悪辣★

 アッシュロードとドーラは、いきなり追い詰められていた。

 彼らの視界は今、目の前で鼻をつままれても分からないほどの濃密な闇に覆われている。


 ほんの少し前、ふたりは十字形をした玄室の西の扉を開けようとしていた。

 しかし、突然扉から皮膚が剥ぎ取られるかと思えるほどの突風が吹き荒び、彼らを押し戻してしまったのだ。

 その扉はどうやらチェックポイントで、通過するにはキーアイテムパスポートが必要らしかった。


 是も否もない。

 これが迷宮だ。


 アッシュロードたちは、十字形の玄室で唯一調べていない北の扉に足を向けた。

 罠がないか調べ、奥に魔物の気配がないかを探り、問題がなかったので扉を開けた途端、闇がふたりを包み込んだのだ。

 百戦錬磨の迷宮探索者であるアッシュロードは、慌てず騒がず “示位の指輪コーディネイトリング” を使って現在位置と方角を確認した。

 指輪は……効果を発揮しなかった。


「「……」」


 アッシュロード、ドーラともお互いの顔は見えなかったが、おおよそどのような表情をしているのかは見当がついた。

 互いにゲンナリした顔で、ガックリと肩を落としているだろう。

 聞こえないだけで、ため息も零しているかもしれない。


「……まさか暗黒回廊ダークゾーン魔法封じの間アンチマジックエリアとはねぇ」


 最初に口を開いたのは、猫人フェルミスのくノ一だった。

 声にはやはり、気魂が籠もっていない。

 これまでに経験してきた迷宮でも、暗黒回廊と魔法封じの間が階層フロアの近い距離で混在していたことはあった。

 だが、同時にというのは初めてだ。

 視界の効かない暗黒回廊では、“座標コーディネイト” の呪文が命綱であり、呪文が使えない魔法封じの間では、玄室や回廊の形・扉の位置などから現在位置を割り出すに頼るしかない。

