第145話 大した奴だぜ、まったく


 ジーナとアグニの戦いは、個と軍の戦いだった。

 圧倒的な強さを持つジーナを、追いつめようとするアグニの軍。


 この世界の法則で言えば、絶対的な才を持つジーナが有利である。突き抜けた才能の前には、群れなど意味をなさない。それがこの世界における【天職】のルールだ。


 ましてやジーナは死と対極に位置する生命力──【氣】によって、アンデッドに対しても優位に回れる。


「──オォラアアアア!」


 ジーナが拳を通じて【氣】を撃ちこむと、骨の騎士がボンッ、と盛大に破壊される。【氣】によってアンデッドの根源的なエネルギーが相殺され、破壊された騎士は二度と立ちあがることはなかった。


 ジーナはその調子で、次々と騎士達を破壊していく。気持ちよく敵を殴り飛ばしているせいか、快調に飛ばしていく。


 本来であれば、この調子を維持して破壊しつくしていただろう。ジーナの体力ならば、それも十分に可能だった。


 だが、ことアグニにおいてそれは当てはまらない。


「甦れ、我が兵たちよ」


 一定の数が減るたびに、アグニはまた兵を召喚していく。

 アグニの能力は死した兵を蘇らせるもの。倒されたとしても問題はない。倒す端から蘇生すればいいだけの話だ。


「チッ、鬱陶しい!」


 また兵が補充されたのを見て、ジーナは舌打ちした。

 最初はどんどん湧く敵に面白いとも思ったが、こうまで敵が減らないと苛立ちが強くなる。


 さらに言えば、アグニが率いる軍はただの兵士ではない。

 一人一人が、戦乱の時代を生き抜いてきた歴戦の騎士である。


「くっ……このっ!」


 王都トピアで見た騎士とは比べ物にならない剣速と技術。個々の実力がこれだけ高いにも関わらず、逃げ道を塞ぐような見事な連携でジーナに襲い掛かってくる。


 まだ捌けるとはいえ、ジーナといえど油断すれば一気に吞まれてしまう。それほどの実力を持った群れだった。


 これが倒す端から復活していくのだ。敵としてはたまったものではない。


 ジーナと言えど、体力には限界がある。殺せど殺せど増え続ける敵との戦闘は、絶望的とも言える不毛な戦いだった。


 少しずつ、確実に、ジーナは追いつめられている。


 ──だというのに、ジーナは笑っていた。


「はっ、ははぁ!」


 喜々として兵士を殴り壊していく。

 その姿を見る度に、アグニは言いようのない不快感に襲われていた。


(気にくわん。何がそんなに楽しいというのか)


 確実に追い詰められているというのに、なぜそう笑っていられるのか、アグニには理解できない。

 

 まぁ、こちらとしては好都合ではある。無限に湧き出てくる己の兵を相手に、勝手に消耗してくれるのだから。


 今さら兵を失うことに哀しみを覚えるほど若くはない。そもそも、既に死していくらでも復活できるのだ。哀しむ要素すらない。

 

 野蛮人らしく、好きなだけ暴れまわるといい。状況の分かっていない敵に、アグニは蔑みすらした。見るだけで不快だ、とばかりに。


 ……だというのに、何故だろうか。


 何故こうまで、暴れまわる女から目が離せないのだろうか?


