第76話 自然とか、本当にどうでもいいですから



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 燦々とした、気持ちのいい空だった。

 あまりの晴れ晴れしさに、歩いているだけで気分が良くなるよな、絶好の散歩日和。

 そんな空の下を歩く旅人が六人。その最後尾に居るフィーリアは、今にも死にそうな表情だった。


「あっ、あの、少し休憩を……」

「またですか、フィーリアさん。さっき休んだばかりでしょう?」

「す、すみません、エドガー様」


「まったく、ただでさえ大飯食らいでどんくさいし、おまけに歩くことすら出来ないなんて。一体何なら出来るというのですか?」

「えっ? で、でも、精霊術で狩りは……あと、お料理もちゃんと手伝って……」


「まぁっ! 口ごたえする気なの!?」

「い、いえっ! そんなつもりは!」

「呆れたわ。本当に口ばかりは達者で……やっぱりあなたにはこの旅は向いてなかったんじゃないかしら? 今からでも森に帰ってはどう?」


「そっ、そんなっ!? それだけはどうか! 私、もっと頑張りますからっ! 皆さんの足を引っ張らないように、ちゃんと……!」

「口だけなら何とでも言えるけどねぇ。現に、こうして足手纏いになって居るわけだし」


 縋り付くフィーリアに、邪険な目を向けるエドガー。

 そんなエドガーを、ネコタは呆れたように見ていた。


「あの、エドガーさん? その口調はどうしたんです?」

「分からないか? 嫁姑ごっこだ」


「ああ、やっぱりそうだったんですか。……楽しいですか?」

「意外と。凄く楽しい」


 清々しい、キラキラとした良い笑顔だった。

 こいつマジクソ、とネコタは思った。

 しかし、フィーリアはホッとした様子を見せる。


「あっ、ごっこ遊びだったんですか? 良かったです、てっきり本当に追い返されるのかと」

「本音も混じってるに決まってんだろうがあああああああ!」

「きゃ~~~~!?」


 エドガーはフィーリアに襲いかかった。

 フィーリアは可愛らしい悲鳴をあげ尻餅を着く。そこにエドガーはのしかかった。


「テメェのせいで旅程が崩れてんだよ! ろくに歩いてねぇのに何回休めば気がすむんだ! お嬢様育ちだからって甘えてんじゃねぇぞ! おら、なんか言ってみろや!」

「だっ、だって、暑くて、歩くだけで辛くて……森は居心地が良かったから、こんな暑さは経験がなくて……」


「また言い訳か! 暑さのせいなんかにしてんじゃねぇ! テメェに足りねぇのは体力じゃなくて根性だよ! 気合いで歩けや!」

「そ、そんなこと言われても……」


「それも無理っていうなら、まずはその無駄に重たい胸でも削ってみたらどうだ? んんん? 少しは軽くなって歩くのも楽になるだろうさ」

「も、もっと無理ですぅぅううう……!」


「あれも無理、これも無理。じゃあ何なら出来るんだよこの牛っ! 乳牛めっ!」

「きゃあああ~~~~!?」


 エドガーは容赦なくフィーリアの胸を叩き始めた。

 ボイン、ボインと胸が大きく揺れ動く。ゴクリと、はたから見ていたラッシュとネコタは唾を飲んだ。あまりの光景に止めることすら思いつけなかった。男の性である。


 ぐへへへっ、と山賊のような笑いを浮かべながら、エドガーはムニュリと下からすくうように胸を弄った。あんっ、とフィーリアは声を漏らす。顔を赤くするばかりで、抵抗する気力もなかった。


「まったく、デカイだけで何の役にもたたねぇ、みっともねぇ胸だな」

「あうぅぅ……! ごっ、ごめんなさいっ、見苦しくてごめんなさいっ……」


「男を愉しませるくらいにしか使えねぇんだ。悪いと思ってるならこの無駄な脂肪で俺を悦ばせてみろよ」

「はいぃぃっ……エドガー様がそれでご満足いただけるのなら……」


「へへっ、そうかよ。それじゃあ遠慮なく――」

「エドガー、何をやってるの?」

「うきゅう?」


 ヒョイと、エドガーはアメリアに持ち上げられた。

 冷え切った目で、アメリアは言う。


「やっていいことと悪いことがあるよ。これはお仕置きだね」

「待っ、待ってくれっ! 違うんだ! こいつが胸で挑発してくるからつい。ちょっと調子に乗っちまって……は、反省してる! だからっ――」


「ダメ。【雷よ、あれちゃんとはんせいしなさい】」

「アビャビャビャビャビャビャビャビャビャ!?!?!?!?」


 バリバリバリバリ! と、アメリアの手から電撃が走る。あまりの電量にエドガーの骨格が透けて見えるほどであった。


 電流が止まったころには、エドガーは全身を黒焦げにしぐったりとしていた。お仕置きと言う名の拷問に、ラッシュとネコタは震える。一歩間違えれば自分がああなっていたかもしれない。絶対に誘われても乗らないようにしようと二人は誓った。


