第144話 ──やりようはあるさ
「ほら、どうしたのですか? 意地とやらを見せてくれるのでは?」
「くっ──ッ!」
ラッシュとトリオンの戦いは、一方的なものとなっていた。
逃げ回るラッシュに、ひたすらトリオンが矢を放ち追い込んでいく。もはや戦いとうより狩りに等しい。
ラッシュが逃げ回れているのも、地の利があることが大きい。もとは街のような場所だったのだろう。建物の残骸や瓦礫など、隠れる場所が多かったからこそなんとか生き延びられていた。
時に身を隠し、時に逃げ回りながら、隙を見つけて反撃する。
だが、ラッシュの矢がトリオンを脅かすことはない。もはや避ける動作さえ見せず、トリオンは鼻で笑いながらラッシュの矢を受けている始末だった。
そんな中でも、ラッシュは懸命にトリオンを分析する。そうして分かったのは、自分と敵とで比べ物にならない戦力差があるということだ。
射程は遠く及ばず。
威力は比べるに値しない。
弓の性能からして、全て敵が上回っている。
「勝てるのは小手先の技術と逃げ足だけ、か」
自嘲気味にラッシュは呟く。
比べるほどに絶望的な状況。諦めてしまうとしても無理はない。
だが、
「──やりようはあるさ」
ラッシュは暗く、笑った。
♦ ♦
(本当に、見事ですね)
ここまで逃げ延びられるとは、トリオンは予想もしていなかった。
潜みながら、時に自ら身を晒し、己の矢を避けてまた身を隠す。たったそれだけのことだが、ここまで優れた人間をトリオンは見たことがない。
射抜こうとした瞬間に隠れ、迷いを見せたら予想外の所から姿を現す。まるでこちらの心を読んでいるかのような巧妙な動き。追い込んでいるはずが、遊ばれているような気になり、思わず苛立ちが生じる。
この場所が敵に有利に働いているとはいえ、ここまで逃げられる者は二人と居ないだろう。挑発も混じった見事な動きだ。
だが、それも時間の問題であるとトリオンは悟っていた。
これほどの動きをするには、相応に体力と神経を消耗するだろう。長くは続けられないはずだ。このまま追い込み続け、相手が力尽きたら射抜く。それで終わりだ。
しかし、分からない。そんなことはこの敵ならば気づいているはずなのに、なぜここまで諦めないのか。
技量は認めるが、ただの弓では己を殺すことは出来ない。魔法的な力の宿った特別な武器であればそれも可能だが、それもなしにただの【狩人】がアンデッドを殺すことは……いや、待て。
「もしや、私の体力切れを狙っているのか……?」
確かに、自身の力はあくまでマリンに与えられた信仰の力が源になっている。消耗する物である以上、いずれは尽きる。そうなればいくらかの勝機は見えるか。
体力切れになれば勝ちと思い込んでいたが、あちらも同じことを思っていたとは。
それに気づき、フフッとトリオンは小さく笑った。
「とはいえ、見積もりが甘い」
信仰の力──すわなち神力は、この世で最も強く効率的なエネルギーだ。僅かな量でさえ、尋常ではない出力を得られる。
トリオンの【複製】の力も、ラッシュが想像しているより遥かに消耗は少ない。ゆえに、ラッシュが想定している体力切れはありえない。
「さらなる絶望を与えてあげましょうか」
トリオンはラッシュを狙いつつも、雑に矢を放った。
ラッシュに当たれば儲けもの。むしろ、今のトリオンの狙いは別。ラッシュが隠れ潜もうとする建物、瓦礫を破壊するように、いくつもの矢を散らばせていく。
【複製】の矢は、トリオンの狙い通りそれらを粉々に砕いていった。
トリオンの動きが変わったことに気づき、ラッシュは小さく目を瞠る。
それをまたトリオンも察し、からかうように言った。
「わざわざ探さなくても、こうして隠れる場所がなくなってしまえば逃げられなくなるでしょう?」
「チッ──!」
建物がみるみると破壊されていくことに、ラッシュは苦々しい表情で舌打ちした。その表情からは明確に焦りが見える。
