第110話 次の問題も楽しみにしています



『承認した。では、第一問である』

『あの、皆さん、本当にすみませんっ! どうかお願いしますっ』


「勇者ならさ〜、そこで僕のことはいいから先へ行ってください、の一言くらい言えないの?」

『お前にだけは言われたくないよ! 誰のせいでこうなったと思ってんだ!?』


 ギャーギャーとネコタの喚き声が聞こえる中、スフィンクスは語り出した。


『ここに、三人の子供が居る。

 一人は、頭の利発な男の子。

 一人は、普通の女の子。

 一人は、ちょっとおバカな男の子。

 三人はテーブルの上に置かれている十のクッキーを平等に分けようとした。三人で分けるなら、三つずつで一枚余る。しかし、それぞれが食べ終えてみれば、クッキーは一枚も残ってなかった。それは何故か?』


 真剣な表情で問題を聞いていた五人。だが、聴き終えると揃って首を傾げた。


「あん? なんだこりゃ?」

「論理クイズ……なの?」

「いや、それにしては余りにも単純すぎるというか……」

「え? 悩む必要がありますか? 答えは一つしかないと思うのですが」


 誰もが悩んでいる中、フィーリアだけは違った意味で疑問だった。何故誰も答えないのかが、逆に分からない。

 喋らずにずっと黙っていたラッシュが、乾いた笑い声を上げた。


「ダメだ、意味が分からん。まさかおバカな子がクッキーを数え間違えて多く食べちゃった、とかじゃあるまいしな。ははははっ」

『正解である』

「ははははっ、そうか。正解か……ってなにぃいいいいいいい!? 正解!?」


 ぎょっとラッシュは目を見開いた。

 スフィンクスはゆっくりと頷く。


『平等に分けるはずが、おバカな子がクッキーを数え間違えた。おバカゆえの悲劇である。問題文から推測出来る、実に論理的なクイズである』

「お〜い! 誰かこいつに論理ってもんを教えてやれ!」


 イラッとしたものを感じながら、やはりコイツはただのバカだとエドガーは確信した。神は何をもってこいつを作り上げたのか。知恵の番人が聞いて呆れる。

 ガクリッとラッシュは膝から崩れ落ちた。


「し、しまった。まさか本当に正解だったとは。誰でも解ける問題だったのに、しくじった……!」


「本当ですよっ! 私、ちゃんと分かってたのに! ラッシュさんのバカ!」

「いや、あたしは安心したぞ。アレならあたしらでもクリア出来る。というか、あんな問題でクリアする方が恥ずかしいわ」


「どうしよう。私、あれじゃあ逆に難しいよ。バカな人の気持ちが分からないもん」

「同感だぜ。参った、俺たちの方が足を引っ張る可能性が出てくるとは」


 アメリアとエドガーの顔がこわばる。まさか出題者の知能指数の低さが裏目に出るとは思いもよらなかった。


『なお、この子供達は誰が多く食べてしまったかを追求して血みどろの争いになり、最終的には絶交してしまったのである。些細な過ちで永遠の別れとなってしまう、どこにでも起こり得る悲劇である』

「やかましいわっ! 腹立つな〜コイツ!」


『今のは正解であったが、再度忠告する。最初に言った通り、相談に該当するものは禁止である。

 ゆえに故意ではなくとも、答えらしきものを口にした場合、それを漏らした者を答案者とみなす。それが不正解であった場合、容赦なくこの檻に入ってもらう』


「げっ。あ、危ねぇ。今のは俺が捕まってた可能性もあったのか」

「うぅぅううう、どうしましょう。今のが最後のチャンスだったかもしれません……」


 フィーリアは頭を抱えて後悔した。何故あそこで答えておかなかったのかと、自分の呑気さにどうしようもなく呆れる。もうあんな簡単な問題が出るとは限らないというのに。


『では、第二問。食材に関する問題である』

「──これは私の出番ですね」

「反応早いなおい」


 ピンと背筋を伸ばし、フィーリアは一歩前に出た。私以上に相応しい者など居ない。そう言っているかのような堂々とした態度だった。とても一瞬前までクヨクヨしていた女とは思えない。


