第103話 俺の名はジョー

「どうしましょう……なんで僕が……どうしてこんなことに……」


 ネコタは緊張から、ガチガチと震えていた。

 集落の中央広場に部族の者達が全て集まり、円を作っている。

 その円の中に、ネコタ達は居た。


 ネコタの情けない姿に、エドガーは嘆息する。


「ここまで来てビビってんじゃねぇよ。もうやるしかねぇだろ。腹をくくれや」

「そんなこと言われたって、もし負けたらって考えると……」


「やる前から弱気だと本当に負けちまうぞ。だいたいなんでそんなにビビってんだよ。ここに来るまで魔物相手に経験は十分積んできただろうが。今更ビビる必要がどこにある」

「だって! 魔物と人は全然違うじゃないですか! それも一対一なんてあんまり経験ないですよ!」


「まっ、確かになぁ」


 呆れるエドガーとは違い、ラッシュは理解を示していた。


「魔物と人じゃあ勝手が違うからな。それに、怖さの種類も違うし」


 チラリと、ラッシュは周りを囲む部族の者達を眺める。


『骨の一本や二本で済ませるな! バッキバキにしてやれえええええええ!』

『その軟弱な坊主を男前にしてやれえええええええええええええ!』

『大口を叩いた連中に地獄を見せろおおおおおおおおおおおお!』

『躊躇うな! いっそ殺せええええええええええええええええ!』


 その中でも血気に逸る若い衆が、これでもかとばかりに殺気立ちヤジを飛ばしている。それを止める者が居ないあたり、示し合わせているようだ。


 完全にアウェーの空気だった。これほどまでの敵意もそうそうない。

 異様な雰囲気に、ネコタの恐怖はますます大きくなる。プルプルと震える様はまるでチワワのようだった。情けなさより、いっそ哀れにすら思える脅えようである。


 敵のやり口を察し、エドガーはげんなりとした表情を見せる。


「【グプ】を倒すって口にしたことがよっぽど気に食わなかったんだろうな。まさかこんな小細工までしてプレッシャーをかけて来るとは」

「まっ、自分達がどうにも出来ない相手を軽く扱われたらな。あたしらだったらこんなのどうということはねぇが……ネコタには効くって見抜かれてたんだろうな」

「そこを見抜いたあのババアはさすがの眼力、とでも言っておくか。まぁ、【勇者】がこんなに頼りない顔をしてたんじゃ祭壇へ導くのも躊躇うよな。あのババアの気持ちも分かるぜ」


「ネコタさん、普段からシャキンとしないから」

「フィーリアさんだけには言われたくないですよっ!」


 フィーリアに困った子供を見るような表情を向けられ、ネコタは言い返した。

 流石にこの人よりダメな人間ではないと信じたい。なけなしのプライドだった。


「だとしても、ここまでして案内を拒む理由があります!? もし僕らが負けて死んだって、それは僕達の責任でしょ!? あの人達は使命を果たせるんですからそれでいいじゃないですか!」

「使命感が強いからこそ、自分が認められない人間に教える訳にはいかないってことじゃないのかな? もしくは……」


「もしくは、なんです?」

「……本当に、無駄死にしてほしくないと思っている、とか?」


 なんとなく言ったアメリアの言葉に、ネコタは呆気に取られた表情を見せる。

 確かめるように、反対側に居る族長ファティマに目を向ける。しかし、眠そうにしている瞳からは何も分からなかった。


 けけけっ、と。エドガーはからかうように笑った。


「まっ、あのババアの内心はどうあれ、やることは単純。お前が勝てば良いだけの話よ。おら、とっとと行ってこい」

「うわっ!? ちょ、とっ、ちょっと!」


 ドカッと蹴られ、ネコタは中央に押し出される。振り返り恨みがましそうな目を向けるが、諦めたように息を吐き、憂鬱そうに歩いて行った。


「……ネコタさん、本当に大丈夫でしょうか? なんだか不安です」


 その小さな背中を見ながら、フィーリアは呟いた。

 対戦相手である腕白そうな部族の若者は、今か今かと開始の合図を待ち、剣を軽く振り回している。対して、ネコタは未だに吹っ切れないのか、肩を落としながら重々しく聖剣を抜いた。


