リーンガミルを発つ日

 カンッ、カンッ、カンッ、カンッ!


 女神ニルダニス信仰の総本山の静逸な空気を、硬い跫音きょうおんが掻き乱します。

 修道尼シスターによって鏡のように磨き上げられた通廊の床を、メリッサさんの急報を受けて駆け付けたわたしのブーツが叩く音です。


「神聖な大聖堂を走り回るなど何事ですか」


 侍祭アコライトの女性がわたしを見とがめ、叱責しました。


「すみません! わたし、ライスライトです! “大アカシニア” から来た!」


「聖女様ですか!?」


「ここに隼人くんたちの―― “勇者” のパーティが運び込まれたと聞いて!」


「その方たちならこちらです――どうぞ!」


「ありがとうございます!」


 “聖女” の口から出た “勇者” という言葉は、侍祭さまの心に突き刺さりました。

 女神信仰でも男神カドルトス信仰でも、このふたつの恩寵・聖寵は特別視されているのです。

 はるかな昔、勇者と聖女が力を合わせて魔王を倒したという伝説は、聖典にも記され信仰の根幹となっているのです。


「容態は!?」


「命は取り留めましたが、どなたも動揺が著しく今は加護で眠っていただいています」


「そうですか」


 早足で通廊を進む侍祭さまの言葉に、わずかに安堵します。

 案内されたのは一般に開放されている診療所ではなく、さらに奥まった場所にある身分の高い人々が治療を受ける部屋でした。

 隼人くんが “勇者” の聖寵を授かっていなかったら、一般の探索者でしかなかったら、はたして助かったかどうか……。


 白を基調とした病室の真ん中に並んだベッドに、五人は寝かされていました。

 どの顔にも傷ひとつ残っていませんでしたが、癒やしの加護による瞬間的な新陳代謝の促進は膨大なエネルギーを消耗します。

 誰の頬からもげっそりと肉が落ち、やつれきっていました。


(…………隼人くん)


「酷い傷でした。命を落とさずにすんだは女神の御加護でしょう」


「いったい何が……?」


「詳しいことはわかりません。ただ、どなたも重い火傷を負っていました」


「……」


 竜属ドラゴンや、中レベル以上の魔術師メイジの集団に遭遇したのでしょうか。

 いずれにせよ、隼人くんたちのレベルは7。

 迷宮の中層以降に潜ったに違いありません。


「――手伝ってください! また冒険者です!」


 その時、修道尼のひとりが病室に飛び込んできました。


「またですか?」


 侍祭さまが表情を曇らせます。


「今日は本当に冒険者が多いのです」


「わたしも手伝います」


「およろしいのですか?」


「もちろんです」


 怪我をしている人を見過ごすことはできませんし、少しでも迷宮の情報が得られるかもしれません。

 それで何が変わるわけではないことはわかっています。

 わたしの中で泡立つ罪悪感が消えることもないでしょう……。


(……それでも)


 わたしは “ニルダニス大聖堂” の司祭や僧侶に交じって、次々に運び込まれてくる冒険者の治療に当たりました。





「別にあんたのせいじゃないよ……あたいたちは他国者よそ者なんだしさ」


 王城を離れ行く箱馬車の中で、隣に座るパーシャが気遣わしげにわたしを見上げました。

 馬車に乗るときは屋根に登って大いにリラックスするのが常の彼女ですが、お城を出たばかりで沿道に人が集まっている今は、大人しく車中に収まっているしかありません。

 馬車にはわたしとパーシャの他に、トリニティさん、ハンナさん、フェルさん、ノーラちゃん、そしてアッシュロードさんが乗っていました。

 “転移テレポート” の魔法で取り寄せた新しい馬車はゆったりと広く、パーシャとノーラちゃんが小柄なこともあってこの人数でも窮屈さは感じません。

 わたしたちは先ほど簡素な式典セレモニーを終え、引見用のバルコニーにお出でになれたマグダラ陛下に見送られて、帰国の途に着いたところでした。


「わかっています」


 わたしは力なく微笑みます。

 遭遇した悲劇や混乱のすべてに責任を感じるのは、思い上がり以外の何者でもないでしょう。

 “僭称者役立たず” の復活もエルミナーゼ様の誘拐もわたしには関係なく、防ぎようもなかったことです。

 わたしが気を病む必要はありません。


 でも……隼人くんたちについては?

 わたしがあのとき申し出を受け入れ、一緒に迷宮に潜っていれば?

 そうしていれば、彼らはあんな目に遭わずに済んだのでは?

