第20話 しかも美味い



自分の目で見たものがよっぽど信じられないのか、クレメンスは呟くように言った。


「人参……なのか?」

「おう、人参だぞ」


 何故だか、ウサギは胸を張って言った。むふんとどこか自慢げだ。


 目を点にするクレメンスの前で、ウサギはあんぐと人参の先端を齧った。なんの抵抗もなく、ボリっと音を立てて人参は齧り取られる。


 ゴリゴリと、静寂に満ちた練兵場にウサギの咀嚼音だけが流れる。誰もが呆気にとられながらそれを見ていた。例外といえば、密かに可愛いと呟いているアメリアくらいか。


 ゴクリと喉を鳴らして、ウサギは言った。


「しかも美味い」

「——————」


 ブチリと、クレメンスの中で何かが切れた音がした。


「ふざけるのも大概にしろこの畜生が! どこまで私を舐めれば気が済むのだ!」


 最早打つ手がない事を忘れて、クレメンスは怒鳴りつけた。

 何を出すのかと思っていれば身構えていれば、出てきたのはただの人参だ。もはや武器ですらない。いくら実力差があるとはいえ、誇りを懸けた決闘だというのに、これほどの侮辱が他にあろうか。


「殺す……! 貴様だけは絶対に殺してやる!」

「おっ、いいね。少しはやる気出してきたか。よし、かかって来い。生き恥をかかせてやるぜ」


 ヒュンッ、とウサギは人参を振り下ろして構えた。

 クレメンスは怒りのままに突っ込む。


「おおおおおおおおおおお!」


 渾身の力を込め、剣を振り下ろす。ウサギはそれを迎え撃った。剣と人参が交差した瞬間、バギンッと片方の得物が半ばから折れ、宙を舞った。


 クルクルと回転し、ザクリと地面に突き刺さる。観衆の目がそれに集まり、刺さったものを見て唖然とした顔を作った。


 それは、クレメンスの持っていた剣だった。


「…………はぁ?」


 クレメンスはそれを見て間抜けな声を上げた。何度も自分が手にしている折れた剣と見比べ、乾いた笑い声を出す。


「……ハッ、ハハッ、なんだこれは。ありえない……だって、さっきは齧って……」


「こいつは俺の魔力で作り出した特別製でな。食べようとする分には、ただの人参だ。だけど、武器として扱えば、どんな物でも切り裂く名剣になる。竜を殺した時に使ったのもこれだ。切れ味はお墨付きだぜ」


 クレメンスは顔を青ざめさせた。

 その言葉が正しければ、一見ただの野菜にしか見えないあれは何よりも危険な武器だ。それを自分に向けられている。そして、自分の手に剣はなく、鎧も頼りにならない。


 結果がどうなるかは、すでに見えていた。


「さて、覚悟はいいかな?」

「まっ、待て!」


 自然と、クレメンスは一歩下がっていた。

 ウサギがジリッと距離を詰める。クレメンスはまた下がる。そしてウサギは同じように距離を詰める。


 野菜を恐れて下がる騎士と、ジリジリと追いかけるウサギというシュールな光景だが、クレメンスは必死だった。


 長い人参を振り回すファンシーなウサギが、まるで死神のように思えた。


「じゃ、行くぜ。防げるもんなら防いでみな!」

「よ、よせ! 止め――」


 一瞬でウサギの姿が消え、橙色の閃光が走る。幾重にも剣閃がクレメンスを切り裂く。クレメンスは己の死を悟った。

 しかし、クレメンスは死んでいなかった。いつの間にか、ウサギは背後に居た。


 トン、とウサギは人参を担ぐようにして、クレメンスを見る。すると、パカンッと音を立てて、クレメンスの鎧だけが次々と輪切りになった。


 鎧が全てを外れ、クレメンスの全身が露わになる。クレメンスは自分の身体に異変がないと知ると、ヘナヘナとその場に座り込んだ。


「どうする? まだやるかい?」


 面白がるように聞くウサギに、クレメンスは何も言い返せなかった。

 ウサギに、人参で騎士の象徴とも言える剣と鎧を全てを切り刻まれた男。自分の姿を客観的に見た時、歯向かう気力が失せていた。


「……いや、もういい。私の負けだ」

「そうか。まっ、この辺で許してやるよ。あの時のことは今思い出しても苛つくが、少しはスッとしたからな」


――一体何のことを言っているんだ、こいつは。


 クレメンスは問いただそうとして、止めた。こいつが何者なのかも、栄光の未来を失ったことも、近衛騎士団団長の座を追われることになろうと、全てがどうでも良かった。

 

 今はただ、命が助かったというだけで十分だった。


 ――おおおおおおおお!


 クレメンスのギブアップ宣言に、この戦いを見ていた観客たちが声を上げる。初めは獣人だからと軽蔑の目で見ていた者達も、ウサギの実力に魅せられていた。


 ウサギはその実力を持って、種族的なハンデを乗り越え、勇者一行の座を掴み取った。




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