 なんとも頼りない姿である。これが世界を救う【勇者】なのかと疑わずに居られない。部族の使命を託すには、それ相応の覚悟が求められる。これでは不安に思うのも無理はないと、フィーリアは同じ守り人の一族として、族長の気持ちが分かったような気がした。


 もっとも、使命を忘れていた【迷いの森】のエルフとこの部族とでは、天と地の差があるのだが。

 砂漠の守り人からすれば、一緒にされるだけでも侮辱である。


「まっ、大丈夫だろ」

「だな。心配するだけ損だ」


 しかし、エドガーとジーナはなんでもなさそうな態度でそう言った。

 まるで自分の心配が杞憂だと言わんばかりの姿に、フィーリアは目を丸くする。


「あの、お二人は不安じゃないんですか? ネコタさんですよ?」

「いや、フィーリアよ。流石にその言い方はネコタが泣くぞ」


 悪意なく言うフィーリアに、気持ちは分からんでもないがと思いつつ、ラッシュが突っ込む。

 意外なことに、普段は辛口な判定しか下さないエドガーですら、ネコタを庇った。


「無理だと思ったら、俺だって口八丁でなんとか誤魔化すさ。ネコタでも勝算が十分にあると思ったから、俺は何も言わなかったんだ」

「だな。あたしらと比べてるせいで、アイツは自分の力にまだ自信が持てないようだが──」


 ──始め!


 いつの間にか、戦いの準備が整っていたらしい。

 立会人の声が聞こえ、フィーリアは慌ててネコタの方を見た。そして、言葉を失った。

 全てを見ていたジーナは、平静な声で言った。


「──アイツ、自分で思っている以上に強いからな」


 見逃してしまうのも無理はない、一瞬の決着だった。

 ネコタの対戦相手は腕を強かに打たれ剣を落とし、そして、首元に聖剣を突きつけられていた。




 ♦︎   ♦︎




(ああ、なんで僕なんだろう……)


 今にも戦いが始まろうとしているというのに、ネコタは未だに踏ん切りがつかないで居た。負けたらどうしようと、不安に襲われる。


 対戦相手の若者を見れば、どこかワクワクとした様子で剣を振っていた。代表に選ばれるくらいだ。よっぽど腕に自信があるんだろうなぁと、ネコタは思う。


 そんな自信を、ネコタは羨ましく思った。その鍛えられた身体つきを見れば分かる。きっと、年上の戦士に可愛がられ、順調に成長を重ねているのだろう。それなら腕試しを好むのも当然だ。


 それに比べ自分は、時間と体力に余裕があればエドガーとジーナに鍛錬と言う名の虐めを受け、ボロボロにされる毎日。それで得られるのは逃げる技術と根性のみ。


 奴らの憂さ晴らしにされ、自信などという贅沢なものは根こそぎ奪われていく。やはりアイツらはただのクソ野郎だと、ネコタは再認識した。


 そこに思い至った時、もうどうでもいいかとネコタは諦めの境地に達した。負けたら負けたでしょうがない。その時はきっと、あの鬼畜共が暴れてなんとかするだろう。


 僕はネチネチ責められるのを耐えればいいだけさ……そう、耐えれば、いい、だけさっ……!


「──始め!」


 その声で、ハッとネコタは我に返った。

 無意識でいながらも、剣を構えていたらしい。最低限、戦う姿勢は整っている。

 前を見れば、対戦相手の若者が剣を引いて駆け出していた。


 先手を取られたと、ネコタは自分の間抜けさに歯噛みする。そして慌てて受けの姿勢を作ろうとして、気づいた。


(あれ?)


 気のせいかと判断しかけ、すぐにそうではないと思い直す。


(──遅い?)


 駆けて間合いを詰めてくる相手が、とてもゆっくりに見えた。

 あまりの遅さに、ふざけているのかとすら思った。しかし、はっきりと見える表情は勝気に溢れている。とてもふざけているようには……いや、なんでそこまで分かる……?