「動揺しているのですか? 動きが精細をかいてきましたよ」
明らかに動きが鈍ったラッシュを狙い、トリオンは弓を引こうとした。だがそれよりも先に、ラッシュが早撃ちでトリオンを狙う。
無駄な足掻きを……と、トリオンは半ば失望しながら、頭部に飛んできた矢を反射的に避け──驚愕した。
ガッ、と。矢がトリオンの胴体部に突き刺さった。その矢は鎧を貫くほどに深く刺さっていた。
鎧を貫かれたとはいえ、もとよりアンデッドの身にダメージはない。しかし、トリオンの動揺は大きかった。
(私の視線と一射目の矢に隠れるようにして、二射目を放っていたのですか。逃げながらの早撃ちで、私に気づかれずに……しかも鎧すら貫いてくるとは)
非力と謳いながら、弓としては並みの者ではあり得ぬ威力。
今まで見たことがないほどの弓使い。そして、生身だったら間違いなく死んでいたという事実に、トリオンは数秒ほど呆然とする。
だが同時に、それはトリオンに確信を抱かせた。
(お見事です。認めましょう。弓使いとして、貴方は私の上を行く。ですが、やはり貴方では私を殺せない!)
未だに生前の癖から、矢を避けようとする癖が残っていた。だが、もう避ける必要すらない。
何をされようと、射抜くことを優先すればよい。相打ちになれば死なないこちらが遥かに有利だ。
「貴方は強い。ですが、私を相手にしたことが不運でした。ただの生者には、死者を殺すことは出来ない」
再びトリオンは周囲を破壊し始める。
みるみると隠れ場所が減っていく。それは徐々に、ラッシュが敗北へと追いつめられていくことを意味する。
にも関わらず──ラッシュは嗤った。
「種は蒔いた。さぁ、ケリをつけにいこうか」
瓦礫の陰に隠れ、ラッシュは掌を広げる。
「──【毒矢生成】」
すると、フッと一本の矢がラッシュの手に現れた。
どっと疲労感がラッシュに圧し掛かる。が、その重さに心地よささえ覚えながら、ラッシュは瓦礫から飛び出した。
(出ましたか……!)
その姿を、トリオンはしっかりと捉えていた。
もう逃がさない。その決意を込め、弓を引く。
完全にラッシュを捉え、勝利を確信し──
──ドゴンッ!!
「~~~~ッッ!!」
頭部に重い衝撃を感じ、弓の向きがズレた。
光の矢がラッシュから大きく逸れ、黒の矢はその場で霧散する。
トリオンは足元に目をやった。そこには割れた石が転がっていた。これが飛んできて頭に当たったのだろう。飛んできた方向を探ると、瓦礫の隙間から何やら紐のようなものが見えた。
(礫を飛ばすトラップ! いつの間に、しかもなんて正確に狙いを!)
矢を放つ寸前、一瞬だがラッシュが手を奇妙に動かしているのが見えた。おそらく、細い糸でも使って遠隔で操作したのだろう。
罠を即席で作り上げることといい、手動で操作しながら正確に狙いを付けることといい、驚嘆に値するがそれ以上に小賢しい。トリオンはギリッと歯を嚙みしめる。
(彼は何処へ──)
再びラッシュを見失い、周囲を探る。その瞬間、視界の端で矢が飛んでくるのが見えた。
咄嗟に避け、眼前をビュンッと矢が掠める。それにヒヤリとしたものを感じながら、トリオンは飛んできた方へ目を向ける。
(──これもトラップ! 小癪な! こんな物で私を殺せる訳が……!)
純粋に感動すらしていた技量も、意味がないことを繰り返されれば怒りへと変わる。
ラッシュに対し、苛立ちを感じたトリオン。必ず仕留めると決意した、その時。
──ゾクッ、と。
感じないはずの寒気を、トリオンは確かに感じた。
理論的には説明できない。生前に何度も経験のある、戦士としての死の直感。
その直感に従い、トリオンはバッと背後を振り返った。
振り返ったその先には──ラッシュが身を晒し、既に矢をつがえていた。
(あれはまず──いや、そうではない!)