 ──もう何も怖くない。


 エルフに相応しい凛とした表情で、フィーリアはスフィンクスを正面から見返し、問題に耳を傾けた。


『ここに、三つの食材がある。

一つは、猛毒をその身に秘めた【ヴェノムバイパー】。

一つは、触れた物を痺れさせる【エレキネズミ】。

一つは、大木の根元に生え、食した者の胃の中から寄生する【ヤドリギダケ】。

どれもが危険な物であるが、適切な処理を行えば食すことも可能になる珍味である。が、この中にどうしても食べられない物がある。それはどれか?』


「──フッ」


 フィーリアは静かに笑った。

 まるで教師が教え子の成長を喜ぶかのような、そんな反応だった。


「なるほど。なかなか良い問題です。ですが、私には簡単なこと。答えは”全て食べられる”。これ以外にありません」


 えっ? と、フィーリアの出した答えに、誰もが意外そうな表情をする。それは、問題の主旨からして間違っているのではという回答だった。


 スフィンクスは、やや眉を下げてフィーリアを見下ろす。まるでかわいそうな物を見ているような、そんな表情に見えた。


『……その回答で良いのだな。だが、答えは──』

「確かに、普通の人なら引っかかっていたでしょう。あの問題の出し方では、どれかに正解があると思ってしまいます」


 むっ、と。スフィンクスはためらった様子を見せる。

 目を閉じ、自信に溢れたフィーリアの言葉に、思わず聞き入ってしまった。


「問題文自体に罠がある、引っ掛け問題です。ですが、私には通用しません。

【ヴェノムバイパー】【エレキネズミ】共に、解毒法、解体法が確立されています。つまり、普通に考えれば【ヤドリギダケ】が答えです。

 ですが、切り裂こうが焙ろうが取りこんだ相手に寄生するほどの生命力の高さで知られる【ヤドリギダケ】を、寄生されずに食す方法を私は見つけています」


 キラリと目を光らせ、フィーリアは続ける。


「一口サイズにスライスし、熱湯に一時間以上漬ける。そして、完全に乾燥するまで天日干しにして、また熱湯に漬ける。これを最低で十度以上繰り返す。

 そうすると、その身を保ったまま生命力のみを殺しきり、寄生されることなく食せる食材へと変わります。

 この工程の際、熱湯に漬ける時間が長ければ長いほど、少ないサイクルで食せるようになり、干した回数次第で味が深まりますが、素人にはおススメしません。

 どの程度の変化が起きるのかを見極められるのは、まぁ私くらいのものでしょう」


「……あたしも【ヤドリギダケ】なら知ってるが、昔、師匠にも絶対に死ぬから食うなって言われてたぞ。本当にあんな方法で食えるのか?」

「知らねぇよ。ていうか、仮に事実であってもそこまでしてあのキノコを食おうとは普通思わねぇよ。狂ってやがる。食い意地だけは立派な奴だ」


「バカッ、この際、答えさえ合ってるならなんだっていいんだよ。せっかく輝いてるんだから、余計なこと言うな」

「誰でも、どんな取り柄でも、役に立つ時って来るんだね」


 後ろで仲間たちがヒソヒソと話しているのにも気付かず、フィーリアはスフィンクスに言う。


「しかし、まさかここで【ヤドリギダケ】が問題として出るとは思いませんでした。おそらく私だけが知っている知識かと思っていましたが、さすが【知恵の迷宮】の門番。

 私程度が知っていることなど、知り得て当然ということですね。意地の悪い問題とも言えますが、なかなか面白い問題でした。次の問題も楽しみにしています」


 余裕を見せながらも、キラキラと輝いている目をスフィンクスに向けるフィーリア。それは、対等のライバルと競い合う喜びに溢れた目だった。


 スフィンクスは無表情のまま、沈黙を保つ。しかし、エドガーは見逃さなかった。たらりと、スフィンクスの額に汗が流れていた。


 そして、スフィンクスは威厳のある声で言った。


『……合格である。【ヤドリギダケ】の知識が鬼門となる問題であった。まさかこの問題を解ける者が居ようとは思いもよらなかったのである』

「いえ、スフィンクス様には敵いません。私も精進したいと思います」

『その必要があるかは疑問である。もう十分なのではなかろうか。いや、きっと十分なのである。お願いだからそのあたりでやめてくださいっ』


「おい、まさかあの石像……」

「黙ってろ。合格ならいいんだよ。へそを曲げられたらどうするっ!」


 疑惑の目を向けるエドガーを、グリグリと頭を押さえつけて黙らすラッシュ。

 自分たちに不利な真実には目を瞑るのも、必要なことである。


『……気を取り直して、次である』


 スフィンクスが言った途端、ブンッ、と空間がブレ、五人との間に巨大な鉱石が現れた。

 それを見たアメリアが、小さく目を瞠る。


「これ、もしかして【反魔石】?」

「【反魔石】っていうと、アレか。確か魔法を無効化しちまうとかいう」


 思い出しながら言ったジーナに、アメリアは鉱石に見惚れたまま言った。


「うん。魔力を完全に遮断する性質を持っているから、魔法が効かないんだよ。これを使った【古代遺物アーティファクト】がよく発見されてる。魔法使いにとっての天敵だよ。

 まぁ、私の場合は遮断できる限界を超えた魔法で使用者を殺せるから問題ないけど。それにしても、今では【古代遺物】の一部としてしか見つからないのに、こんな大きな原石があるなんて。どれだけの価値になるんだろ?」


