第97話 それは約束出来ねぇや



「エドガー!」

「エドガー様っ!」


 しばらくして、エドガーの元にネコタ達がたどり着いた。

 アメリアとフィーリアがエドガーの姿を見るなり、飛びつかんばかりに駆け寄る。


「良かった……良かったよ……! もう二度と会えないかと」

「はい……私も最悪、エドガー様はもうオオカミさんの胃袋の中かと……!」

「はっはっは。心配性だな二人共。この俺様がそうあっさりと死ぬ訳ないだろう」


 涙を流して喜ぶ二人に、エドガーは鷹揚としたまま答える。

 二人に遅れて傍に来たネコタが、ほっとした顔を見せて言った。


「エドガーさん、無事でなによりです。まぁ、エドガーさんがそう簡単に死ぬはずがないとは思ってましたけど」

「ほう、どうやらお前も子分としての心構えが出来てきたみたいだな。主人である俺の無事の祈りながらも、生存を疑わないその信頼。褒めて遣わす」

「憎まれっ子がそう簡単に消える訳ないでしょ。あの、ところで、そちらの方達はもう大丈夫なんでしょうか」


 おそるおそると、ネコタはエドガーの背後に居る者達を伺う。

永久氷狼コキュートスウルフ】がお座りの姿勢を保ち、そのすぐ隣には、後ろ手を蔦で縛られたSランク冒険者達が、背中合わせに座り項垂れていた。


 どちらも敵対関係であった者達だ。見た限りでは大人しそうだし、拘束もされているようだが、かといって油断は出来ない。

 フッ、と。エドガーは不敵な笑みを浮かべる。


「安心しろ。この犬っころにとって、俺は命の恩人よ。恩義を感じる者を相手に、粗暴なふるまいは決してしない。俺が止めろと言えば素直に従うさ」

『…………ンガァ』


 ――――――ガブリッ。


「ほぎゃああああああああああ!? 俺の耳がぁああああああああ!?」

「ああ。服従はしてないみたいですけど、大丈夫そうですね」

「バカかお前は! 早く助けろ! 耳が! 俺様のチャームポイントがっ!」


 甘噛みで済んでいるのだから、友好関係は築けているのだろう。あんなデカい狼に噛まれている本人は必死だろうが。


 生暖かい目でコキュートスウルフとじゃれているエドガーを見るネコタ。しかし、ラッシュは縛られているSランク冒険者を見て小さく目を瞠る。


「おい、まさかお前、一人でこの三人を相手にしたのか?」

「ふっふっふ。まぁな。ちょいとばかし手こずったが、俺が本気を出せばざっとこんなもんよ」


「おいおい、マジかよ。一体どんな手を使ったんだ? お前だって苦戦してだろうに」

「なに、ちょっくら切り札を見せてやっただけさ」


 ふふん、とドヤ顔を見せるエドガー。

 ワクワクした様子で、ジーナが訊ねる。


「切り札ってなんだよおい。遠くから見てたが、この辺りに森が出来てたよな? あれ、もしかしてお前がやったのか? なぁ、教えろよ」

「はっはっは、切り札をそう簡単に教える訳ねぇだろ。まぁ、必要になったらその時に見せてやるよ」


「んだよ、勿体ぶりやがって。力づくで引き出してもいいんだぜ?」

「大口を叩きよるわ、小娘が。そういうセリフはまず俺より強くなってから言うこったな」

「止めんか馬鹿共! 会うなり喧嘩しようとすんじゃありません!」


 剣呑な気配を出す二人をラッシュが叱る。会うなりにこれだ。世話がない。

 はぁっ、と早速疲れたような思い味わい、ラッシュは再びSランク冒険者を見た。


「しかし、勝ったのはいいがもう少ししっかりと拘束しろよ。後ろ手に縛るだけじゃ、その気になれば簡単に逃げられるだろう」

「心配するな。こいつにはもう、俺達と争う気はねぇよ。なぁ、そうだろ?」


 ホントかよと、ラッシュは疑うような目を向ける。

 エルネストは憮然としながら答えた。


「正々堂々と戦い、負けたのだ。今さら見苦しく足掻こうとは思わん」

「その言葉を信じろとでも? Sランク冒険者ともあろう者が、一度負けたからといって大人しくしてるとは思えないんだが」

「分かってないわねぇ、貴方」


 フフッ、と。子供を見ているかのようにレティは笑う。


「私達はSランク冒険者。この世は強さこそが全てだと知っているからこそ、強者には従うのよ」

「その通り。敗者は素直に勝者に従う。それこそが当然ってもんだ」


 レティの言葉に、うんうんとオリバーも頷く。

 納得のいかない顔をしているラッシュに、エドガーはのんびりとした顔で言った。


「例外なく傍若無人で通ってるSランク冒険者にも、暗黙の了解ってもんがあんだよ。Sランク冒険者同士で揉めた場合、負けたら大人しく相手に従うっていうな。でないと、どちらかが死ぬまで戦い続けることになるし、キリがない。力づくで我儘を叶えてきた者なりの矜持みたいなもんだ」