 チリッ、と。

 小さな疼きが、アグニの胸に走った。


 それが何から来た疼きなのか。自分でも分からない感情に、アグニの思考が数秒、戦場から離れる。


 それを見て、ジーナが動いた。


「テメェの兵に押し付けてねぇで、たまにはテメェ自身で動けや!!」


 ジーナは周囲に【氣】を広げて放ち、纏めて兵を吹き飛ばす。

 その直後、真っすぐにアグニに向かって走り出した。


 この練度の敵が次々と襲い掛かってくると言うのも、楽しくはある。しかし、いつまでも付き合ってはいられない。


 限界が来くればそのまま押しつぶされる。それを直感的に悟ったジーナは、その前に本丸を潰すべく前に出た。


 突如動きを変えたジーナに驚いたのか、兵達の反応は鈍い。数体の兵がジーナの進路を塞ごうとするものの、あっさりと薙ぎ倒される。


 気づけば、ジーナはもうすぐ己の間合いに入るところまで、アグニとの距離を詰めていた。

 アグニの周りには、もう十体ほどの騎士しか残っていない。


 これを瞬時に片づけ、間断なくアグニを仕留める。

 ギュッとジーナが拳を握りしめた、その時だった。


「──馬鹿め」


 アグニの冷たい声が、ジーナの耳に届いた。

 浅慮に距離を詰める。それはアグニにとっても好都合だった。


「なっ!? ──ぐっ!!」


 アグニを守るように立つ兵を片づけるべく、ジーナは拳を振るう。だが、ジーナの予想に反し、その兵はジーナの拳を剣で受け止めた。


 拳から伝わってくる力強さに、ジーナは一瞬硬直する。明らかに今まで戦った騎士よりも一回りは強いと、その一瞬の交錯で悟った。


 その隙を逃がさず、残りの兵がジーナに斬りかかる。不意を突かれたジーナは咄嗟に距離を取るも、肩を掠めるようにして斬られた。


 斬られた肩を押さえながら、ジーナはアグニを睨み付ける。


「チッ、なんだよ。そいつら、他の奴よりだいぶ強いじゃねぇか」

「最後の砦となる親衛隊に、より腕の立つ者を置くのは当然だろう。そんなことも気づかなかったのか?」


 あっさりと言うアグニの言葉に、ジーナはヒクリと引き攣った笑みを浮かべた。

 挑発は成功したようだと、アグニは言葉を続ける。


「猿のように暴れまわってくれたが、その傷ではもう同じ動きは出来まい。潔く降伏でもしてみるか? 今ならまだ許してやらんでもないぞ」

「心配してくれありがとうよ。余計なお世話だ」


 ジーナは【氣】を傷口に回す。すると活性化した肉体は輝き、瞬時にその傷を回復させた。


「どうよ? こちとらまだまだ元気だからよ。もっと遊ぼうぜ」

「ふん。野生の猿は回復力も凄まじい、ということか」


 ジーナがグルグルと腕を回している様子から、確かに傷は治ったようだとアグニは悟る。だが、傷こそ治ったものの、この時点で自分が優位に立ったと分析していた。


【氣】は生命力そのものといってもいい。使えば使うほど、体力を消耗する。今の治療でもかなりの力を消耗したはずだ。


 あとは同じように、ちまちまと削っていくだけでいい。

 そのとおりに、アグニは実行した。


 自分の前に兵を固め万全な態勢を取りつつ、同じようにまた向かわせ、破壊された傍から再度復活させる。


 なんの代わり映えもない。先ほどまでと同じ光景の繰り返し。

 そうするだけで──こうなる。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 ジーナは肩から息をし、大量の汗を流していた。その顔は全力で走り続けたように、苦しそうに歪んでいる。


 その姿を見て、アグニは愉悦に浸った。


(そう、この姿だ)


 己では到底及ばない圧倒的な強者を、軍勢を率いて追いつめる。そして、離れた安全な場所から、憎々し気にこちらを睨みながらみっともなく負け惜しみを叫ぶ敵を見下ろす。


この瞬間こそが、アグニにとって何にも勝る最高の快感である。


「趨勢は決した。もう諦めてはどうだ? 自分でも分かっているはずだ。勝ち目などとっくに潰えていることに」


 さらに挑発的な発言をするアグニ。そしてこれは、事実を伝えることで敵の心を折る策でもある。


 どちらの効果が出たとしても、アグニにとっては都合が良い。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 だが、ジーナはどちらに反応することもなかった。