「お、おう、そうか。ともかく、珍しい石なんだな」


 魔法を無効化するこの石も大概だが、その力を超えて使用者を殺す魔法使いもどうかしている。サラリと言っているが、意外と怖い奴だよなとジーナは思った。


 現れた鉱石に感心している五人に、スフィンクスは言った。


『そこの者が説明した通り、これは【反魔石】である。

 遥か遠い過去、古代人達はこれらを神の祝福を受けた鍛冶場で加工し、武具等を作り上げた。しかし、これほど巨大な【反魔石】となるとある問題が発生する。それは運搬の問題である。

 魔法も通じないため、魔法で運ぶことも出来ない。かといって、人力で運ぶことも難しい。だが、古代人はとある方法を使い、この規模の【反魔石】を鍛冶場まで運びこんでいた。その方法のいずれかを答えよ』


「まぁ~た答えに困る問題だなおい」


 しかめっ面でエドガーは言った。


「いずれかって言っても、その原石が見つかった周りの環境が分からなければどんな方法かも予想も出来ねぇだろうが。あてずっぽうで答えろってか?」

「答えが合っていても、解釈次第で捻じ曲げられる気がする」


 悩む二人とは対照的に、ジーナはあっさりと言った。


「なにを悩んでんだよ。こんなの簡単だろうが。砕いて軽くする。これしかないだろ」

『プホッ……!』


 聞いたことのない声が聞こえた。

 スフィンクスを皆が見上げる。変わらず、無表情のままであったが、その身体はプルプルと震えていた。


『ポフッ……ブフ、ブフゥ! よりにもよって、砕いて軽くする……! 脳みそ筋肉とはまさにこのこと……! さすがの我もこれには片腹痛し……! 過去最高に面白い珍解答である……!』


「おい、あたしは喧嘩を売られてるってことでいいんだよな?」


 ピクッ、ピクッと額に血管が浮かばせながら、ジーナはエドガーに尋ねた。

 エドガーは真剣な顔で頷く。


「まさか捨て身でスフィンクスを笑わせるとは。完全に予想外だったぜ。スゲェなお前」

「凄くジーナらしい解答だったと思う。私は結構好きだよ、ジーナのそういうところ」

「あたしは大真面目だっだんだが? もしかしてテメェらまで喧嘩を売ってんのか? なぁ?」


『ププゥ! 真っ面っ目っ! もう救いようがないのである!』


 とうとうはっきりとした笑い顔を見せ、スフィンクスは身をよじる。笑いすぎて腹が痛くて大変だった。


『何故古代人がわざわざ神の加護を受けた鍛冶場で加工していたのか? 

 それはより性能の良い武具へ加工をするというだけではなく、単純に、あまりの硬さゆえにそこでしか加工できなかったからである。

 だからこそ、運搬する方法を古代人は考えたのである。

 少し考えれば予想のつくことなのに、よりにもよって”砕いて運ぶ”とは! それは一番あり得ない答えなのである! それが出来れば苦労しないのである!

【反魔石】の硬度はあらゆる鉱石の中でも上位に位置する。人力で壊せるはずが──』


 ──ドッ。ボンッ!


