熾天使、激突

 岩山の迷宮の一角で、二翼ふたりの “大天使アークエンジェル” が対峙していた。

 ひとりは全身を覆う金色こんじきの甲冑をまとい、ひとりはたおやかに波打つ緑衣をまとっている。

 共通しているのは、その背に輝く三対の純白の翼だけだ。


「……ガブ」


 ドーラは口から零れた呟きに、自分が麻痺パラライズから回復していることに気づいた。

 ガブリエルから発せられる柔らかな光波が、癒やしの加護と同じ効果をもたらしたのだ。


「もう一度通告します。熾天使ガブリエルの名において、この者たちにこれ以上危害を加えることは許しません。熾天使ミカエル。この場から立ち去りなさい」


 緑色の衣をまとった “熾天使セラフ” が、同胞であり姉弟であるもう一翼に向かって凛とした声で告げた。


「――なぜあなたがここにいるのだ、ガブリエル。あなたには天界での謹慎を言い渡したはずだが」


 もう一翼の熾天使はガブリエルの通告には答えず、逆に問い返した。

 それでもそれが天使同士の作法なのだろうか。

 の発声には応じ、クローズドヘルムの奥からくぐもった声が響いた。

 強靱な装甲に覆われて、相変わらず表情はうかがい知れない。


「謹慎? あれは監禁というのよ、ミカエル。当人の意思を無視して、他者がその自由を奪うことを言うの」


「あなたは “秩序” を乱したのだ、ガブリエル。これまではもっとも年長者であることに免じてその奔放さに目をつぶってきたが、我々に図ることなく勝手に下賎な人間の守護者になるなど、もはや見逃すわけにはいかない」


「天使とは本来そういうものでしょう。わたしたちはなによりも自由を好み、自然であることを尊ぶ種族だったはず。この子たちも――」


 そういってガブリエルは、周囲に転がっている弟妹たちに悲しげな視線を落とした。


「生まれたばかりの頃は、こんなにはしていなかった」


「そこにいる人間どもが殺めたのだ。下等な人間が天使を弑するなど神の摂理に背く大罪。故に神罰を与えねばならないのだ」


「いいえ、この子たちを殺めたのはあなたよ、ミカエル。あなたの作り出した “秩序” がこの子たちを歪めてしまった。どんなに弱く見えても、人間はそれだけの存在ではない。人間には強大な敵に立ち向かう勇気と打ち倒す知恵がある。それは弱き者の特権。本来なら見えたはずのその強さが、この子たちには見えなくなっていた。この子たちが死んだのは、あなたと……あなたを止められなかった、わたしのせいよ」


「奴らとの戦争に勝利するためだ。戦いに勝つためには強くあらねばならない。強くあるには規律がいる。我々には “秩序” が必要なのだ。秩序があるからこそ、我々は神の軍団たり得るのだ」