 ただ息を荒くして、俯きその場に立ち尽くしている。


 フンッ、と。つまらなそうにアグニは鼻を鳴らした。


「言い返すだけの体力も残っていない。所詮この程度だったか。ならばこれで終わらせよう。──行け」


 半ば失望しながら、アグニは兵を差し向けた。

 己に命令に応え、兵たちがジーナへ殺到する。このままろくな抵抗も出来ずに切り刻まれるだろう。


 そう確信していたアグニだったが、その予想は裏切られる。

 ジーナを囲もうとして兵たちは、あっさりと纏めて弾き飛ばされた。


 兵たちは全身の骨をバラバラに砕かれながら、高く宙を舞う。

 呆然としながらそれを見ていたアグニは、ハッと意識を取り戻し、ジーナに目を戻した。


 変わらず、疲労を隠せない項垂れた姿。だが、顔だけは僅かに前を向き、目元が伺える。


 目が合った、とアグニが思ったその時。

 ジーナは、思わず身を引いてしまうような壮絶な笑みを見せた。


「諦める? 冗談だろ? やっと体が温まって楽しくなってきたところじゃねぇか」


 すでに体力は使い果たしているはず。なのに、強がりだと決めつけるには躊躇する。心からそう思っているような、そんな笑みだった。


 ──チリッ、と。


 また、アグニの胸が疼いた。


「そうか。ならばそのまま削り殺してやる」


 その疼きに気づかぬように、淡々とアグニは言い放つ。


 アグニの意思に応え、再び兵が進軍を始める。

 近づいてくる兵を寸分たがわぬ勢いで片づけながらも、ジーナは直感した。


 ──このままじゃやべぇ!


 気のせいではなく、兵の動きが激しくなっている。連携は更に鋭くなり、数も増やして休む暇がない。宣言通り、削りに来ているとジーナは悟った。


 このままでは、アグニの思い通りにジリ貧で負ける。とはいえ、この雑兵を躱しつつ、周りの精鋭を片づけるのは相当厳しい。どこかで無茶をしなければならない。


 ──賭けに出るしかねぇか……!


 ジーナは腹を括った。

 座して死を待つのは趣味ではない。それならば、命を懸けて勝機を掴みとる!


「おぉおおおおおおおお!!」


 ジーナは【氣】を絞り出し、周囲の兵を吹き飛ばす。

 勝負に出たと察するには、あまりにも分かりやすい。それを見て、アグニは警戒を強めた。


 ジーナは兵を吹き飛ばすと、また真っすぐにアグニへ突進した。

 その愚直にすぎる行動は、さしものアグニも呆気に取られた。


(さすがに無謀が過ぎるだろう)


 致命傷は避けているようだが、傷が増えるのも厭わず、ジーナは兵を無視して前進を続ける。近づいてくる度に体が血に染まり、このままでは辿りつく前に倒れそうだ。


(追い込まれやけになったか……いや、違うな)


 この女は、そういう類の者ではない。たとえ負けが目に見えようと、最後の最後まで逆転を狙う怖さのある敵だ。


 その証拠に、奴の目からは諦めを感じない。

 

 元帥として軍を率いてきた経験か。はたまた生来の性質か。アグニの用心深さがここで働いた。


「兵たちよ! 私を守れ!」


 アグニはさらに後ろに下がって距離を取り、盾にするようにして周りの兵を前面に集める。さらに兵を召喚、増員し、それも前に回す。


──目ざとい奴め!