 混乱しながらも、ネコタの身体は勝手に動いた。


 相手が振り下ろした剣をギリギリまで引きつけ、半身になって避ける同時に、聖剣を振り上げる。そして、相手が剣を持っている腕に峰打ちで叩きつける。その反動を使い、ネコタは聖剣を持ち上げ相手の首に突きつける。


 相手はその痛みから苦痛に顔を歪め、剣を手放した。そして自分の首に聖剣が当てられていることに気づいて絶句し、青ざめる。反論する気も起きないほど、完全な敗北だった。


「……そ、それまで」


 側で見ていた立会人も、今の一瞬で起きた出来事が信じられなかった。そして、周りの観衆も同様だった。ざわざわと騒ぎ出し、動揺が広がる。


 だが、動揺していたのはネコタも同じだった。自分でやったことが信じられないように、怯えを見せる対戦相手と、自分が持った聖剣を順に見つめる。


(あれ? なんかあっさり勝てた……この人、実はあんまり強くなかった? いや、わざわざ弱い人を出すはずが……ん? あれっ!?)


 そして、気づいた。


(……もしかして、僕って強い?)


 まさか、と思いつつ、ネコタは胸の内に湧き上がる感情を抑えるので必死だった。

 なんでもないような表情を作り、それが当たり前であったかのような、平静な声で言う。


「──次の人、お願いします」





 ♦︎   ♦︎




「あっ。あの野郎、舞い上がってんな」

「分かりやすい奴だな。隠す気あんのかアイツ」


 ネコタは冷静のつもりであったが、ジーナとエドガーにはバレバレであった。

 平静を装おうとして、表情が硬いのが実に分かりやすい。もう少し上手く隠してほしいと思う。見ているこっちが恥ずかしいほどの舞い上がりぶりだった


 そんな二人に、ラッシュは苦笑しながら言う。


「まぁそう言ってやんなよ。普段はお前らにいじめられてばかりなんだから、仕方ないだろ。たまにはいい格好したいと思ってもしょうがないさ」

「あの、なんで皆さんそんなに冷静なんですか? ネコタさんが勝ったんですよ? 驚かないんですか?」

「お前、さりげなく一番酷いな」


 フィーリアの失礼な反応に、流石にネコタを哀れに思ったラッシュである。

 だが、フィーリアにとって今のネコタの勝利は、凄まじい衝撃であった。


 一番手で最も未熟な相手が出てくるから、負けはしないとは思っていたが、まさかああも華麗に一瞬で勝利するとまでは思えなかった。いつもネコタの情けない姿を見ているだけに、今でも信じられない。


 同じように、三人がそれを当たり前のように捉えていることもまた驚きだった。なお、アメリアも反応は小さい。こちらの場合は、どうでもいいと思っていたからである。


「別に不思議じゃねぇだろ。暇さえあればあたしらがしごいてやってたんだからよ。比較対象があたしらだから弱く見えてただけで、単純な実力ならアイツは世界でも上位に入るぞ」


「むしろ俺達が鍛えてやってるんだから、アレくらいやってもらわなきゃ困る。でないと俺達が無能ってことになっちまうからな。ふふふっ、今頃アイツは修行をつけてやった俺達への感謝の言葉でいっぱいだろう。いや、参るぜ。仲間として当然のことをしてやったまでなのによ」


 へへへっ、と。エドガーとジーナは照れ臭そうに頬をかいた。

 無論、そのようなことはありえない。彼らの言う鍛錬を一般的に見て、虐めと呼ぶ。


「だが、今ので奴さんもネコタの実力を理解したようだな。見ろよ。慌て出したぞ」


 ラッシュの目線を追うと、族長ファティマが片目を開いてネコタを見ていた。そして、表情を険しくさせたまま、側に控えていた男に重い声を出す。


「シギ。行きな」

「は? ですが次は……」

「今の動きを見れば分かるだろう? お前以外の誰が行く?」

「……はっ。了解しました」


 シギは一礼し、腰の剣を抜いて中央に歩き出した。

 それを見て、意外そうにジーナは口笛を吹いた。


「へぇ、潔いな。一番強い奴を出してきたか」

「他の奴を出しても無駄だと判断したんだろ。あのババア、意外と分かってんじゃねぇか。流石に一部族を率いるだけのことはあるか」


「二戦目で急に一番強い人ですか!? 大変じゃないですか! ネコタさんに教えて上げないと!」

「いやいや、かえって好都合だ。ここで部族一の戦士を潰せば、これ以上戦う必要もないだろう。今ならアイツも集中しているだろうしな。何度も戦わせた方がポカをやらかす可能性が高いし、こっちの方がいい」


