宴の始末
視界からふたりの人影が消え沈黙が垂れ込めたあとも、肌に生じた粟は治まらず、誰一人身動きできませんでした。
「……怪我――怪我をした人の手当を!」
周囲から上がる苦悶の声にハッと我に帰り、わたしは叫びました。
「僭越ながら申し上げる!
同様に立ち直ったトリニティさんが、他国の人間ながら声を上げます。
「いえ、わたしも負傷者の治療に当たります」
蒼氷のように血の気のないお顔で、それでも気丈にマグダラ陛下が仰りました。
「マグダラ」
「わたしも癒やしの加護は使えます――あなた方も手伝ってください」
「もちろんです」
「ええ」
わたしとフェルさん、そしてトリニティさんが四方に走り、将棋倒しになって苦痛に呻いている人たちの救護に当たります。アッシュロードさんもです。
幸いにしてここは
まず怪我をしている人を寝かせて
マグダラ陛下とトリニティさんは結局、各所への指示出しに追われて治療には加われません。
メリッサさんは “蝶飾りのナイフ” をドーラさんに返すと、また影のようにマグダラ陛下に付き従っています。
(……おふたり抜きで
「……姫様が連れ去られた!」
「……王女が!」
「……エルミナーゼ殿下が!」
治療に奔走するわたしに耳に、リーンガミルの貴族たちの浮き足立った会話が次々に飛び込んできます。
(……集中……集中)
今なによりも大切なことは、怪我をしている人を苦痛から救うことです。
聞いたことがある名前だからといって、同一人物とは限りません。
わたしが動揺する必要はないのです。
今成すべき事を成す。
自分のできる、自分の役割を果たす――それでいいのです。
わたしは応援に駆け付けた衛兵によって、広間中央に寝かされた負傷者を次々に見てまわります。
打ち身や打撲、あるいは中程度の裂傷でしたら、“
ですが内臓が傷つくほどの深い裂傷や、骨折。
そして一見目立たない頭部に深く浸透した衝撃には、“
限られた切り札を誤りなく使うためにも、負傷者の
(…… “神癒” はわたしとフェルさん、トリニティさんとマグダラ陛下を合わせても一二回。無駄遣いはできません!)
「聖女様! 陛下から要請でニルダニス寺院から応援が向かっております! 今しばらくで到着するはずです!」
「助かります!」
「――中庭に追跡隊を編成しろ! それとは別に城内をくまなく捜索するんだ! 賊がまだ城内に潜んでいるかもしれん! 油断するな!」
わたしに報告するなり、壮年の近衛騎士の方が声を励まして矢継ぎ早に指示を出します。
魔法の
「気をつけてください、恐ろしい遣い手です!
出すぎたことだとはわかっていましたが、警告せずにはいられませんでした。
「了解です! わたしも昔は冒険者として “呪いの大穴” に潜っていた身! アークメイジの怖ろしさは身に沁みております!」
快活かつ頼もしげにうなずくと、壮年の近衛騎士の方は身をひるがえしてマグダラ陛下の元に走りました。
わたしはその背中を最後まで見送ることなく、再び意識を負傷者に向けます。
「――すぐに楽になりますから、あと少しだけ頑張ってください!」
・
・
・
◆◇◆
城塞都市 “リーンガミル” に複数ある
店の名は近郊にある “
都の中心部に近く冒険の主な舞台である城外へ
冒険者たちは利便性の良い “神竜亭” に大挙して押し寄せ
この世界の一般的な造りに
「……エルミナーゼ、大丈夫かしら」
田宮 佐那子が
フロアの西側半分は “
「もう五日目だしなぁ。心配だよなぁ」
早乙女 月照が裏表のない声で、大袈裟に嘆息する。
「お城の人も、お見舞いくらいさせてくれたらいいのに……」
安西 恋が、こちらは幾分非難の色が含まれた呟きを漏らした。
彼らの仲間エルミナーゼが、休息日に戻った王城で体調を崩しそのまま臥せってから、すでに五日が経っている。
その間迷宮に潜ることもできず、彼らは
「近衛騎士で修業中とはいえ、一国のお姫様だからなぁ。いくらパーティメンだからって、おいそれと会わしてくれないのは仕方ねーけど、それでももっとこう “魚心あれば水心” というか、そういのがあってもなぁ」
「……おめでたい奴だ」
そんな月照の
「あ? なんだよ!?」
「一国の王女が病で臥せってる――本来ならそれこそ伏せられて然るべき情報だろうが」
「エルミナーゼに会えないのは、病気が理由じゃないって言いたいのか?」
それまで黙り込んでいた志摩 隼人が、忍の言葉に顔を向けた。
他の三人も同様に、常時に斜に構えた態度を崩さない級友を見つめる。
「本当に病気なら “王女として急な公務ができた” とか言うさ。そうでないのは目を逸らしたい理由が病気じゃないからさ」