 スフィンクスが気持ちよく喋っていると、打撃音ともに、小さな炸裂音が聞こえた。

 疑問に思って下を見てみれば、巨大な【反魔石】がガラガラと音を立てて崩れる。あまりの出来事に、笑っていたスフィンクスの表情が真顔に戻った。


 砕けた【反魔石】の隣には、ジーナが拳を突き出して立っていた。ゴキリ、と拳を鳴らして、ジーナは言った。


「”砕いて・・・殴る・・”。これでも正解だよな? なぁ? どうなんだよおい」

『──もちろん正解である。それも歴とした方法の一つである。ですからそこで止まってください』


 スフィンクスは暴力に屈した。知恵の番人として生き、死を恐れないスフィンクスにはあり得ない事態だが、無理もない。あれを見て、恐れるなと言う方が無理だった。


 スフィンクスでこれだ。同じものをすぐ傍で見ていたエドガーの恐れはなおさら大きかった。


「恐ろしい。まさか腕力だけで砕くとは」

「んな訳ねぇだろ。魔力を遮断しても、【氣】までは防げねぇ。だから【氣】を内部に撃ちこんでやっただけだ。まぁ、思ったより柔らかかったけどな」


 それでこれか、と。エドガーはバラバラになった【反魔石】を目にし、肉片になった自分の姿を連想した。

 こいつをからかうのは自重しようと思ったエドガーだった。


「ま、あとはお前らだけだ。頑張れよ」

「たまたま運の良い問題を当てられたからといって偉そうに。見てろ、あっさり解いてやるわい」

「私も、足手纏いは嫌だからね」


 エドガーとアメリアは気合を入れなおした。まさかここまで残ってしまうなど予想もしていなかった。これで万が一でも間違えてしまったら切腹ものである。プライドに懸けて、間違う訳にはいかない。


 だが、プライドに燃えているのはスフィンクスも同じだった。

 知恵の門番を相手に、バカ扱い。知識量の敗北ときて、暴力での脅し。立腹であったが、最後のが特に許せなかった。


 ここは知識と知恵が試される場であって、力技は最も許されざる大罪である。それを行使したことも、自分がそれに屈したことも、許せることではなかった。


 ──少し、懲らしめなければならない。


 少々卑怯な手段ではあるが、自分達が何をして、相手が誰なのか。それを思い知らせてやろう。


『では、次の問題である』


 スフィンクスがそう言うと、二人の前に強大な三つの魔法陣が現れた。様々な図形が絡み合い、読み解くことすら難しい複雑な陣。現代では見られない高度な技術がいくつも使われた、研究者ですら頭を抱える代物である。


 それに、アメリアはあっと小さな声を上げる。


「これってもしかして……」

『ほう、気づいたか。そう、これは魔法陣のパズルである!』


 フハハハハハ! と、勝ち誇った笑い声をスフィンクスは続けた。


『それもただの魔法陣ではないのである! 

 我を作り出した【魔道と探求の神ダルメリオ】から流用された知識を用いた、高度な魔法陣パズルである! 

 陣を読み解くだけでも難解な上に、下手にいじれば魔法陣が暴発して痛みを伴うであろう! 

 この魔法陣を完全に読み解き、無力化することが次の問題である! 

 さぁ、解けるものなら解いてみるのである! 

 どうしたのであるか? どこから手を付ければいいのかすら分からないのであるか? 

 フハハハハ! 無理もないのである!

 これは現代では再現することすら難しい高度な技術が使われており、これを解けるのはおそらくこの我と魔道の神くら──』


「ええっと、こうこう、こう。それからここがこっちとつながって……あっ、これはこっちか」


 アメリアは指先に魔力を込め、魔法陣をなぞり始めた。


 不自然な文様を消し、書き直す。間違っている部分を外し、繋ぎなおす。アメリアが手を動かすたびに魔法陣は光を少しずつ失い、そう時間も経たずに、三つの魔法陣は全て煙のように消え去った。


 あんぐりと口を開け、スフィンクスは呆然と呟く。


『馬鹿な……どういうことであるか……魔道の神が作った魔法陣を短時間で……あ、ありえないのである……まともな計算もなしに、初見でなど……』

「ええと、ごめん。私、こういうのって昔から、感覚的にどこがおかしいのか分かっちゃうから」


 天才の発言である。

 申し訳なさそうに、アメリアはスフィンクスを見る。悪意がないだけに、それはスフィンクスを深く傷つけた。その情けが辛かった。


『い、意味が分からないのである……なぜ、どういう理屈? 計算と法則で成り立つものを……感覚で解く? どうすればそんな……』

「産まれながらの天才なんてそんなもんだ。というか【賢者】を相手に魔法関連で勝負を挑もうってのが間違っている。選択を誤ったな」

『ぬっ、ぬぅううううう……! 理不尽、理不尽である! 才能とはここまで残酷な物であるか! これでは何のための知恵と知識か!』


 スフィンクスは、産まれて初めて才能の残酷さを学んでいた。魔法人形としては、とても貴重な体験だ。もっとも、知りたくなかっただろうが。


「さぁ、最後は俺だ。早く問題を出せよ。ただし、誰にでも解ける可能性のあるやつをだ。まさか知恵の番人ともあろう者が、誰にも解けない問題を出すなんて卑怯な真似はするまい?」

『ぬっ、ぐぅうううううう……!』


 キラリッ、と光るエドガーの目に、スフィンクスは唸る。

 これは牽制なのだろう。明らかにこちらの思惑を見透かされている。これで指摘された通り、誰にも解けない問題を出しては、知恵の番人の名折れだ。


 ──だがそれでも、こいつらに正解されたくない!


