第126話 どこに問題がある?



 そして翌日の朝である。

 少しでも早く【死者の鏡】を見るべく、六人は日が昇ってすぐに神殿へと向かった。


 山の麓をシオンの街でぐるりと半円状に囲んだその中に、廃墟となった街並みがある。その廃墟の奥にハーディアの神殿が存在する。居住区から出て山の方へと歩くが、すぐに六人は途方に暮れる思いになった。


「こんな朝早くから、もうこんなに」


 遠くに見える神殿にまで伸びた長蛇の列。それを見て、ネコタが呆然とした声を上げる。


 すぐに鏡を見れるよう早く宿を出たつもりだったが、どうやら遅いくらいだったようだ。


「考えてみれば、鏡を早く見たいのは皆一緒だよな。むしろ俺達より切実な奴らの方が多いだろう。日が昇る前から並んでいてもおかしくないか」

「いや、にしたってこれはよ……」


 ラッシュの言葉に呟きつつ、ジーナは呆れたようにして列を眺めて居た。


 この世界においてこれ程の列が並ぶほど、人が集まる場所など他に存在しないだろうから無理もない。この街の検問もかなりの列だったが、それすら比べ物にならないほどだ。


 しかし、呆然としていたネコタだったが、どこか懐かしい気持ちになりボソリと呟く。


「ネズミさんの有名なアトラクションが、こんな感じだったな〜」


「なぁ、発券所ってどこにあるん? 優先券取りに行こうぜ」


「あるわけないでしょ、そんな物。大人しく並んでいるしか……」


 ジト目を向けながら言うネコタだが、エドガーがじっと一点を見ているのが気にかかり、ついその視線を追う。


 その先には、列に並ばず後から追い抜いている女性が居た。途中、神殿の神官に捕まり、何かを促される。女は懐から出した木片を見せると、神官は頷き道を開けた。そしてその者はまた列の横を歩き、坂を登り始める。


 その背が小さくなった頃、エドガーは険しい目でネコタを睨みあげた。


「おい、あるじゃねぇかよ」

「発券所ではないでしょ! ノーカンですよ、ノーカン!」

「それはどうでもいいんだが、ちょっと待て。まさか先に進む手段があるのか?」


「あんたら、何も知らないで並んでいるのかね?」


 意外そうに言ったラッシュに、前に居た老人が鬱陶しそうな目を向ける。

 その老人に頭を下げつつ、ラッシュは問いかけた。


「ああ、煩くしてすまない。ここに来たのは初めてなもんで。それで、知っているなら教えて欲しいんだが、さっきのご婦人はなぜ先に進めたんだ?」


「なぜも何も、アレが正規の手段だ。あの木片で、鏡を使える日付と時間を判別出来る。それを神官様が確認して、鏡の元へ案内してくれるんだよ」


「そうなのか? それじゃあこの長蛇の列は?」


「その木片を貰う為に並んでいるに決まっているだろう」


「こ、これ全部が予定を決める為の列だったのか……」


 どうやら、思っている以上に自分達は悠長だったらしい。


 まさかこの並びが、予約を取る為だけのものだったとは。その為だけに朝からこうして列を作っているのだから、どれだけその鏡を切望しているのかが伺える。


 仕組みを理解し、ジーナはうんざりとした顔を見せた。


「マジかよ。この列の先頭に行くだけでも今日一日潰れるぞ」


「それでも貰えるのならいいですけど、予約だけでこれでは、待っている人はもっと多いのでは……あの、お爺さん? 今から木片を貰えるとして、実際に鏡を見れるのはどれくらいになるのでしょう?」


 フィーリアの丁寧な態度に、老人は諦めたように息を吐き、口を開いた。


「聞いたところによると、早くても一月はかかるらしいな」

「ひ、一月? そんなにですか? しかも早くてもって……」


「大陸中から人が集まっているんじゃ。人数だけで考えても、それくらい当然じゃろう。それに一日で捌ける数も少ないしな」

「そ、それは何故です?」


「亡くなってもう二度と会えないと思っていた相手に、ようやく会えたのに、たったの数分で満足するような奴がここまで来ると思うかね?