「病気じゃないなら、なんだって言うんだ?」
食い付く月照に、忍は肩を竦めただけだった。
わからないことは口にしないのが、五代 忍という癖のある少年の美徳かもしれない。
「……ねえ、あのふたり」
円卓に再び重苦しい沈黙が垂れかけたとき、ふと酒場の入り口に視線を向けた恋が呟いた。
ともに若く、ともに男。
人間は二〇前後で、背が高く茶色の髪を刈り込んでいる。
ハンサムだがいさかか軽そうだった。
ドワーフの年齢はわかりにくいが、丁寧に編まれた髭は黒く艶やかで、まだ少年と呼んで差し支えないかもしれない。
人間とは逆に “これぞドワーフ” といった風に寡黙で頑固そうだった。
「枝葉さんのパーティの人ね」
佐那子がうなずく。
ちょうど五日前の休息日に “ボルザッグ商店” で出会った顔だ。
「あのふたりなら何か知ってるんじゃねえか? “大アカシニア” からの親善訪問団の一員なんだろ?」
「そうね、枝葉さんとも連絡が取れるかもしれないし――誘ってみましょう」
佐那子は卓の空気が反対でないことを確認すると、席を立ちふたりの元に小走りに駆け寄った。
恋は微かな嫉妬を感じながら、その背中を見送った。
総務委員だった佐那子は社交的であり、こういう真似が苦にならない。
自分にはとてもできないことだ。
佐那子に突然話かけれられ、ふたり組は驚いた様子だったが、どうやら招待には応じてくれたようである。
向こうも向こうで、こちらの話を聞きたかったのかもしれない。
人見知りの激しい恋は緊張した。
「――お招きに預かり、光栄だ」
「……エバ・ライスライトの友なら俺の友でもある。ともに酒を酌み交わせる栄誉を工匠神に感謝しよう」
人間が洒脱に挨拶し、ドワーフが重々しく口上を述べた。
隼人たちもドワーフが容易に他の種族に心を開かないことは理解していた。
ドワーフにここまで言わせるとは、枝葉 瑞穂はやはり凄い。
ふたりが席に着き酒の注文を終えると、七人はそれぞれ自己紹介をした。
人間の男は “ジグ” という
ともに戒律に囚われない
「――エルミナーゼ?」
聞き慣れぬ名に、ジグが怪訝な表情を浮かべた。
「そうです。このリーンガミルの王女で近衛騎士でもある人です。五日前にお城に行ったきり、連絡が取れなくなってしまって」
渉外担当の佐那子の言葉に、ジグとカドモフが顔を見合わせた。
「いや、訪問団の一員といっても俺たちは下っ端もいいとこでな。王女さまに御目見得できるような身分じゃねえんだ。だが、いくつかの
「……一国の姫といえば話題の的だ。妙齢ならなおのこと。それが話の端にも登ってない以上、出席はしていなかったのだろう」
「……そうですか」
「もしかしたら今夜の舞踏会には出てたのかもしれないが……」
「……うむ」
「舞踏会?」
「ああ、俺たちみたいな下っ端も参加できたんだが――見てとおり逃げ出してきちまったんでね」
そういって魅力的な笑顔を浮かべるジグに、佐那子と恋は、
(このルックスと社交性なら、貴族の女性にも人気が出ただろうに)
と思った。
もしかしたら友人のドワーフに付き合って、機会を見送ったのかもしれない。
カドモフというドワーフの方は、見るからに沿ういった催しを厭いそうな雰囲気だったからだ。
「うちのリーダーや女性陣は参加してるから、あとで話が聞けるかもしれない」
「実は枝葉さんとの連絡を、エルミナーゼに頼もうと思ってたんです。でもそのエルミナーゼと……」
「連絡がつかなくなっちまったってわけか」
「はい」
「お姫さんの方は俺たちじゃどうしようもないが、エバなら言伝を頼まれてもいいぜ。ただあいつだけで会わせるわけにはいかない。あいつもあいつで身分が身分なんでな」
「枝葉さんの身分?」
「ああ、こいつは秘密にすることでもないから教えるが、エバはああ見えて “ニルダニスの聖女” なのさ。名目上だが今回の訪問団の顔でもある。俺たちはその護衛ってわけだ」
五人は、あっと息を飲んだ。
そして隼人を除く四人は咄嗟に、自分たちのリーダーの心情を思った。
“聖女” は “勇者” と対を成し、“勇者” の伴侶となることを運命付けられた存在――そう教わっていたからである。
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『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信・第二回~』
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