第7話 こんなことを言いたかったんじゃない!
トトは急いで外に飛び出した。すると、村の入り口に人集りが出来ている。トトは迷わずそこへ駈け出した。
村の住人達が集まっているのは、この辺りでは見られないような豪華な造りの馬車が来ていたからだった。その馬車の周りを、ピカピカと輝く鎧に身を包んだ騎士が囲んでいる。
騎士が守るのは、貴族の地位にいる者だけだ。いったい誰が来たのか――そう考える間もなく、馬車の扉が開かれる。
ひょこりとそこから顔を出したのは、アメリアだった。
「アメリア……」
アメリアの顔が見えた瞬間、トトは思わず呟いていた。
トトの呟きを聞き取ったのか、アメリアはすぐにこちらを見て、パアッと花が咲いたような笑みを浮かべる。
「――トトッ!」
すると、アメリアは手を差し出した騎士を無視して馬車から飛び降りた。そのままトトを目指して走り、勢い良く抱きつく。トトは倒れそうになるのをこらえ、なんとかアメリアを受け止めた。
「ただいまっ! トト! 帰って来たよ!」
「……ああ、おかえり!」
いつも以上に嬉しそうにするアメリアに、トトは心がすっと軽くなった気がした。
【賢者】になろうが、やっぱりアメリアはアメリアだった。何も変わっていない。忘れられてなんかいない。それが分かっただけで、泣きたいほど嬉しくなる。
「アメリア様。勝手な真似をされては困ります」
だが、アメリアを追いかけてきた騎士の言葉で、トトは現実に引き戻された。
その声の主を目にし、アメリアは嫌悪感を表情に浮かべる。
「クレメンツ……」
「何度も言ったはずです。あなたは賢者様なのです。普段からそれに相応しい振る舞いを心がけなければなりません。
馬車から飛び降りるなどのお転婆はもちろん、子供とはいえ男に抱きつくなど以ての外です。ましてや、たかが村人などに」
すっと、クレメンツと呼ばれた騎士の目がトトを捉える。その目にトトは身を震わせた。まるで汚らわしい物を見るかのように、その目は冷え切っていた。
「うるさい! 放っておいて、約束でしょ!」
「しかし……」
「いいから放っておいて!」
「……畏まりました」
クレメンツは一礼をすると、仲間の騎士達の元へと戻る。その背中を、トトは睨みつけていた。
金髪に、整った顔立ち。立派な鎧を当たり前のように着こなしている。
賢者の護衛をするからには、実力も高いのだろう。誰もが思う、騎士らしい騎士だ。だが、トトにはそう思えなかった。
自分を見た時の、あの冷たい目。
あんな目をするような男に、アメリアの側にいてほしくなかった。
「ごめんねトト。嫌な思いさせて」
「ああっ、いや、気にしてないから。それよりもいいのか? いくらアメリアが賢者でも、騎士の人にあんなこと言って」
「いいのっ! あの人、いつも厳しいことばかり言うんだもん。それに、トトにあんな酷いこと言って……ボーグより嫌いっ!」
酷い扱いだ、とトトは思った。いくらなんでもボーグが可哀想だ。
同時に、アメリアが自分のことで怒ってくれて嬉しくなる。ニヤけそうな顔を、トトはなんとか抑えつけた。
「そっか、それならいいのかな?」
「うん、いいの。それに、約束したからね」
「約束? どんな?」
トトの問いに、アメリアは曖昧に笑って誤魔化す。
「それはまた後で話すよ。ねぇ、二人で話そう? トトと離れている間に、いろんな事が有ったんだ!」
「俺はいいけど、いいのか? お前、家でおじさんとおばさんと過ごすんじゃ?」
「それは後で出来るし、お母さん達とはずっと一緒だったから。今はトトと話したいのっ」
「そ、そっか。うん、いいよ。俺もアメリアと話したかったんだ」
トトがそう言うと、アメリアはえへへと照れるように笑う。
トトは気恥ずかしく思いながら、アメリアの手を引いて家に連れて行く。家の前では、バラドとエミリーが二人を待っていた。
「あのさ、父さん、母さん。その、アメリアと……」
「ああ、俺たちはベルガと話してくるから、二人で話しておきな」
「そうね、私達は邪魔をしないから、二人っきりで話しなさい」
「ありがとう、おばさん!」
無邪気にアメリアは喜ぶ。エミリーはそんなアメリアの頭を優しく撫で、バラドと共にアメリアの家へと向かった。
