宣戦布告

 ……ジャリ、


 鉄靴サバトンのスパイクが、水打ち際の岩を噛む音がした。


「来ないで! 今は会いたくない!」


 フェリリルは出来るだけ感情を込めずに言ったつもりだったが、結果は無残なものだった。

 誰が聞いても今にも泣き出しそうな怒鳴り声。

 悔しさ、悲しみ、恥ずかしさ、怒り……これだけ感情の籠もった声も珍しいだろう。


「どうせ――どうせ、みんなに追い掛けるように言われて来たんでしょ!」


 男が背後で困っている。

 ああ、やっぱり図星だったんだ。

 言わなくてもいいことを、聞かなくてもいいことを聞いてしまった。

 エルフの少女は、今さらながら自分の不器用さに気づかされ、ますます惨めになった。


「……聖職者としては……互角だと思っていたのにっ!」


 ついに涙腺が決壊した。

 フェリリルの強く閉じた瞳から、涙が止めどなく溢れに溢れた。

 両方の頬を伝い、形良く尖った顎先で合流し、足元の湖水へと還っていく。

 聖職者としては互角。

 それがつい先ほどまで、エルフの少女のプライドを支えていた事実だった。


 エバ・ライスライトが授かった加護は、自分も授かった。

 エバ・ライスライトが嘆願できる加護は、自分も嘆願できる。


 そのはずだった。

 それなのに……!


「……そんなに自分を追い込むな。はいい僧侶プリーステスだよ」


「そんな気休め!」


 事実、男――アッシュロードは自分でも気休めだと思っていたので、それ以上何も言えなかった。

 だが、この状況でいったい何を言えというのだ?

 今のフェリリルには、誰が何を言っても気休めでしかないだろう。


「どうせ――どうせ、あの娘の方が好きなんでしょ! 大事なんでしょ! 大切なんでしょ!」


 だから、なんで話がそういう方向に行く……アッシュロードも泣き出したくなった。


「いや、別にあいつとは何も……」


「嘘っ!」


「う、嘘じゃねぇって」


 二回りも年下の一七歳の少女に、タジタジの男。

 これで “灰の暗黒卿” だなんだと言われているのだから、酷いものである。

 だが、実際エバ・ライスライトとは何もないのだ。

 実際というのは、つまりは男と女の関係と言うことだが……。

 それはない……と断言できる。


「裸見てるくせに!」


「ありゃ、蘇生直後の不可抗力ってもんだ!」


「じゃあ、結婚して!」


「はぁ!? なんでそうなる!」


「ほらぁ、やっぱりあの娘の方がいいんだぁ!」


 わんわんと泣き出す、フェリリル。

 探索者一の美声だと讃えられているが、こうなると “大蛙ジャイアントトード” の群れよりもやかましい。


「グレイの馬鹿ーーーーーーーーっっっ!!!」


「……」


 アッシュロードは心が痛んだ。

 心の底から、フェリリルが気の毒だった。

 要するに……要するに、この娘もいろいろといたのだ。

 無理もないことだ……と、アッシュロードは思う。

 自分の所有物となったあの娘もそうだが、いくら素養があるとはいっても、まだ子供に毛が生えた程度の歳でしかない。

 本来なら、迷宮探索者なんてヤクザな稼業をするような娘たちではないのだ。


「フェルょぅ……そりゃ無茶振りってもんだろが」


「じゃあ、付き合って!」


「……変ってねえだろ」


「うわーーーんっ! やっぱりあの娘ことが好きなんだーーーーっ! グレイの浮気者っ! 女ったらしっ! 死んじゃえーーーーっ!」


 両手の目を押さえて、わんわんわんわん!

 聖職者にあるまじき暴言が、ポンポンポンポン!

 よっぽど溜ってたんだろう……。


「……」


 アッシュロードは馬鹿な男だが、そこまで馬鹿ではない。

 今の自分がしてやれることは、このエルフの少女が泣き疲れるまで、泣きつかれた後も側にいてやることだけだ……程度の考えには及ぶ。


「……いいよ。側にいてやるから、気の済むまで泣けよ。ひとりにだけはさせねえから」


「うわーーーーーんっ! 格好付けてる、馬鹿ーーーーーーっ!!!」



 やがて泣き疲れたエルフの少女の背中を、黒衣の男はおずおずと……あやした。

 もう罵声は飛んでこなかった。

 代わりにフェリリルはアッシュロードに抱きつき、胸に顔を埋めてグズった。


「……胸当てが痛てぇだろ……」


 返事はなく、ぐずり泣きの声だけが胸元から聞こえてきた。


「……あなたなんか……大っ嫌い……」


「……」


 こういう時、気の利いたことの言える男はスゲー……と、古強者の迷宮保険屋は本気で思った。


「……なぁ、フェル」


「……?」


「……俺ぁ、迷宮に取り憑かれた男だ。だから男として、女のおめえに気の利いたことは何も言えねえ。これはライスライトにだって同じだ」


 アッシュロードは洒落たことは言えない。

 この男に言えるのは、嘘ではない “何か” だけだ。


「だが、そんな俺だからこそ言えることもある。俺がもしおまえたちのパーティのリーダーだったら、おめえが “神癒ゴッド・ヒール” を授からなかったのは、却ってありがたかったと思う」


 フェリリルは耳を疑った。

 この男はいきなり、なにを言い出すの?