 たとえ卑怯と言われようが、こいつらだけは通したくないと、スフィンクスは使命を忘れてプライドを守ろうとしていた。


『よかろう! では、最後の問題である!』


 グワァッ! と、スフィンクスは体を大きく持ち上げる。

 誰でも解ける可能性はある。だが、これなら答えられまい!


『3874×5639の答えは!? 10秒以内に答えよ! フハハハハハ! どうだ、これなら答えられま──』

「1948475844だ」

『はぁ?』

「1948475952だ、と言ったんだ。どうだ、合っているか?』


 エドガーは堂々とした態度で問いかけた。

 一瞬、硬直した後、スフィンクスはワナワナと震え始める。

 エドガーは重ねて問いかけた。


「どうした? 俺は答えを言ったぞ? さぁ、正解は?」

『……そんなバカな……どうやって……』

「どうやってだと? そんなもの、暗算以外の何があると言うんだ」

『う、嘘である……咄嗟にあんな数字を、暗算でなど……それも、こんな間抜けそうなウサギが……』


 とても信じられず、スフィンクスは震えながらエドガーを観察する。しかし、見れば見るほど、このウサギは答えを確信しているかのような態度で。

 まるで、それ以外に答えなどないと、言っているかのようで……。


「どうした? さぁ、答えは?」

『うっ、むぐっ!』

「……おい、まさか答えが分からない、なんて言うはずないよな?」


 ドキリッ、とスフィンクスの心臓が跳ねる。

 罪人を前にした処刑人のような表情で、エドガーはスフィンクスを睨みつけた。


「まさかありえないよなぁ! 知恵の番人が、自分でも答えが分からない問題を出すなんて真似を、する筈がないよなぁ!?」

『うっ、ぅぅうううう……!』


 スフィンクスの瞳から、涙が溢れた。すると、宙に浮いていたネコタがスルスルと五人の元に降り、結界が解ける。

 ガクリと項垂れ、スフィンクスは力なく呟いた。


『正解なのである……約束通り、通るがよい』

「た、助かった……」

「喜ぶのは後だ。ほれ、さっさと行くぞ」


 ラッシュが全員を促し、スフィンクスの脇を通り抜ける。

 背中に恨めし気な視線を感じ、六人はそれから逃げるように速足で歩き続けた。

 スフィンクスの姿が見えなくなって、改めてネコタが礼を言う。


「皆さん、ありがとうございます。もう本当にダメかと……」

「なに、良いってことよ。気にすんな。俺達、仲間だろ!」


「お前だけはその台詞を言うな! ぶち殺すぞ!」

「な、なんだよ、せっかく助けてやったのに」


 気に入らないと思いつつも、エドガーはおどおどと身を引いた。いつになく殺気に溢れたネコタが、ちょっぴり怖かった。これが子の反抗期を前にした親の心情なのかもしれない。


