第111話 絶対に、許してはならないと思った

「──ブギャ!? 痛ってぇ〜……」


 スフィンクスによって光の膜に閉じ込められ、迷宮のどこかへ飛ばされた次の瞬間、エドガーは地面に落とされた。

 宙から落とされ打ち付けた尻をさすりながら、ブツブツと呟く。


「クソッ、あのアホ門番め! 死に際に余計な真似をしやがって! 負けたんだから潔くしろってんだ!」


 悪態をつきながら立ち上がろうとしたところで、エドガーは異変に気付いた。

 目を開けているというのに、未だ暗闇が続いているのだ。一瞬焦るが、うっすらと自分の手が見えたのを確認し、ほっと息を吐く。


 失明をしたわけではない。どうやらほとんど光の無い闇の中に囚われたらしい。


「……本当に面倒なことしてくれやがったな。あのクソ門番」


 忌々しそうに悪態を吐くエドガー。そうしている間にも、彼は情報収集に努めていた。

 ピク、ピクッと長い耳を揺らす。小さな声だったとはいえ、自分の声が返ってくる様子はない。どうやら、密室ではなく相応に広い場所に飛ばされたらしい。


 しかし、聴覚で分かるのはこれくらいだ。これほどの暗闇となると、視覚はほぼ頼りにならない。気配を感じ取るか、直に触るか、それくらいでしか周囲を探る手段はなさそうだ。


 そして調べた限り、自分以外の人間の気配は感じられなかった。


「分断された上で、暗闇に閉じ込められたか」


 危険な状況だ、とエドガーは思う。


 これで敵が襲って来たら、ひとたまりもない。六感に優れた獣人の剣士である自分でもそうなのだ。ポンコツ勇者は言うに及ばず、後衛のフィーリア、そしてアメリアでさえ、下手をすれば致命傷をもらいかねない。


「まずいな。あの野郎、洒落にならないことをしやがって」


 一刻も早く仲間と合流しなければならない。とはいえ、この状況で出きる手段など限られている。


 下手をすれば、己が更なる窮地に追い込まれるが……大事な物を失うよりは、よっぽどマシだ。


「アメリア! フィーリア! 俺だ! 聞こえたら返事しろ!」


 エドガーの声が、暗闇で反響する。

 返事を聞き逃さないよう、エドガーは耳に全神経を集中させた。

 敵襲に緊張し、汗を流しながら目を瞑って待つ。


「…………──ガー?」


 そして、声が聞こえた。

 ハッと目を開け、声がした方に顔を向ける。小さいが、高い声だった。


「アメリア! フィーリア!」


 エドガーは声のした方へ向かって、慎重になりながらも走る。

 誰の声かは分からない。だが、少なくとも男の声ではなかった。


 そしておそらく、ジーナでもない。声音から、ジーナには無い女らしさが感じられたからだ。本人が聞いたら決闘不可避。


「アメリア! フィーリア! どこだ!? 返事しろ!」

「──ドガー! ここ! ここだよ!」


 また声が聞こえた。自分を呼び捨てにしているということは……!


 さっきよりも近い。ちゃんと近づいている。だというのに、エドガーの焦りは大きくなる。暗闇でまともに動けない自分の体がもどかしい。早く、一刻も早く、駆けつけたいというのに!


 こんな暗闇で一人になって、きっと怖かっただろう。待っていろ、すぐに俺が駆けつけてやる! お前を守ると、あの時誓ったのだから!