 聖職者が “神癒” を授からなくて、ありがたいですって?


「……なにを馬鹿いってるの?」」


「本当だ、嘘じゃねえ。まあ聞け――この迷宮はとにかく敵の数が多い。それなのにおまえらのパーティは魔術師がひとりしかいねえ上に、前衛のひとりは盗賊だ。回復と防御は厚いが、そいつは要するに長期戦を前提にしてるってことだ。ジリジリと削られていく怖さは、おまえらが身を以て経験したことだろう」


「……」


「上層には “滅消ディストラクション” の効かない敵も出てくるだろう。がきんちょが “対滅アカシック・アナイアレイター” を使えればいいが、あいつはまだそこまでの魔術士じゃねえし、そもそもあの呪文は迷宮の中でおいそれと使える代物じゃねえ」


「……」


「そうなると、これから先はあのホビットだけじゃ荷が勝ちすぎる。ライスライトは “神癒” を授かった。だからあいつは、いざという時のために第六位階の加護は使えねえ――だが、おまえは違う」


 フェリリルは感情的ではあるが、聡い娘でもある。

 自分の愛している男が何を言わんとしているのか、おぼろげにだか理解できてきた。


「……わたしに、第六位階の加護でパーシャを掩護しろというのね?」


「第六位階だけじゃねえ、第五位階にも攻撃の加護はある。この際、回復はライスライトに任かせて、おまえは今のおまえにしか出来ねえことをしたらいいんじゃねえか――と、俺がおまえらのリーダーなら言う……と思う」


「……」


 フェリリルは考え込んだ。

 魔物は複数グループが当たり前という、この迷宮の特徴。

 殲滅力不足というパーティの実情。

 今の自分の状態。

 それらすべてを鑑みて……理に適っている。


 それにしても――だ。

 なんと無骨で励ましだろうか。

 これでは恥も外聞もなく泣きじゃくった自分が、本当に馬鹿みたいだ。

 エルフの少女は気持ちが晴れたような、そうでないような、複雑な気持ちだった。


 いや……。

 やっぱり、晴れたのだろう。

 あのどうしようもない羨望や嫉妬や劣等感は、完全にはなくなってはいないものの、小さく無視できる程度には治まっていた。

 ガサツでぶっきら棒で不器用だが、この男は迷宮保険屋。

 人の命だけでなく、心まで生き返らせる――そういう男なのだ。


「……嫌い」


「……ああ」


「……でも好きよ」


「……」


「……いつかあなたにも、わたしを好きだと言わせてみせる。これはわたしからの宣戦布告よ」


「……これまでいろんな相手から宣戦布告はされてきたが、こんなおっかねえのは初めてだ」


「……ふふっ、それはそうよ。だってわたしは命掛けであなたを愛してるんですもの」


 サラリ……と愛の告白をやってのけたエルフの少女に、『……女ってのはすげえもんだ。俺には逆立ちしてもこんな告白はできねえ』……と、野暮を絵に描いたような男は思った。


「ああ、本当にスッキリしたわ! もう平気よ!」


 そういうと、フェリリルはパッとアッシュロードの胸から離れた。


「本当はね、ここであなたに不意打ちのキスをしてやろうと思ってたのよ。いつぞやのお返しにね」


「そいつは……」


「ええ、わかってる。そこまでしたら、多分わたしはあなたに嫌われる。それだけじゃなくて、あのふたりにも」


 森の娘は、湖からの風に髪をそよがせながら微笑んだ。


「……“仁義ある戦い” か」


「ふふっ、なにそれ?」


「いや……なんとなく、そんな言葉が浮かんだだけだ」


「……ありがとう、グレイ。追い掛けてきてくれて。たとえそれが、他の誰かにお尻を叩かれたからだとしても……嬉しかった」


 湖岸には等間隔に、“永光コンティニュアル・ライト”の明かりが灯されている。

 その魔法光の中に照らされるエルフの少女を、迷宮保険屋は素直に美しいと思った。

 この娘の幸せのために、自分が出来ることは多くはないだろう。

 だが、それでも可能な限りのことはしてやろう……。


 アッシュロードは思った。



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迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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