トトは両親の優しさに感謝した。そして、そうしてくれた意味にも。それに気づかないふりをして、アメリアと家に入る。二人はトトの部屋のベッドに腰掛け、話し始めた。
「本当に久しぶりだよな。あれから急に会えなくなったから、もうずっと会えなくなっちゃうのかと思ったよ」
「うん、あたしも。だけど、また会えて良かった。ねぇ、あたしね、いっぱい話したい事があるの」
「ああ、俺もだよ。時間はいっぱいあるんだ。だから、いっぱい話そう。アメリアは今まで何をやっていたんだ?」
「うん、あのね――」
それから、アメリアはたくさんのことをトトに話した。
賢者として領主に合わされたこと。そこで美味しいものを食べたこと。綺麗な服を着たこと。いろんな大人から頭を下げられたこと。マナーを学ばされたこと。良かったこと、嫌だったこと、驚いたこと、全てを。
トトは相槌を打ちながら、その全てを聞く。こうしてアメリアが喋っている姿を見るだけで楽しかった。だが同時に、アメリアが自分の知らない世界を体験したことを知り、どこか遠い存在になってしまったような寂しさを覚えた。
「そっか、いろいろと大変なんだな」
「うん。どこに行ってもあの人達が付いてくるから、嫌になっちゃう。あたしだって一人になりたいのに……」
最初は楽しいことも話していたが、後半はほとんど愚痴ばかりだった。表面では分からないが、アメリアは相当ストレスが溜まっていたらしい。
無理もないと、トトは思う。ただの村娘が、一転して賢者だ。その環境の変化は、大人でさえ辛いものがあるだろう。
ましてやアメリアは純粋な年頃の娘だ。即物的な幸福に流されるには、幼すぎるし、大きくなりすぎた。それよりも慣れ親しんだ生活が恋しいだろう。
だからこそ、トトは何を言うべきか分からなかった。気軽に頑張れとは言えない。話を聞く限り、もう既に頑張っているのだから。これ以上はアメリアが潰れてしまう気がする。
かといって、頑張らなくてもいいとも言えない。それを言うには、アメリアにのし掛かった責任は、重すぎる。
「そっか。だけど、よくこっちに帰ってこれたな。それだけ忙しいなら、その暇もなさそ――」
トトは言葉を止めた。
アメリアの顔が、くしゃりと歪んだからだ。
「ど、どうしたんだアメリア? 俺、なんか悪いこといったか?」
「ううんっ、ごめんね。あのね、あたし、言わなきゃいけないことがあるの」
ゴシゴシと顔を拭って、アメリアは涙を浮かべながらトトを見る。
「あのね、あたし、これから王都に行かなきゃいけないんだって」
「……うん、それで?」
「あたし、【賢者】だから、【魔王】を倒さなきゃいけないんだって。そのためには、王都で戦い方をいっぱい勉強しなくちゃいけなくて、そこにはお父さんもお母さんも、邪魔になるから付いて行っちゃいけないんだって。
あたし、一人で行かなくちゃいけなくて。この村にも、しばらく帰ってこれなくなっちゃう」
「そう、なんだ……」
――ああ、本当にお別れなんだな。
分かっていたことではあったが、アメリアの口から聞いたことではっきりと、トトは実感した。
そう思うと、急に寂しくなる。そしてそれはアメリアも同じだった。涙を流し、声を震わせながら、続ける。
「ひっく……今日、来れたのもねっ……あっ、あたしが、わがままを言ったから、なの。村に帰るまで……トトに会うまでっ、絶対に王都には行かないって……会えたら大人しく付いて行くから、トトに会わせてって……それで、領主様と騎士の人達も許してくれて……帰ってこれたの……」
「うん、うん、そっか。それで会いにきてくれたんだな。ありがとう、すごく嬉しいよ」
トトは、泣き続けるアメリアを優しく撫でる。自分に会うために無茶をしたアメリアが、愛おしかった。そんなアメリアを、勇気付けてやりたかった。
「うんっ……でも、でもねっ……あたし、王都なんか行きたくない!」
「アメリア……」
驚いて、トトはアメリアを見る。
アメリアは涙と共に、自分の心を吐き続けた。
「約束したけど……でも、やっぱりやだよっ! なんであたしなの? あたし、戦いたくなんかないっ……戦うのこわいもんっ……騎士の人も、領主様も、他の大人達も、皆こわいっ!
