第102話 見るべきは一人で十分だ


「おっ、おおっ……! 水だ……水だぁ! 夢じゃないんだよな? なっ!」

「はいっ、エドガー様! 本物のお水です……!」


 小さな小さな、池とも呼べないような水溜り。普段ならば、なんとも思わないようなそれ。

 しかし、砂しかないこの場所では何よりの宝だった。


 感動のあまりエドガーは涙を流す。同じく、フィーリアも泣いていた。

 今までの疲れが吹き飛ぶような嬉しさだった。


「ひゃっほおおおおお! 飲み放題だぁああああああ!」

「はいっ! お腹いっぱいまで飲みますっ!」


 ダバーッと涙を抑えようとせず、幸せそうな表情で二人は小さなオアシスに向かって走り出した。その直後、ザザザザザッ、と。二人の進行方向に幾本もの矢が突き刺さる。


 砂漠の民族衣装を着た男達が、今にも殺しそうな目で二人を睨みつけていた。


「それは我々の財産だ。無断で手を出せば只では済まんぞ」

「はい、申し訳ありません」


 エドガーは素直に謝り、フィーリアはあわあわと泣きそうになっている。

 壮年の褐色肌の男が、忌々しそうに舌打ちした。


「忠告はしたぞ。次は殺す」


 それだけ言って、先導するように歩き始める。


「糞がぁ! こっちが大人しくしてりゃあ偉そうにしやがって! 力づくで奪い取ってやろうかぁ?」

「酷いですっ! こんなにいっぱい見せびらかして、一口もくれないなんてっ……!」

「いや、こんな砂漠に住んでるんですから、貴重な水をホイホイ他人にあげるわけないじゃないですか」


 殊勝な態度を取っていたと思いきや、怨嗟の瞳で男の背中を睨みつけるエドガー。フィーリアはシクシクと悲しげに泣いている。ネコタはそんな二人に呆れた目を向けていた。


「お前ら頼むから大人しくしろよ! せっかくここまで案内してくれたのに機嫌を損ねてどうすんだ! 命がかかってるんだぞ!」


 ラッシュのお叱りにムスッとしながらも、エドガーは大人しく男の後を追う。業腹だが、この状況では従うしかあるまい。


 ──魔物に襲われ謎の集団に遭遇した後、六人は自らが世界を救う勇者の一行であると語った。


 弓を向けられ、一触即発の空気でありながらも、話を聴いてくれたことは幸運だったとしか言いようがない。ラッシュの必死な語りかけもあってか、集団の代表である壮年の男は胡散臭そうな顔をしながらも、仲間と相談し六人を自らの集落まで連れてきてくれた。


 ただし、完全に信用された訳でもない。六人は集団に囲まれ、すぐ側に剣を持った者が控えている。何か問題を起こせば即座に襲い掛かられるのは間違いないだろう。


 そんな砂漠の民を横目に冷や汗を流しながら、ネコタはラッシュに囁く。


「やっぱり、この人達が砂漠の祭壇の守り人なんでしょうか?」

「ああ、その可能性は高いだろうな。敵意がないと言っても信用してくれなかった奴らが、俺達が勇者一行であると言ったら、悩みはしたものの自分の集落まで連れてきてくれた。最悪、守り人でなかったとしても、なんらかの情報を持っている可能性は高い」


 それならば、大人しくついて行くのが正解だろう。


 運が良ければ祭壇まで辿りつける。そしてなにより、ここで協力を取り付け水と食料を恵んで貰わなければ真剣にまずい。どちらにせよ、大人しく従う以外の選択がなかった。例え武器を手に、物々しく囲まれていたとしても。