 自分の中の焦りと戦いながら、エドガーは着実に声の元へと近づいていた。気づけば、すぐ目の前に人の気配が感じられた。


 思わず、エドガーの表情が綻んだ。


「アメリア! 良かった! 無事だった──」


 ボッ、と。エドガーの目の前で、火が点いた。

 急にできた明かりに、目が眩む。なぜ急に火がと混乱しながらも、慣れるのを待ち、恐る恐ると目を開ける。


 すぐ目の前にあったのは、松明の明るい光。

 そしてその炎のすぐ上に──くたびれた中年の顔があった。

 エドガーは言葉を失った。


「……………………」

「エドガー! 良かった、無事だったんだねっ!(裏声)」


「……………………」

「エドガーに会えて本当に良かった! もしかしたらエドガーが酷い目にあってるんじゃないかと思って、私、心配してたんだよ?(裏声)」


「……………………」

「でも、無事で本当に良かった。私も怖くて、不安だったの。探してくれてありがとうね(裏声)」


「……………………」

「エドガー、どうしたの? フフフッ、私に会えてホッとした? 私もだよ、本当に、合流できて良かっ──ごあぁあ!?(裏声)」


 乙女チックで気持ち悪い感じの中年は、顔面を殴られてひっくり返った。

 ラッシュは倒れながらも、なんとか松明だけは守る。ぐっ、呻き声を漏らし、顔を手で押さえて抗議した。


「いきなり何すんだテメェ! 前触れなく殴りやがって──」

「……………………」

「ちょっ!? まっ、待て!」


 ──バキィ! ボコッ!


「わっ、ちょ! ま、待てって言ってんだろうが! テメェいい加減に──」

「……………………」


 ──バキィ! ボコッ! ドカッ! ゴンッ!


「わ、悪かった! 俺が悪かったよ! 謝る! 謝るから!」

「……………………」


 ──バキィ! ボコッ! ドカッ! ゴンッ! ゴキッ! バコンッ!


「お、お願いだから……頼む……もうやめ……!」

「……………………」


 ──バキィ! ボコッ! ドカッ! ゴンッ! ゴキッ! バコンッ! グチュウッ!


「……………………」

「……………………」


 ──グチュウッ! グチャッ! グチュウッ! グチャッ! グチュウッ! グチャッ!


 許せなかった。

 許すわけにはいかなかった。


 己の純粋な想いを傷つけたコイツが。

 己の希望を裏切ったコイツが。

 そしてなにより、ちょっとアメリアに似ていると思ってしまった自分が。


 絶対に、許してはならないと思った。




 ♦︎   ♦︎




「痛っててて。しこたま殴りやがって。少しは加減しろよな。今回ばかりは本当に死んだと思ったぞ」

「黙れ。生きていただけありがたく思え。別に俺は殺しても良かったんだ」

「お前なぁっ! 言っておくが、冗談じゃなく死にかけ……いえ、なんでもないです」


 文句を言おうとしたラッシュだが、かつてないほど凶悪な目で睨まれ、口を閉じた。顔面の腫れや切れた唇、潰れた鼻を気にしつつ、そのまま歩く。


 二人は合流してから他の仲間を呼びかけたが、他には誰も見つけられなかった。この場に飛ばされたのは二人だけなのだろうと判断し、先に進むことにした。


 松明を持ったラッシュを先頭に、ムスッとしたエドガーが後に続く。後ろからやられるのではと、内心ラッシュは気が気ではない。それだけ、今のエドガーは危険だった。


「……なんだよ。コソコソ見てんじゃねぇよ」

「あ、ああ、すまん。正直、なんかやられるのかと思って」


「ああ? 望み通りにトドメを刺してやろうかおい?」

「すみませんでした! 本当に勘弁してください!」


 チィッ! と盛大にエドガーは舌打ちする。


「無駄に期待させやがって。なんであんなくだらない真似したんだよ。本気で殺意が湧いたわ」

「いや、実際殺されかけ……分かった! 俺が悪かったから、その目をやめろ! ちょっとした悪戯心だよ! お前の声が聞こえて、元気そうだったから、からかってやろうと思っただけだ!」


