第44話 ちゃ、ちゃんと私が叱っておくからっ!



「へぇ、親玉が出て来たか」


 意外だな、とラッシュは思う。


 こっちからたどり着くまで姿を見せないか、最悪は部下を戦わせている間に逃げる可能性もあった。それを考えれば、早くに姿を見せたのは僥倖だと言える。だがそれはつまり、侵入者をなんとかする自信があるということだ。


「どうやら相手はよっぽどの自信家のようだな。俺達を片づけられる思っているらしい」

「へっ、手間が省けたぜ。わざわざ向こうからやってきてくれるんだからよ」

「そりゃなんとも心強いことで」


 怯むどころか笑ってみせるエドガーに、ラッシュは軽口を言う。普段は困った奴だが、こういう時は頼りになる。


「何やってんだテメェら。まさか逃げようってんじゃねぇだろうな?」

「おっ、お頭っ! 違います! 俺たちは……」


「覚悟は出来てんだろうな。敵前逃亡はどうなるか、忘れたとは言わせねぇぞ」

「で、ですけどお頭っ! 俺達じゃアイツらは……」

「言い訳なんぞ聞きたくねぇ!」


 怒声が聞こえた瞬間、山賊の一人が弾けたように飛んだ。どうやらお頭とやらに殴り飛ばされたらしい。殴られた男は起き上がる様子を見せず、そのまま死んだように気絶した。


 殴り飛ばされた仲間を見て、山賊達は震えあがった。理不尽な扱いではあるが、反抗する気は起きない。次は自分の番かもしれないと思うだけで、逃げようという気もなくなる。彼らにとって、絶対の指導者に逆らうことは何よりの恐怖だった。


 そんな様子を見ながら、エドガーはヒヒッと笑う。


「おおっ、おっかねぇ」

「なんだ、意外と活きがいいじゃねぇか。おい、あのお頭とやらはあたしにやらせろよ。思ったより楽しめそうだ」


 ゴキリと首を鳴らし、今にも飛びかからんとするジーナ。


 二人にとっては山賊の頭領もたんなる獲物でしかないらしい。どんな奴かと、山賊達の壁の向こうに居る相手に思いを馳せる。


「そのあたりにしておきたまえ。もう敵がそこに居るのだ。部下を痛めつけている場合じゃないだろう」

「そうだぜ。シメるのはそいつらを片付けてからでいいじゃねぇか」

「ちっ、しゃあねぇな。おい、あとは俺がやる。とっとと道を開けろ!」


 ほう、とエドガーは感心したような声を上げた。どうやらあの頭領を諌められるような幹部が居るらしい。


「なんだ、まだ骨のある奴が他にも居るじゃねぇか。おい、俺が頭をやるからお前が残った奴をやれよ」

「ああん? バカ言ってんじゃねぇよ。あたしが頭に決まってんだろうが」


 だが、二人にとっては獲物が増えたということでしかない。どちらが頭をやるかで、楽しそうに口喧嘩を始める。


 山賊達が道を開けるように割れた。二人はワクワクとしながら、山賊の頭を待ち構える。


 その道を通って、頭領らしき男が現れた。鍛えられた体つきの、狼の【源獣種】の獣人。その両脇には、同じく狐と狸の【源獣種】の男達が付き従っている。


 先頭を歩く狼人を目にし、ジーナは口端を釣り上げた。両脇の二人はともかく、あれは自分と同じく戦いを求める性質の者だ。戦いに飢え、鍛錬を重ねた【源獣種】の男。思ってもみなかった相手に、ジーナの血が騒ぐ。


「あん?」


 だが、エドガーは意外な反応を見せた。

 ウキウキとしていたのに、狼人が姿を現した途端、キョトンとした様子を見せる。そして、同じような反応を見せたのはエドガーだけではなかった。


「ほぅ。なんだなんだ、女の【格闘家】とは聞いていたが、まさかこれ程の……」


 歩きながら威圧感を放っていた狼人の空気が、ジーナを見るなり膨れ上がる。強者の匂いを嗅ぎ取ったようだ。これから訪れるであろう快楽に舌舐めずりをする。が、視線を傍に居たウサギに移した瞬間、ピタリとその動きが止まった。