 少しでも長く話していたいと思うのは自然なことだろう。

 一人当たりの持ち時間は決められているらしいが、神官様の制止を振り切ってでも長く鏡を使おうとする人は珍しくないそうだ」


 聞いてみれば納得のいく内容だった。


 なるほど、むしろ一月というのは短いのかもしれない。


 だが、旅の途中である六人にはあまりにも長すぎる。


「一月……そんなに待たなきゃいけないなんて……」


「なに、たったの一月だろう。それだけの時間で亡くなった妻に会えるのなら、短いものだ」


 アメリアの呟きに、老人はそっけなく言う。老人の表情は、ムスッとしていながらも、どこか柔らかいものがあった。


 ここには、そう言い切れる人達が集まっているのだろう。だからこそ何の不満もなく、こうして静かに並んでいられる。むしろ、鏡との対面までにかかる時間にすら、癒されているのかもしれない。


 とはいえ、それは時間に余裕のある者達の話だ。


 ネコタは伺うようにラッシュを見る。


「ど、どうしますか? 木片を貰っても、さすがに一月以上というのは」


「ああ、長すぎる。時間が経てば経つほど【魔王】の完全復活が近くなるらしいからな。一日でも早く【魔王】討伐を成さなくちゃならないのに、一月もここに留まっている時間はない」


「で、でも! それはアメリアさんが可哀想ですっ! せっかくここに来て、大切にしていた人と会えるかもしれないのに。い、いえ、それはそれで悲しいことかもしれませんけど……なんとかなりませんか!?」


「なんとかと言われてもな……」


 フィーリアの懇願に、ラッシュは困ったような表情を浮かべる。


 気持ちは分かるが、それ以上に重大な使命を考えると素直に頷く訳にもいかない。大雑把なジーナですら、もどかしそうな顔で黙ったままだった。


「いいよ、もう行こう」


 しかし、当の本人であるアメリアは冷静な声で言った。


「確かに鏡は見たいけど、一月も時間を潰す訳には行かないよ。私のことは気にしないで」


「でも、アメリアさん!」


「いいんだよ。どうしても鏡を使いたければ、全てが終わった後に来ればいいんだから。そういう物があるって知れただけでも、私にとってはいい情報だった。だから、ね?」


 泣きそうになるフィーリアに、アメリアは逆に笑いかける。しかし、それが強がりであるのは明白だった。


 その笑みの中に、隠しきれない寂しさが見える。ここまで共に旅をしていた仲間には気づかれない訳もなく、皆がどうしようもない事態にもどかしく思う。


 そんな空気を読まずに、エドガーは言った。


「【勇者】の名を使って先に鏡を使わせて貰えねぇかな?」


「いや、お前、それはいくらなんでも……」


 エドガーの提案に、ラッシュは呻いた。


 その案自体は、頭の隅に浮かんではいた。しかし、実際やるとなると……。


「【勇者】だったらそりゃ門前払いってことはないだろうが、これだけ待っている人がいるのを差し置いて先に回して貰うのはどうなんだ?

 いくらなんでも恥知らずというか、【勇者】の名を落とす訳には……」


「何が恥知らずなもんかよ。俺達は【魔王】を倒して世界を救おうっていうんだぞ。これくらい優遇されても別に構わんだろ。いや、これから更に過酷な戦いに臨む前に、要である【賢者】の心残りを晴らしておくんだから、むしろ当然の対応だ。それくらいの融通は利かせてくれるだろう」


「そりゃそうかもしれんが、しかしだな」


「逆に考えてみろ。もしデメリットがあったとしても、コイツの評判が落ちるだけだ。どこに問題がある?」


「大有りだよ! 僕が【勇者】を利用して好き勝手しているクソ野郎に思われるだろうが!」


 酷い冤罪にネコタはもっともな怒りを見せる。

 しかし、エドガー堂々とそれを受け止め、じっとネコタを見つめた。


「ネコタ君」

「な、なんですか急に。そんならしくない態度で」


「アメリアの為に【勇者】の名を使って、鏡を先に見せてもらう。それは人から責められるようなことなのかな?」

「いや、それは……」


「これから戦って死ぬかもしれない女の子の、心残りを晴らすことが、そんなに悪いことなのかな?」

「うっ!? い、いえ、悪いことではないですけど……って、誰も死にませんよ! アメリアさんは僕が守ります!」


「むしろ守られる側なのでは……いや、それはまあいい。というかだね、君はアメリアのことをどうでもいいと思っているのかな?」

「いい訳ないでしょ! 僕が出来ることならなんだってしてやりたいと思ってますよ!」


「じゃあべつにいいよね? 君が悪者扱いされることくらい」


 そう聞かれ、ぬぐぐっとネコタは呻く。

 いや、いいんだ。それでアメリアさんが楽になれるなら、全然構わない。


 ──でも、ウサギの手で僕の評判が落とされるのは気にくわない!