 その両方を潰してくるとは……随分と性悪だ。


「迂闊に動くな。今、位置を見失ったら復帰できなくなる」


 暗黒回廊の広さにもよるが、闇中で座標をロストすれば、位置情報の再取得は不可能に近い。


「どうするね?」


「やることは変らん」


「右手かい? 左手かい?」


「取りあえず右手だ」


 ドーラは頷き、右手を背後の壁に添えた。

 入ってくるまでは扉だったその壁は当然一方通行であり、後戻りは出来なくなっている。

 背後は南の壁。

 右手を壁に添えて進めば、必然的に東に進むことになる。

 やることは変らない。

 今度は内側からこの暗黒回廊――地帯の外縁アウトラインを浮き上がらせるのだ。

 ふたりの古強者ベテラン探索者は、探索を再開した。


 先を行くドーラは、闇の中でこそ活きる猫人の瞳を封じられながらも、その分どんな微細な空気の揺らぎも逃さぬ髭と、どんな僅少な音も拾い上げる耳で暗闇を探った。

 慎重の上に慎重を重ね、普段の数倍神経を消耗させつつ歩を進める。

 四区画ブロックほど進んだところで、行く手が壁に遮られた。

 手触りから煉瓦造りの内壁だ。

 西から進んできて、南と東に内壁がある。


「東に煉瓦造りの壁が出た。北に折れるよ」


 ドーラは右手を壁に添えたまま、左に進路を変えた。

 アッシュロードは自分の歩幅から距離を測定、歩々記憶する。

 こんな時にあのホビットがいれば……と思わずにはいられない。

 ふたりはそこから四区画北上した。


「地図の上では、ここが階層の最北端だ。すぐそこに岩の外璧があるはずだ」


 アッシュロードは脳裏に浮かぶ地図を見ながら、ドーラに伝えた。

 ドーラは訝しんだ。

 外璧が近いわりには、岩盤に浮かぶ結露の冷たい湿気を感じない。

 それどころか壁があるらしい場所の先から、わずかな空気の流れも感じる。

 ドーラは愛剣を抜くと、切っ先をゆっくりと突き出した。


「アッシュ、あんたの頭の地図だけどね、確かなのかい? 外璧なんてないようだよ」


「なんだと?」


 暗闇の中、アッシュロードは眉根を寄せた。

 そんなはずはない。

 入口から東に四区画(入口の区画を入れて五区画)進み、そこで東に内壁が現れた。

 そこから北にさらに四区画(南東の角の区画を入れて五区画)進んだのだ。

 途中魔物との遭遇エンカウントなどはなく、位置を見失う要素はなかったはず――。


次元連結ループか……」


 アッシュロードは唸った。

 ここが最北端なら、大いに有り得る話だ。

 一層や三層からの縄梯子がある南東の区域の南端は、北東区域の北端と次元連結してる。

 この暗黒に染められた区域がそうだとしても、なんら不思議はない。


「……あるいは転移地点テレポイントか、回転床か」


「転移地点はないだろう。目眩がしなかった」


 ドーラの呟きに、闇中にも関わらずアッシュロードは頭を振った。

 身についた習慣だから無意識に出てしまう。


「回転床も、ずっと右手を壁に当ててたんだからはずだ」


「なら、次元連結ループってことになるね」


「確かめる方法はある。俺の記憶が確かなら、ここからさらに七区画進めば、北に内壁が現れるはずだ……あくまで途中に余計な壁だのなんだのがなければだが」


 暗黒地帯の中に、壁や玄室がないとは限らない。

 むしろ侵入者を惑わせるために、そのような構造になっていることの方が多い。

 そういった障害物が現れれば、正確な座標が不明なまま頭の地図に書き込む必要が出てくる。


「ほいじゃ、余計なもんがないことを祈ろうじゃないか」


 苦労性な人族ヒューマンの男と違って、猫人の女はあくまで楽天的だ。

 このふたりの呼吸は、ずっとそういう風にできている。

 肩を竦めるアッシュロードの気配を感じると、ドーラは再び北に向かって歩き出した。

 そうして……。

 果たして七区画先の北側に煉瓦造りの壁が現れた。

 東側もずっと同様の内壁だ。


「どうやら見当外れじゃなかったみてえだな」


 アッシュロードは見えない手で胸を撫で下ろした。

 地図のない暗黒回廊の中で自位を見失うなど、迷宮探索者にとってこれ以上の悪夢はない。


「よし、次は西だ。外縁さえ固まれば、あとはの要領で――」


「……」


「どうした、ドーラ?」


「“焔爆フレイム・ボム” ! 複数!」


 ドーラが叫ぶと同時に、暗闇から六つの同じ詠唱が若干にズレながら聞こえ始めた。


「――チッ!」


 アッシュロードは注意力が散漫になっていた自分に舌打ちしながら、左右の手で得物を抜いた。

 右手には主武装メインアームの “悪の曲剣イビル・サーバー

 左手には副武装サイドアームの “魂殺しスレイ・オブ・ソウル

 大小の悪の業物を手に、闇の中の詠唱に向かって突進する。


(“焔爆フレイム・ボム” ってことは、おそらく “死人使いネクロマンサー” か――だが魔法封じの間では)


 魔法封じの間――罠は、“静寂サイレンス” の加護とは原理が違う。

 “静寂サイレンス” が大気の振動を止めて音の発生を封じ、呪文や祝詞の詠唱による言霊の行使を阻害するのに対し、魔法封じの罠は大気中に存在する魔力のであるエーテルを消失させることで、魔法を無効化する。

 生物の体内に存在するエーテルまで消し去るので、魔法の水薬ポーションなどを服用しても効果が出なくなってしまう。

 魔法使いスペルキャスターには、致命的過ぎる罠だ。

 アッシュロードに先んじてドーラがひとりを斬り倒し、黒衣の君主ロードも続いた。

 しかし次の瞬間、猛烈な熱と爆風が炸裂し “悪” のバディを吹き飛ばした。


(――なんだとっ!?)


