帰国準備
慌ただしい帰国の準備に追われています。
運び込んでもらった
負傷者の血で汚れてしまった薄桃色の
わたし付きの侍女さんが処分を申し出てくれましたが、断りました。
もう着られないことはわかっていますが、国費で作っていただいた品を捨ててしまうのには気が引けてしまって……。
リーンガミルの王女であるエルミナーゼ様が、甦った “
マグダラ女王とトリニティさんとの間で会談がもたれ、わたしたち “リーンガミル親善訪問団” はすべての予定をキャンセルし、帰国することになりました。
賢明な判断だと思います。
リーンガミルにしてみれば、喫緊の事態に他国の要人を国内に留めておきたくはないでしょうし、わたしたちにしてみてもこのまま半軟禁状態に置かれたまま、痛くもない腹を探られたくはありません。
“僭称者” が復活した今、この国はすでに半戦時。
親善外交は、平時でこそ行われるのです。
「――どう? 進んでる?」
ガチャッと勢いよくドアが開いて、パーシャが入ってきました。
「パーシャ、他人の部屋に入るときはノックをするものですよ」
「ああ、忘れてた」
ホビットの女の子は悪びれた様子もなく、開いたままのドアに取り付けられているノッカーを二回叩きました。
「どう? 進んでる?」
「~ぼちぼちです。自分でもこんなに荷物が多かったとは思いませんでした」
「あたいなんて最初から匙投げちゃった。全部侍女にお任せだよ」
そういうとパーシャが
「もう、お行儀が悪いのですから」
「この干菓子がもう食べられなくなると思うと、それだけで人生の半分が終わったような気分だよ」
「それには同意です」
半べそを掻くパーシャに、わたしは苦笑の混じった溜息を吐くという、とても器用な真似をしました。
毎日お城から出されるお茶請けの中でも、最初の夜にマグダラ陛下が差し入れてくだった焼き菓子の美味しさは別格でした。
とても気に入った旨を伝えるとお茶請けとして一日一回は出されるようになり、滞在期間中の大きな楽しみになっていたのですが……。
「“僭称者” 許すまじ! あたいらだけ残って、やっつけてやろうよ! 焼き菓子だって食べ放題だよ!」
食べ物の恨みは恐ろしいものです。
特に美食家・健啖家ぞろいのホビットには。
「そういうわけにも行きませんよ。
わたしたちだけが残留して “呪いの大穴” に潜るには、勇ましいパーシャの言葉よりもずっと煩雑な手続きと、それ以上の政治的判断が求められるはずです。
どんな国家でも自国の王位継承権序列一位者の救出に、他国の人間の手を借りたいとは思いません。
むしろ厄介者扱いされるのが関の山でしょう。
「王女様の命が懸かってるってのに、ほんと嫌だよね、そういうのって」
不機嫌な思いを隠さずに、パーシャがぼやきました。
敏いホビットの魔術師は、わたしが考えるようなことは当然理解したうえで話をしてるのです。
「最前線を張ってるのがレベル7程度じゃ、早晩アカシニア中に探索者を求める布令が出るに決まってるよ。迷宮に軍隊を送り込むような大愚策をしない限り」
わたしは黙ってうなずきます。
軍隊とは朝に野戦を戦い、昼に敗兵を追撃し、夜に敵城を囲むもの。
迷宮に深奥に踏み込み、その主を討滅するものに非ず。
迷宮に潜む魔術師の討伐に軍隊を送り込む愚は、隣国のため政者が証明しています。
二〇年前に発生した “
生きて地上に戻れた者は皆無。
文字どおりの全滅だったそうです。
討伐軍全滅の報告を受けたトレバーン陛下は、直ちに方針を転換。
魔物との戦いに慣れた機動性に富む冒険者たちを招集し、莫大な恩賞と栄誉を条件に迷宮に向かわせました。
そして在野の冒険者で遊撃隊を組織して精兵を温存するという案は、
「……」
エルミナーゼ様は次期女王としての資質を示すために、隼人くんたちと “
隼人くんたちはエルミナーゼ様を助けるために、“呪いの大穴” に潜り続けるでしょう。
ですがそのレベルはようやく7に到達したばかり。
現在 “呪いの大穴” に潜っている
リーンガミルの冒険者が迷宮の深奥にまで達するまで、まだまだ時間がかかると言わざるを得ません。
パーシャの言うとおり、さらに腕の立つ冒険者を求めるお布令がリーンガミルの内外へ出されるのは、時間の問題でしょう……。
(……どうか無理をしないでください)
いつの間にか作業の手が止まっていたわたしは、胸の奥で女神に祈りを捧げました。
「――失礼いたします」
そのとき、パーシャが開けっぱなしにしていたドアに人の気配がしました。
通廊に立つ侍女さんが下げていた頭を上げ、告げます。
「お忙しところもうしわけございません。“勇者” さまが “聖女” さまにお目にかかりたいとお越しになっていますが、いかがなされますか?」
「そうですか……わかりました、案内してください」
わたしはうなずきました。
ジグさんとカドモフさんから言伝を聞いて以来、もし隼人くんたちが訪ねてくるようなことがあれば取り次いでくれるように、侍女さんに頼んでいたのです。
「では、こちらへ」
「エバ!」
予感がしたのでしょう。
パーシャが顔色を変えました。
「パーシャ、今回はわたしたちだけで会わせてください。その方が誰にとってもよいと思うのです」
「……」
わたしは散らかったままの客室にパーシャを残して、侍女さんに続きました。
案内されたのはリーンガミル城の
通される前にひとつ小さく息を吸ったのは、わたしにも予感があったからです。
応接室は広く、隼人くんの他にも、田宮さん、早乙女くん、五代くん、安西さんが先に通されてしました。
五人の張り詰めた表情を見て、わたしは自分の予感が正しかったことを悟ったのです。
だから挨拶もせずに黙って、長方形の豪奢なローテーブルの前に置かれた唯一誰も座っていないソファーに腰を下ろしました。
そして、
「――単刀直入にいう。俺たちに力を貸してくれ」
本当に単刀直入に、隼人くんが言いました。
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