「獣の論理かよ。野蛮すぎるだろ」

「分かりやすくていいじゃねぇか。あたしは好きだぜ、そういうの」


 ここにも居たかと、ラッシュは怖い笑みを浮かべるジーナに頭を抱えた。コイツがSランク冒険者でないことが不思議である。いつか確実に問題を起こすと思うと、今から胃がキリキリする。


「そういうことだ。ただでさえ三人がかりで負けたのだぞ。これ以上何かしようとするのならば、それは恥でしかない。少なくとも、私はそのような恥知らずではないのでな」


 ゴウッと。手を縛る蔦が燃え、エルネストはスクッと立ち上がった。それに一拍遅れて、レティ、オリバーの拘束も解け、同じように立ち上がる。

 自由になった三人に、エドガー以外の者が警戒した様子を見せた。コキュートスウルフも牙を剥き、低く唸り声を上げる。


 エルネストはそれらに鼻を鳴らし、無視してエドガーに話しかける。


「私達はこのまま山を下りる。それでいいな?」

「ああ。大人しく下るってんなら見逃してやる。だが、いくつか俺の言うことを聞いてもらうぜ?」

「ふん。聞くだけは聞いてやる。言ってみろ」


「まず、今後一切コキュートスウルフに手を出すことを禁じる。そもそも討伐禁止令が出ている魔獣だからな。当然だ」

「……仕方ないわね。あの毛並みを見ると名残惜しいけど、いいでしょう。他にも獲物は居るし、そっちを狙うことにするわ」


 一番執着を見せていたレティが、名残惜しそうにコキュートスウルフを見る。

 ますます唸り声を上げるコキュートスウルフを宥めつつ、エドガーは続けた。


「次に、山を下りたらギルドに出頭し、今回の件について事情説明しろ。自分に都合の良いような嘘を吐くなよ。後で俺も確認するからな」

「そのような下らない真似はせんわ。お前じゃあるまいし」


 ヘッと。気に入らなそうにオリバーが顔を顰める。

 それならいいと、エドガーは頷いた。


「そして今後一年間、お前たちはギルドから依頼の斡旋を受けて活動しろ。たまにはその力を世の為、人の為に使ってみろ。奉仕活動だと思ってやれ」

「……面倒だが、仕方あるまい。いいだろう。素直に受けてやる」


 渋い顔をしながら、エルネストは頷いた。

 厳しい表情で、エドガーは更に続けた。


「それから、これからは俺のことはエドガーさんと呼べ。ちゃんと会話をする時は敬語でな。俺の言葉に対しては全てイエスと答えろ。前と後ろにサーッと付けるのも忘れるな。俺が黒と言ったら白いものでさえ黒だ。自分の立場を弁えて、ちゃんと俺の事を敬い――」

「「「調子に乗るな! 殺すぞ(わよ)!」」」


 さすがに譲らないところは譲らないらしい。

 それでも、Sランク冒険者に課すには、大きすぎる罰であった。


 その力を認めつつも、性格的な問題で扱えない者達だ。

 それを自在に管理下に置けるとなれば、これ以上ない利益だろう。これには冒険者ギルドもニッコリである。


 またしても俺の評価が上がってしまう……と、エドガーは己の手腕に震えた。


「チッ! 最後まで不愉快なウサギめ。話は終わりなら、もう行くぞ。こんな何もない場所に、いつまでも居れんからな」


 不機嫌そうな顔をしながら、三人は歩き出す。

 意外にも大人しくエドガーに従う三人を見て、ヘッとジーナが鼻で笑った。



「なんだ。随分と素直だなテメェら。あんだけ偉そうにしてたくせによ」

「ちょっ、止めてくださいよ。せっかく無事に話が纏まりそうなんですからっ!」


 挑発するジーナを慌ててネコタが止める。

 しかし意外にも、エルネストは冷静だった。


「先ほども言った通り、私達は三人がかりで負けた。ここまで完璧に負けては、逆らう気も起きん。……あれだけの覚悟を見せられては、いくら私とて応えてやろうという気にはなる」

「おうおう、殊勝な態度じゃねぇか。感心感心」


 ニヤニヤとしながら、エドガーは厭味ったらしく言う。


「いやー、まさかお前がそこまで素直になるとはなー。ようやく俺の凄さに気づいちゃったかー。ちょこっと本気で相手してやっただけなんだけど、なんだよ、そんなに俺の切り札にビビっちゃったのか? 確かにアレは凶悪だから無理もないけどなー」

「茶化すなよ。私は貴様のに応えてやると言ったんだ」


 ピタリと、エドガーの動きが止まる。

 そんなエドガーに、五人は首を傾げた。


「私を節穴と思うなよ。実際にアレを見て、貴様の嘘を見抜けぬほど間抜けではない。

 ……思い返せば、貴様は昔からそうだ。無駄に必要のない嘘を吐くくせに、そのくせ、大事な嘘を隠すのが下手だ。まったく、嘘を吐くなら吐くでもっと上手くやれというのだ」

「エルネスト、お前」


 意外そうに、エドガーは目を丸くする。

 それに気づいていないかのように、エルネストは捲し立てた。


「【炎帝の叡智】を燃やされたことを思えば、今でも腹立たしい。貴様を思わず殺してやりたくなる。だが、貴様が悪意を持ってやったのではないことも、ポカをやらかした訳でもないことも分かった。そして、それが私の身を案じてのことだということもな。