 慌てるフィーリアに、エドガーは余裕を持って流した。

 中央で、二人が剣を構えて睨み合う。そして、戦いが始まった。


「──であぁああ!」


 開始直後、シギは目にも留まらぬ速さで仕掛けた。

 流れるような連続斬りでありながら、隙が少ない。むしろ、一振り一振りの反動を上手く使い、次へ繋げ、繰り出すほど鋭く力強い一撃となっている。まさしく熟練の剣士の業であった。


(──見える)


 だが、ネコタは冷静にそれらを受け止めていた。


 避けられるものは避け、時に流し、捌ききれぬと判断すればしっかりと受ける。次々と攻撃を重ねられているというのに、どっしりと構えている。外から見ている方が安心する、どっしりとした安定感。


 仕掛け続けているのはシギの方。ネコタはひたすら受けているだけ。だというのに、シギの方が追い込まれているような、焦りの表情を浮かべている。


 どちらが優位なのかは、一目瞭然だった。

 かつてないネコタの雄姿に、フィーリアははしゃいだ声を上げた。


「す、凄いじゃないですか! ネコタさん、いつの間にこんなに強くなったんですか!?」

「……あたしが違和感を持ったのは、【迷いの森】を出たあたりだったな」


 戦いをぼんやりとした目で眺めながら、ジーナは語り出した。


「アイツがあんまりにも頼りねぇからよ。流石にこのままじゃヤベェって思って、この旅に出てからちょくちょく稽古はつけてやってたんだよ。

 最初はいくら鍛えても弱音ばっかり吐いて全然強くならねぇから、これが【勇者】かよと呆れたもんだ。わりと本気で、【魔王】討伐なんて出来んのかと心配してた。

 だけど【迷いの森】を出たあたりから、急に強くなったんだよな、アイツ」


 懐かしそうな目で、ジーナは続ける。


「殴れば受け切れず、あっさり吹き飛ぶ。フェイントにはすぐ引っかかる。剣の振りはトロくせえ。少しこづくだけで怯む。

 そんな情けない奴が、【迷いの森】を出たら突然、全部の動きが良くなってやがった。成長というか、進化でもしたのかってくらいにな。さすがのあたしもアレには驚いたわ。んで、確信を持ったのはこの間の雪の山を降りた時だ」


 一転、ジーナは忌々しそうに顔を歪める。


「【迷いの森】と同じ時のように、また実力が跳ね上がってやがった。つっても、技術が飛躍的に伸びた訳じゃねぇ。身体能力が異常な成長をしていたんだよ。あたしの動きになんとか付いていけるレベルまでにな」

「それって、つまり……」

「祭壇で女神から祝福を受ける度、アイツは強くなってるってことだ」


 ジーナが言おうとしたことを、エドガーが引き継いだ。

 どこか遠いものを見るような目で、エドガーはネコタの戦いを見ていた。


「俺も【勇者】の力の解放ってのは、特殊能力を身につけることだと思ってた。だけど、それだけじゃなかったということだ。

 女神の祭壇は【勇者】の力を引き出す。その中には身体能力の向上も含まれていたんだろう。俺達が何年もかけて手に入れた力を、アイツは祭壇にたどり着けば手に入る。

 今はまだ俺やジーナの方が上だが、そう遠くないうちに、俺らを超える力を手に入れるだろうな。まったく、鍛えるのが馬鹿馬鹿しくなるぜ」


 ふんっ、と。不貞腐れたように鼻を鳴らすエドガー。


「まっ、流石に勇者様ってとこだな。それくらいのハンデがないと【魔王】の討伐は難しいんだろう。世界を救えるのは、アイツだけってことだ。これ以上頼りになる存在はないと喜ぶところだが、まぁ……」