お母さんもお父さんも居ないのに……なんであたしだけ一人で知らない所に行かないといけないの……あたし、行きたくないよ……この村で、ずっと暮らしていたいっ……トトと離れたくないよっ!」
ボロボロと涙を零すアメリアを、トトはただ見ていることしか出来なかった。どうすればいいのか、必死に考える。
ここまで追い込まれているアメリアを見たことがない。本当は、今すぐにでも助けてやりたかった。行かなくてもいい、ここに居ろ。そう言って、抱きしめてあげたかった。
だが、そんなことが許されるはずもない。世界の命運がかかっているのだ。たとえアメリアがどうなろうとも、人々はアメリアを戦いに向かわせるだろう。
なら、トトがやることは一つしかない。
せめて、アメリアが納得して動けるよう、勇気づけることだ。たとえ、それが脅しのように思えても。
「なぁ、アメリア」
覚悟を決めて、トトはアメリアを呼んだ。
「俺もアメリアが側にいてくれた方が嬉しいよ。アメリアが本当に村に残りたいっていうなら、そうした方がいいと思う。だけど、アメリアは本当にそれでいいのか?」
「……どういうこと?」
アメリアの瞳が、不安に揺れる。
自分の最低な行為を自覚しつつ、トトは続けた。
「【魔王】は【賢者】と【勇者】が居ないと倒せない。そしてアメリア以外に、【賢者】は居ない。アメリアにしか【魔王】は倒せないんだ。アメリアがやらないと、世界中の人が死んでしまう」
あえて淡々と言うトト。
語られる事実に、アメリアが怯え、震える。
「二人で一緒に、ここから逃げて、誰にも見つけられない場所に隠れたとしても、アメリアはそれで幸せになれるか?
世界中の人が死んで、いつか父さんや母さんまで【魔王】に殺される。自分がやらなかったせいで、皆が死んだって後悔しないか?」
「……ひどいよ、トト。そんなこと言われたら、あたしっ」
しゃくりあげながら、アメリアはボロボロと涙を流した。
トトはそんなアメリアの頭を抱え込み、優しく頭を撫でる。
「ごめんな、卑怯なこと言って。だけど、お前には無理だろ? お前は凄く優しい子だから。戦いの怖さより、自分のせいで誰かが死ぬ方が、よっぽど嫌だもんな」
「うん……やだっ、そんなの……だけど、怖いのっ……!」
「だよな。でも、大丈夫だよ。お前、意外と強いところもあるから。きっとお前なら大丈夫。俺は付いてやってやれないけど、ずっと応援してるから。だから、頑張れ。アメリアならきっと出来るから」
「うっ、うぅぅうう……! もう、バカァアァアア……!」
アメリアは堰を切ったように、トトの胸で泣き続けた。服が汚れるのも厭わず、トトは撫で続ける。
やがて、アメリアの泣き声が収まった。アメリアはトトから離れると、気まずそうに言う。
「っぐす、ごめんね、服を汚しちゃって」
「いいよ、これくらい。俺もごめんな、ひどいこと言って」
「ううんっ。いいよ、トトは悪くないもん」
涙をぬぐいながら、アメリアは笑った。
ズキリと、トトは胸が痛くなる。アメリアに無理をさせることしかできない自分が、情けなかった。
「うん、決めたよ。あたし、王都に行く。頑張って立派な賢者になって、【魔王】を倒すよ」
「……本当にそれでいいのか?」
「トトが言ったんでしょー! もうっ!」
「そうだな。うん、ごめん。偉いぞアメリア」
えへへと、アメリアははにかんだ。
強い子だと、トトは思う。本当は怖いのに、誰かのために戦うことを決意できるなんて。俺なんかとは大違いだ。こんな優しい子、他にはいない。だから、アメリアが【賢者】に選ばれたのだろう。
アメリアなら大丈夫だ。あとは、ちゃんと送り出してやるだけでいい。不安を感じさせないよう、笑って送り出す。お前なら出来る、頑張れと、そう応援の言葉を添えて。それが俺の最後の仕事だ。