 爆風に打ち倒され苦痛に呻きながら、それでもアッシュロードは即座に跳ね起きた。

 こいつら魔法が生きてやがる。

 考えられることは唯ひとつ。

 魔法封じの罠はこの暗黒地帯全域ではなく、仕掛けられていたのだ。

 当然、その一角にさえ足を踏み入れなければ、魔法を封じられることはない。

 この “死人使いネクロマンサー”たちは闇に潜みながら、魔法を封じられた間抜けな獲物が彷徨い込んでくるのを、手ぐすねを引いて待ち構えていたのである。


 わずかの時間差を置いて、さらに三発の “焔爆” がアッシュロードとドーラを襲った。

 さすがに熟練者マスタークラスの古強者たちは、直撃を受けるような下手は打たなかったが、それでも40ポイントほどの生命力ヒットポイント を削られた。


(――ままよっ!)


 こうなれば、こっちが六人全員を斬り倒すのが先か、敵がこっちの生命力を削りきるのが先か――である。

 結局、アッシュロードとドーラはこの暗闇での遭遇戦に勝利をおさめたが、都合六発の“焔爆” を受け、生命力を80ポイント以上失った。


「…………生きてるか?」


「…………炙り焼きにされた “コカトリス” の気分だよ」


「…………休むのはここを離れてからだ」


 ふたりは苦痛に顔を歪めながら、“死人使いネクロマンサー”たちの血臭が充満する場から離れた。

 右手を壁に添えて、西に向かう。

 血の臭いを嗅ぎつけて危険な奴らが集まってくる前に、移動しなければならない。

 四区画ほど進んだところで、アッシュロードとドーラはくずおれるようにその場に座り込んだ。


「……思わぬ傷をおっちまったね。“聖水ホーリーウォーター” はやっぱり無効化されてるんだろうね」


「……ああ、あれも高級な水薬みたいなもんだからな……飲むのなら、ただの水の方にしとけ」


 ふたりの腰には件の “聖水” が携えられていたが、今は飲んだところでただの水だろう。

 この階層から出て、体内のエーテルが復活するまでは……。

 アッシュロードとドーラは、通常の飲料水が詰められている水袋を各々口にした。

 互いに無言で内壁に背を預け、生命力が回復するのを待つ。

 ふたりの指には、言霊やエーテルに関係なく治癒の効果を発揮する “癒しの指輪リング オブ ヒーリング” が嵌められている。

 時間さえかければ、失った体力を全快させることもできる……。


「「……」」


 ふたりは黙り込んでいたが、互いに考えていることは分かっていた。


“……クソみたいに悪辣クソな迷宮だ”


 広大な暗黒地帯に、侵入者の魔法だけを封じる罠の配置。

 よくもまぁ、ここまで性根の曲がった “歓待” を考えられるものだ。

 元々この迷宮は、星の意思とも言われる世界蛇 “真龍ラージブレス” に拝謁を願う者を選別する、試練の場だと伝えられている。

 試練を突破し、“真龍” にまみえることが出来れば、莫大な富、不老不死の命、あるいは神をも凌ぐ叡知を得られるという。

 それを考えれば、伝説の勇者・賢者・聖女でもなければ踏破できない迷宮なのは納得せざるを得ないが……。

 だからといって、ために呼び寄せた者に、この仕打ちはないというものだ。


「……すべてが終わったら、世界蛇ワームの頚を刎ねてやろうかね」


「……ああ、そんときは手伝わせてくれ」


 ボソリと呟いたドーラに、ボソリとアッシュロードが答えたとき、有り得べからざることが起こった。

 突然、眼前に眩い輝きが出現し辺りの闇を切り裂いたのだ。

 角灯ランタン松明トーチは言うに及ばず、神々の力を借りた加護の魔法光さえ打ち消してしまう迷宮の “真の闇” に光を現出させるなど、いったい何者に可能だというのか。

 闇に順応していたアッシュロードとドーラは、両腕をかざし、顔を背け、さらに強く両眼を閉じて、網膜が灼かれるのを防いだ。


“――懐かしい気配がしたので、久しぶりに降りてきてみれば”


 脳内に直接響く清澄な声に、アッシュロードとドーラは目蓋を上げた――いや、上げさせられた。


“お久しぶりね、ルシフェル。ご機嫌いかが?”


 背に輝く三対の翼を持つ “熾天使セラフ” が、屈託なく微笑んでいた。


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669708872022



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