「……エドガー様?」


 言葉を濁したエドガーに、フィーリアは思わず声をかけた。そして、小さく目を瞠る。

 フィーリアが意外に思うほどに……どこか、眩しそうな物を見ているような目で、エドガーはネコタを見ていた。


「正直、嫉妬しちまうな」




 ♦︎   ♦︎




(──右、左。フェイントをいれて下から振り上げ)


 ネコタはある種の全能感に浸っていた。

 次々と襲いかかってくる剣の動きが、手に取るように分かる。

 今まで戦ってきた強敵や、エドガーやジーナのイジメを受けている時には無かった経験だ。


 とはいえ、これはおそらく敵が弱いからではない。傲慢かもしれないが……おそらく間違いない。


(──僕が、強くなっている!)


 いつも足を引っ張ってばかりで、罪悪感を感じていた。

 勇者と呼ばれているだけで、まったくその使命を果たせていないと。


 エドガーやジーナに稽古をつけてもらっているのに、ちっとも成長していないことに、忸怩たる思いを抱えていた。


 本当に僕が【勇者】で良かったのかと……本当に世界を救うことが出来るのかと、不安に思っていた。


 だがこの瞬間、ネコタは確信した。

 自分はちゃんと成長している。弱いままではないんだ、と。

 そう思うと、自然と笑っていた。


「──ッ! ゼアァッ!」


 その笑みを侮辱と、あるいは余裕と見たのか。

 このままではいかんと、シギは覚悟を決めた。


 体ごと相手にぶつかるように、一際強い一撃を放つ。

 突如変わった動きに、ネコタは小さく驚きながら、正面から受け止めた。

 体重を預けるようにして、シギは鍔迫り合いに持ち込む。


 硬直状態に入ったその瞬間、シギは剣から右手を離し腰元に手を伸ばした。背中側、相手の見えない部分に仕込んだ短剣を引き抜く。そして、そのまま逆手の一撃を喰らわそうとして──その腕を掴まれた。



「なっ──ッ!?」


 シギが驚くのも無理はなかった。

 相手は剣を一つしか使わない、という思い込みを利用した奇襲。最低でも形勢を変えることが出来るはずのソレを、ネコタは咄嗟に片手を離し、あろうことか掴んで止めた。


 バカな、と。シギの思考が硬直した一瞬、鋭い痛みが頬に走り、その場に膝をつく。

 ネコタは左手で相手の短剣を止め、右の聖剣で相手の長剣を左に流しつつ、回りこむようにして聖剣を持ったまま肘を叩きつけたのだ。


 シギは揺れる視界の中、咄嗟に立ち上がろうとして目先に聖剣を突きつけられた。憎々しげに剣を睨み、 肩の力を抜くと、ゆっくりと息を吐く。


「……参った。私の負けだ」

「はい。ありがとうございました」


 ──ワッ! と、周りの観衆達が湧いた。

 部族一の戦士を余裕で見切り、鮮やかに勝利を掴んだネコタの強さを、認めたのだ。


 ネコタの勝利に、ピョンピョンと跳ねながらフィーリアは喜んだ。


「凄い、凄いです! やりましたね、ネコタさんが勝ちましたよ!」

「うん、これで脅さなくて済むね。穏便にいって良かった。ねっ、エド……あれ? エドガー?」


 わりと物騒なアメリアであった。穏便とは一体何なのか……。


「ふふふっ、剣が使えないと見るや咄嗟の肘打ちか。戦士は全身武器であるべし。あたしの薫陶が生きてるな。これなら教えた甲斐があるってもんだ」

「品がないにも程があるけどな。ありゃ喧嘩屋の戦い方じゃねぇか。勇者になんちゅうもんを仕込んでんだお前」


 ──文句あんのかテメェエエエエエ!

 ──んぎゃあああああああああああ!?!?