 また都合の良いことを考えているなと、ラッシュは呆れながら言う。


「そりゃお前が原因なんだからそうなるだろ。素直に謝っとけよ」

「でもよ〜、ちゃんと助けたんだぜ〜?」

「それでも差し引きゼロでしょうが! だいたいまだ謝罪の言葉をもらってませんよ!?」


「分かった分かった。悪かったよネコタ君。これでいい?」

「うぐぐぐぐっ! この……!」

「やめとけ。このウサギに何か言うだけ無駄だ。逆に疲れるぞ」


 ジーナになだめられ、ネコタは長い息を吐く。気を取り直して顔を上げ、苦笑いを浮かべた。


「それもそうですね。助かったからよしとします。でも、本当にドキドキしましたよ。問題を答えるって聞いた時は、もうダメかと思いました」

「確かにな。下手をすれば、ここで全滅ということもありえた。なんでもなさそうに見えて、恐ろしい門番だったな」


 ラッシュはしみじみと頷く。

 力が通用せず、知恵でしか通れない状況。誰でも可能性があるが、ある意味、力で通るよりも難易度は高い。ラッシュが言った未来も十分にあり得た話だった。


「出された問題が簡単だったのも運が良かった。いや、相性が良かったというべきか」

「そうですね。フィーリアさんもアメリアさんも、二人じゃないと解けない問題でしたし」


「いえいえ、それほどでも〜!」

「まぁ、ああいうのは得意だからね」


 フィーリアは照れ臭そうに。アメリアがなんでもなさそうに答える。

 二人が居て、ほんとうに良かったとネコタは改めて思った。

 しかし──


「でも、ジーナさんのアレは……」

「なんだよ? 何か文句でもあるのか?」

「あるに決まってんだろ。砕いて運ぶってなんだよ。知恵とは遥かにかけ離れた行為だろうが。実質脅しだろ。アレは俺でも正解にするわ」


 エドガーはスフィンクスに同情する。攻撃が通らない、と分かっていても屈しざるを得ない恐怖だった。

 五人の視線が集まり、うっとジーナはきまずそうに呻く。そして、慌てて弁明した。


「う、うだうだ言ってんじゃねぇよ! 正解にされたから良いじゃねぇか!」

「良かねぇよ! アレのせいでへそ曲げて、次の問題から難易度がバカ上がりしてたじゃねぇか! アメリアが居なかったら絶対解けなかったからな!?」


「うん。確かにアレはそこそこ難しかったし、私じゃないと難しかったかも。少なくとも、王都の魔法研究者には絶対に解けなかったよ。だってアイツらバカだもん」

「いや、お前と比べられたら流石に可哀想だぞ……」


 王都に集まった魔法研究者は、戦闘力はともかく、研究という点ではこの大陸でも実力のある者達である。それをバカ扱いは、いくらなんでも酷すぎた。

 そういえばと、ネコタは感心した声を上げた。


「アメリアさんも凄かったですけど、エドガーさんもすごかったですね。あんな数字の掛け算を暗算で答えるなんて。いくらなんでも卑怯すぎるって思ってたんですけど」

「あっ! それ、私も思いました! エドガー様があそこまで計算が得意だったなんて知りませんでした! 人は見かけによりませんね!」

「それどういう意味だ?」


 エドガーに睨まれ、あわわと狼狽えるフィーリア。一言多い娘だった。

 もっとも、冗談だったのか、エドガーはふっと笑って許す。


「まっ、別に凄かねぇよ。だって適当な数字を並べただけで、俺だって正解なんざ分かっちゃいなかったからな」


 ──まるで、時間が止まったようだった。


 歩いていた五人がピタリと動きを止め、エドガーを見る。

 囲まれていたエドガーも釣られて足を止め、首を傾げた。


「どうした?」

「いや、どうしたじゃなくて……え? あれ、もしかして答えが分かってなかったんですか?」


「うん。そうだよ?」

「そうだよって……え? だってあんなに自信満々に……」


 先程のエドガーを思い出しながら、皆が困惑する。

 しかしラッシュだけは、やっぱりか……と、呆れた顔をしていた。


「そうだと思ったぜ。俺の聞き間違いかもと思ったけどな」

「あの、それどういう意味ですか?」


「気づかなかったか? こいつ、二回答えを言っただろ? 一度目と二度目で数字が違ってたぜ」

「ええー!? エドガー様、適当な数字を言ったんですか!?」


 驚くフィーリアに、エドガーは当然とばかりに言った。


「おうよ。問題を聞いた瞬間、コイツ最初から通す気ねぇなって思ってよ。俺も答えが分からなかったし、時間がたらねぇって思ったから、ならいっそって開き直ったのよ」


 クククッ、とエドガーは怪しい笑い声を漏らす。

 呆れと感心が混ざったような表情で、ジーナが言った。


「つまり、ハッタリってことか?」

「そういうことだ。アイツ、バカだったから自信満々に答えれば十分に勝算はあると思ってよ。そうしたら案の定だ。全てが俺の計算通りに進んで内心笑ってたぜ」

「ハッタリって、そんな……」


 一歩間違えれば、エドガーまで捕まり、問題はその後も続いていた。

 そう考えたら、フラリとネコタは頭を揺らした。


「あの状況でよくそんな嘘がペラペラと……アンタ、一体どういう神経をしてたらそんな……」

「嘘、ハッタリは私の得意分野です」

「いや、得意分野つっても、ほぼノータイムで答えてたろお前」


 ラッシュの言葉に、エドガーはフッとニヒルな笑みを見せた。


「嘘やハッタリと使う時のコツはな、たとえデタラメな内容だろうと、あたかもそれが真実のような態度を作ることだ。

