神の戦士

 脳髄を破壊されるような高周波が最高潮に達した瞬間、ふたりの古強者の眼前で光が爆発した。

 炸裂した閃光の中から現れた “眩い姿Radiant Figure”が、次第に明確な輪郭へと集束していき、黄金に輝く鎧をまとった戦士となる。


“――感情の排除が未熟だったとは言え、我らが弟妹ブラザーを嗜逆したこと許すわけにはゆかぬ”


 頭骨内に残響する激しい耳鳴りを上書きして、磨き上げた大理石のように冷たく硬い声が響いた。


“我が名はミカエル。神の名において汝らに神罰を下さん”


 それは有無を言わさぬ、雷鳴の如き絶望だった。

 全霊で抑え込まなければ、ワナワナと震えだして戦慄に押し潰される。

 探索者最強のマスターくノ一は何をどう足掻こうと、自分が目の前の光り輝く存在に抗し得ないことがわかった。

 それは何の知識も獲得していない原初の人類が、神を前に感じる本能だった。

 “大悪魔アークデーモン” さえ対峙するのをためらう、天使の長が降臨したのだ。


「……ミカエル、だって?」


 それでもくノ一――ドーラ・ドラは、背後に気息奄々とうずくまる男を守って立ち上がった。

 黄金の鎧をまとった燦然と輝く三対の翼を持つ “大天使アークエンジェル” に向かって、黒いこしらえの曲剣を構える。

 アッシュロードは天使の強大過ぎる力をまともに受けて、完全に戦闘力を消失していた。

 ドーラにしても一瞬でも気力が萎えれば、再びその場に倒れ伏してしまうだろう。


(……今にして思えば、ガブはずいぶん加減をしてくれてたんだね)


 ドーラはもうひとりの “熾天使セラフ” が、初めて自分たちの前に降り立ったときのことを思った。

 あの時は驚きはしたものの、こんな圧殺寸前の “重さ” は感じなかった。


「……どうやら相当のお偉いさんのようだね。指揮官自ら未熟な兵隊の報復に現れたってわけ――がっ!?!!!!?」


 不可視の “重さ” がいや増し、ドーラは無理やりに跪かされた。


“詫びよとは言わぬ。屈せよとも。汝らにも一片の誇りがあろう。ならばその誇りに殉じて滅びるがよい”


 冷厳な声が告げた。


“神の慈悲として誇りまでは奪わぬ”


「……ありがたいね。でもね、命を奪って誇りを残すなんてのは、とんでもない思い上がりってもんだよ!」


 ドーラは身体にのし掛かる極大の圧力に、必死に顔を上げながら反駁する。

 命を奪うとは――殺すとは、相手の過去を、現在いまを、未来を、何もかも一切合切奪い去る行いだ。

 これ以上ない、尊厳誇りの略取だ。


 そして叫びながら思った。

 ガブリエルの言ったとおりだ。

 頸を刎ねた天使たちと違って、目の前の金色からは怒りや憎しみは感じない。

 嫌悪感を催す虫ケラではなく、まるで道端の石ころを見るような視線。

 感情が完全にいる。


(……まったく懐かしいものを見る心持ちだよ)