「……あ?」

「……ん?」

「……え?」


 狼人だけではなく、両脇に居た獣人もエドガーを見て惚けた声を上げた。三人とエドガーが見つめ合い、奇妙な空白が生まれる。


「「「……ああああああああああああああああああ!?」」」


 そして、三人は同時に叫んだ。

 ワナワナと震え、狼人の男がエドガーを指差し、


「エッ、エエエッ、エドガー!? テメェ、なんでこんな所に居やがる!?」

「そりゃあこっちの台詞だ……まさかテメェらがここの頭か……?」


 驚いているのか、エドガーは絞り出したような声でなんとか呟く。


「……おい、ウサギ。どういうことだ。まさかこいつら知り合いか?」


 そうだとしか思えない態度に、ジーナは白けた目をエドガーに向ける。だが、エドガーは何も答えなかった。顔が引き吊り、ダラダラと大量の汗を流している。明らかに様子がおかしい。


「おい、エドガー。どうなんだ?」

「シリアイ……知り合い? エドガーさん、この人達のことを、知ってるんですか?」


 不自然な様子を見逃さなかったラッシュと、ゆらりと幽鬼のような表情で立ち上がったネコタに問い詰められるエドガー。

 エドガーはチラリと二人に目を向け、


「いや、知らないな。全く身に覚えが……」

「し、知らない? テメェ、オイラ達を忘れたってのか!?」

「待てポンキー! 早まるな!」


 狼人が焦りながらポンキーと呼ばれた狸人の肩に手を伸ばす。が、ポンキーはその手を振り払い叫んだ。


「うるせぇ! 確かにコイツの恐ろしさは分かっているけどな、知らないなんて言われて黙ってられるかってんだ! おうおうおう、エドガー! オイラのことを忘れたなんて言わせねぇぞ! お前に与えらえれた屈辱、オイラはハッキリと覚えてんだい!」


「…………」

「……エドガーさん?」


 ネコタに優しい声をかけられ、エドガーはビクンッと震えた。ネコタに背中を向けたまま、観念したように喋り出す。


「……”罠師のポンキー”。【ポンポコ怪盗団】っていう小型の獣人種が集まったコソドロの一味で、頭を張っていた奴だ。

 アホらしい名前だが、俺が拠点にしていた北の地ではコイツらの被害に合った金持ちがかなり居た。


 冒険者ギルドも何度かアジトを見つけて討伐しようとしていたが、コイツは戦闘力こそないが罠の達人でな。討伐隊が罠に引っかかっている間に逃げ続けて、長年捕まえることができなかった」


「おう、その通りだ! そのポンキー様だよ! しっかりと覚えてんじゃねぇか! しらばっくれやがって!」

「気持ちは分かるが落ち着きたまえポンキー」


 今にも飛びかからんとするポンキーを、孤人の男が止める。

 その男に目をやりつつ、ネコタは聞いた。


「あの人は?」

「……”狂乱のフェレック”。【鮮血の狐】っていう野党団の首領だった男だ。

 商人、貴族、冒険者、相手を選ばず襲い掛かる、狂ったような凶暴性から付けられた名でな。


 実際、知性的で狡猾な者が多い孤人族にしては珍しく、自ら率先して戦うような武闘派の野党だった。金品よりも血を何よりも好む残虐な男として恐れられていた」


「私のことまで覚えていたとは光栄だ。だが、それは昔の話だ。今となっては忘れたい過去だよ」


 エドガーの説明に苦い表情を浮かべつつ、フェレックは言う。

 ネコタは興味深そうに頷き、続けて狼人に目を向ける。


「へぇ、それは怖いですね。それで、あと一人は?」

「……”餓狼のウルフバン”。好戦的な狼人の中でも更に荒っぽい奴でな。とにかく名の知られた猛者に喧嘩をふっかけては金を奪ってくことを繰り返し、ついにはギルドから懸賞金を掛けられたお尋ね者だ。俺も何度か手合わせをしたが、それなりに手こずらされた」