 私の才能を低く見積もったことは業腹だが、貴様の考えは十分伝わったさ。かといって、全てを許す気にはなれんが」


 悩んだような表情をしていたエルネストだが、ふっと晴れやかな顔になり小さな笑みを見せる。


「少なくとも、今すぐに殺そうという気はなくなった。さらばだ、エドガー。また会おう――友よ」

「エルネスト……」


 エルネストはエドガーの返事を待たずして、山を下り始めた。


「それじゃあね、エドガー。今回は大人しく引き下がってあげるわ。だけど、次会ったときは覚悟しなさい」

「ガハハハハハハ! そういうことだ! 今度会ったときはリベンジマッチを挑ませてもらうぜ!」


 その後を、レティとオリバーがのんびりと追う。

 小さくなっていく三人の姿の姿を、エドガーはずっと見送っていた。

 そんなエドガーに、アメリアは嬉しそうに微笑み、肩に手を乗せる。


「良かったね、エドガー。友達と仲良直りが出来て」

「……ああ、そうだな」


 穏やかな笑みを浮かべ、エドガーは呟いた。


「ああ、また会おう――友よ」


 同時に、エドガーは思う。


(すまねぇな、エルネスト)


 友の大事な物を燃やてしまった、あの時。

 そして、つい先ほどの戦闘で説明したことを思い返し。

 エドガーは、小さく汗をかいた。


(アレ……本当にでまかせだったんだ)


 流石に罪悪感でズキズキと胸が痛むエドガーだった。

 このことは一生黙っておこうと、エドガーは心に誓った。




 ♦   ♦




 コキュートスウルフの先導で、ネコタ達は山を登り続ける。

 山の主の縄張りである為か、途中で魔物に襲われるようなことはない。しかし、登るに連れ厳しくなっていく山の険しさは、六人にうんざりとした思いをさせるのに十分だった。


 それでもなんとか気合を入れ、山を登り続ける。そしてとうとう、六人は山の頂上へとたどり着いた。


「やっと着きましたね。はぁ、本当に疲れた」

「だらしねぇなあ、これくらいで。鍛錬が足りてない証拠だぜ」

 