 呆れたようにエドガーを見つつ、ジーナは言った。


「まぁ、ウサギの言うことも分からんでもねぇけどな。実際、ちょっと体力が無さすぎる。これじゃあいつまで経っても目的地にたどり着けねぇよ」

「あうっ。ご、ごめんなさいっ」


「そう言うなって。森にこもりっぱなしだったなら仕方ねぇだろ。それを差し置いても、フィーリアが入ってくれたことは、俺たちにとって大きい」


 戦力的に欠けていた部分を埋める人材なのだ。後半になるにつれ過酷になるであろう旅で、序盤でその戦力を埋められた僥倖と言える。多少のデメリットなど問題にならないとラッシュは考えていた。


「今はこんなんでも、歩き続ければ体力も付くからな。足手纏いに感じるのは今だけだ。すぐに頼りになるさ」

「ラッシュさん……ありがとうございますっ! 私、頑張りますっ!」


「なに、気にすんなよ。それに、暑いのが問題なら、すぐに解決するからな」

「えっ? それってどういう意味です?」


 理解できず、ネコタは問いかけた。気温の暑さなど、人の手ではどうにもならない問題だろう。

 いたずらっぽく笑い、ラッシュは指差した。


「説明せずとも、見ればすぐに分かるさ。というわけで、そろそろ行こうか」

「えっ? もうですか? まだ全然休めて……」

「い、いい加減にしろよ……どんだけ図太いんだ……」


 全身に痺れを感じながらも、エドガーは突っ込む。

 この我儘娘は俺が躾けなければならない。そんな義務感が彼を突き動かしていた。その義務感はどこから来たのか、謎である。


 フィーリアに合わせた遅々とした進みではあるが、六人は確実に距離を稼ぐ。

 緩やかで長い坂道を登り切り、その光景が目に入った。


「うわっ、凄い山ですね」

「ほう、確かにスゲェな。立派な山だ」

「うん、いい眺めだね。登りきった甲斐があった」


 真っ先に声をあげたネコタに同意するように、ジーナとアメリアも感嘆して景色を眺める。

 遠くに、巨大な白い山が見えた。思わず見ずにはいられない、雄大かつ綺麗な山だった。その山を目立たせるように、青々とした森が囲んでいる。


 高いところに登ったからこそ見える、見晴らしの良い景色だった。ネコタはウキウキとしながらフィーリアに声をかける。


「ほらほら、フィーリアさん! 見てくださいよ! すっごくいい眺めですよ!」

「す、すみません……今はそれどころではないので……」


 フィーリアはゼハゼハと息切れし、膝をついてうな垂れていた。ただでさえきついというのに、この坂は致命傷だった。


「そんなこと言わずに、ほらっ。こんな自然の景色、中々見れるもんじゃないと思いますよ!」

「お願いですから放っておいてください……自然とか、本当にどうでもいいですから……」

「お前本当にエルフか?」


 呆れを通り越し、エドガーはいっそ戦慄した。

 森の民にあるまじき発言である。よっぽど疲れているのか、声が荒んでいた。

 親が見たら情けなさで泣くだろう。


「そうですか? 勿体無いと思いますけどね。立派な白い山に、広い森。まるで富士山みたいな……」


 んっ? と、ネコタは違和感を感じた。


「白い山って、えっ? あれ、もしかして雪!?」

「ようやく気づいたか?」


 ネコタの反応を面白がるように、ラッシュが笑う。

 ネコタはますます混乱した。


「それって……じゃあ、あれ本当に雪なんですか? いや、ありえないでしょう? あれだけ標高の高い山なら、頂上付近だけならともかく」


 フィーリアがバテているように、ネコタの体感ではそれなりの気温だ。季節的に言えば、日本の真夏とまではいかないが、それに近い暑さである。

 

 にもかかわらず、遠くには見える山は麓までが白かった。いや、その周りの森も、一部は白い雪に包まれている。

 明らかに、気温と光景が一致していなかった。


「あれこそが、氷に包まれた白山【ヒュルエル山】。別名”氷狼の住まう山”。あそこが、次の目的地だ」

「目的地って、嘘でしょう? それじゃあ、まさか……」

「そのまさか、だ。あの山の頂上にある祭壇を目指し、雪の山を登らなくちゃいけないって訳さ。な? 暑さなんか問題なくなるだろう?」


 悪戯っぽく笑うラッシュ。

 だが、あの山を登ると聞いた五人は、顔をひくひくとさせた。

 あれだけ高い雪山を登る。それがどれだけ過酷なのかは、想像するだけで容易かった。


 誰よりも絶望しながら、フィーリアは呟いた。


「私、暑いよりも寒い方が苦手なんですが」

「お前マジ役にたたねぇな」


 エドガーの厳しい一言が、事実を語っていた。






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