湖水哀歌
「駄目えぇぇぇっっっ!!!!」
わたしは絶叫し、打ち寄せる湖水に飛び込みました。
地底湖の流れの差でしょうか。
その水は、普段水浴びに使っている淡水域の水よりもずっと冷たく、まるで氷のようでした。
わたしは侍女さんに武者振り付くと、力任せに岸へと引きずり上げます。
侍女さん瞳は朦朧と焦点が合わず、失神寸前です。
女神さま! ニルダニス様! どうかこの人に、この子に――――わたしに御慈悲を!
わたしは自分の中に存在するすべての後悔を、怒りを、悲しみを、苦しみを、救いを求める願いを――祈りと加護に込めて、叫びました。
「―― “
授かったばかりの、わたしに願える――聖職者に願える――最大の癒やしの加護。
たとえ瀕死の状態からでも完全に復活させる、神の
消えないで! 消えないで!! 消えないで!!!
消えないで、小さな
あなたの生には、必ず意味がある!
あなたの命には、絶対に愛がある!
だから――だから――!!!
「戻ってきてぇぇーーーーーーっっっ!!!」
……………………トクンッ…………トクンッ……トクンッ……。
トクンッ!
……………………おぎゃあ…………おぎゃあ……おぎゃあ……。
おぎゃあ!
消えゆく “神癒” の残響に変って、侍女さんの中から再び響き始めた、生命の鼓動。
再び聞こえ始めた、魂の産声。
「……ありがとう……ございます!」
体温の戻りつつある侍女さんを抱き締めて、涙を零し感謝しました。
女神に、ニルダニスに、この宇宙に存在する女性たちの―― “母性” の集合意識に。
「……聖……女……さま?」
やがて、侍女さんの瞳に焦点が戻りました。
わたしは涙に濡れながら、気遣うよりも労るよりも先に怒鳴りました。
「あなたの事情はわからないけど、あなたの事情はわからないけど、これだけは分かる! 消えてしまった命は、どんなに後悔しても、どんなに取り戻したいと願っても、二度と戻ってはこないのですよ!」
わたしに詰られ、止まっていた侍女さんの時間が動き始めます。
両目に見る見る涙が溢れ、口からは激しい慟哭が漏れました。
「――うあぁあぁーーぁぁあああっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
「……っ!!!」
わたしは泣きじゃくる侍女さんを、強く強く抱き締めました。
ふたりの女の瞳から、心から、後から後から溢れる涙。
人生とは……なぜ、こうまで過酷なのでしょう……。
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侍女さんの名前は、エッダさんと言いました。
恋人の名前は、ヨシュア。
「……ヨシュアは従士なんです……」
エッダさんは、わたしの熾した火に当たりながら、ポツリポツリと身の上を話してくれました。
乾燥させた “
すぐ近くに海藻を乾燥させるための作業場があり、そこにいたフェルさんに分けてもらってきたのです。
周囲には誰もいません。
わたしと、エッダさんだけです。
「……農村の出で……騎士になることを夢見ていて……今仕えている騎士さまにも何度何度も頭を下げて、やっと奉公を許されて……」
「…………まだ修行中なのですね」
わたしの言葉に、エッダさんは小さく頷きました。
主君である騎士から衣食住と馬と武具を与えられ、騎士として道と徳と武芸を学び、戦場には共に立ち、武勲を上げ、名を上げ、やがて叙任を受けて騎士となる。
従士になるには自由階級でなければならず、ヨシュアさんは農村の出身とは言っても農奴ではなく、地主かあるいは小作人の子だったのでしょう。
“名誉” “廉恥” そして “婦人への奉仕” は、アカシニアでも騎士道の根幹となっている概念です。
修行中の身でありながら女性との間に子をなしたとあれば、大概の騎士は赫怒するでしょう。
奉公を解かれてもおかしくはありません。
「確かにヨシュアさんがお仕えしている騎士の方はお怒りになるかもしれません――ですが騎士ならば、このような時にこそ寛容であらねばならないはずです」
名誉を重んじ、恥を知り、女性への奉仕を尊きとする。
寡婦や、子供や、貧者に病人。戦場での敗者。
弱き者への寛大な心こそ、騎士の徳目。
騎士の騎士たる所以ではありませんか。
「ヨシュアさんがお仕えしている方は、そんなにも気難しい方なのですか?」
「……ロドアーク様は近衛騎士だけあって名誉を重んじる、とても真面目なお人柄だと聞いています。ただ騎士の家柄の生まれで、探索者出身の同僚の方とは反りが合わないようだとも言っていました」
ロドアークという人が、ヨシュアさんが仕えている騎士なのでしょう。
「騎士としての誇りが強いのですね。でも、それならなおのこと――」
「問題は……そこではないのです」
「……?」
「問題はロドアーク様と、わたしのお仕えしているオレシオン様の仲が、とても悪いことなのですっ!」
エッダさんはそういうと、再び顔を歪ませ両手で顔を覆ってしまいました。
そんな……そんな小さなことのために。
あなたはあそこまで追い詰められなければならなかったのですか?
氷のような湖水に自ら下腹部を浸し、身を切るような冷たさ耐え、堕胎の苦しみを選ばなければならなかったのですか?
「他のことならともかく、ご主人様のこととなるとロドアーク様はお人が変ってしまうそうです! それはご主人様も同じです! ロドアーク様のお話が出ると、まるで別人になったようにご気性が荒くなられて!」
エッダさんが泣きじゃくりながら、これまで誰にも漏らせなかった苦衷を吐露します。
「聖女様っ! わたし、わたし、彼の迷惑になりたくないっ! わたしのせいで、あの人の夢を台無しになんて出来ないっ!」
「あなたのせいだなんて……そんなはずがあるわけないでしょうに」
わたしは再び、エッダさんの震える身体を強く抱き締めました。
そして天を仰ぎ、
(わたしに――わたしに、あなたと同じ眼差しをください! 優しさをください! 言葉をください! この人を悲しみから助けてあげられる力を、苦しみから救ってあげられるを強さを、わたしにください!)
――サマンサさんっ!
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