 的確に嫌な手を打つアグニに、ジーナは苛立たしそうに舌打ちした。だが、止まる訳にはいかない。


 ここを逃せば、もう勝機はない。


 走りながら腕を引き、持てる【氣】を全て拳へ。それに応じて拳が輝き、光の槍が形成されていく。


 精鋭たちの眼前で、深く踏み込む。ドンッ、と地が揺れるような震脚。その力をさらに拳に乗せるようにして、前に突き出す。


「──【盾ヲモ貫クにのうちいらず】!!」


 尊敬する師の技を、ジーナは放った。


【グプ】という砂漠の魔獣すら貫いた奥義は、精鋭の兵を飲み込み、その後ろの兵たちまでをも消し飛ばす。


 まさに、瞬く間の出来事だった。

 アグニですら、一瞬で己の兵を消し飛ばされたことには、さすがに動揺を隠せない。


 ──だが、その一撃がアグニにまで届くことはなかった。


「……チクショウがっ!」


 ジーナの正面には、アグニまでの道が綺麗に開いている。だが、アグニは無傷で終わり、その周りには未だに兵が残っていた。全ての兵を消し飛ばすには、威力が足りなかった。


 ジーナは急ぎ距離を詰めようとする。が、ガクリと膝から力が抜け、一拍動きが遅れた。


 その間に、周りを囲んでいた兵たちが再びアグニの盾となるように立ちふさがる。さらに、アグニはすかさず召喚を使い、失った兵の補充に動いていた。


 ジーナが決死の覚悟で作り上げた勝利への道は、あっさりと塞がれてしまった。


「驚いたぞ。まさかそのような攻撃手段があったとはな」


【格闘家】がこんな技を持っていることすら知らなかった。


 かろうじて被害を受けずに済んだが、下手をすれば兵と同じように己も消し飛ばされていただろう。


 やはり【勇者】の仲間は普通ではない。自分の見積もりが甘かったことをアグニは認めた。


「だが、そう連発できる技でもないらしいな」


 相当な無理をしたのだろう。


 ジーナは全身からダラリと力が抜け、肩を上下させている。顔から血の気が失せ、はっきりと衰弱していると分かる。このまま放っておいても、そのまま倒れそうだ。


「この状況では、さすがに貴様も悟っているはずだ。もう貴様に勝ち目はない。諦めろ」


 再び、アグニは言葉で心を折りにいく。

 それに対し、ジーナはビッと中指を立てることで応えた。


(……バカな奴め)