 おずおずしながら、アメリアが口を出す。


「あのさ、本当に大丈夫だよ。私の我儘だし、本当に、旅が終わってからもう一度来ればいいだけだし」


「い、いえ、大丈夫です。アメリアさんの為なら、僕の評判が少し落ちるくらい。それに、ここの人達からは恨まれるかもしれませんが、道徳的にはそこまで責められるようなことでもないかと」


「だな。実際、それが一番手っ取り早いだろ。ウサギにしてはいい案だと思うぜ。分かりやすいしな」


 ジーナは意外と乗り気だった。ゴキゴキと指を鳴らし、グルグルと肩を回して調子を確かめる。明らかに不穏だった。


 ラッシュは嫌な予感しかしなかった。


「おい、ちょっと待て。なんだって肩慣らしなんかしてんだ。お前何か勘違いしてねぇか?」


「勘違いなんかしてねぇよ。神官にちょっとお願いを聞いてもらうんだろう?」

「そうそう、俺達のお願いを聞いてもらうんだよ。お願いをね」


「やっぱりお前ら……あっ!? ちょっと待て!」


 示し合わせたわけでもなく、ほぼ同時にエドガーとジーナが神官に歩み寄る。実に息の合った動きだった。絶対に組んではならない二人が、同じ目的で動いてしまった。


 神殿に向かって歩いていく人達を、穏やかな表情で眺めている若い神官に、エドガーは声をかける。


「よう、そこの兄ちゃんよ。ちょっといいかい?」

「どうなされました? 神殿に御用があるのならば、まずはそこの列に──」


 来たばかりで勝手の分からない客かと、不快そうな仕草も見せず、慣れた風に神官は説明しようとする。が、途中で思わず言葉を止めてしまった。


 神殿に侍る神官とはいえ、学ぶのは礼儀作法、儀式の手順だけではない。外敵からの防衛や、気に入らぬ結果に暴れる巡礼者を抑え込むために、武術も一通り納めている。低ランクの冒険者などより、神殿で勤める神官はよっぽど強い。


 そう、腕に覚えのある神官が思わず躊躇してしまうほどに、その二人から感じられる武威は凄まじかった。


 まず、拳法着を着た女。


 こうして立っているだけの自然体にも関わらず、身に纏う空気その物が違うと分かる。この女がその気であれば、この数秒間で自分は既に三度は殺されているだろうと神官は察した。明らかに危険な女である。


 そして、珍しいウサギ獣人の男。


 神官である自分に対する品のない言葉遣いから分かり切ったことではあったが、その人相もはっきりとガラが悪い。ぱっと見、愛くるしいウサギの獣人だというのにこの人相とは、一体どれだけの人を地獄に陥れればこうなるのか、神官には全く想像できなかった。


 小柄な外見では騙しきれない、隣の女よりもギスギスした武の気配。そして何よりも、その表情に神官は危険を感じた。間違いない。自分の欲望の為に動いている、そんな下卑た顔だ。


 ──厄介な者達に絡まれた。

 ──下手をすれば、私の命が危うい。だが、逃げる訳にはいかない。

 ──死で苦しむ人々の心を救う。それが、神官たる私の務めなのだ!