「悪戯心だぁ? 状況を考えろよテメェ。こんな大変な時にロクでもないことをしやがって。次はねぇぞ」

「は、はい。申し訳ありませんでした……」


 ラッシュは肩を小さくして謝罪する。危険性のある時にアメリアを使ってからかうのは止めようと心に誓った。冗談抜きで殺される。


「しかし、本当に何もないな。歩けばどこかに通じると思ったんだが」

「敵どころか、罠すらも無いからな。何もない所が逆に不気味だぜ」


 二人は緩んだ気を引き締め、周囲を警戒する。

 二人が転移された場所は、暗いだけのだだっ広い空間だった。とにかく何も無いため、今は歩ける限り先を進む方針だ。


 何も無いから安全とも言えるが、なんの手がかりもないこの状況は、打つ手がないとも言える。


「まさかとは思うが、出口の無い部屋だったりしないよな? 飛ばされた時点で終わりとかいう」

「やめろ。本当にそうだったらどうするんだ」


 エドガーの呟きにラッシュが青い顔で言う。その予想が当たっていたとしたら詰みだ。助けを求めて待つか、このまま餓死するしかない。

 ラッシュの不安を知ってか知らずか、エドガーはなんでもない調子で続けた。


「まぁ、自分で言っておいてなんだがそれはないだろうな。あの石造はバカだった。だからこそ、そんな穴のない手を使うとも思えん。むしろ俺達に意趣返しをするために、なんらかの試練を与えて嫌がらせをしようとする方が自然だ」


「本当にそうだったらいいんだけどな。流石にこのまま暗闇を歩きつづけるってのも……」


 ぼやいていたラッシュが、ピタリと止まる。進める限り歩いていたが、とうとう壁にぶちあたったからだ。

 行き止まりかと、ラッシュが眉を顰める。しかし、松明で壁を照らし、小さく目を瞠った。


「おい、扉だ」

「なに?」


 自分の目で確かめようと、エドガーはラッシュの横に立つ。

 そこにあったのは、確かに扉だった。大人が十分に通れるサイズの鉄扉。見たところ、鍵穴のような物はない。このまま押せば簡単に開くだろう。


 その扉を眺めながら、エドガーは感心したように言う。


「この暗闇の中、こんな扉を見つけるには相当大変だったろうぜ。適当に歩いただけで見つけられるなんて、俺達も運が良かったな」

「いや、それはどうだろうな」


 ラッシュの言葉に、エドガーは怪訝な顔をする。

 ラッシュは無言で扉の上の方を指した。

 それを追い、エドガーは上の方を見る。そこには、この建物に入った時に見た、神の文字らしき物が刻まれていた。


「なるほど。出口じゃなく、むしろここからが試練の始まりってことか」

「ああ。しかも、今回はなんの情報も無しに行かなくちゃならない。フィーリアが居れば、断片的にでもヒントが得られたんだろうが……」


 何の試練かも分からないまま試練に挑む。それで無事で居られると思うほど、ラッシュは楽観的ではない。間違いなく、危険な挑戦になるだろう。


 難しい顔をするラッシュに、エドガーは目を細くして言った。


「だが、このままここで立ち止まる訳にもいかない。そうだろう?」

「その通りなんだよなぁ。まっ、やるしかないか」


 はぁ、と疲れたように息を吐き、ボリボリと頭をかくラッシュ。

 エドガーはニッと強気な笑みを浮かべる。


「なに、そう気にしせずとも、俺とお前なら大抵のことはどうにかなるだろ。やってみれば案外簡単かもしれねぇぞ」

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇかよ。どうしたんだ珍しい。いつもはこき下ろすくせに」


「別に。ただ足手纏いが居ないだけでだいぶ楽だなと思っただけだ」

「お前な。ここに居ないからって酷いこと言ってやんなよ。ネコタが可愛そうだろうが」


 さりげなくラッシュも酷いことを言って、扉に手をかける。

 グッと押せば、扉はギギギッと音を立てつつも、あっさりと開く。そして二人は扉をくぐり、姿を消した。


 勇敢にも、何の情報も無しに扉をくぐった二人。しかし、扉にはこう書かれていた。


 ──“欲望の代償“


 二人の選択は、もしかしたら過ちだったのかもしれない。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る