「……バカな!! どういうことだ!? あり得ぬ!! 一体どうやって!?」
見るからに焦っているシーザーに、ネコタ達は混乱する。だが、その混乱がどうでもよくなるほどの脅威が、この場に現れた。
「ひっ──!?」
この場の全員に、ゾッと背筋が凍るような恐怖が襲った。気の弱いフィーリアが思わず引き攣った声を上げ、他の者も顔を青くして声を失う。
そしてその直後、シーザーが見ている方角から、黒い液体のようなものが向かってきていた。
「ぬっ!! ぐっ、おぉおおおおおお……!?」
その液体は縄のような形になると、瞬く間にシーザーを縛り上げ宙に釣り上げる。
自分達では歯が立たなかった化け物をあっさりと封じたことに、ネコタ達は呆気に取られた。
「何が起きてるんですか? あの黒いのは?」
「分からん。分からんが、助かったのかもしれん」
呟くネコタに、いつの間にか近づいていたラッシュが応える。その傍にはフィーリアも居た。恐ろしい存在に心細くなり、仲間の傍へと動いていた。
得体のしれない存在に、今も恐怖を感じているのは変らない。だが、結果的に助けられているこの状況に、四人は呆然と成り行きを眺める。
ただ一人、おおよその察しがついているシーザーは、必死でそれを振りほどこうとした。
「ぬ、ぐぅ……! ば、馬鹿な! 今の我でも解けんだと!? こいつは一体……!」
「私の可愛いペットだよ。貴方にどうにか出来る存在ではない。潔く諦めなさい」
どこからか、物静かな女性の声が聞こえてくる。
そう思った次の瞬間、シーザーの頭上に、薄紫色の髪の少女が光と共に現れた。
「き、貴様は……!? くっ、おぉおおおおおお!!」
現れた少女を見て、シーザーは明らかに動揺していた。何としても逃げ出そうと、黒い波動を強め、己を縛るものを攻撃する。だが、その黒い液体のようなものは効いた素振りを見せない。
「ば、馬鹿な!? なぜ我の力が……!」
「当たり前でしょう? 《死》は私の支配下にある。であるならば、《死》に属する力が私とその眷属に効く訳がない。そして、《死》そのものであるアンデッドもまた、私の支配下にある。つまり、貴方は何も出来ない。こんなことも分からないなんて、貴方馬鹿なの?」
冷めた目を向ける少女に、シーザーは唸って暴れ出す。だが、みじんも抜け出せる様子はない。
「あ、あんな簡単にシーザーを。誰なんですか、あの人は?」
「断言はできん。だが、あの現れ方といい、発している気配といい……」
「はい、私も間違いないと思います。あの方はおそらく──」
「お~い!」
四人が少女に意識を取られているところに、間の抜けた声が響いた。
そちらへ目を向ければ、エドガーとアメリアが、のんびりとこちらへ走っていた。
「よー。お前ら無事だったか。間に合って良かったぜ。最悪一人くらい死んでるかもと心配してたんだ」
「不謹慎なことを言わないでください! 実際ジーナさんが殺される寸前だったんですよ!?」
「あ、そうなの? 悪い悪い、大丈夫かお前?」
「あ、ああ。あたしは大丈夫だ。それよりもウサギ、あの女は?」
「おう、ハーディア様だよ。安心しろ。あとはハーディア様が片をつけてくれるってよ」
やはりか、と残った誰もが納得していた。こうも簡単にシーザーを抑え込んでいるのだ。実際、神くらいしかこんなことは出来ないだろう。
とはいえ、こうまで完璧に封じるのはさすがに驚いたが。
「ぬっ、抜けん! クソ! ハーディアァアアア!! 何故貴様が此処に居る!?」
「不敬だね、たかが亡者風情が。口の利き方に気を付けなさい。まぁ、こんなふざけた真似をする奴らだし、分かっていたことだけど」
「聞いているのは我だ! 答えろ!」
「縛りつけられている分際で偉そうに……そんなの、封印を解いてもらったからに決まっているでしょ? そんなことも分からないなんて、やっぱり馬鹿なんだね。とってもかわいそう」
ハーディアは気分を害したのも忘れ、憐みの目でシーザーを見た。
それが勘に障ったのか、ますますシーザーは激昂する。