【死と安らぎの神ハーディア】の神官としての矜持が、若き神官に勇気を与えた。


 若者の覚悟も全く知らず、エドガーは話を続ける。


「無茶を承知で言うんだがよ、俺達に先に【死者の鏡】を使わせてもらえねぇかな? 俺達は忙しくてな。数日でも待っている暇はねぇんだよ」


 やはりそれか、と神官は思った。


 待たされるのが嫌で、権力、暴力、資金力を使ってどうにかしようとする。よくある手合いだ。そして、この場に訪れる者の中で最も最低な人種である。

 

 しかし、それならばなおさら譲る訳にはいかない。


 神官は毅然とした態度で応えた。


「それは出来ません。少しでも早く【死者の鏡】を使いたいという気持ちは、ここに居る人、皆同じなのです。たとえ一国の王であれど、あの列に並んでもらいます」


「そう固いことを言うなよ。ちょっとだけでいいんだよ。人助けだと思って、な?」


 ズイッと、ジーナが神官に一歩近づく。


 ヤバい、と感じた神官は、直感的に懐に忍ばせた笛に手を伸ばし口元に持っていこうとした。だがその途中で腕を掴まれ、笛を吹くのを阻まれる。一瞬の動きに驚愕する神官の肩に、ポンッ、とジーナは空いた手を肩に乗せた。


「なぁ、頼むよ。今見せてもらえないと、あたしらが困るんだって。本当に、長い時間はかけないからよ。なんとか頼むわ」


 笑顔でいながらも、目は笑っていない。


 グググッ、と。神官の肩が潰されていく。あまりの痛み神官がうめき声を漏らしそうになる寸前、エドガーが声をかけた。


「おい、やめろ。神官さんが苦しんでいるだろうが! ──すまねぇな。こいつ、人に対する頼み方ってもんが分からねぇもんで」


「い、いえ、お気になさらず」


 よく言う、と神官はぎこちない笑みを浮かべながら、内心で舌打ちをした。


 片方をけしかけ、もう片方が叱って止めて頭を下げる。暴力をちらつかせ、助けられたという気持ちと、謝罪をされたという事実で相手をやりこめようとする。小悪党が良く使う手だ。


 やはりやり慣れている。神官は警戒を深めた。


「死には王でも例外はない。ハーディア神の真意を守ろうとするその在り方には尊敬の念を覚える。大したもんだ」

「いえ、それがハーディアの神官の務めでありますがゆえに……」


「謙遜することはない。それも信仰に殉ずる誇り高さの表れだからな。だが、そこを押してなんとか頼みたい。実は俺達は、【魔王】討伐の任を受けた勇者パーティーでな。そして鏡に用があるのは、あそこにいる【賢者】の少女なんだ」


「……なんですって?」


 意表を突かれた言葉に、神官はポカンと口を開けた。


 神官はアメリアを見る。その風貌から感じられる理知的な佇まいは、なるほど、【賢者】であってもおかしくない説得力がある。


「では、【勇者】も居ると?」

「ああ。あそこに居る少年がそうだ」


 続けて、ネコタを見る。


 戦闘にはとても向かなそうな、どこかお人好しそうな雰囲気。だが、目にどこか芯を感じさせる力を感じる気もする。なるほど、【勇者】というにはいささか頼りない気もするが、外道には堕ちそうにもない善性と人を惹きつける魅力があるようにも思う。


「俺達だって、本当は割り込みなんかせず順番を待ちたいんだ。だが、そういう訳にもいかねぇ。俺たちは一刻も早く【魔王】を倒さなくちゃならねえからな。

 しかしな、ここに並んで居る奴らと同じように、あの【賢者】の少女にも大事に思っている奴が居た。そいつのことを忘れず、ずっと今まで頑張ってきたんだ。

 これから俺たちは、世界を救う為に死ぬかもしれない戦いに臨む。だからせめて、心残りがないようにしてやりたいんだ。どうかこの通り、お願い出来ないだろうか」


 考え込む神官に、エドガーは真摯に頭を下げた。

 その姿をじっと見つめ、若き神官は言った。


「あなたの言い分は分かりました。ですが、やはりそれは無理な話です」


 そして、軽蔑するような目で二人を見る。


「何を言い出すのかと思えば、よりにもよって【勇者】を騙るとは、ふざけるにも程がある。私達ハーディアの信徒のみならず、全世界の人間を虚仮にするおつもりですか?」

「はぁ!? テメェ、あたしらが偽物だって言いてえのか!」


 ジーナの剣幕にも、神官は鼻を鳴らしてぞんざいな態度を取った。

 恐ろしい相手だが、恐怖を忘れるほどに怒りが燃えたぎっていた。


「私もハーディア神の神官として、多くの人を見てきました。人を見る目にはいささか自信があります。なるほど、確かにあちらのお二人には【勇者】と【賢者】と言われてもおかしくない雰囲気があるかもしれません。それゆえにあなた方もこのような手段を取られたのでしょうが、それで私達を騙せると思ったのなら大間違いです」