 すかさずエドガーの憎まれ口が飛んでくるも、ネコタは何も言う気にはなれない。それだけ、険しい山道はネコタを疲れさせていた。


「うわぁ、凄いですね……!」


 疲れた体を持ち上げれば、周りの景色が目に入ってくる。


 冷たい風が体を撫で、凍ってしまいそうな寒さを味わう。しかし同時に、身が引き締まるような気持ちを味わっていた。

 その高さゆえ、すぐそこに雲が見える。そしてその先には、どこまでも無限に続くような青い空と、地平線が広がっていた。


「良い景色ですね。これが見れただけでも、頑張った甲斐があったと思います」

「ここに何しに来たんだよお前。バカじゃねぇの?」


「いいだろ少しくらい景色に浸っても! そこまで言う必要あります!?」

「まぁまぁ、そう怒るなよ。しかし、なんとなくコキュートスウルフの後を追いてきちまったが、どこにも祭壇がねぇな」


 キョロキョロとラッシュが周りを見回すが、平坦な広場があるだけで何もない。

 まさか本当に意味もなく追いかけてしまったのでは……と心配するが、コキュートスウルフはおもむろに歩き出すと、広場の中央で雪を掻き始めた。


 バサァ、バサァ、と。大量に雪が舞い散る様を見ながら、エドガーは首を傾げる。


「なんだ? 骨でも埋まってるのか? やはり本質は犬畜生であったか」

「またかじられても知りませんよ」


 こりないなぁこの人、とネコタが呆れて目を向けていると、ウォン、とコキュートスウルフが吠えた。

 呼んでいるような仕草に、六人はコキュートスウルフが掘っていた場所に近づき、その穴を覗き込む。すると、大人一人分ほどの深さに、古ぼけた台座があった。


「あの、これってやっぱり……」

「そりゃあ、聖剣を収める台座じゃねぇか? 真ん中に穴があるし」


「女神の祭壇って、どこも見すぼらしいんだね。なんだかガッカリだな」

「私はほっとしました。【迷いの森】の祭壇はてっきり、私達が荒らしてあんな風になってしまったのかと。どこも一緒なら、負い目を感じる必要はないですね!」


「こういうのって普通、もっと厳かなもんじゃねぇのか? あたしでさえこれはどうかと思うんだが」

「やめとけ、天罰が下るぞ。さぁネコタ、聖剣を」


 ラッシュに促され、ネコタは穴に飛び込み、聖剣を台座に突き立てた。

 数秒の静寂の後、パアッと光が溢れ、ネコタを飲み込む。

 腕で顔を隠し光から目を守る。光が止み手を下ろせば、ネコタと聖剣が姿を消していた。


 アメリアはゆっくりとあたりを見回し、ポツリと呟く。


「やっぱり、エドガーも一緒に消えたね」

「アイツは一体、何枠で連れてかれてんだ?」


 つくづく掴みどころのないやつだと、ラッシュは腕を組んで悩んだ。




 ♦   ♦




「うっ……!」


 光が収まったのを確認し、ネコタはゆっくりと腕を下ろす。

 顔を上げれば、辺り一面の花畑が目に入った。

 美しく、安らぎを感じる景色に、ネコタはホッと息を吐く。


「前と同じだ。どうやら無事にアルマンディ様のところへ着けたみたいだな」

「ああ、そのようだな」


「…………」

「どうした? そんな胡散臭そうな目をして」


 当然のように側に居たエドガーに、ネコタは疲れたような息を吐いた。


「いえ、やっぱり居るんだなぁと思いまして」

「なんだよ。居ちゃあ悪いのかよ」


「悪くはないですけど、何で居るんです? ここは【勇者】しか来れない場所とかじゃないんですか?」

「俺が知るかよそんなの。まぁたぶん、臆病なネコタを一人にして不安にさせないよう、女神様が気を効かせてくれたんじゃねぇか?」


「失礼な! 別に僕は臆病じゃないですから! 

 ていうか、それならアメリアさんとかラッシュさんとか、もっと頼りになる人にしてくださいよ。

 なんだってこのウサギなんだよ。せめてここに来るときくらい、離れさせてくれてもいいじゃないですか。これじゃあ、いつまでもストレスが……」


「失礼なのはどっちだよ。まるで俺がストレスの原因みたいな言い方じゃねぇか。どう思います女神様?」


「そうねぇ〜。そういうことは、本人の目の前で言うことじゃないと思うわ〜」


 自然と会話に入ってきたのんびりとした声に、ネコタはバッと顔を上げる。

 そこにはいつのまにか、女神アルマンディがニコニコとした顔で立っていた。


「め、女神様っ! いつからそこに――」

「久しぶり〜、エドりん! 元気だった〜?」


「エドりん!?」

 

「ヤッホー、アルたん! めっちゃ元気だよ〜!」

「アルたんっ!?」


 二人の気さく過ぎる態度に、ネコタはギョッと目を剥く。

 そんなネコタを置いて、アルアンディはトコトコと駆け寄ると、エドガーの両手をぎゅっと握りしめ、その場で周り始めた。


「キャ〜! エドりん、会いたかったわ〜! また会えて嬉しいわ〜!」

「俺も俺も〜! アルたんに会えて良かったよ〜!」


 キャッキャとはしゃぎながら、アルマンディはエドガーを持ち上げて、グルグル回り続ける。ブンブンと体を宙に浮いたまま振り回されても、エドガーは全く不安を見せず楽しそうだった。


 どこからどう見ても仲良しだった。いつの間にこんなに仲良くなったんだろうと思うと同時に、ネコタは強烈な疎外感を感じた。まるで自分だけ仲間外れにされたような寂しさだった。


 それなりに満足したのか、アルマンディは膝立ちになってエドガーを下ろし、目をキラキラとさせて言う。


「ちゃんと見てたわよ〜! エドりん、今回は凄かったわね〜! 私もすっごく興奮しちゃったわ〜!」

「へっへ〜! 凄いでしょー! 俺だってやれば出来るんだぜっ!」

「うんうん、エドりんが勇者の仲間になってくれて良かったわ〜! これで魔王討伐も安心ね〜!」


 ビシリッとポーズを決めるエドガーに、アルマンディはパチパチと拍手をする。とても和気藹々とした、微笑ましいやり取りだった。

 羨ましいとは思わなかったが……いい加減、限界だった。ネコタは恐る恐ると声をかける。


「あ、あの、女神様?」

「ん〜? ……あら、ネコタ君」

「は、はいっ! そうです! あなたの勇者ネコタです!」


 まるで小物のような態度であった。物語であれば、かませ犬で終わりそうなキャラが言うような台詞だ。しかし、名前を呼ばれたことがよっぽど嬉しかったのだろう。ネコタはそれだけで、パアッと表情を明るくさせた。