「はっ、余裕をもって俺を叩きのめしておいてよく言うぜ」


 闘争心を見せながら、ウルフバンは笑う。その佇まいは、まぎれもなく強者の雰囲気が窺える。

 それを見ながら、ネコタは納得したように頷いた。


「なるほど、確かに強そうな人ですね。ところで――エドガーさんは何処でこの人達と知り合ったんですか?」

「…………」


 感情のこもってない平静な声だった。それが逆にエドガーを恐怖させる。

 どんな目で自分を見ているのか、確かめるのが怖かった。エドガーは下を向きながら、消え入りそうな小さな声で呟く。


「……北の地で活動している時に、叩きのめして……その……」

「やっぱりそうですか。それってつまりアレですよね? 前にエドガーさんが言っていた小遣い稼ぎで――」


「一体どこのどいつがこの領を食い物にしているのかと思えば、まさかお前らだったとはな! 北の地を縄張りにしていたテメェらがなんでこんな所にいやがる!?」


 ネコタを遮るようにエドガーは叫んだ。

 それ以上の剣幕でポンキーが叫び返す。


「そんなのお前のせいに決まってんだろうが!」

「えっ、俺のせいなの?」

「お前のせいでしかないわこのすっとこどっこいがぁ!」


 ポロポロと涙を流しながら、苦しそうにポンキーは言う。


「どんな所にでも忍び込み、華麗に財宝を盗み去っていく。【ポンポコ怪盗団】はそんな誰もが知る大怪盗団だったんだ。オイラはそこの頭として鼻高々だった。それをぶち破ったのがお前だエドガー!」


 今でもポンキーは忘れられない。


 誰もが引っかかっていた自慢の罠を、スイスイと避け、あるいは力技で破壊していくウサギの姿を。

 そして、それに絶望する自分を嘲笑うように、アジトに溜め込んだ宝を笑いながら奪い去っていく悪魔の如き所業を。


 それも一度じゃ飽き足らず、何度も何度も!


「いっそ……いっそどっかの領主にでも引き渡して牢屋にぶち込んでくれりゃあ良かったんだ!

 それならオイラは死刑になってたかもしれないけど、【ポンポコ怪盗団】は伝説になっていた!


 なのにお前はオイラ達を見逃して、活動を再開させたらまた姿を現わす! 

 何度も盗んだ宝を奪われる情けない頭に、部下達は愛想を尽かして一人また一人と去っていったさ!


 そして最終的には誰もいなくなって団は解散! 【ポンポコ怪盗団】はすっかり忘れ去られちまった! 惨めだった……! いっそ殺せと何度思ったことか……!」


「お、おう、そうか……」


 流石のエドガーもここまで訴えられては何も言えなかった。見かけがタヌキとはいえ大の大人が泣いていたのが怖かった。

 憚らず涙を流すポンキーを慰めるように肩に手を置き、フェレックはエドガーを見る。


「私も似たようなものだ。武闘派の野党団として名を馳せていた【鮮血の狐】の荒くれ者達は、たった一人で何度も私達を打ち倒し財貨を奪っていくお前に恐怖し、皆足を洗った。

 中には心に傷を負ってまともな会話も出来なくなった者も居る。おかげで私も北の地から離れざるを得なくなった。かつては”狂乱”と呼ばれた私が、落ちぶれたものだ」


「俺もだ。強者として名を上げ、高ランクの冒険者にすら恐れられていた俺だったが、お前に目をつけられてからは散々だった。

 お前は知らないだろうが、ひたすらお前に金を巻き上げられていた俺は、ウサギに負け続けるオオカミちゃんとまで言われてたんだ。そこらの雑魚にまで舐められる日々はとてつもない屈辱だったぜ!」


「へ、へぇ……」


 憎々し気に睨まれ、エドガーは後退った。慣れた視線であるというのに、なぜか無視できない程の気迫を感じた。

 うろたえるエドガーを追いつめるように、フェレックは言う。


「私達は貴様から逃げるように北の地から離れ、偶然出会った。そして三人ともが貴様にやられた縁があったことで意気投合し、決心したのだ。貴様から搾取され続けた私達だったが、この三人で協力し、もう一度遠い土地でやり直そう、とな!」


 語っているうちに熱が入ったのか、フェレックの口調に力がこもる。


「貴様は私に言ったな。『小細工しかできねぇ狐風情が粋がってんじゃねぇよ!』と。その言葉は屈辱でもあったが、同時に私に己の失敗を教えてくれた。だからこそ私は、次は目立たずに勢力を築くことに集中した」


 その結果が、この伯爵領で作り上げた野盗集団という訳だ。

 

 強い軍勢を避け、豊かな収入のある土地を見つけ、さらには冒険者ギルドからも目を付けられないようにスパイを送り込み、盤石な体制を作り上げたのだ。

 

