悪魔王★

https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16818023211699825339


「あたしの言った意味がわかったかい? ……そうさ、あれがこの世界アカシニアを滅ぼした災禍の中心ハート・オブ・メイルストローム――悪魔王 “災禍をもたらす者メイルフィック” さ」


 すぐ間近のラーラさんの声ですら、遙か遠くに聞こえます。

 意識が、五感が、赤黒く染まった空を圧する大竜巻――その中に浮かび上がる巨大な影に釘付けにされて、引き剥がすことができないのです。


 それは獅子の頭と腕を持っていました。

 身体はたくましい人間のものでした。

 背には上下二対の鳥の翼があり、尾はサソリのそれでした。

 醜悪な男根は蛇です。

 なによりも目を引くのは、獅子の頭部から突き出た鶏冠トサカ状の大きな突起です。

 それは女神に対極する邪悪さと同等の畏怖をもたらす、絶対者の姿でした。


 わたしは……見たことがあります。

 あの姿を……わたしは以前に見たことがあります。


「……あの姿には見覚えがあります」


 カラカラに乾いた喉から、ヒリついた声が絞り出ました。


「……ああ」


 うなずいた隼人くんの声もかすれています。

 そうです。

 わたしは彼と観たのです。

 お父さんのコレクションから借りたDVD。

 それは名作とされている、古いオカルト・ホラー映画でした。


「…………古代アッシリアの大気の悪霊の王」


「…………魔神……パズズ」


 隼人くんの言葉を引き継ぎ、その名を口にします。


「あの魔王を知ってるっていうのかい!?」


 驚いたラーラさんが振り返りました。


「……ええ、あれがわたしたちがいた元の世界の伝承と同じ存在なら」


 視線を上空に釘付けにされたまま、どうにか肯定しました。

 そして、この世界での聖典の記述も加味して説明します。


「……元々は古代アカシニアにおける神々の一柱でした。邪神でしたが強大な力を持つがゆえに信仰の対象にさえなっていたようです。しかし天界を追われた “魔太公デーモンロード” との争いに敗れ、地上の支配権を失って魔界へと追いやられ、その配下となりました」


「“魔太公” の手下だっていうのかい?」


「はい。元々天使だった堕天系デビルではなく、元は異教の神だった異形系デーモンの悪魔――それも魔界のNo2と目されている大悪魔です」


 世界の各地で信仰されていた古代の神々が、キリスト教の広がりとともにその教義取り込まれ悪魔として貶められていった歴史が、このアカシニアでは現実に起こった出来事なのです。


「……大気の悪霊の王だけあって、その力は天候さえ自在に操ります。また風とともに熱病を運び、飛蝗ひこうを遣わして飢饉をもたらすと言われています」


「飛蝗……バッタの大群かい。ああそうだよ。”杖” の加護で地上に畑を拓いても、奴らにみんな食い荒らされちまうのさ」


 憎悪を込めて吐き捨てるラーラさん。


「ニ、ニルダニスは俺たちにあれを倒せっていうのか……? そのために俺たちをこの時代に……?」


「バカ言わないで! あんな化け物とどうやって戦えっていうのよ!」


 その時、視界の端でまるで太陽が爆発したような閃光が走り、訳もわからないまま全員が顔を背けました!


「な、なんだ!?」


 隼人くんが前腕で視界を遮りながら叫びます!


「わ、わかりません! いったい――」


 ――何が起こったと言うのです!?


 やがて徐々に閃光が弱まり、わたしたちは恐る恐る顔を上げました。


「あ、ああぁぁ………………」


 瞳が……恐怖に見開かれ……ます。

 はるか視線の先……砂塵と灰が支配する大地に立ち昇る巨大な……キノコ雲。

 ようやく届く轟音と物凄まじい爆風に、わたしたちは四つん這いになり吹き飛ばされないように灰をつかみました。

 ブルブルと震える顔の皮膚に、砂塵が極小の流星雨のように襲いかかります。

  “恒楯コンティニュアル・シールド” の加護がなければ、傷だらけになっていたでしょう。


「な、なによ、あれ……」


 恐れおののき、絶句する田宮さん。


「“悪魔王” の “対滅アカシック・アナイアレイター” さ。や異常気象だけで充分世界を滅ぼせるっていうのに、ああやって思い出したように世界を灰にしてるんだよ」


 吐き捨てるラーラさん。


「“ニルダニスの杖” のお陰でここは直撃を受けないけどね……それだっていつまで持つかどうか」


「…………ご、ごめなさい、わたし気分が……」


 安西さんが杖にすがって身体を折りました。

 顔色が蒼白です。


「どうやら魔王の毒気に当てられちまったみたいだね――そろそろ戻った方がよさそうだ」


 世界を滅ぼした災禍の中心ハート・オブ・メイルストローム……悪魔王 “パズズ”