 アルマンディはスッと立ち上がると、無表情でネコタを見る。ポヤポヤとした雰囲気が引っ込み、美しい顔立ちな分、より冷淡さを感じる。


 さすが、というべきか。エドガーは空気を読むと神妙な顔を作り、すかさずアルマンディの側に控えた。


 あれ? と、突如雰囲気を変えたアルマンディに、ネコタは困惑した。この辺りがぬるま湯で育った日本人と、厳しい環境で生きる異世界人の差である。


「何をしているのです?」

「え……え?」


「それが女神を前にしての態度ですか?」

「無礼者がぁ! 女神様を前にして何を突っ立って居る! さっさと頭を下げんかぁ!」

「はぁっ!? こっ、このクソウサッ……! くっ……!」


 エドガーに叱り飛ばされ、反感を覚えたネコタだったが、言っていることは正論であった。グッと堪え、膝をつき頭を下げる。


 女神に頭を下げること自体には、抵抗はない。しかし、その隣に立つウサギの命令で頭を下げたようで、ネコタの内心は怒り狂っていた。これ以上ない屈辱だった。


「勇者ネコタ。この度の戦いも、しっかりと見させて貰いました。よく頑張りましたね」

「は、はいっ。ありがとうございます」

「しかし、正直に言わせて貰えば……ハッキリ言って、失望しました」

「えっ?」


 ネコタは思わず頭をあげた。

 女神アルマンディは、憂いのある表情でネコタを見下ろしていた。

 すかさず騎士エドガーが叱りつけた。


「誰がその間抜けな顔を上げていいと言った! 頭を下げんかこの痴れ者がぁ!」

「おまっ、調子に……グッ! も、申し訳ありません……!」


 プルプルと震えながら、ネコタは声を絞り出した。

 グイグイと己の頭を押さえつけるエドガーに殺意を抱きながら、この腐れウサギィ……! と心中で叫び、必死に堪える。

 その内心を見透かしているのか、アルマンディは頭が痛そうに眼を閉じる。


「勇者ネコタ。私は少しでも貴方の助けになればと、防御の力――貴方が言う所の、【聖なる盾】を授けました」

「は、はい。とても助かりました。感謝しております」


「あれはあらゆる攻撃を遮断する絶対防御の力。あれを破れる者は、この世界でも数えられる程度しか居ないでしょう。

 つまり、アレを使えるようになった時点で、貴方はこの世界でも上位の戦力を持つことになるのです。上手く使いこなせば、未熟な貴方とはいえ旅の助けになる。そう考えたからこそ、私は真っ先にあの力を授けたのです。ですが……」


 ふぅ、と。幻滅を隠さずに、アルマンディは眉を潜めて言った。


「足りませんか?」

「………………」


 それは、短くも十分すぎる一言だった。

 グサリと、ネコタは背中に刃を突き刺さられたような気がした。


「あれだけの力を与えても、まだ足りませんでしたか、と聞いているのですが? それとも、もっと便利な力を寄こせとでも思っているのですか?」

「いえ、滅相もありません! 決してそんな訳では!」


「では、何故あなたは無様に負けたのでしょう?」

「無様にって……そんな言い方……」


「アレを無様と言わず、なんと言えと?」


 アルマンディは悪意なく、不思議そうな顔で首を傾げた。

 ネコタは今回の自分を振り返る。振り返って……様々な感情を飲み込み、声を絞りだした。


「……いえ、女神様の仰る通りです」


 ――いくらなんでも、相手が悪い。

 ――アレなら負けてもしょうがないんじゃないか?


 いくつかの言い分も思い浮かんだが、全てを飲み込み、ネコタは謝罪した。

 上からの叱責には理不尽であろうと、とりあえず頭を下げる。日本人の悲しき習性である。


 アルマンディは頭を下げるネコタを見て、悲しそうな顔をした。


「いえ、いいえ。頭を上げなさい、ネコタ。私が悪かったのです。もっと強い力を渡してあげれば、貴方もあんな恥ずかしい思いをしないで済んだでしょう。【聖なる盾】ではなく、もっと強い力を与えていれば……そう、全て私が悪かったのです」

「そ、そんなことありませんっ! あの力は凄い力です!」


「では、何故負けたのですか?」

「そ、それは……」


「何故、負けてしまったのですか?」


 優しさすら感じる声音で、アルマンディは繰り返した。

 ネコタは苦しそうに、小さな声で言った。


「…………僕が、未熟だったから、です」


 ズンッ、と。ネコタは両肩に重みが増すのを感じた。

 バシッと叱るのでもなく、指示を出した自分が悪かったと、遠回しな言葉で責める。そして、自分の口で自分の駄目さを認めさせる。


 なんという嫌味ったらしさか。ハッキリ言って、一番上司にしたくないタイプだった。

 迂遠な叱責に、ネコタに凄まじいまでの疲労感が圧し掛かった。


「なるほど。私のせいではなく、貴方の未熟が原因と認めると?」

「はい。申し訳ありませんでした……」


「そうですか。それなら良かったです。てっきり私が間違えてしまったのかと思いました」

「女神様が間違えることなどありえますまい。全てはこの外聞ばかりに気を払うポンコツの未熟が原因。そうお気になさらずに」


「おまっ……! くっ、いえ……その通りです。申し訳ありません」


「……ネコタ。貴方が平和な世界から来て、戦いに慣れていないのは分かっています。本来ならば、貴方に戦う責務などなく、私の方が頭を下げなければならない立場であることも」

「女神様……ッ! い、いえ、そんなことは……!」


「ですが、いつまでも甘い気持ちのままで居られては困ります」

「…………」


 気遣われたと思ったが、気のせいだった。

 更なる説教へと続ける、前振りであった。


「理由はどうであれ、貴方は【勇者】としてこの世界の救世主として働くことを決意したのです。であれば、どのような言い訳も通用しません。ただ結果が求められるのです。違いますか?」