「とはいえ、こっちが大人しくしてるってのに武器を向けられるのも腹が立つな。いっそ力づくで案内させてやろうか?」

「本当にやめろよお前! んなことしたらまず俺がお前を殺すぞ!」


 挑発するような笑みを浮かべるジーナに、ラッシュは本気で懇願した。ジーナの発言で周りの民の殺意が膨れ上がり、気が気でなかった。


 六人は集落の中央にある一際大きなテントの前に連れてこられる。壮年の男は一度だけ振り返り、手振りで付いてくるように促した。


 男を追い、テントの中に入る。その奥に、敷物を積み上げ、一段高くなった場所に座っている皺の深い老女が居た。


 男は老女の前に膝を付き、老女を見上げながら言う。


「族長。先触れで伝えた通り、こいつらが勇者一行を語る者達だ」

「うむ。シギよ。ご苦労じゃった」


 シギ、と呼ばれた男は頭を下げ、族長の側に控える。

 老女はどこか虚ろな目でネコタ達を見回し、言った。


「さて、こんな砂漠の奥深くまでよく来なさった。わしがこの一族の長、ファティマじゃ。まぁ、わしの名前なんぞどうでもよいか。好きに呼ぶといい」

「分かった。よろしくなババア」


 ズゴンッ、とラッシュはすかさずエドガーの頭に拳骨を落とす。しかし、止めるのが遅かったようだ。

 ヒクリ、とファティマの表情が引きつっていた。


「……好きに呼べとは言ったが、どうやら礼儀知らずが混じっているようじゃの。いや、獣に礼儀を求める方が間違いか」

「なんだ、器の小さい長だな。ババアなのは間違いないだろ。どうせ呼ばれ慣れてるだろうし別にいいじゃねぇか」

「お前本当に黙れ! なんでそう余計な口ばっかり出すんだ!?」

「いやぁ、からかわずにはいられない性分で」


 テヘッ、とエドガーは笑った。

 こいつは本気で殺さないといけないかもしれないと、ラッシュはその可能性も頭に入れた。族長の側に立つシギを始め、テントの中にいる護衛の殺気が痛かった。


 呆れたように息を吐き、ファティマはまた胡乱げな目を向ける。


「ふん、まぁいいわい。それで、お主らは勇者の一行を名乗ったらしいな?」

「ああ、その通りだ。ここに居るネコタが異世界から召喚された伝説の【勇者】。【魔王】を滅ぼし、この世界を救う者だ」

「こんな子供が勇者、ねぇ……」


 ラッシュが促すネコタを見て、ファティマは片目をうっすらと開く。

 どこか疑いのある眼差しに、ネコタは緊張した。

 興味を失ったのか、どうでも良さそうな口調でファティマは言う。


「それで、その勇者の一行が何をしにこんな砂漠の深くまで? ここには見ての通り、砂しかないが」

「それを言う前に、確認したい。アンタ達が砂漠の守り人か?」

「守り人? なんだいそりゃあ?」

「【勇者】の力を覚醒させる女神の祭壇には、守り人が守っている所もある。この砂漠の祭壇にも、守り人の一族が居ると聞いていた。アンタ達がその守り人の一族なんじゃないのか?」


 惚けるファティマに、ラッシュは厳しい目を向ける。

 数秒ほど間を開け、ファティマはヒヒッと笑った。


「なるほど。どうやら迷子でここまで来たようではなさそうだね」

「では?」

「いかにも。わしらこそが女神の祭壇を守る、砂の守り人の部族の一つである。【勇者】が現れた時、わしらが祭壇への道導となることを使命としている。その為に、わしらはこの過酷な砂漠に住み続けておる」