 わたしたちはその姿と力の一端を見ただけで、地下へ逃げ戻ったのです……。





「……確かにあなたの言うとおりです、ラーラさん。地上に比べたらここは天国です」


 ラーラさんの心遣い。

 熱い白湯の入った陶杯マグを両掌で持ちながら、わたしは呟きました。

 身体に染み込んだ恐怖が、湯気を昇らせる湯面を細かく震わせています。


「いったい女神さまはなんだってあんたたちを、この時代に寄越したのかね」


 やるせない吐息をつくラーラさん。

 伝説では魔王を倒したという “勇者” と “聖女” が、遠くからその姿をしただけで心をへし折られて逃げ出したのです。

 わかっていたこととはいえ、やはり失望もあるのでしょう。


 あれからわたしたちは、ラーラさんの執務室に戻ってきていました。

 “悪魔王” を目にした精神的なダメージは尾を引いていて、パーティの誰もが悪寒にも似た恐れを拭えずにいます。


「……わかりません。ただあの魔神を……魔王を戦って倒すのは……無理です」


 あれは人智を超えた……かつては神だった存在です。

 竜属ドラゴン巨人族ジャイアンツなどとは訳が違うのです。

 もちろん、ただの魔族デーモンとも……。


「…… “時の賢者” さまが時間を遡ったのも、今となってはうなずくしかありません。あの光景を……姿を見れば、討伐など思いもよらないでしょう」


「“時の賢者”?」


 ラーラさんがわたしの出した名前に、訝しげな顔をしました。


「……第二階層にずっと昔に住んでいた錬金術師のようです。時空を遡行する魔術が使えたらしく、五八年前に “悪魔王” の復活を阻止するため過去へ旅立ったようなのですが、どうやら失敗したようで……ご存じありませんでしたか?」


「地下二階は食料を探して回った際に、だいたい調べてるはずだけどね……」


「……人形マネキン侍女メイドが帰りを待ってる部屋だよ」


「ああ、あの部屋か!」


 はて? と小首を傾げていたラーラさんが、早乙女くんのぶっきらぼうな呟きにポンと拳で掌を打ちました。


「そーいえばあの部屋はよく見てなかったね。魔術師の部屋なんて理由もなく調べるもんじゃないし、けなげに留守を守ってる人形が哀れになっちまってね……それにしても時間を遡るとはね……」


 ラーラさんは柔らかく艶やかな毛に覆われた顎に手を当て、考える仕草をしました。

 そうしてしばらくしてから、


「――なあ、聖女さま。あたしは魔法だのなんだのにはとんと詳しくないんだけどね。もしもだよ、もしもその “時の賢者” とやらの企てが上手くいっていたら、世界は救われていたのかい?」


「それは……ごめんなさい、わたしにもわかりません。実際に過去に戻るなんて、過去を変えるなんて、そんなことがはたして可能なのかどうか」


「でもあんたたちは過去から未来に来たじゃないか。そうだろ?」


「……」


 わたしは押し黙りました。


“現在から未来へは行くことは可能だが、現在から過去へ戻ることはできない”


 よくSFで使われる設定です。

 でもそうなると、わたしたちは元のアカシニアには戻れないことになります。

 それは……絶対に嫌です。

 だから、わたしはこう答えました。


「もし過去に戻ることが可能なら、あるいは未来を変えることが……世界を救うことができるかもしれません」


「そうか……できるのか」


 うなずいたラーラさんの瞳が爛々と輝き始めました。

 精神が充溢し、小柄でしなやかな身体から部屋を圧するほどの精気が溢れます。


「よーし! 大先生の出番だよ!」


「大先生……ですか?」


 弾けるように叫んだラーラさんに、今度はわたしが怪訝な顔を向けます。


「なんでも知ってる、物知りの賢者さね!」


「……やれやれ、また賢者か。いったい何人の賢者がいるのやら」


 うんざりしたのは五代くんでした。


「失踪者に酔っ払いだもんな」


 早乙女くんが珍しく五代くんに同意します。

 他のメンバーも大なり小なり、似たような表情を浮かべています。


「大先生は本物だよ。まあ、少しばかりのが珠にきずだけどね――会わせてやるよ、ついてきな」


 そうしてわたしたちは再びラーラさんの執務室を出て、迷宮一階を歩くことになりました。

 今度はかなりの距離を移動しました。

 居住区を離れると階層フロアのほとんどが畑として使われていました。

 ラーラさんによると地上から土を運び込み、畑を作ったのだそうです。

 “ニルダニスの杖” の加護と “永光” の魔法光によって地下でも実りがあり、どうにか自給自足ができているようでした。

 畑の中を進むこと小一時間あまり……。

 目指す玄室に辿り着いたのでしょうか、ようやくラーラさんの足が止まりました。


「見たら笑うよ、保証する――でも笑うんじゃないよ」


 念を押すと扉を押し開けるラーラさん。

 途端に玄室内から山吹色の光が溢れ、全員が顔を背けました。

 やがてまぶしさに慣れた目を恐る恐る開けると、七区画ブロックほどの回廊が真っすぐに伸びていて、まばゆい輝きはその最奥から放たれていました。

 そしてそこには……。

 

 ニヤニヤと笑う、金色の巨大な深鍋ケトルがいたのでした。


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16818023211709059274



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『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信・第二回~』

https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579

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