 若き神官は、義憤のままに一喝した。


「あなた方のような邪悪な者を、【勇者】や【賢者】ともあろう方々が仲間に引き入れる筈がない! 何が目的でやってきたのかは知りませんが、お引き取りを! ここは親しき人の死で悲しむ人々が、心を癒す為の場所! 決して傷つく心がない悪党が来るような場所ではありません!」




 ♦︎   ♦︎




「……ん? なにやら騒がしいですね」


 ハーディア神本殿における最高責任者、大神官マリンは、気分転換で本殿から足を伸ばし、列の後方がいつもより騒がしいのを感じた。


 また俗世の権力者か金持ちが、我儘を言いだしているのかと思ったが、それにしてはいつもよりざわめきが大きい気がする。


 一体何が、と不思議に思っていると、下から一人、駆け上ってくる神官を見つける。

 ちょうどいいと、マリンはその神官を捕まえた。


「これ、一体何があったのです?」

「ッ! すまないが、話している暇は──大神官様!? も、申し訳ありません! とんだご無礼を!」


「いえ、構いません。それで、この騒ぎはなんですか?」


「それが、突然暴れ出した者がおりまして! その者達がまた途轍もない強さで、私達では止められず! 応援を呼ぼうと駆けつけてきましたが、大神官様がいらっしゃったのならこれ以上の援軍はありません! どうか急ぎ下まで向かってください!」


 部下からの懇願に、マリンの表情が変わった。


 どうやらいつもと同じ喧嘩騒ぎのようだが、この焦りようからするによっぽどの相手らしい。


 鍛えられた神官複数を相手に応援を求めさせるとは、下手をすれば、Sランク冒険者相当の力の持ち主かもしれない。


 そう判断したマリンは、すかさず【飛行】の魔法を使い、人波を飛び越えて現場に向かった。


 障害を無視して空を駆けたマリンは、ものの数十秒で騒ぎの元へとたどり着く。


「……なんですかこれは?」


 そして、地面に降りてその景色を眺め、呆然とした声を出す。


 何人もの神官達が、円をつくるように気絶してその場に倒れている。が、致命傷なものは一つもない。痛々しく顔が腫れ上がっている者も居るが、手加減はされているのだろう。


 そして、その円の中央付近に、下手人であろう輩が居た。


「離せクソオヤジ! うまく殴れねぇだろうが! つかどこ触ってんだこら! テメェからぶち殺すぞ!」


「馬鹿野郎! これ以上はダメだと……っく! 頼む! 逃げてくれぇええええ! 俺じゃあ押さえきれん!」


 おそらく気絶している神官達を殴ったのであろう女と、その腰にしがみついて止めようとしている中年の男。一応男の方は神官達を助けようとはしているらしいが、発言から察するに、親しい間柄のような気もする。もしや仲間割れか?


 周りを見渡せば、騒ぎに巻き込まれないよう逃げているほかの巡礼者と、気絶している神官達の間という中途半端な位置で、人離れした美貌の少女二人が遠い目をしながらその騒ぎを眺めている。付かず離れずのこの距離感。信じがたいことに、こちらの二名も仲間の可能性がある。


 そして、もっとも目を引くのは──


「誰が下劣な悪党だ! ああああんんん!? テメェこのクソガキこっちが下手に出てりゃあ好き勝手言ってくれんじゃねぇか! そんなに信じられねぇってんならお望みどおりこの聖剣の錆にしてやろうか!? おうこら、聞いてんのか!?」


 珍しいウサギの獣人が歯をむき出しにして怒り狂い、既に気絶して居る若い神官の襟元を掴み、その首元に一目見て尋常ではないと分かる名剣を添えていた。その傍らには見覚えのない少年が倒れており、腰元に鞘だけが引っ掛けられている。おそらくウサギの剣はあの少年が持っていた物なのだろう。というか今、聖剣と言ったような……。


 


 ──もうワケが分からない。



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