「それなら、そんな戦争をやめてしまえばいい。そうすれば歪な “秩序” そのものがいらなくなる。わたしたちはあるべき姿に戻ることができるわ」


「あの裏切り者をこのままにしておけというのかっ」


「……ミカエル」


 弟の感情の揺らぎを感じ、ガブリエルはをした。

 兄弟たちの中で、誰よりも純粋で生真面目な性質を持つ存在。

 それ故に、長兄の選んだ道が理解できずにいる。

 不理解は否定につながり、否定は憎しみへとつながる。

 そして、今やその憎しみすらもこの弟は忘れてしまっている。

 自分たちの元を去った長兄に勝つために、怒りや憎しみと言った負の感情を排除した。

 冷静に冷厳に戦うために、完璧――完全になろうとした。

 さらには、それをすべての兄弟たちにも強要した。

 そうして誕生したのが、自称 “神の軍団” である……。


 “神の軍団” などと名乗ること自体が、完璧でない証なのだということが、この弟にはわかっていない……。

 人間は、何かしらに自己の存在証明アイデンティティーを求めてしまう。

 それは家柄であったり、仕事であったり、自己の能力であったり、容姿であったり様々だ。

 自分の中にある揺るぎない柱――自信という名の幻想。

 だがその幻想を持てるからこそ、人間は生きていくことが出来る。

 弟も、ミカエルも同じなのだ。

 “神の軍団” と “その長” という幻にすがり、支えにしている。


「――あなたは堕天する気なのか、ガブリエル」


「そうね……あなたがどうしてもこの者たちを虐めるというのなら」


「姉弟よりも、そんな薄汚い下等生物を選ぶというのか」


「今の天界は。今の天使は。今のあなたは。だから、わたしはわたしのを守る――それを堕天と呼ぶのなら、わたしは厭いはしない」


 それは姉から弟へ差し出された、最後の手だった。

 だが圧倒される思いでやり取りを見ていたドーラには理解できた姉の情愛が、弟には理解できなかった。


「熾天使ガブリエルは堕天した。この時点より天界でのガブリエルのすべての権利を剥奪し、汝を裏切り者エネミーと認定する」


 兜の奥から大理石の声が響き、神剣が雷光を帯びた。


「天使長ミカエルの名において、裏切り者に神罰を下さん!」


「――なら、わたしも躊躇わない! 守護天使として、わたしのを護る!」


 ガブリエルも応じる。

 華奢な身体が輝き、瞬時に弟のまとっている物と瓜二つの鎧が彼女を包み込む。

 “熾天使” だけが身につけることを許された黄金の鎧を、ガブリエルもまたまとったのだ。


神鎧しんがいをまとうか、堕天使!」


「神などいないわ! すべてあなたが作り出した概念に過ぎない! わたしがこの鎧をまとえるのが何よりの証拠よ!」


「堕天使!」


 激突する、ふたりの “熾天使”

 神剣が斬り結び、金色の盾がぶつかり合う。

 それは本来、炎が荒れ狂い、大気が沸騰し、大地が割れ、海が蒸発する戦いのはずだった。

 地軸が傾ぎ、星が啼き、月が逃げ、太陽が隠れる闘争のはずだった。

 いかに世界蛇の迷宮とはいえ、岩山ごと崩れ去って然るべき激闘がそうならなかったのは、ガブリエルが影響を封じ込めていたからに他ならない。

 自分と同等の力を持つ弟と戦いながらも、姉の “熾天使” は世界を――彼女のを護っていたのだ。

 むしろ純粋な力だけならば、年長である彼女の方が勝っていただろう。

 長兄が去ったあと、ガブリエルは天界最強の天使なのだ。


 だが――。


「――ぐっっ!」


 ミカエルの一撃を受け損じ、ガブリエルの肩に弟の剣が食い込んだ。

 鎧が割れ、兜が弾け飛び、赤い血が噴き零れる。


「――ガブッ!」


 ドーラは叫ぶが、姉弟喧嘩に割って入るには絶望的に力が足りなかった。


「愚かな……半減した力でわたしに勝てると思ったのか」


 “熾天使” 同士の戦いは、あっという間に弟が姉を追い詰める形になった。

 如何にガブリエルが最強の力を持つとはいえ、その力の大半を “熾天使” 同士の激烈な戦いの影響を封じ込めるために使っては、戦える道理がなかった。


「……愚かなのも楽しいものよ、ミカエル」


 自身の血に塗れた顔で、ガブリエルは微笑んだ。

 その顔は汚れていたが、気高く、凛々しく、なによりも美しかった。

 弟でさえ初めて見る、姉の美。

 完璧にはほど遠い状態のはずなのに、なぜこれほどまでに美しいのか。

 ミカエルは戸惑い、さらに言い様のない不快感を覚えた。

 そしてその不快な感覚は、すぐに大天使の身を焦がすような激しい嫌悪感となって膨れがあった。


「神罰を受けよ、ガブリエル!」


 ミカエルが激情に任せて剣を振り上げ、ガブリエルが覚悟を決めたとき、姉弟は視界の隅に立ち上がる人影を見た。

 大天使の動きが止まる。

 いや、止めさせられた。

 それは矮小極まる人間のはずなのに、ミカエルも、そしてガブリエルも、決して無視は出来ない姿だった。


「アッシュ!」「アッシュロード!」


 ドーラとガブリエルが、同時に叫んだ。


「我が姉を惑わし、堕落させたのは貴様か、人間」


 ミカエルが神剣の切っ先を、ユラ~リと立ち上がった黒衣の男に向ける。


「……ガキが。ドーラといいガブといい、


 アッシュロードの口から漏れた抑揚のない言葉に、ドーラの身体中の毛が逆立った。


 ――キレている!!?


「よせ、アッシュ!」


 力の差は歴然。蟻と巨人以上。

 アッシュロードに打つ手があるなら、これまでの幾度かの窮地で使いかけた、封印された “全能者” の力を引き出すことである。


 


 天界を統べる “大天使” の力は、“全能者” のそれすら凌駕してなお強大である。

 さらに “全能者” として覚醒すれば、アッシュロードの中に宿る “悪魔の石デーモン・コア” が孵化し、“魔太公デーモンロード” が復活してしまう。

 天使長ミカエルと魔王ルシファーが激突すれば、世界が滅ぶ。

 いずれにしても、アッシュロードは死ぬ。死んでしまう。

 彼女の人生である男は死んでしまう。


「やめろーーーーおおおぉぉぉぉっっっ!!!」


 ドーラは慟哭し、アッシュロードに向かって届かぬ手を伸ばした。

 だがドーラの悲劇的な予想を遙かに超えて、目の前の男は


「――テメエの出番だ! 天魔を覆滅する断罪の鎧!」


 男の頭上に、聖銀に輝く五つの武具が出現した。



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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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