「……はい。申し訳ありませんでした。以後気を付けます」


「本当に分かっているのですか? 頭を下げればそれで済むと思っていませんか?」

「いえ、そんなことは……本当に、反省しておりますから……もう勘弁してください……」


「女神様。このポンコツなりに、少しは反省しているようです。もう一度だけ、機会を与えてあげてはいかがでしょうか?」

「貴方は優しいですね、騎士エドガー。いいでしょう、貴方がそこまで言うのであれば、もう一度だけ、信じてみることにしましょう。仲間に感謝するのですよ、勇者ネコタ」


「……はい。ありがとうございます」


 なぜ僕がエドガーさんに感謝しているんだろうと、ネコタは泣きたい気持ちなった。というか、少し泣いた。

 そんなネコタを柔らかい笑みで見て、アルマンディは満足そうに頷いた。


「よろしい。それでは、新たな力を授けましょう」


 アルマンディが手を振りかざすと、ネコタの足が光に包まれた。

 光が収まり、ネコタは立ち上がって足を上げ下げする。しかし、どこにも変わったような気はしなかった。疑問顔のネコタに、アルマンディは言った。


「今の光は【水精霊の靴】。貴方は今後、水の精霊の協力を得て、水の上を歩くことが出来ます。

 湖の上はもちろん、泥、沼の上でも、平地と変わらずに動けるようになるでしょう。今までとは段違いで動きやすくなるはずです。

 逃げ遅れることが多い貴方の為に、行動範囲が広がるような力を与えた方が良いと判断しました。この力を持って、今後とも【勇者】の使命を果たすように」


「水の上を……! それは便利ですね。女神様、ありがとうござ――」


 礼を言っている途中で、ネコタは一瞬で姿を消した。

 ネコタが消えたのを確認し、ププッとアルマンディはこらえきれずに笑いだす。


「あはっ、あはははは~! やっぱりあの子、反応が分かりやすくて面白い子ね~。ついつい虐めたくなっちゃうわ~」

「だよね〜! 俺もついつい興に乗っちゃうんだよ〜!」


 ケラケラと、アルマンディとエドガーは顔を見合わせて笑いあった。

 完全にいじめっ子の会話である。とても大人には見えない。自分が悪いことをしているとは思ってもいない、子供ならではの残酷さがそこにあった。


「でも、意外だな。ただのイジリにしては、女神様って思ったよりネコタに当たりキツくない? アイツのこと嫌いなの?」

「ふふふ〜。嫌いじゃないわよ〜。むしろ、とても好ましく思ってるわ〜。とても一生懸命ですもの〜」


 アルマンディはのほほんとしてそう言ったが、ふと、消沈した表情を見せる。


「でもね、【勇者】の子を調子に乗らせる訳にもいかないから。わざわざこっちに来てもらった子には申し訳ないけど、世界を救うためには、増長しないように適度に躾けることが大事なの」

「ほう、なるほど。頷ける理由だ。以前、何かあったん?」


「ええ、色々とね。本当に、いろいろあったのよ……」


 ふふ、ふふふっ、と。アルマンディは暗い微笑みを見せる。

 これ以上突っ込むのはやめよう。危機意識の高いエドガーだった。


「でもでも〜、今回はやっぱりエドちゃんが一番輝いてたわ〜! かっこ可愛いかったわよ〜!」

「でへへへ〜! だろだろ? そうだろう? もっと褒めちゃって〜!」


「もう鞭で叩かれて悦んでいた時は幻滅したけど、名誉挽回の大活躍だったわ! 見直したわ〜!」

「やめろ……やめろよ……。忘れさせてくれよ……」


 持ち上げられたと思ったら、一気に落とされた。

 天然か、それとも俺も躾の対象に入っているのかと、いまいち分かりづらいエドガーだった。


「【兎狩りの森】なんて、とっても洒落てるじゃない〜。皮肉が効いてて、カッコいい〜! 私、ああゆうの大好きよ〜」

「だろだろ〜? 自分のことながら、あれは良いネーミングだと思ってるぜっ!」


「うんうん〜! 色んな色のウサギさんがいっぱい出て、可愛いし、強いしでもうサイコ〜! 見ている私も凄く楽しかったわ〜!」


 でも――と。

 アルマンディは、真面目な表情で続けた。


「あの力は、もう使っちゃ駄目よ」

「――――――」


 突然の変貌に、エドガーは思わずアルマンディを見上げる。

 アルマンディは、一切のおふざけもなく、厳しい目でエドガーを見下ろしていた。


「あの力は、ブディーチャックが貴方に与えた力を核にして作り上げた物。自らの資質と、ブディーチャックの性質を上手く融合させた作品と言ってもいい物です。本当に、よくぞあそこまで練り上げました。嘘偽りなく、私は感心しました」


 ですが――と。

 高い評価とは裏腹に、剣呑な目でアルマンディは言う。


「貴方はあの技を使うのに、貴方の中に眠るブディーチャックの力を当てていますね? 

 つまり、貴方はブディーチャックの力をあの世界のガワを形成することのみに使っている。

 ということは、それを維持する力は、貴方自身の力を使うことになります。ですが、あれは人の身で扱えるような技ではありません」

「…………」


 エドガーは、何も答えなかった。

 それは、アルマンディの言うことが正しいことの証明であった。


「あれだけの力を維持するのに、一体どれだけの力を使えばいいのでしょうか? 

 人の身で扱える魔力だけでは、到底足らないでしょう。たとえ【賢者】であるアメリアちゃんでも同じはずです。

 ですが、貴方はそれでもあの技を発動させ、十全に使いこなしていました。魔力が足らないのに、なぜ? 