「やっぱりそうだったか」


 ほっと、ラッシュ達の間で気の抜けた息が漏れた。

 一時はどうなることかと思ったが、こうして早い段階で守り人に会えたのは僥倖だ。ひとまずの難題はクリアした、という所だろう。


「アンタ達が守り人だというのなら話が早い。俺達を祭壇まで案内して欲しい。【勇者】を祭壇まで導くのがアンタらの使命だというのなら、構わないだろう?」

「ふむ……」


 ファティマの表情に、ラッシュは怪訝なものを感じた。

 皺が深くなんとも感情が読みにくいが、どこか面白がっているようにも見えた。


「どうした? 何か問題でも?」

「いや、なに。確かに【勇者】を導くのはわしらの使命。それを拒否しようとは思わんよ。そこの坊主が、本物の【勇者】ならね」

「なに?」


 思ってもみなかったというように、ラッシュが目を丸くする。

 当事者であるネコタは、キョドッた様子を見せた。


「本物のって……えっ!? もしかして疑われてますか!?」

「そりゃあそうさ。こんな気の抜けた坊主が【勇者】だと言われて、はいそうですかと信じられる訳がないだろう?」


「くっ! 痛いところを突かれちまったな……」

「うるさいなっ! アンタどっちの味方だよ!?」


 苦虫を噛み潰したような顔をするエドガーに、ネコタは怒鳴りつける。とても失礼なウサギだと思った。


「それとも、何か自分が【勇者】だと証明出来る物でも持っているのかい? それならば話は別だが」

「証明って言われても……あっ、聖剣! ほら、これが【勇者】の聖剣です!」


 ネコタは聖剣を鞘から抜いて見せる。一瞬、周りにいた護衛が色めき立つが、ファティマの目で抑えられた。


「大層な業物に見えるが、私には聖剣の判別はつかん。それが本物だとどうやって証明する?」

「えっ? いや、そんなこと言われても……」


「めんどくせぇババアだな。もう力づくで聞き出せばいいんじゃねぇの?」

「だな。この部族の連中程度なら、あたし一人で釣りが来る」

「やめんかバカ共! そんな物騒な真似せんでも穏便に済ませられるわ!」


 不機嫌そうなエドガーとジーナを叱り、ラッシュはネコタに言った。


「おい、ネコタ。誰でもいいから、聖剣を渡してみろ」

「おいおいオヤジ。酷なこと言うなよ。それがネコタにとって唯一の拠り所なのに、渡せるわけねぇだろ? ネコタから聖剣を取り上げたら残るのはポンコツだけじゃねぇか」

「誰がポンコツだ! いいですよ、渡してやりますよ! さぁどうぞ!」


 ネコタが差し出すと、迷ったような仕草を見せつつも、ファティマに促されシギが手を伸ばす。そしてシギの手が聖剣に触れた瞬間、聖剣が拒んだかのように白い雷がシギを襲った。


「むっ、ぐっ! これは……」

「聖剣を触れることが出来るのは【勇者】のみ。それ以外の者が触れれば、聖剣は自ら触れた者を拒む。今見た通りだ」


 ラッシュの言葉に、ファティマは目を丸くする。


「驚いた。どうやらただの剣ではないようだねぇ」

「異議あり! 族長、騙されてはなりません。剣の力ではなく、その小僧が魔法を使ってそのように見せかけた可能性があります」

「アンタ本当にどっちの味方だよ!? 場を引っ掛け回して楽しいか!?」


「ネコタに魔法が使えるはずないんだから、エドガーの指摘は間違ってるよ」

「アメリアさん!?」

「くっ、確かに……!」


 エドガーは敗北感からうな垂れた。

 アメリアは優越感を感じながら、エドガーを抱きしめる。

 

 ──少し大人しくしておきましょうね〜。

 ──はい。


 そんな二人のやり取りを、ファティマは呆れたように見ていた。


「勇者一行というのは、変わり者の集まりだったりするのかい?」

「いや、あれは特殊な例なんで……」


 ラッシュは恥ずかしそうにしながら言う。

 これと一緒にされてはたまったものじゃない。


「それでどうだろう? 祭壇の場所は教えてくれるか?」

「……いや、やっぱり駄目だね」

「聖剣では証明にならないと? なら、国王と教会からの紹介状がある。それならどうだ?」


「いや、アンタらが勇者の一行だというのは、まぁ信じてもやってもいい。聖剣と言われてもおかしくない力を見せてもらったからね。だが、教えない理由はそこじゃない。

 祭壇の場所を教えれば無駄死にすると分かっていながら、教える訳にはいかないだけさ。死んでほしいわけじゃないからね」


 ファティマの言葉に、ジーナが獰猛な笑みを浮かべた。


「へぇ。つまり、あたしらの力を疑ってるってことか?」

「砂漠の祭壇は、力だけで辿り着ける場所ではないとわしらの部族には伝わっておる。ここまで来たくらいだし、腕に大層自信があるのだろうが、それだけではな。もっとも、その力も通用するかどうか……」

「その言い方ですと、何か恐ろしい者が居るということですか?」


 おずおずと尋ねるフィーリアに、ファティマは暗い表情をうかべる。


「ああ、居るよ。わしらの間で【グプ】と呼ばれている砂漠の悪魔がな」

「【グプ】、ですか」

「名前は可愛らしいもんだな」


 エドガーの軽口に、ファティマは吐き捨てるように言った。


「可愛らしいものか。あれはまさしく悪魔のような奴だ。忌々しいだけの存在さ」

「ほーん、悪魔のような、か。本物の悪魔ではないようだな。魔物の一種か?」

「分類上はな。だが、魔物といってもただの魔物ではない。この砂漠の【聖獣】を殺す程の化け物だ」

「【聖獣食らい】か!」


 ラッシュは目を見張って驚く。同時に、それなら止めるのも無理はないと思っていた。

 よっぽどの相手なのかと、ネコタは大人しくアメリアに抱かれているエドガーに尋ねる。


「あの、【聖獣喰らい】って……」

「文字通りの意味だ。神に見初められた土地の守護者である【聖獣】を殺した魔物につけられる、称号みたいなもんだな。【迷いの森】の【エミュール】を殺せる魔物って言えばその脅威が分かるだろ?」