「あたし、頑張るよ。寂しいけど、いっぱいいっぱい頑張って、いつか【魔王】を倒す。だからね」
そう、思っていたのに――
「あたしが【魔王】を倒すまで、トトも待っててね?」
「――え?」
アメリアのその願いを聞いた瞬間、トトの頭が真っ白になった。
「どんなに時間が掛かっても、絶対この村に帰って来るから。だから、それまで待っててね? 約束だよ!」
これっぽっちも疑っていない、無邪気に笑うアメリアに、トトは声を出すことが出来なかった。
嘘でもいいから、そうだなとでも言えばよかった。ただ、頷くだけでも良かった。たったそれだけで、アメリアを勇気付けることが出来たのに。
頭の中で、いくつもの言葉が渦巻いていた。
――アメリアは、貴族と結婚しなければならない。
――村人の婚約なんて、所詮口約束だ。
――俺とアメリアじゃ、釣り合わない。
「……無理だ」
「え?」
トトの返事に、アメリアは間の抜けた声を上げた。あり得ないことが起きたような、呆然とした顔でトトを見つめる。
「トト、今、なんて……」
「だから、無理なんだ。俺は、お前を待つことは出来ない」
「……なっ、なんで!?」
アメリアは血相を変えて叫んだ。
「なんで、なんでそんなこと言うの!? あたしのことが嫌いなの!? だから待てないの?」
「そうじゃない。そうじゃないけど……」
「じゃあなんでよ! あたし、いっぱい頑張るから! 少しでも早く帰ってこれるよう、いっぱい頑張るよ! だからっ、だからお願い、見捨てないで――」
「見捨てるとかそういう問題じゃねえんだよ!」
トトの叫びに、アメリアは目を点にする。
アメリアが驚いているのに気づいていながら、トトは爆発した感情を抑えることが出来なかった。
「俺がお前を見捨てる訳ねえだろうが! でも駄目なんだ! 俺がそうしたくても、待っちゃいけないんだよ!」
「……なんで? なんで駄目なの? 見捨るんじゃないなら、どうして待っちゃいけないの?」
「それは……ッ! 無理なもんは無理なんだ!」
理由にもなっていない。きっと、これじゃあ納得出来ないだろう。だが、これ以上なんと言えばいい?
ただでさえ辛い目にあっているアメリアに、【賢者】として生まれたから、結婚相手も自分で決められないなどと、そんな厳しい現実を突きつけろというのか? そんなこと、トトには出来なかった。
しかし、そんなトトの想いは、アメリアに伝わらなかった。
「嘘つき。応援してくれるって言ったのに」
「ア、アメリア……」
アメリアの呟きに、トトは自分が口にした意味をようやく理解した。自分は、アメリアを裏切ってしまったのだ。だが、それはどうしようもなく遅かった。
悲しみと怒りの混じり合った目で、アメリアはトトを睨む。
「信じてたのに、大好きだったのに……離れたくないって思ってたのに……トトのバカッ!」
アメリアは弾けるように立ち上がると、トトが止める暇もなく、部屋から飛び出した。
「あっ、あぁ……」
アメリアが消えていった部屋の出口を、呆然としながらトトは見続けていた。そして、か細い声を漏らし、頭を抱えるようにしてベッドに倒れこんだ。
――違う、違うんだアメリア。
――俺だって、本当は待っていたいんだ。
――だけど、それを伝えることもできなくて。
――ただ、君を勇気づけたかっただけなのに、なんでこんな取り返しのつかないことを……。
「こんなことを、言いたかったんじゃないのに……ッ!」
自分のやったことの重さを思い返しながら、トトは一人、後悔し続けた。
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