 そんなこと、確かめる必要もありません。足りないのなら、他の場所から持ってくるというのが自然な摂理です」


 アルマンデイは、労わるような声で、続けた。


「エドガー。私が言わずとも、貴方は直感的に理解しているのでしょう。ですが敢えて言います。貴方は――命を削って、あの力を発動させているのですよ?」

「…………」


 悲しげに、アルマンディは目を細める。

 エドガーは俯いたまま、何も言わなかった。ただ黙って、アルマンディの言葉に耳を傾けていた。


「最低でも数年。あの三人との戦いだけで、それだけの寿命を消費したでしょう」

「………………」


「そうせざるを得なかった、というのは分かります。あの狼が殺されることで起こり得る、周辺の被害。そしてなにより、どうしてもあの狼が大切にしている物を守りたかった。貴方は本当は優しい子ですから、放っておくことが出来なかった」

「………………」


「ですが、厳しいことを言えば貴方は見捨てるべきでした。世界救済の旅はあそこで終わりではない。これからもまだまだ続くのです。貴方の力も、この先まだまだ必要になるでしょう。

 逆に、あそこであの狼が死んでしまったとしても、世界規模で見ればなんの問題もありません」

「………………」


「悲しく残酷なことではありますが、むしろ見捨てたほうが、貴方の消耗を抑えるという点で正しい判断でした。あの三人の冒険者も貴方と戦うこともなく山を降りたでしょうし、周辺での争いも、起きずに済んだ可能性が高かったでしょう」

「………………」


「この旅の中であの力を使えたとしても、あと一度か二度。それ以上使えば、貴方の身が保ちません。貴方が思っている以上に、あの力は危険な物なのですよ」

「………………」


「だから、約束してくれませんかエドガー。もう二度と、どうしても必要な時以外で、あの力を使わないと。そうでなければ世界を……アメリアちゃんを救う前に、貴方が死んでしまうことになるのですよ?」

「………………」


 じっと黙ったままのエドガーを、アルマンディは悲しげに見つめていた。

 エドガーが、何を考えているのか。それを予感していたから。


「……女神様、ごめん。それは約束出来ねぇや」


 エドガーは申し訳なさそうに、苦笑を浮かべながら言った。


「アメリアと一緒に居たいって理由で、ブディーチャックのクソ野郎に嵌められて、この姿になって。それから、俺は色んな物を見てきた。綺麗な物や、汚い物、いろいろ物を、たくさん……たくさんだ。

 初めはアメリアについて行きたいってだけで力を求めたけど、でもいつの間にか、それだけじゃなくなってたんだ」


 寂しげな笑みを見せ、エドガーは言う。

 アルマンディは痛ましい表情で、エドガーの言葉を受け止めていた。


「何も悪くないのに、理不尽な理由で、大事な物が奪い去られていく。この世界には、いろんな所でそういうことが平然と起きている。そんな理不尽を、ふざけんなってぶっ飛ばしてやる為に、俺は強くなったんだ。あれは、その為の力なんだよ」


 エドガーは悔いの無い表情で、アルマンディを見上げた。


「アメリアを守ることも。理不尽を跳ね除けることも。どっちも譲れないことなんだ。だから、バカだと分かっていても、多分、俺は見捨てられない。また同じように気に入らないことがあれば、あの力を使うと思う。せっかく俺のことを心配してくれたのに、ごめんな」

「……たとえ、旅の途中で貴方が死ぬことになっても、ですか?」


「死なねぇさ!」


 ニッと強気な笑みを浮かべて、エドガーは言う。


「俺は地上最強のウサギ剣士。Sランク冒険者のエドガー様だぜ! 気にくわねぇことは力づくで解決して、ちゃんと【魔王】も倒して、世界を救う! そして、アメリアも守ってみせる! それまでは、何があっても死なねぇよ!」


 それはなんの根拠もない、ただの強がりだった。

 どこにも信じるに足る要素がない、大ぼらだった。


「……本当に、困った子ね〜」


 しかし、アルマンディは苦笑を浮かべるだけで、それ以上何も言わなかった。

 この決意を曲げることは、たとえ神であろうと出来ない。そう、分かったから。


 アルマンディは屈むと、エドガーの額にチュッと口づけを落とした。

 パァッ、と。エドガーの体が一瞬、強く輝く。それを見届け、アルマンディはいつもの明るい笑みを浮かべた。


「今回のプレゼントよ〜。貴方の生命力を少しだけ引き伸ばしてあげたわ〜。これで一度だけなら、今回の規模であれば、なんのリスクも無しにあの力を使えるわよ〜。でも、依然危険なことには変わりないから、ちゃんと考えて使ってね〜」

「おおっ! そいつは助かる! ありがとう、女神様!」

「もうっ、本当に頑固な子なんだから〜。今回だけ特別よ〜」


 口の前に指を立て、アルマンディは笑う。


「本当に、不器用な子ね〜。でも、私はそういう子は嫌いじゃないわ〜。じゃあね、エドちゃん。これからも、ちゃんと最後まで貴方達を見守っているわ〜。だから、私をドキドキさせるような素敵な冒険を見せてね〜」


 ヒラヒラと手を振るアルマンディの姿を最後に、エドガーはその場から姿を消した。




 ♦︎   ♦︎




 ネコタとエドガーが現世に帰り、六人は山を降りていた。


 去り際にコキュートスウルフに声をかけたが、結局、何の反応も見せなかった。しかし、最後までじっと六人の背を見つめ、その場に留まっていた。もしかしたら、見送りのつもりだったのだろうか。彼なりに、恩義を感じていたのかもしれない。