 それが今のわたしには取り得ない選択だとはわかっています。

 ですがそれでも……考えてしまわずにはいられないのです。

 もしかしたらあったかもしれない……別の道を。


 あの後わたしが大聖堂を辞したときも、隼人くんたちは眠ったままでした。

 お城に戻ったあとも帰国の準備や陛下へのご挨拶などに忙殺されてしまい、結局それっきりに……。

 迷宮支配者ダンジョンマスターである “僭称者” が帰還したことで、“呪いの大穴” は変容を来しました。

 それまでとはまったく別の迷宮に変貌したのです。

 大幅に強化された魔物の前に、隼人くんたち以外にも多くの冒険者が犠牲になりました。

 迷宮に潜ったまま還らなかったパーティも多く、むしろ全員が生きて戻ったことで隼人くんたちは力量を示したと言えるでしょう。

 これまで探索の先頭を走っていた隼人くんたちでさえ、壊滅的な被害をこうむる難易度……。

 エルミナーゼ様の救出は、困難を極めることになるでしょう……。


 内郭王城の正門である東門から、まっすぐに伸びる大路を馬車は進んでいきます。

 沿道からの視線があるので、背筋を伸ばしできるだけ平静に見えるように務めます。

 群集からも、城塞都市に入場したときのような熱気は感じられません。

 ほんのわずかな滞在で帰国する他国の外交団に、人々も不穏な気配を感じ取っているのでしょう。


 人の口に戸は立てられません。

 依然として伏せられているとはいえ、“僭称者” の復活もそれに続く王女様の誘拐も、少しずつ噂となって漏れ出しているのです。

 流言飛語を抑えるためにも、時を待たずして市民にも公表されるでしょう。

 そしてそれは、わたしたちがリーンガミルを離れた直後のはず。

 市中に拡がる動揺にわたしたちが巻き込まれることのないよう、マグダラ陛下のご配慮だと思われます。


 ほどなくして隊列は長い都大路を終え、城塞都市の外郭に達しました。

 駿馬を駆る護衛の騎士たちが巨大な城門を潜っていき、やがて窓から差し込んでいた日差しが城壁に遮られました。


(………………ごめんなさい)


「止めてくれ」


 アッシュロードさんが頼んだのは、車内がかげったその時でした。


「停止!」


 すぐにトリニティさんが命じて、隊列が止まります。


「どうした、アッシュ?」


「俺は残る」


「……え?」


 呆気に取られるみんなを余所に、さっさとドアを開けて降車してしまうアッシュロードさん。

 そして馬車の中から呆然と顔を覗かせるわたしを見上げて、


「なにしてる? おめえは俺のだろうが。宅配便もねえのに所有物だけ帰るなんて、契約的にも、法律的にも、道義的にも、……的にも、ねえはずだぜ」


 仏頂面で、不機嫌そうに、最後もにょって、言いました。


「俺の今回の道は―― “あっち” だ」


 そして無精髭の浮いた顎を、市街の中心部に向かってしゃくります。

 元来た道。

 後ろに続いていた道。

 少し身体の向きを変えれば……前に続く道。


「かはっ! ってことは、あたいたちも残んないとなんないよね!」


 突然の出来事に固まってしまったわたしの隣で、パーシャが弾けました。


「なんたってあたいたち、エバの護衛だから!」


 叫ぶなり、ピョン!と馬車から飛び降ります。


「そうね。でもわたしが残るのはグレイが残るからよ」


 しゃなりとフェルさんが立ち上がれば、


「アッシュロード閣下が残留されるというのであれば、当然副官 兼 秘書官のわたしも残ります」


 背筋を伸ばしたハンナさんが、スクッと続きます。


「どーするよ、レット」


「そうだな。俺たちが受けた仕事は “エバが大アカシニアに戻るまで護衛する” ――だからな」


「だな」


 馬車の周囲で騎乗の士となっていたジグさんとレットさんが苦笑し合い、


「……ドワーフは戦場を選ばぬ」


 すぐ後ろの馬車に乗っていたカドモフさんが、魔法の戦斧を手に降り立ちます。


「――ならば我ら “緋色の矢” も残らねばなるまい! 我々もまたライスライトの護衛だからな!」


 白金の鎧を身にまとった戦女神のようなスカーレットさんが、馬上踊り上がるように宣言すれば、


「“呪いの大穴” かぁ。渡りに船だよね、儲かりそう!」


「そうね。ここで良い装備を手に入れられれば “紫衣の魔女アンドリーナの迷宮” の攻略も楽になるわ」


 ミーナさん、ヴァルレハさん、その他のメンバーもうなずきます。


「おまえたちには統制という言葉はないのか、まったく!」


 天を仰ぐトリニティさん。


「それが探索者というものじゃろう。要は独立愚連隊イレギュラーズよ」


 そんな有能極まる盟友を、カドモフさんに続いて後続の馬車から降りてきたボッシュさんが慰め?ます。

 トリニティさんは深々とため息を吐き、それから毅然と顔を上げました。


「――ドーラ!」


「あいよ」


「このどもが羽目を外しすぎないように見張ってくれ」


「猫に鈴の役目をさせるってかい。いいね、そういう諧謔ユーモアは嫌いじゃないよ」


「ニャーたちも、いくニャー!」


「ゲロゲーロ!」


「クマー!」


「いつまで呆けた顔してやがる――行くぞ」


「は、はいっ!」


 わたしは――わたしは――弾かれたように馬車から駆け出しました!

 そして歩き出していた猫背に飛びつきます!


「うにゃぁ!?」


「抱きつきたい背中!」


「「どさくさに紛れるな!」」


「マグダラ女王のことだ。理由を話せば良きに計らってくれるだろう。検討を祈る――迷宮無頼漢」


「せめて義勇探索者くらいは言ってほしいよね」


 トリニティさんの餞別の言葉に、パーシャが頭の後ろで手を組んでおどけます。


「いいですね、それ」


 わたしは微笑み、それから表情を引き締めて、視線を都大路の先に向けました。

 内郭リーンガミル城のさらに先。

 今この時からわたしの迷宮となった、“呪いの大穴” に。



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