未だに悪寒は止まない。咄嗟にその場から逃げようとするが、トリオンはその意思を押さえつけ、急ぎ弓を引いた。
(恐れることはない! 彼に私を殺すことは出来ない!)
この悪寒は、死してなお死を恐れようとする生前の癖に過ぎない。そう、冷静に考えれば、敵が取れる手段ないのだ。あいまいな本能ではなく、論理的思考が彼の行動を決めた。
(何をされようと、私が死ぬことはない! 相打ちで僅かな手傷でも付ければそれでいい!)
一度出した結論に従い、トリオンは逃げられるよりはと、碌に狙いを付けずに矢を放とうとする。黒い矢を生成する時間はない。光の矢を引き、弓の悲鳴が上がる。
そして、ほぼ同時に二人の矢は放たれた。
キュインッ、と。トリオンの光の矢が一瞬で通り抜ける。
ガッ、と。ラッシュの矢が深く突き刺さった音が響く。
「くっ──!」
「ぐっ、あああぁッ!」
そして二人の矢がもたらした結果は、明白になって表れた。
トリオンの頭部、眼窩に入り込むようにして、片目からラッシュの矢が飛び出している。後頭部に突き刺さり、痛々しく見えるものの、貫通はしていない。アンデッドであるトリオンには、さしてダメージにはなっていない。
対し、トリオンの矢はラッシュに深い傷を与えた。
ラッシュは矢を放った瞬間に身を逸らしたが、それが精いっぱいだった。荒く狙いをつけたトリオンの矢は、皮肉にもラッシュを正確に捉えていた。胴体への直撃を避けたものの、光の矢はラッシュの左肩を貫通し穴を開けた。
左手に力が入らず、ラッシュはずるりと弓を滑り落した。左腕はダラリと釣り下がっているようで、力を感じない。
穴を塞ごうとする右手から、ドバドバと大量の血が伝っている。痛みと血を失っていることで、ラッシュは意識が朦朧としかけていた。
あの傷では先ほどまでの動きを維持することは不可能だろう。弓を持つなんてもってのほかだ。
お互いの傷の深さから、比べる間でもなく、どちらが敗者であるのかは明白であった。
ようやく戦いが終わったという実感がしたのか、ふぅ、とトリオンは息を漏らした。
「よくぞここまで粘りました。能力的には私が上回っていたのに、ここまで追い込まれるとは予想すらしなかった。貴方は素晴らしい弓使いでしたよ」
アンデッドとして与えられた力、身体能力。そして弓の性能。そのどれもが、明らかにトリオンが上回っていた。
そんな中で、勝てないと理解しながらここまで足掻けるものがどれだけいるだろうか。
いや、それどころか、精神的には追いつめられてすらいた。
本音では、トリオンは勝った気がしないと思うほどに。
「もし、私がまだ生きていたとすれば、勝っていたのは貴方の方でしょう。それほどまでに、貴方は強かった。今の私が負けるのではと思うほどに──」
「へっ、へへへ」
突如、苦し気に呻いていたラッシュが笑い出した。
ヘラヘラと軽薄な態度を見せるラッシュに、トリオンが訝しむ。
「急にどうしたのです? 何かおかしなことでも?」
「そりゃおかしいだろ。俺の勝ちが決まったっていうのに、なぜかお前さんのほうが勝ち誇ってんだからよ」
「何を言って……」
その発言に、ますますトリオンは分からなくなった。
傷の深さは深刻。戦うどころか、いますぐにでも治療しなければならないほどだ。逃げることすら難しい。
誰が見ても勝敗は分かり切っているというのに、トリオンの方こそ、ラッシュが勝ち誇れる意味が分からない。
窮地に追い込まれ、恐怖で気が狂ったか。
トリオンがそう思いかけた、その時だった。
「む? ……ガッ!? ガァァアアアアアアアアアア!?」
身を焼くような激痛が、トリオンの全身を襲った。
アンデッドの身で痛みを感じないはずなのに、生前でも感じたことのない痛みが絶え間なく続いている。