 この期に及んで強がりをと、アグニは吐き捨てる。

 もう声を出すことすら辛いと言うのに、なお足掻くか。

 さしものアグニですら、苛立ちを隠せなかった。


「いいだろう。どうしても死にたいというのならそうしてやる。その無駄な意地を張り続けて死ね」


 これ以上、付き合ってもいられない。

 見ているだけで不快だ。


 一刻も早く片付けよう。その意思の元に、アグニは兵を差し向けた。

 どんな意思であれ、兵たちは忠実にアグニの命で動く。そこには何の躊躇もない。


 今度こそ、あの敵は切り刻まれ、地に倒れ伏すだろう。


「……なんなのだ。貴様は」


 だが、アグニの確信はまたしても裏切られた。


 すでに満身創痍。動くことすら難しく、抵抗する気力すら湧かないはずなのに。

 先ほどまでと変わらず、【氣】の攻撃によって兵が破壊されていた。


 ありえぬ……と、アグニは目の前の現実を否定した。


 先の大技で、すでに【氣】は底を尽いているはず。なのになぜ、寸分変わらぬ動きが出来るというのか。


「……余剰が無いならば、無理をして絞り出しているに他あるまい。自ら命を削りながら戦うというのか?」


【氣】とは生命力と同義である。だが、この場合の生命力とは、生命維持に支障がないだけのエネルギーという意味だ。


 それを超えて【氣】を使うということは、命を……寿命をすり減らして技を放つということになる。


「おらぁ! ──はははははははっ!」


 それは本人が一番分っているはずだ。今も拳を振るうたびに、一歩ずつ死に近づくような消耗を感じているはず。


 だというのに、ジーナはそんなことをおくびにも出さず、笑いながら襲い掛かってくる敵を片っ端から片づけていた。


「なぜだ。なぜ、そこまで……」


 呆然とアグニは呟く。


 命を削りながら平然と戦うなど、才能だけの話ではない。

 これは才能ではなく、この敵こそが……。


 ──チリッ、と。


 また、アグニの胸が疼いた。


「居たぞ! こっちだ!」


 何者かの声が、突如この戦場に響く。


 思ってもみなかった乱入者の声に、ジーナのみならず、アグニの兵たちまでもが動きを止めてしまった。


 それは、マリンによって操られたシオンの住人たちだった。この騒ぎを聞きつけ寄ってきていたらしい。数多くの兵を殴り壊し、派手な音を立てていたのだから当然ではある。


「面倒なことになったな……」


 住人たちは血走った眼をして、さらに仲間を呼んでいる。それにジーナは気だるそうな顔をした。


 敵が増えた、ということ自体に問題ない。だがある意味、ジーナにとって操られているだけの住人は強敵よりも厄介だ。


 操られているだけの被害者を殴り殺す訳にもいかない。むしろ、守らなければならない存在だ。その相手を人質に取られれば……。


 最悪のケースを想定した時、アグニの兵たちが急に動きを変えた。


 向き合っていた兵のいくらかが、住人たちを近寄らせないように立ちふさがり、壁になったのだ。


「なっ! なんだこいつら……! 邪魔だ! 退け!」

「そうだ! マリン様にそいつの首を届けるんだ!」


 住民達が敵意をむき出しにして叫ぶも、アンデッドの兵たちは微動だにしない。むしろ、じっと骨の騎士に見つめられ、住人たちの方が息を呑む。


 思ってもみなかった対応に、ジーナはキョトンとした表情を作った。そして、アグニを胡散臭そうに睨み付ける。


「おい。テメェ、どういうつもりだ? そいつらはお前の仲間だろ?」

「仲間ではない。そいつらはマリンの手によって操られているだけの民間人だ。軍人ならばともかく、私は民間人には手をださない。そして、なにより……」


 ボウッ、と。アグニの眼窩に灯った明かりが、強くなった。

 その明かりから、強靭な意思をジーナは感じた。


「余計な手出しは許さん。貴様だけは、私が殺す」

「……へぇ!」


意外そうに、そして嬉しそうに。ジーナは笑った。


「なんだよなんだよっ。てっきり後ろに引っ込んで指示を出すだけの腰抜け、卑怯者の類だと思っていたが……意外だな、おい」


 構えを取り、ジーナは笑みを深めた。


「熱いとこもあんじゃねぇかよ。ちょっとだけ、テメェのことが好きになったぜ」

「そうか。私は貴様が忌々しくて仕方がない。私の安寧の為にも、ここで朽ちろ」

「寂しいこと言うなよ。仲良くやろうぜ」


 再び、アンデッドの騎士達がジーナに襲い掛かる。

 襲い掛かる騎士達を、近づいた端からジーナが破壊する。


 やっていることは変らない。先ほどまでとまったく同じ光景だ。順に騎士を差し向け、徐々にジーナが削られていく。


 行動は変らない。変わっているのは、それを見ているアグニの心である。


(なんだのだ、これは)


 ──チリッ、と。


 また、アグニの胸が疼いた。

 その疼きは、どんどん強くなっている。


(なぜ私は、ここまでこいつに拘るのだ?)


 拳を振るうたびに、己の兵が破壊されていく。

 その姿をみる度に、チリッと胸を焼くものがある。


 武器も持たず、己の肉体のみで破壊をまき散らすこの女の何に。

 ただ強いだけの、野蛮な女に何故、ここまで見蕩れて──


(──ああ、そういうことか)