(何やってるんだろあの人達……)


 背中から聞こえてきた声に、ネコタは呆れた顔をする。

 声からして、ジーナとラッシュだろう。まったく、せっかく勝ったというのに、台無しにされた気分だ。こんな時にまでふざけてるなんて、恥ずかしくないのだろうか?


 やっぱり僕がしっかりしないといけない。ネコタは決意を新たにし、シギに手を伸ばす。


「大丈夫ですか?どうぞ、捕まって」

「……ああ、ありがとう」


 一瞬躊躇いながらも、シギは素直に掴み、立ち上がる。ふらつく頭を押さえながら、声を絞り出す。


「参ったよ。君は強いな」

「いえ、培った技で勝ちを拾いましたが、貴方が思うほど差はありませんでした。今回はたまたま僕が勝っただけでしょう。貴方は十分に強い。どうか自信を持ってください」

「……そ、そうか」


 いや、そこまで言われるほど実力差を認めるような発言はしてないんだが。


 イラッとしたものを感じながらも、シギはその感情を抑えこんだ。大人の対応である。

 久しぶりの快勝に、表面上平静ながらもネコタは舞い上がっていた。無自覚な超上から目線の言葉が証拠である。


「でも、あの短剣は驚きました。もしかして、本来は二刀流だったりするんですか?」

「いや、二刀を操る事も出来るが、アレは基本、一度限りの殺し手だ。とはいえ、まさか隠し剣の奇襲が読まれていたとは思わなかった。もしや、最初から気づいていたのか?」

「あっ、いえ、その……気づいていた訳ではなくてですね……」


 気まずそうに目を逸らしながら、ネコタは言う。


「その、軌道が見えていたので、思わず手が動いちゃって」

「なんと……」


 嘘を言っている様子を感じられず、シギは声を失う。

 読みではなく、反射で動いて止める。それはつまり、この少年が自分より遥かに強く、自分の動きを完全に見切られていたということである。


「完敗、だな」


 ここまで差を見せつけられては、もう一度挑もうとすら思わない。

 シギは心地好さそうにも見える笑みを浮かべ、その場から下がる。

 ネコタはその背中を見送り、挑戦的な表情を浮かべた。


「さぁ、三本目です。次の方、どうぞ!」


 完全に調子に乗っていた。


 試合前の不安げは姿はどこへ行ったのかと思うほどの変わりぶりだった。誰でも相手をしてやるという、まるで王者でも気取っているかのような態度だった。


 ここまで人を変えてしまうのであるから、勝利とは恐ろしいものである。


「嫌味かあの小僧。アレを見て出せる相手がいる訳なかろうが」


 族長ファティマは、苦々しくネコタを見る。

 調子に乗った子供と言うのはどこか微笑ましくもあるが、何事も度合いである。ハッキリ言って、嫌悪感しか浮かばなかった。


 部族一の戦士であるシギが負かされたなら、これ以上の戦いは無意味。なら、納めるのはわしの仕事か。

 そうため息を吐いたファティマの背中に、声をかけた者が居た。


「見事に調子に乗っているようだ。族長、次は俺が行く。文句はないな」

「馬鹿を言うな。シギが負けたのだ。他に誰がやれると……え?」


 状況が見えていない者にうんざりとしながら、叱ってやろうと振り返ったファティマだったが、その姿を見て間の抜けた声を出した。


 それは、背の小さいファティマよりもさらに小さかった。声から男だと分かるが、まるで子供のような大きさの者が、マントで姿を隠している。


 そいつはテクテクとファティマの横を通り過ぎ、戦いの場へ向かう。観衆と、そしてネコタも、予想を裏切る小さな相手に目を丸くする。


 注目が集まる中、その男はバサリッとマントを脱ぎ捨てた。


 そこには──茶色い毛並みのウサギが居た。


「図に乗るなよ、小僧。次は俺が相手だ」

「何やってんですか、エドガーさん」


 ネコタは白けた目を向けて言った。

 見間違える筈もない。色が違うが、ネコタがこの世で一番忌々しく思っているウサギだった。