「自分でも意外だったが、私は紛れもなく狡猾で知られる狐人の一族だったようでな。こういった作業が思った以上に性に合っていた。私自身が意識していなかったこの才能に気づけたのは、ある意味お前のおかげだ。その点だけは感謝しよう」


 ゴクリ、と。エドガーは唾を飲みこむ。

 フェレックの後に、ポンキーが続いた。


「そしてこのアジトの防御力をさらに高めたのがオイラの罠だ。エドガー、お前はオイラに言ったよな。『こんな子供騙しに引っかかるわけねぇだろバァーカ! タヌキは大人しく腹太鼓でも鳴らしてろ!』ってな」


 惨めだった。

 決して恵まれていない体格のハンデを覆すために磨いた技術が、子供だまし扱いされるなど。

 そしてだからこそ、それを認めてはいけないとポンキーを奮起させた。


「あれは本当に悔しかったぜ。でも、だからこそオイラはさらに努力し腕を上げた! お前がまたここに来るまで、オイラの罠に引っかかった奴は数知れなかったぜ! お前はまた抜けてきたようだが、今も同じセリフが言えるか!? ここに来るまで相当苦労したはずだぜ!」


 ダラダラと、エドガーは滝のように汗を流す。

 ズンッと、ウルフバンは威圧するように一歩前に出た。


「そして力でこいつらを集めたのがこの俺様よ。エドガーよ、お前は覚えていねぇだろうが、俺は今でも忘れてねぇ。あの屈辱をな!」


 今でも鮮明にウルフバンは思いだせる。


 ──お前、犬の獣人なんだろ?

 ──だったら泣いて謝ってみろよ。ほら、キャインキャイン、ってな。ギャハハハハ!


 あの時の、愉しそうなウサギの嗤いを。

 そして、あの時に感じた悔しさと恥ずかしさを。


「お前は実際に俺がそうやって鳴くまで、何度も叩きのめしてくれたな。お前に負け、あの土地から逃げた俺だが、あの屈辱を忘れたわけじゃねぇ! いつかお前に復讐する時の為に、己を磨き続けていた! ここの領主の兵隊を返り討ちできるほどの力を身に着けるほどになぁ!」

 

 さあっと、エドガーの顔色が悪くなっていく。

 それに気づかぬように、ウルフバンは胸を張って言った。


「フェレックが体制を作り上げ、ポンキーがアジトの防御力を高め、そして俺が率いる。そうやって俺達はこの野党団を作り上げたんだよ!

 決して交わることのないはずだった俺達がこうやって心を一つにしたからこそ、この領を支配することが出来た! そのきっかけはお前だ、エドガー! クハハハッ、言ってみれば、お前が全ての元きょ――」

「――【ラビットストライク】!」


 ウルフバンの腹部にエドガーの飛び蹴りが突き刺さった。ウルフバンは目玉が飛び出てしまうかと思うほど目を見開き、そのまま後ろに吹き飛ぶ。


「ガッ――! かはぁ……!」

「ウルフバン!?」

「ウルフ! おい、死ぬなよ!」


 白目をむき、仰向けに倒れるウルフバンに、フェレックとポンキーが駆け寄る。


 ウルフバンを介抱していると、ザッと足音が聞こえた。振り返れば、すぐ傍までエドガーが近付いていた。二人はかつての仕打ちを思い出し、気づかぬうちに震えていた。


 そんな彼らに、エドガーは怒りを叩きつける。


「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞこのクズどもが! 黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって!」

「エドガーさん」


「元凶は俺だぁ? 責任転嫁も甚だしいぜ! きっかけはどうあれ、テメェのやったことはテメェの責任! その責めを負うのもテメェ自身だ! それを誰かに押し付けて誤魔化すことなんて出来ねぇんだよ!」

「エドガーさん」


「この領のことをあれだけ大事にしている伯爵にあんだけ迷惑をかけやがって! 伯爵が許したとしてもこの俺が許さねぇ! テメェらは伯爵に引き渡す間でもねぇ! 俺が直々に引導を渡して――」