「がっ、ぎっ、ぐぅううううう! こ、これは……!」
トリオンは膝を着き、己の身体を見回した。すると、全身から白い煙が立ち上っている。
この現象を、トリオンは見たことがあった。アンデッドに対し、聖水をかけた時と同じ反応だ。
「ま、まさか、浄化されて……ぐぅっ、がああああ! き、貴様! 何をした!?」
焼けつくような痛みを、弓を手放し自分を抱き締めるようにして耐えながら、トリオンはラッシュを睨み付けた。
それに、ラッシュはへらへらとした笑みのまま答える。
「なに、簡単なことさ。【狩人】の【毒矢生成】を使い、お前に毒を撃ちこんだ。それだけだよ」
「ど、毒矢だと? バカな、あり得ない!【毒矢生成】のスキルは知っている! だが、そもそもアンデッドに毒などが効くはずが……!」
「それは毒の種類にもよるだろう?」
腕から血を流し、痛々しい姿ながら。
不敵な笑みで、ラッシュは続けた。
「確かに、普通の毒ではアンデッドを殺すのは不可能だろうさ。だが、毒ってのは使う対象や量によって効果が変わるもんだろ? 薬だって過ぎれば毒に転ずるしな。
そして【狩人】の【毒矢生成】は、使い手の技量に応じてその毒の解釈を広げることが出来る。
俺が今回生成したのは【霊木イチイ】の木。その樹液を煮詰めたものだ。普通の人間ならば無毒どころか活力を高めるものだが、アンデッドにとってはこれ以上ないほどの毒になる」
「バカな……! そんな【狩人】、今まで見たことが……」
「おいおい、俺をそんな並みの奴らと比べんなよ。こう見えて、勇者一行に選ばれるほどなんだぜ?」
その自信に満ちた表情に、トリオンはここまでの戦闘の意味を理解した。
ひたすら隠れ、逃げ続けたのも。
苦し気な表情、仕草。こちらに対する挑発も。
意味がないように見えた、小癪なトラップも。
今までの一連の動き、全てが──
「この一射を、確実に私に与えるためのものか……!」
「苦労したぜ。必殺の手段があると知られれば警戒されちまうし、俺の魔力じゃそう何度もこれほどの毒矢は作れないからな。一発で仕留めるために、念入りに仕込ませてもらった」
待っていたのは、避ける必要すらないとトリオンに思わせるほどの油断。
だからこそ、ラッシュは矢を当てることが出来た。
「お前は言ったな。アンデッドも悪いものじゃないってよ。だが、もしアンタが生身の人間だったならば、直感で避けられていただろうよ。アンデッドになり、死ぬことはないと驕ったからこそ、お前は負けたんだ。……って、もう聞いちゃいねぇか」
「ぎっ、ぎぃいいいい! ぎぃやああああああああああああああ!?」
それまでの優雅な姿なんて欠片もない、惨めとすら感じるほどに。
トリオンは地獄の苦しみの中、悲鳴を上げるだけだった。
「い、いやだっ……! 死にたくない……! 誰か……助けッ……ぁぁああああああ!!」
果てには命乞いまでして、トリオンは断末魔を上げる。
全身から白い煙が蒸気のように吹き上がる。そして、それがフッと消えた途端、トリオンの眼窩の光が消え、ばたりと前のめりに倒れた。
「騎士様というには、随分と惨めな死に様で……いや、毒の苦しみには騎士も関係ないか」
我ながら悪辣な殺し方だ、と自嘲しつつ、ふぅぅっとラッシュは長い息を吐いた。
射程、威力、連射速度。弓単体で見れば、全てが自分を上回っていた。
アンデッドと生身の人間と、性能としても敵が上を行っていた。
しかし、
「生きようと足掻く生き汚さの分、俺の勝ち──なんてな」
絶望的な戦力差の中、ラッシュはかろうじて勝利をつかみ取った。
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