 その意味を理解し、ネコタが青ざめる。

【迷いの森】の【エミュール】との戦いは、まだ記憶に新しい。そしてネコタにとって、初めて絶望を感じさせる相手だった。結局エドガー達の手によって不幸な目にはあったが、それでもその脅威は忘れられない。


 珍しく真剣な顔で、エドガーは語る。


「【聖獣】ってのは、神々が土地の守護を任ずる為、優れた獣に神が自ら力を与えた存在だ。当然、どの【聖獣】もそれに見合った力を持っている。多少の差はあるとはいえ、弱い【聖獣】なんて存在しねぇ。それをただの魔物が殺したとなると、まさしく化け物だな」


 エドガーの言に、ファティマは頷く。


「【太陽と砂漠の神ラー】から加護を受けた聖獣【アペデク】。

 獅子の頭に巨人の体を持った、獣人型の【聖獣】。それがかつて、この砂漠の守護者として君臨していた存在だった。

 鷹揚でありながら苛烈。普段は慈愛に満ちた砂漠の聖者だが、一度戦いになれば命尽きるまで戦うことをやめない激しさもあった。それでありながらその肉体を十全に操る知性まで備え、【聖獣】でありながら武を嗜む、まさしく剛力無双の戦士であった」


 聞けば聞くほど、【聖獣】と呼ばれるに相応しい内容だと思える。

 しかし、ファティマの表情は苦渋に満ちていた。


「長きに渡り【アペデク】はこの砂漠の守護者として君臨していた。我ら祭壇の守り人にとって、神以上に敬うべき偉大な王であった。じゃがおおよそ三百年前、その王はあろうことか、正面から打ち破られた。そのような暴挙を成し遂げたのが……」

「その【グプ】って訳か」


 ファティマはゆっくりと頷いた。テントの中の守り人も、どこか恐れのようなものを感じさせる。

 そんな重苦しい空気の中、ジーナは鋭い目で言った。


「獅子の頭に巨人の体、か。【迷いの森】で会ったゴリラと変わらないか、それ以上の体格。それでいて武術を使い、戦の気構えも出来た戦士。武の技量は見てみないことには判断出来ねぇが……」

「スペックだけなら【エミュール】を超えるかもしれないな。なるほど、強敵だ」


 冷静に分析するジーナとラッシュに、ネコタは信じられないような目を向ける。


「なんでそんな落ち着いていられるんですか? あの【エミュール】以上かもしれないって、それだけで恐ろしいんですけど!」

「私、もし出会っちゃったらおしっこ漏らしちゃうかもしれません……」


【迷いの森】で育ったフィーリアには、乙女の尊厳すらどうでもよくなるほど恐ろしすぎる話であった。わざわざ口に出して恥をかくこともないだろうに。


「実際に実物を見た訳じゃねぇしな。もしかしたら、その【アペデク】ってのも話に聞くより弱かったのかもしれないし。あるいは、相性が悪くてあっさりと負けただけって可能性もある」

「私が居れば、大抵の魔物の弱点を突けるから。問題ないよ」


「……こりゃ意外だ。思ったよりも腹の座った奴らだね」


 エドガーとアメリアでさえ動揺していないことに、ファティマは表情が綻んだ。

 しかし、それは何も分かっていない者を嘲笑っているようにも見えた。

 それに気づかぬ振りをして、ラッシュが尋ねる。


「で、その【グプ】ってのはどんな奴なんだ? 姿は? 能力は?」

「さぁ? 知らんよ」

「何も知らないって……姿くらい見たことがあるだろう」

「いや、知らん。わしらはもう、誰も【グプ】の姿を見たことがないからね」


 そう言うファティマに、ジーナは呆れた声を出す。


「なんだそりゃ? 戦えとまでは言わねぇが、姿すら見たことないっていくらなんでもビビり過ぎじゃねぇか? 敬ってた【聖獣】を殺されたんだろ? 少しくらい調べてやろうとか思わねぇのかよ」

「貴様ッ! 何も知らない他所者がよくも──」

「おやめ、シギ。下がりなさい」


 不服そうにしながらも、ファティマの言うことに従いシギは下がる。

 その姿を慈しむように見て、ファティマは目をまた前に戻した。


「確かに【アペデク】が殺された当初は、砂の民を結集して報復に走ったと言われている。だが、【グプ】に挑んだ者は皆殺された。そして、今では【グプ】に挑もうと考えている者はもうおらん。