「――エドガー。呼んでるだろ。こっち向けよ」


「…………ッ! なんだよコラァ! 今大事なとこ――」


 キレ気味にエドガーは振り返った。が、自分を呼ぶものの姿を見て、息を呑む。

 かつてないほど冷たい瞳で、ネコタがこちらを睨んでいた。まるで虫でも見ているような目だった。


「エドガー。こっちに来い」

「……ネ、ネコタのくせして俺を呼び捨てにするとはいい度胸だなっ? いつからそんなに偉く――」


「いいから来いよ。殺すぞ」

「あっ、はい」


 エドガーはトコトコとネコタの前に移動した。

 なおも変わらず、ネコタは冷え切った目でエドガーを見降ろす。エドガーは冷や汗を流し、気まずげに目を逸らした。チッ、とネコタは舌打ちする。


「なに突っ立ってんだよ。早く座れよ」

「えっ? でも、どこにも椅子なんて……」


「地面にだよ。言わなくても分かるだろ」

「あっ、はい」


 エドガーは地べたに正座した。反抗する気も起きなかった。なんだか凄く怖かった。

 ネコタはじっと見おろすと、ふぅ、とため息を吐く。


「……もうほんとに、何を言えばいいのか分からないよ。お前さ、どう思ってるの?」

「ど、どう思ってる、とは?」


「分かってることを聞き返すなよ。お前のせいで伯爵様があんなに苦労したんだぞ。そのことについてどう思ってるのかって聞いてんだよ」

「そんなこと言われても……やったのはアイツらで、俺は悪く……」


「は?」

「あ、いえっ、すみません。大変申し訳ないと思ってます」


 はぁっと、ネコタはため息を吐く。

 いつもなら舐めた態度に殴りにいくところだが、エドガーは大人しくしていた。今のネコタにはそれだけの雰囲気があった。


「申し訳ないと思ってます、ね。本当にそう思ってるわけ?」

「も、もちろんです」


「あんだけ偉そうに話していたくせにさ、やっぱりこういうことになったじゃん。こんなこと伯爵様にも言えないよ。ねぇ、どうやって謝るつもりなの」

「それは……僕に出来ることならなんでも……どんなことをしてでも償いたいと……」


「どんなことをしてでもね……今更何かをやったところで、あなたの罪は消えないですけどね」

「す、すみません。だけど、僕にはそうするしか……」


「いいですよ、どうせ出来ないんですから、無理にやろうとしないで。ただ、責任だけはとってください」

「せ、責任?」


 ネコタは腰元の物に手を伸ばし、それをエドガーの前に落とす。


 ――カランッ、と。

 

 洞窟中に、ナイフが落ちた音が響いた。

 エドガーは呆然とナイフを見つつ、震えた声で尋ねる。


「あぁっ、あの……こ、これは?」

「何かあったら腹を切るんでしたよね。任せてください、介錯は僕がします」


 ネコタは剣を抜くと、迷わず上段に剣を構える。躊躇のない動きに、エドガーは震えた。助けを求めるようにラッシュ達の方を見る。だが、三人共が緊張した表情で固まっていた。かつてないネコタの様子に、動くことも忘れているようだった。


 エドガーはネコタを見上げる。どこまでも冷たく、鋼のような意思を感じさせる瞳が自分を見下ろしていた。何を言おうとも、その時がくれば迷いなくネコタはあの剣を振り下ろすだろう。そう確信できるだけの風格があった。


 エドガーは震えながら、涙声で縋った。


「ゆ、許して……お願いだからっ……もうしないからっ……」

「駄目です。行動と言葉の責任はしっかりと取ってもらいます」


「ネ、ネコタくぅん……」

「そんな声を出しても無駄です。さぁ、覚悟を決めてください。」


 この瞬間、ネコタはまさしく処刑人と化していた。

断罪勇者エクスキューショナーネコタの誕生だった。


「……うぁあああああああん! アメリアァアアアアアアアアアア……!」


 恐怖に耐えきれず、エドガーはアメリアに泣きついた。

 アメリアの胸に飛び込み、頭を撫でられながら、感情を吐き出す。


「俺……俺、そんなつもりじゃなかったんだ! ちょっと小遣い稼ぎのつもりで、こんなことになるなんて思ってなくて……!」

「うん、うん。そうだね、エドガーは悪くないよ」


「そ、そうだよな……? そ、そうだよ、俺は悪くぬぇえ! 悪いのは全部アイツらだ! 俺はアイツらを懲らしめてちょっと金目のもんを頂いただけだ! だから俺は悪くぬぇえ!」