 かつてのドーラは、こういう目をした者たちに囲まれて生きていた。

 心に刃を忍ばせた者たち。

 なんのことはない。

 こいつも同じなのだ。

 そうであるなら怖れる――畏れる必要などない。

 ただ、桁違いに強いだけだなのだ。

 自分の利き腕を斬り落とした、あの師匠を遙かに超えて。


 ドーラは忍者。

 どんなに強大な敵でも一撃で屠ることを神髄とする、戦闘機械だ。

 神に比肩する力を持つにせよ、生命体であることには変わりない。

 逆転の目はある。

 勝負は一瞬。刹那の攻防。

 一秒の七五分の一の時間に連環される、生と死。

 自分の “生” の瞬間に、相手の “死” を衝く。

 それが忍者の闘法クリティカルだ。

 魔神をも屠るその死点への一撃を、目の前の神兵ゴッドウォリーアーを自称するこの思い上がりにご馳走してやるのだ。


 ミカエルも、ドーラの雰囲気が変わったことに気がついた。

 瞳から色が失せ、怖れや怒りが消えた。

 感情を、心の奥底に沈めたのだ。

 天界の長であり、神の軍団を統べる大天使は、意外に思った。

 人間風情が、弟妹ブラザーが達することができずに破滅を招いた境地に至っている。

 完璧になるために不要な感情を、切り離す術を身につけている。


 ドーラは思い上がった大天使の呼気を読み、呼気を測る。

 それはすなわち、刹那の間に繰り返される生と死を測ることに他ならない。

 ミカエルの放つ神の如き聖圧も、心の底に感情を沈めたくノ一には関係ない。

 無我の境地。

 今のドーラには、怖れも畏れもない。

 相手の生命を刈り取る――その一点のためだけに動作する機械だ。


生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死、生、死――。


 “生” のドーラが、“死” のミカエルに向かって跳ねる。

 くノ一の魔剣と大天使の神剣が、観測者の目にはまったく同時に煌めいた。

 ドーラは弾き飛ばされ、ミカエルの神剣に宿る太陽の力によって麻痺パラライズさせられた。


 ――次は汝の番だ。


 雷光をまとう大天使の切っ先が、観測者に向けられる。


 ――ああ、俺の番だ。


 アッシュロードは剣を支えに立ち上がり、人生で最後になるであろう戦いに臨んだ。

 ミカエルから受ける “波動” で、アッシュロードの変調は最高潮に達している。

 心臓が破裂しそうなほど鋼を打ち、今にも口から飛び出しそうだった。

 身の内に宿った魔王の卵―― “デーモン・コア悪魔の石” が、孵化寸前なのだ。


 ミカエルの神剣が、アッシュロードの頭上に無造作に振り下ろされた。

 無造作だが、鋭く、岩をも断つであろう斬撃。


「――ぐがっ!」


 万全の状態でもかわしきれなかったであろうその一撃を、アッシュロードは辛うじて剣で受け、ドーラ同様に弾き飛ばされた。

 +3相当の魔法強化が施された魔剣でなければ、刀身ごと一刀両断にされていただろう。

 だが神剣に宿る太陽の力までは防げない。

 雷撃がアッシュロードの身体を貫いた。

 力の差は、蟻と巨人以上だった。


「……ひ、酷えな、こりゃ……」


 壁際まで吹き飛ばされ、強かに内壁に身体を強打したアッシュロードがぼやく。

 全身から細く白煙が上がり、盛大に痺れてはいたが、舌は回った。


“……なぜ、動ける?”


 大天使は訝しんだ。

 天使の剣を受けて、麻痺せぬ人間がいるはずがない。


「……あいにく俺は特異体質でな……麻痺だの石だのは効かねえんだよ……」


 アッシュロードはせせら笑った。

 それは人間とは思えない自身に対する嘲りだったが、布石でもあった。

 布石はこう続いた。

 

「……だからいくら俺を痺れさせても、動けなくはならねえぜ……俺を止めてえならひと思いに殺すか、それとも俺が音を上げるのを待つかだ……」


“――ならば音を上げるがよい”


 そこからは、もはや嬲り者だった。

 ミカエルは殺さない程度の斬撃をアッシュロードに加え、神剣の電撃を浴びせ続けた。

 二度、三度、四度、五度と、アッシュロードは雷に貫かれ地を這った。

 そしてその度に立ち上がる。


“――なるほど、それが貴様の誇り。人間の矜持か”


「……人間を……舐めるなってこった……」


 もちろんアッシュロードは、絶対に勝てない大天使に対し、自らの命と引き換えに人間の誇りを示す――などという高尚な考えなど、欠片も持ち合わせてはいない。

 それどころか、この期に及んでまだ生き残る可能性を模索していた。

 ただそれは完全なる他力本願で、ほとんど奇跡を願うに等しかった。

 要するにアッシュロードは援軍を、助けが来るのを待っていたのである。

 時間を稼ぎ、万にひとつの可能性を手繰り寄せようとしていたのだ。


(……いや、千にひとつ……百にひとつぐらいにしとかねえと、あいつがヘソ曲げげちまうかも……どちらにせよ、来るなら早くしてくれ……俺ぁ、そろそろ死んじまうぞ……)


 果たしてアッシュロードの祈りともぼやきとも採れる思いは、文字どおり

 先ほどと同様、強大な気配が急速に近づいてくるのがわかる。

 耳鳴りがしないのは、弱った被守護者を気遣ってのことか。

 再び、光が爆発した。

 

「……やっと……きたか……」


 薄ら笑いを浮かべた直後ガクッと頭が落ち、アッシュロードは意識を失った。


「遅れてごめんなさい」


 アッシュロードとミカエルの間に割って入った華奢な人影が、意識を失った被守護者にすまなげな顔を向けた。

 そして眩く輝く三対の翼を広げ、もう一翼ひとりの天使に向き直る。


「熾天使ガブリエルの名において、熾天使ミカエルに通告します。これ以上この者に危害を加えることは許しません」


 三人目のパーティメンバーが、ようやく戦場に到着したのである。



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