 わしらは既に、奴によって心を折られた。奴の恐ろしさは、むしろその後に植え付けられたからな」


「殺された後にって……何があったんですか?」


 ネコタが尋ねると、ファティマは表情を押し殺して言った。


「【グプ】はただ強いだけの魔物ではなかった。【アペデク】と同じく、人と同等の知性も持っていた。当時の報復に失敗した後、【グプ】は砂の守り人の部族全てに生贄を要求したんじゃよ。そして、それを拒んだ部族を全て滅ぼしたのじゃ。それは今でも続いている」

「今でもって……」


 ネコタは絶句し、呆然とファティマを見つめた。

 ファティマはその視線にも狼狽えず、答える。


「十年に一度、若い女の生贄を捧げることで、わしらは奴に見逃されている。当初は守り人の部族全てから一人ずつ生贄を捧げていたが、今では部族も数えられる程に減った。そのため、各部族が持ち回りで生贄を出すだけで全ての部族が許されている」


 部族単位で見れば数十年に一人で済むのだから、かつてと比べればマシになった訳だ。

 そう言って、ファティマは皮肉っぽく笑った。


「どこがマシなんですか! 生贄を出さないといけないなんて、全然まともじゃ──」

「じゃが、それをしなければ全ての部族が滅ぶ」


 そう言われては、ネコタも何も言えなかった。

 好きで生贄を出すわけがない。それは、テントにいる守り人の表情を見れば分かる。だが、そうするより他に手段がないのだ。


「わしらもな、何度もこの砂漠から逃げ出そうかと思ったよ。じゃがな、わしらは女神の祭壇の守り人。わしらには【勇者】を祭壇まで導く使命がある。その為に、わしらは生贄を出すという屈辱を飲み込みながら、こうして今もこの地で生きているのだ。その誇りだけは分かって欲しい」


「……すみませんでした。勝手なことばかり言って」


 逃げ出さないのは、使命の為。非難した自分が恥ずかしいと、ネコタは素直に頭を下げた。

 それを見て、ファティマは自嘲めいた笑みを浮かべる。


「なに、構わぬ。わしらがやっていることは、【グプ】を荒立てぬよう、砂漠に迷い込んだ人間を追い返しているだけじゃ。現状維持を選び、状況を変えようとすらしない今のわしらは、守り人とも言えん」


 ファティマは厳しい表情を浮かべ、言った。


「じゃが、これで分かったであろう。祭壇の側には、【グプ】が巣食っている。行けば間違いなく、【グプ】と争うことになるだろう。

【勇者】であろうと、いや、【勇者】であるからこそ、弱い者を今の祭壇に近づける訳にはいかん。未熟な【勇者】を向かわせて殺されては、それこそ世界の破滅じゃ。守り人として、それだけは避けなければならん」


「……なるほど。そちらの言い分はよく分かった」


 ラッシュは頷きながらも、反論する。


「だがな、俺達もここで止まる訳にもいかないんだよ。要は、あんたらに俺達の力を認めさせればいいんだろう? だから、俺達の力を見せてやる。その【グプ】すらも倒せるだけの力をな」

「グプを倒す、ときたか。大きく出たな。それだけの自信があると?」


「まぁな。伊達に勇者一行として集められた訳じゃないんだぜ?」


 ラッシュが強気な笑みを見せる。

 血の気の多い他の面々も、同様の表情を見せた。


「あれは無理だ。奴には勝てない。誰もがそう言って恐れられた怪物どもを、俺は一人で何度も倒して来たもんだ。今度もその内の一つに過ぎねぇ。ま、余裕だな」

「そこまで言われるような奴なら、むしろ戦ってみてぇ。腕が鳴るぜ」

「所詮魔物なら、何発か魔法を当てれば終わるよ。問題ないね」


「何であれだけ言われてそんな自信が出るんですかね……」

「私はちょっと怖いです。どうにかして会わずに祭壇まで行けないでしょうか……」


 若干二名、弱気な者が混じっているが概ね乗り気であった。

 その様子に、ファティマは呆れたような表情を見せる。


「ここまで脅されてよくもまぁ。どうやらよっぽどの命知らずみたいだね」

「なに、それだけの修羅場を潜って来たってことさ。さぁ、誰の力から見てみたい? 誰であろうと、あんたらを納得させて見せるぜ」

「……いや、一人でいいさ」


 固まって居たファティマが、笑って言う。


「そこまで言うのであれば、お主ら全員、お互いが認める同等の実力者なのであろう。であれば、見るべきは一人で十分だ。今代の聖剣の使い手、異世界から来た【勇者】よ。我が部族で最も強き戦士三人を相手に、お主の力を見せてみよ」


「え」


 ネコタは思ってもなかった、と言った声を上げた。

 弱みを突かれた。仲間達は、全員が同じことを思った。





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