すっかり安全になったからか、そんな二人のやり取りを他人事のように眺め、ジーナは隣のエドガーに訊ねた。
「封印を解いたって、お前らがやったんだよな?」
「おう、俺とアメリアの愛の共同作業だ。頑張ったぜっ!」
「もうっ、エドガーったら」
臆面もなく言うエドガーに、アメリアは顔を赤らめる。
呑気なやり取りをする彼らに、シーザーは思わず怒鳴りつけた。
「ふざけるな! そもそも人間風情に解ける封印ではない! 貴様ら程度に解ける訳がなかろうが!」
「あんなこと言ってるけど、実際どうなんだ?」
「んー。確かに違和感はあったんだよね。分からないまま解けちゃったけど」
「アメリアのおかげじゃねぇ? 実際、俺は魔力注いだだけだし」(←)
「【賢者】が居ようと変わらん! そもそも鍵が無ければあの封印は解けんはずだ!」
「鍵だと? なら一体どうして……」(←)
「エドガーが凄いから、鍵が壊れちゃったんじゃない?」
「そんなバカな話があるかぁ!! あれは神のちかもがぁ──!?」
「少し煩いから黙ってようか。耳障りだし」
黒い生物に口元を抑えられ、強制的に黙らされるシーザー。このままでいい訳がない。執念で首をひねり、それを抜け出す。
「離せぇ!! この私を誰だと思っている!?」
「なんでもない、ただの死に損ないの亡霊でしょ。大人しく在るべき場所へ帰りなさい」
「私は覇王! 唯一無二の王だ! たかが神風情が、私を殺すなど許されない!」
「それはただの勘違い。王だろうが奴隷だろうが、人である以上、皆等しく死ぬ。貴方だけそれから逃れるだなんて特別扱いはない」
激昂するシーザーに、ハーディアは氷のような目を向けながら言った。
何を言われようと変わらない。鋼のような意志を感じ、シーザーは息を呑んだ。
「……まっ、待て! 待てっ、神が現世に干渉してもいいとおもっているのか!? 摂理に反している!」
「貴方が言う事ではない。あなたは存在していること自体が摂理に反している。神のルールでも、私が手を下すことに問題はない」
そして、と。ハーディアは口端を小さく釣り上げ、続けた。
「その汚れ切った魂は、私が慰めるには値しない。浄化などあり得ない。あなたの配下と共に、冥府の底で未来永劫苦しむといい」
ゾッ、と。
シーザーは今までに経験のない感覚を感じた。
それは、自分が他者へ与えてきたもの。初めての恐怖という感情だった。
「待て……待て、待ってくれ! 頼む! 頼むから! 殺さないでっ!」
「駄目。貴方を見逃せば、多くの不条理な死がまき散らされるから。それは死の神である私にとって、絶対に許せない。
そしてなにより、貴方は私の領分に入り込もうとした。人間の身で、神へ届かんとする不敬、許されると思うな。存在自体が不愉快。とっとと消えなさい」
ハーディアの言葉に合わせ、黒い物体が膨れ上がり、シーザーを飲み込もうとする。
シーザーは暴れまわりながら、何故こうなったのかと、恨みを巡らせる。
無能な部下。邪魔をした連中。忌々しい神。そもそも、何故封印が解けたのか? 完璧なはずだった。手の打ちようがないはずだった。なのに、どうして?
そして飲み込まれようとする寸前、シーザーは己を見上げる矮小な人間どもを見た。
その中の一人、もっとも不愉快なウサギと目が合う。そして、確かに感じた。
【勇者】と比べて小さくはあるが、同様の力を。
「──お前かぁあああああああああああああ!!!!」
「へっ? 何が?」(←)
ポカンと間抜けな顔するウサギの姿を最後に、シーザーは黒い生物に飲み込まれた。そしてその黒い生物は、地面に溶け込むように消えていった。
こうして、血に狂った覇王は冥府に返った。あれだけ恐ろしく感じた化け物があっさりと片づけられたことに、誰もが呆気に取られている。
そんな中、ふぅ、と気持ちよさそうにハーディアは息を吐いた。
「ああ、すっきりした。やっぱり汚れはさっさと消すに限る」
なんでもないように言うハーディアに、エドガーは思う。
──やっぱり神は怖いわぁ……。
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