「うん、そうだよ。エドガーは悪くないよ。エドガーの良いところ、私はちゃんと知ってるから、大丈夫だよ。だから泣かないで……」


 完全に、駄目息子とそれを甘やかす母親の構図だった。正直救いようがない。


 そんな二人の側に、ネコタが近づく。ヒッと、二人は怯えた声を上げた。エドガーは怯えてしがみつき、アメリアは守るようにぎゅっと抱きしめる。


 ネコタは無感情の目で二人を見下ろした。


「アメリアさん。エドガーさんを渡してください」

「……ゆ、許してあげて。エドガーに悪気はなかったの」


「悪気がなかったからって、許される訳ではないんですよ。いや、悪意がない分、余計に性質タチが悪い」

「でも、エドガーもちゃんと謝ってるから……」


「ごめんで済んだら警さ──法律なんて要らないでしょ。裁かなきゃいけない奴がいるから法律があるんです」

「ちゃ、ちゃんと私が叱っておくからっ! だから……!」


「アメリアさんに出来るわけないでしょ! あなたが甘やかすからそのウサギが調子に乗ってるんですよ!」

「ヒッ……!」


「ア、アメリアを虐めるなぁ! やるなら俺をやれぇ!」

「いい度胸だ。こっちに来い」


「んんぁあ〜!?」

「エ、エドガー!」


 ネコタは首根っこを掴んでエドガーをアメリアから奪った。奪われたエドガーに手を伸ばすアメリア、そして無害そうな姿で間抜けな悲鳴をあげるエドガー。まるで子供を奪われた母親のようだった。どちらが悪役だか分からない。


 あいつ意外と余裕あるんじゃないかなぁと、ネコタにぶら下げられているエドガーを見ながらラッシュは思った。


「ぐっ、くっ……グガアアアアアアアアアアアア!」


 寸劇を繰り広げている間に、回復したウルフバンが咆哮を上げ立ち上がる。

 ウルフバンは口の中の血を吐き出すと、ギロリとエドガーを睨みつけた。


「追撃も無したぁ、随分と舐めた真似をしてくれるじゃねぇか。だが、おかげでこっちも回復したぜ。エドガー、テメェ、絶好のチャンスを失ったぞ」

「……フン、そんなフラフラな体でよく言うぜ」

「あ痛っ!?」


 エドガーはネコタの手首を蹴り上げ振り払った。

 ネコタから解放されたエドガーは、いつもの調子を取り戻して言う。


「チャンスを失っただぁ? バカ言え。お前ごときいつでも対処できるから余裕を持って対処しているだけだ。そのまま寝てればもう少し寿命が延びたものを。まぁいい、伯爵を苦しめた罪はこの俺が直々に精算してやる」

「こいつ……! 自分が原因の癖に!」


「こいつらは無理矢理、俺のせいにして仲間割れを狙っているんだ。簡単に騙されてるんじゃねぇ。そんなんだからお前はネコタなんだ」

「いけしゃあしゃあと! よくもまぁそんなことが……!」


 後ろからネコタが睨みつける。が、エドガーはふてぶてしい態度でウルフバンと向かい合っていた。ウルフバンの叫び声で己を取り戻したのか、完全に開き直ることに決めたらしい。


「改心の機会をやろうと慈悲を見せた俺が間違っていた。テメェらを野放しにした責任は俺が直々に取ってやるぜ。覚悟をしろ、もう逃してやらねぇぞ」

「吐かせ! 言ったはずだ! 俺はもう昔の俺じゃねぇとな!」


 その言葉とともに、ウルフバンは全身に力を込めた。

 雰囲気が変わったことにエドガーは警戒し、注意深く相手の様子を伺う。

 好都合だ。ウルフバンはニッと小さく笑うと、全力の雄たけびを上げた。


『アォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』


 洞窟中に、ウルフバンの咆哮が響く。そして体が光に包まれ、全身の毛が逆立ち、筋肉が膨れ上がる。その変化に、エドガーは目を剥いた。


「これは……まさか……!」


 エドガーの予感を証明するように、ウルフバンは変貌を終えていた。

 体は一回り大きくなり、犬歯や爪がより尖る。そして黒い体毛は燃えるような赤に変わっていた。その闘争心を表すように、目つきが更に鋭くなっている。


 変化を終えて獰猛な笑みを見せ、ウルフバンは言う。


「どうだ、これが俺の新しい力だ。覚悟しろ、エドガー。逃がさないのは俺の方だぜ」

「……まさか【魔獣化】とはな。驚いたぜ」


 少しは楽しめそうだと、エドガーは己を奮い立たせるように笑った。








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