 ようやく、アグニはその理由に気づいた。 

 なんてことはない。憎々しいと感じるのは、羨ましいからだ。


 かつて憧れた、夢を。

 自分には無理だと、早々に諦めたそれを。


 ──自分こそが、最強の騎士に。

 ──自分こそが、誰よりも強い男に。


 もうすでに失くしていた思っていた、その思いが、未練となり残っていた。

 たった、それだけの話である。


 生前、スロウやヴェイン、そしてトリオンにきつく当たっていたのも。

 軍勢を率いて強者を蹂躙し、愉悦を感じていたのも。

 そして今、この女を憎く思っているのも。


 結局は、そういうことなのだ。

 ずっと、アグニは羨ましかったのだ。


 ──自分こそが、彼らのような強い騎士になりたかったのだ。


「おい、どうしたよ」


 気づけば。

 アグニの眼前に、ジーナが立っていた。


「もう出てきた奴らは全員壊したぞ。自慢の兵隊は呼ばねぇのか? 呼ぶ力が尽きたか? それともあたしを舐めてんのか?」


 新たに兵を呼び出すのも忘れ、アグニはジーナの戦いに魅入っていた。

 だからこそ──アグニは己が許せなかった。


「カァアアアアア!!」


 アグニは剣を抜き、ジーナに斬りかかる。

 ジーナはつまらなそうにそれを見ていたが、すぐに表情を変え、全力で【氣】を固めた。


 ギィイイイイン、と。金属に等しい硬度に固めた腕にアグニの剣が叩き込まれ、甲高い音が鳴る。


 その衝撃でジーナは後方に大きく吹き飛ばされた。態勢こそ崩されはしないものの、プシュッと勢いよく腕から血が噴き出す。


 浅いとはいえ、アグニの剣はジーナの【氣】の硬度を上回った。受けた腕には、鈍い痛みがジンジンと響いている。


 ジーナは呆然と己の腕を見つめ、アグニに目を戻した。


「舐めるなよ、小娘」


 アグニは剣を構え、ジーナを睨み付けていた。


「私が剣を振るえぬとでも思ったか?」


 ボウッ、と。アグニの目が、強く灯った。


「私は覇王軍元帥アグニ! 全騎士の頂点に立つ者だ! 騎士を率いる者が、弱いはずがなかろうが!」


 そう一喝すると、アグニは自ら前に進んだ。

 その気勢に飲まれ、ジーナは受けに回る。


「──カァアアアアアア!」


 殺意の乗った一振りが、ジーナを襲う。

 ジーナは上手く捌くが、それでアグニは止まらない。受けられようが、流されようが、休むことなく連撃を続ける。


 その猛攻の前には、ジーナも反撃することが難しかった。

 だが……それ以上ジーナを追いつめることも、また難しかった。


 あっさりと流されないよう、確実に胴体を両断するように斬りかかってくる。だからこそ、ジーナとしてもやり辛くはある。


 しかし、それだけだ。


 思わず見蕩れるような、華麗な技はない。

 防御を上から潰すような、剛力もない。

 どこまでも普通の、基礎に忠実な凡人の剣だとジーナは思った。


 ──しかし、どこまでも実直な、積み重ねた剣だった。


 諦めず、さらなる強さを求め続けた男の。

 その想いが見えるほどの、積み上げた剣だった。


 力とは違う何かが、その剣に乗っていた。だからこそ、その剣は重い。

 防ぐジーナに、確実にダメージを積み重ねていくほどに。


「……なるほどな」


 フッと、ジーナは笑った。


「──何がおかしい!」


それが癪に触り、アグニは上段から剣を振り下ろす。

そこからは、一瞬で決着が着いた。


 アグニが見失うほど速く、そして自然に。ジーナは体をずらし、アグニの視界から霞のように消える。


 剣を振り下ろし、アグニがジーナを見失ったその直後。ジーナは真横から、渾身の【氣】をアグニの胴体に放った。


「オォオオオオオオオ!」


 ボンッ、と。爆発するような音が聞こえ、アグニの鎧ごと胴体が消し飛ばされた。猛攻をかけて仕留めきれなかったアグニに対し、一撃でジーナは戦闘不能まで追い込んだ。


(たったの一撃で、これか)


 胴体を失くし、上半身が倒れこむ。その場に立ち続ける己の下半身を見ながら、アグニは思う。


(らしくなく剣を振った結果がこれ。なんとも無様な姿だ)


 自嘲するように、アグニは笑った。

 身体が地面に墜落し、仰向けに転がる。

 ふと顔を横に向けると、フーッと長い息を吐き、ジーナがこちらを見下ろしていた。


 倒れ伏し、下から勝者の顔を見上げる。

 元帥になってからは久しく、若い頃には何度も見たその景色を、懐かしく思った。


 そして、その想いも。


(──ああ、悔しいな)


 生きていれば、悔しさのあまり泣いていただろうか。

 だとすれば、アンデッドの身でも感謝するところもある。


 自虐を感じ、思わず笑ってしまう。だが、思考とは裏腹に拳を握りしめていた。


(結局、私では届かんということか)


 死後になってまで、こんな残酷なことを思い知らされるとは思ってもみなかった。


 どれだけ訓練を続けようが。

 どれだけ経験を重ねようが。

 たとえ、死者として蘇ったとしても。


 自分は、この女のように輝くことは出来ない。


(そう。私は、決してこの女のようにはなれない。たとえ何をしようとも、いつまで経っても、弱き者は弱いまま──)


「おい」


声を掛けられ、アグニは思索を中断しジーナに意識を向ける。

ジーナは難しい顔をしながら、言葉を続けた。


「今まで言ったこと、訂正するぜ。技術、膂力、どれもが間違いなく、お前の部下よりも上だった。何より、お前の剣は重かった。お前は指揮するだけの腰抜けじゃねぇ」


 思ってもみなかった言葉に、アグニは呆然とした。

 それに気づかないまま、ジーナは続けた。


「お前は強かった・・・・。少しでも気を抜けば、あたしの方が殺されていたほどにな。軍の指揮もこなし、個人としても強い。大した奴だぜ、まったく」


 負けた、とでもいうように。ジーナは苦笑した。


 その笑みを眺めていたアグニは、ゆっくりと空を見上げると、呆れたような声を出す。


「何様だ貴様。そもそもどの目線からの評価だそれは。図に乗るな、野蛮人が」

「はぁ!? テメェ、あたしが褒めてやってんのになんだその態度は! 負けたくせに態度がデカ──おい、聞いてんのか!?」


 ぎゃあぎゃあ喚くジーナから、フンと興味もなさそうに目を逸らす。

 完全なる敗北。アグニは自身の姿を、やはり無様と思う。


 だが──不思議と、心は軽やかだった。



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