「違う。俺はエドガーなどという男ではない。俺は……そう、俺の名はジョー。砂漠の流浪の剣士、フェネックスナギツネのジョーだ」

「いや、どう見てもウサギだろ。似ても似つきませんよ」


 設定が雑すぎる。

 せめてもう少し、納得がいくように作りこんでほしい。

 でしゃばりめと、ネコタは呆れ混じりにため息を吐いた。


「はいはい、ジョーさんでもなんでも構いませんから、早くそこを退きましょうね。今は遊んでる場合じゃないんで、そういうのは後にしてください」

「話を聞いてなかったのか? 我ら砂漠の民の誇りを取り戻す為に、この“砂剣のジョー“が相手をする、そう言ったのだ。光栄に思え」

「だから! 遊んでる場合じゃないって言ってるだろ! だいたいアンタが代表なんて向こうの人が認める訳ないだろうが! ていうかどっちの味方だ!」


 不思議そうに首を傾げ、ジョーはファティマの方を見た。

 ビクンッ、とファティマは肩を揺らす。何故だか異様な恐怖を感じた。声を出そうにも出せなかった。


「族長、俺が出るが、構わんよな? “もちろんじゃよ、ジョー!(裏声)ここはお主しかおらん!(裏声)わしらの仇を取ってくれぃ(裏声)!“ ……とまぁ、そういうことだ。さぁ、始めようじゃないか」


「いい加減にしろってんだよ! やる訳ないだろ! 馬鹿馬鹿しい!」


 イライラしながら、ネコタはジョーに背を向け仲間の元に戻ろうとする。

 その背を見ながら、ジョーは呟いた。


「逃げるのか?」


 ピタリ、とネコタの動きが止まった。

 そのまま姿勢で、言い返す。


「逃げる? 違いますよ、無駄だからやらないだけです」

「はいはい、嘘乙。弱い奴は皆そういうんだよ。自分の弱さを隠す為にな」


「はぁ? 何言ってんですか、逃げるもなにも、本当に戦う必要がないだけで──」

「少しはマシになったと思ったんだけどな。所詮は自分より弱い奴を相手にして悦に浸ることしか出来ない卑怯者だったか。いや、残念だな」


 本性を現したなとばかりに、へっ、とジョーは鼻で笑う。

 プツン、と。ネコタの中で、何かが切れた音が聞こえた。


「取り消せ」

「あん? なんだって? 聞こえねぇなぁ?」


「取り消せって言ったんだ! 僕は卑怯者じゃない!」

「卑怯者じゃなければ、なんだ? ん? 弱虫逃げ腰の負け犬かな?」


 顔を覗いてくるような仕草をするジョーに、ネコタは我慢の限界だった。


 ──殺してやる……! 紛れもない殺気が、ネコタから漏れ出した。


「ふざけるなよ! 僕がいつまでも弱いままだと思うな!」

「口だけじゃなくて、腕を見せてみろよ、腕を。そうやって口ばっかり達者になってるからいつまで経っても信用されないんだ」

「──上等だぁああああああああああああ!」


 ネコタは憤怒の形相で襲い掛かった。

 こうして二人の戦いが始まった。


「──今日という今日は絶対に許さない! 死ね! ここで死ね!」

「フハハハハハハ! 遅い、遅いぞ! やっぱりさっきのは相手が弱かっただけなのかな?」


「この糞ウサギィイイイイイ! 今に見てろ! 僕は、絶対にぃいいいいい!」

「ククククッ! 女神に力を貰ったからってのぼせ上がるな! 今ここで、改めてテメェの序列を教え込んでやるぜ!」


「結局それかこのクズ野郎! 負けられないんだ! アンタだけにはぁあああああああ!!」


 お互いの姿が霞むほどの速度で繰り広げられる、超高速戦闘。

 周りの観衆は、もはや目が付いていけなかった。

 ただ、凄まじい戦いを目にしている。その事実を直感的に理解し、目が離せなくなっていた。


「……なんぞアホらしくなってきたな」


 ファティマは一人、肩の力を抜き長く息を吐いた。

 怪我の功名とでも言うべきか。マウントの取り合いという醜い仲間割れであったが、砂の守り人の部族を認めさせるのに、十分な戦いであった。






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