 少し考えればありえない答えだろうと、答えた奴が堂々としていれば、聞いた奴はそれが真実だと錯覚する。

 躊躇わないこと、そして迷わないこと。それがハッタリの極意よ」


 いやいやいや、と。聞いていた五人は内心で思った。

 それにしたって、ほぼ考える時間も無しにそこまで判断出来るものか。


 その咄嗟の反射神経といい、考え方といい、完全に詐欺師のそれである。一体どのようにすればそこまで息をするように嘘をつけるのか。その度胸が恐ろしい。


 得体のしれない物を前にしたかのような目で、ジーナは言った。


「お前、どういう生き方したらそんな風になんだよ」

「ふっ。誰にも言えない嘘を抱えて生きれば、嫌でもこうなるさ……」


「なぁに陰のある雰囲気出してんだよ。どうせ大した理由でもない癖に。違うならその嘘ってのを教えてみろよ」

「うんっ。教えたいのは山々だけど、神様にダメって言われてるのさっ!」


「お前、そう軽々しく神の名を出すなよ。不敬すぎんぞ」


 よりにもよって、くだらない嘘で神を利用するとは。どんな詐欺師でも躊躇うだろう。

 やはりコイツはどうかしてると、ジーナは再認識した。


「す、凄いです……堂々と嘘をつくだけで、簡単にスフィンクスさんを騙しちゃうなんて……」

「確かに凄いけど、あまり嘘は吐いちゃ駄目だよ。嘘ばっかり吐いてたら誰も信じてくれなくなっちゃうんだからねっ」


「うん! じゃあ僕、アメリアの言う通りにするっ!」


「なるほど。こうやってあっさりまた嘘を重ねるわけですね」

「まぁ、そう言ってやんなよ。嘘も使いようだ。今回ばかりはコイツの嘘で助か──」


 擁護するラッシュだったが、急に表情を変え動きを止める。何か音が聴こえて、後ろを振り返った。


 ──ドドドドドドドドドドドドッ!


 巨大な足音に他の仲間も気づき、同じように振り返った。暗い通路の先から音が響き、振動が足から伝わってくる。

 姿を表さずここまでの音と振動を出す相手など、一つしか思い浮かばなかった。


 ヒクリとネコタは顔を引きつらせ、違ってくれと祈りつつ、呟く


「あの、これってもしかして……」

「まぁ、もしかしなくてもそうだろうな」


 のほほんとした顔で、エドガーはあっさりとネコタの希望をへし折る。

 そうしている内に、音と振動を出す相手が姿を表した。

 怒り狂った顔つきのスフィンクスが、猛烈な勢いでこちらに走ってきていた。


『──答えがまるで違うではないかぁああああああああああ!』


「あちゃ〜、やっぱりバレたか。ちゃんと筆算が出来たのかな?」

「言ってる場合か! 逃げるぞ!」


 ラッシュの言葉を合図に、全員が駆け出した。しかし、スフィンクスとの距離はみるみると縮まっていく。

 肩越しに後ろを見ながら、エドガーは冷静に言う。


「うん、駄目だなこりゃ。歩幅が違いすぎるわ」

「冷静に言ってる場合ですか! このままじゃ追いつかれるんですよ!?」


「いや、まぁ俺だけだったら余裕で逃げ切れるし」

「アンタ本当にクソだな! 自分さえ助かればそれでいいのか!?」


 走りながら、いつも通りの争いが始まる。しかし、ネコタはまだ余裕があったが、体力のないフィーリアは限界が近かった。


「も、もうダメです……! し、心臓が……!」

「──チッ」


 ヒィ、ヒィ、と息をするフィーリアを横目に見て、ジーナは足を止める。そして、スフィンクスに向かって駆け出した。

 ギョッと目を開けて、ラッシュが叫ぶ。


「ジーナ!? おまっ、何やってんだ!」

「逃げるだけってのは性に合わねぇんだよ! だったらせめて、あのムカつく顔に一撃入れてやらぁ!」

「バカッ! そいつに攻撃は効かないのは分かって──」


 ラッシュが止めるのも虚しく、ジーナは真正面からスフィンクスに飛びかかる。


 勢いをそのまま足に込め、スフィンクスの飛び蹴りを放つ。無謀なその一撃は結界に阻まれることなく、スフィンクスの顔面に突き刺さり頭部を跳ね上げた。


「お、おお? どうなってんだ?」

『ぬっ、ぬぅぅ……! こ、この我を足蹴にするとは、なんと野蛮な……!』


 止めたラッシュはもちろんのこと、蹴りを放ったジーナでさえ、思ってもみなかった結果に固まる。

 スフィンクスの顔面には亀裂が入り、破片が飛び散っていた。その表情は苦痛に歪んでいる。間違いなく、ジーナの攻撃はダメージになっていた。


 予想外の光景に、ネコタは呆然としながら呟く。


「え? あれ? なんで? 暴力は通じないはずじゃあ?」

「……あ。もしかして、私達を一度正解者として認識したせいで、あいつの能力が解除されているのかも。ほら、アイツ自身が、ここを通ることを認めたわけだから」


 アメリアの言葉に、キュピーンとエドガーの目が光った。

 それは、つまり──


「逃げる必要はねぇ! やっちまえ!」

「そういうことなら、遠慮なく!」

「あたしの得意分野だ! よくもしちめんどくせぇ真似をしてくれたな! 壊れろや!」


『ま、待つのである! 少しだけ待っ、や、やめっ! やめてぇえええええ!』


 スフィンクスの悲鳴が聴こえていないかのように、エドガー、ラッシュ、ジーナが襲いかかった。オラオラオラと容赦ない追撃は、反撃することすらも許さず、僅かな時間でスフィンクスの全身をただの瓦礫へと変えた。