「なぁ、ウサギよ。お前、今回は女神とどんな話をしたんだよ」


 襲ってくるような魔物も出ず、よっぽど暇だったのか、ジーナがエドガーに尋ねる。

 エドガーは、ふふんと自慢げに言った。


「バッカお前、言える訳ねぇだろ。俺と女神様だけの秘密だよ」

「……そう言われると、私も気になる」

「はい、一体どんな話をしたんでしょう?」


「ケチケチせずに教えろよ〜。別に構わねぇだろ? 減るもんじゃないし」

「ただの雑談だよ、雑談。大した話なんかしてねぇぞ。なんでそんなに気になるんだよ?」

「だってよ〜。勇者のネコタの方が早く帰ってきたんだぞ? 気になるじゃねぇか。ネコタもどんな話をしたのか、教えてくれねぇしよ」


「いえ、僕の方こそ、話すような内容ではないですから……」


 黄昏た表情で、ネコタは目を背ける。

 ああっ、と。エドガーは納得したように頷いた。


「お前は女神様に説教受けていただけだもんな。こんなのが勇者だと思うと情けなくて涙が出そうだったぜ」


「は? 説教? お前まさか女神を怒らせたのか!?」

「……ネコタ、落ち込まないで」

「そうですよ、私と同じでしょっちゅう失敗してばかりなんですから、今さら気にすることはないじゃないですか! 元気だしてっ!」


「ウサギィイイイイイイイ! お前本当に殺すぞ!?」


【勇者】に似合わぬ瘴気を発し、ネコタはエドガーを睨みつける。しかし、エドガーは安定のスルーだった。未熟なる【勇者】の脅しにビビるほど、エドガーは弱くなかった。


『……ォオオオオオオオオオオオオオオオン――』


 山に、狼の遠吠えが響いた。

 六人は顔を見合わせて、山の頂上付近を見上げる。

 小さく、かろうじて狼と分かる形をした物が、大空に顔を向けていた。


 その姿を見たラッシュが、小さく笑みを浮かべる。


「門出の挨拶ってところかね?」

「へっ、素直じゃねぇな。だったら声をかけた時になんかしら反応を見せろっての。尻尾を振るとか、頭を下げるとか、いろいろあんだろ」

「素直じゃないのはどっちだよ」


 口角を釣り上げるエドガーを見て、ラッシュは楽しそうに言った。

 雄々しくも、高い声が、風に乗ってどこまでも響き渡る。威風の中に、美しさを感じる、そんな声だった。

 誰もが狼の遠吠えに耳を傾けている中、ネコタがポツリと呟く。


「……でも、なんだかちょっと寂しいですね」

「あん? 何がだよ」

 

 怪訝な顔をするエドガーに、ネコタは困ったような表情で言う。


「いえ、僕達がこの山を降りたら、またあの狼はこの山に一人で居ることになるんだなぁって。そう考えると、まるでこの遠吠えが、どこかにいる仲間に呼んでいるように聞こえて」

「……ああ。確かにそうか――」


 言いながら、エドガーは吠える狼を見て。

 そして、驚いたように目を瞠った。


「――いや」


 ニッと、小さく笑みを浮かべ、背を向ける。


「お前が思ってるほど、アイツは寂しがってないと思うぜ」

「えっ? なんで分かるんですか?」

「さぁな。テメェで考えろ」

「いいじゃないですか。教えてくださいよ」


「……友達だから、気持ちが分かるんだよね? ねっ、そうだよね?」

「いや、間違っても友達じゃないから。俺はウサギ、あれはオオカミ。食うか喰われるかの関係だから」


 いつものように、ガヤガヤと楽しそうに。

 勇者一行は過酷な雪山を後にし、次の目的地へと向かった。




 ♦︎   ♦︎




 身も凍えるような風が、ビュウビュウ吹いている。

 山の天辺から麓まで、白い雪で覆われている。


 氷の山、【ヒュルエル山】。

 その山には、【永久氷狼コキュートスウルフ】と呼ばれる狼が君臨している。

 誰も寄せず、誰にも寄り付かず。氷の山を支配する彼をして、”孤高の氷狼”と人は言う。


 ……いや、違う。


 彼は、孤高ではない。

 さりとて、孤独でもない。


 彼は、思い出と共に生きる。

 かつての主人と過ごした記憶を胸に、山を守る。


 ……ウォオオオオオオオオオオオオオオオン――


 遠く、遠く、何処までも。

 恩人の出立を祝う声が、何処までも響いていく。


 そしてその隣には……狩人の格好をした老人の姿があった。


 これからも、彼はこの山を守り続ける。

 楽しかった思い出と、大切なものを守ってくれた戦友の姿を、胸に。

 そして隣でそんな彼を見守り、嬉しそうに笑っている老人と一緒に。


 去りゆく友に感謝を込めて、天まで届けと吠え続ける。

 友の姿が見えなくなっても、いつまでも、いつまでも。


 嬉しそうに、誇り高き忠犬は吠え続けていた――





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