 ふいーっとキラキラと光る汗を拭い、エドガーは言った。


「いや〜、なかなかやり甲斐のある作業だった」

「ああ、お陰でだいぶスッキリしたな。このくらいで許してやるよ」

「ストレス解消にはちょうど良かった。たまにはハメを外すのも悪くない」


 スッキリした顔をする加害者三人を、フィーリアは怯えた様子で見ていた。


「あわ、あわわっ……スフィンクスさんが、ただの石ころに……!」

「あそこまでいくと酷いですね。僕たちが止める間もなかったですよ」

「自分で私達を認めたんだから、しょうがないね。そもそも、後になって文句を付ける方がおかしいんだよ」


 慈悲もないアメリアだった。

 この人も基本的にあっち側の人だなぁ、とネコタは思う。

 せめて僕だけでも嘆いてあげよう。上から目線でネコタはスフィンクスの冥福を祈った。


『ぬっ、ぅうう……』

「なんだ、まだ動くのか。意外としぶといな」


 半分以上が欠けたスフィンクスの顔から、苦しげな声が漏れる。それに、エドガーは呆れ半分、感心半分の表情を見せた。流石に神によって作られた【神造兵器】なだけはある。なかなか頑丈だ。


 そんなエドガーの態度が気に触ったのか、スフィンクスは恨めしそうな目をする。


『く、屈辱である。この我が暴力に屈し、このような無様な姿を晒すなど……』

「知恵の番人だかなんだか知らんが、この世は弱肉強食。弱き者は食われるだけよ。知恵ではどうにもならない力というものがあるのさ。クケケケケッ!」

「アンタ鬼かよ」


 死人に鞭を打つとはまさにこのことだ。鬼というより、悪魔である。

 まるでこっちが悪役のようだ。こいつが勇者パーティーに混ざっているのはやはり間違っているとネコタは思った。


『弱肉強食……確かにそれも真理である。こうなってしまったからこそ分かる……まさか死に際になって、我が教えられることになろうとは……』

「ほう、潔いじゃねぇか。だが、代償は貴様の命だ。高くついたな」


 エドガーは渋い声で言った。ここまでキメる機会はそうないんじゃなかろうか。なかなかのイケメンぶりだと内心で自画自賛だった。しょうもないウサギである。

 スフィンクスは悔しげな顔で肯定する。


『うむ。確かに高い勉強代だったのである。時間をかければ復活するとはいえ、無念である』

「ネコタァ! 斬れぇ! 聖剣ならワンチャンあるかもしれん!」

「ド畜生ですか」


 ネコタは蔑むような目で見るが、エドガーは撤回するつもりはなかった。せっかく決まったと思ったのにコケにされたのだ。このまま生かすわけにはいかない。


 しかし、エドガーがトドメを模索する前に、スフィンクスはその姿を消そうとしていた。

 瓦礫となった体を次々と光の粒子に変えながら、スフィンクスは言う。


『認めよう……今回は我の敗北である……我をペテンにかけたことも含め、貴様達の知恵なのだろう……だが──』


 カッ! と目を光らせ、決死の相貌でスフィンクスは叫んだ。


『──それはそれとして、ムカついたから嫌がらせはするのである!』

「ふざけんな! 負けは負けなんだから大人しく──うぉ!?」


 文句を言おうとしたエドガーだったが、体が宙に浮き、それ以上言えなかった。

 見れば、六人全員が、ネコタが入っていた光の膜に包まれていた。


「テメェ! 何のつも──」


 エドガーの言葉を遮るように、六人を包む膜が強く輝く。そして次の瞬間、その場から一瞬で六人の姿が消えた。

 狙い通りの展開に、スフィンクスは消えゆく中、満足そうにほくそ笑んだ。


『ふふっ、ザマァ見ろ、である。次に貴様達を待ち受けるのは”絆の試練”。欲望と絆の境で、貴様達は仲間を選び続けることが出来るか、見ものである』


 スフィンクスは愉快そうに高笑いをした後、光となり、その姿を消した。

 ここからが、迷宮における試練の本当の始まりだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る