瑠璃色の想いを抱いて
「皆さん、起きてください。わたしたちの大切な人たちの元に帰りましょう」
わたしは、東の外璧の側に丁寧に寝かされているレットさんたちに近づき、揺り動かしました。
あんなにも暖かく爆ぜていた暖炉も、今は結露した外璧があるのみ。
絨毯が朽ちた床は石畳が剥き出しになり、氷のよう……。
身体を横たえているには辛すぎる環境です。
きっと手加減をしてくれたのでしょう。
ポトルさんの施した “
そして、
『リッ “
と、武器を手に
「あの人は “不死王” ではありません。ただただ妻を愛し、献身的に尽した、心優しい男性です」
わたしはなだめ、事情を説明しました。
全員が呆然とわたしの話を聞き、聞き終わったあともしばらく無言で、誰もが懸命に咀嚼し、理解しようと努めていました。
「…………つまり、あんたはわたしたちが寝てる間に、今となっては大昔になった時間でその魔術師の夫婦を看取った……ってこと?」
「看取ったのは奥様だけです――でも、その解釈でおおよそは合っています、パーシャ」
時間の概念については、やはり魔術師のパーシャが一番理解が速いようです。
「俺には何が何だかさっぱりだが……要するにまたエバに助けられたってこったろ?」
「そういうことになるのだろうな」
「……迷宮では、剣や斧だけが武器というわけではないのだろう」
ジグさんが頭を掻き、レットさんが深々と嘆息し、カドモフさんがボソリと呟きました。
「その女性は、心安らかにニルダニスの元に逝かれたの?」
「はい。それは確かに」
「……そう、よかった」
フェルさんは安堵した様子で胸の前で聖印を切り、会ったことのないサマンサさんのために鎮魂の祈りを捧げました。
「――調子はどうだ? 出発できそうか?」
「俺は問題ない」
「俺もだ」
「
「ほんと。“昏睡” の呪文を喰らったあとは酷い二日酔いみたいな最悪の気分になるのに(……さすが華麗にして偉大な古の大魔術師)」
わたしがパーシャの最後の呟きにクスッと笑みを漏らしたとき、
「よし、出発だ。気分はよくなったが状況が好転したわけじゃない。帰路を見つけなければ」
「――待ってください。その前にポトルさんを探さないと」
ポトルさんが遺してくれたお礼の品を受け取らなければ。
今パーシャが持っている “大地の杖” と同様、わたしたちが生還するための大きな助けになってくれるはずです。
「パーシャ、杖をフェルさんに渡してください。フェルさん、その杖には “
「その俺たちの役に立つ “お礼” ってのはなんなんだ?」
「わかりません。そこまでは話してくださらなかったので」
「……そもそもどこにいるのだ? その魔術師とやらは?」
「やっぱり、亡くなった奥さんの部屋じゃないかしら?」
「多分、それはないと思います」
カドモフさんとフェルさんの会話に、頭を振ります。
「?」
「サマンサさんの寝室は、今では “肖像画の間” になっているはずです。おそらく奥様が亡くなった後にポトルさんが造り替えたのでしょう……わたしたちが来たとき、あそこにポトルさんの姿はありませんでした」
「……そうね。愛した妻の部屋が、魔物やわたしたちのような探索者に荒らされるのは辛いでしょうしね」
「キッチンの奥を捜してみましょう。きっとそちらにいるはずです」
わたしの提案は受け入れられ、ジグさんを先頭にしたいつもの一列縦隊で北に向かいました。
……あの広く壮麗だったホールは、今はジメジメと黴臭いただの広い玄室に変わり果てています。
キッチンも……同じでした。
食材も調味料も、調理器具も……何もかもが揃っていた豪華な台所。
今はその全てが朽ち果て、暗いだけの空間です。
代わっていないのは、“消灯の罠” だけ……。
油が残り少なくなった
ほんの数日いただけなのに……。
「……大丈夫?」
わたしの様子に気づいたフェルさんが、気遣わしげに声を掛けてくれました。
「……すみません。平気です」
わたしは一度強く目を瞑ってから、再び開きました。
気持ちを切替え、迷宮探索者として集中し直します。
それからわたしたちは、まずこの
思えば、レットさんがそこに『なにかありそうだ』――言ったことが、ポトルさんとの出会いに繋がったのです。
北東の角は一×一の玄室でしたがポトルさんの姿はなく、また縄梯子もありませんでした。
わたしたちは来た方向の西へ引き返し、扉をひとつ開けてさらに西に進みました。
「……エバ、この先には何があったかわかる?」
「……ええ。
パーシャに答えたわたしには、予感がありました。
きっとこの先に、ポトルさんはいる……と。
若き竜が老いて死に、朽ちた屍が塵となるくらいの長い年月、わたしを待っていてくれていると……。
そして、わたしの予感は当たりました。
酒蔵の扉を開けて中に入ると、散乱する空の酒瓶に囲まれて大きな安楽椅子が置かれていたのです。
見慣れたその安楽椅子には、濃緑のローブをまとった魔術師が深々と身を沈めていました。
「……飲み過ぎないでくださいって……言ったのに……」
ボロボロと涙が零れます。
「……でも、仕方ないですよね。ワイン、大好きでしたものね……」
わたしは僧衣の袖で顔をゴシゴシと拭うと、ポトルさんの遺骸に無理に笑いかけました。
ポトルさんの首には、初めて見る “瑠璃色のペンダント” が下げられています。
これが、ポトルさんが遺してくれたお礼の品なのでしょう。
「……頂きます。ポトルさん」
「触っちゃ駄目! エバ!」
ペンダントに手を伸ばしたわたしに、パーシャが鋭く警告しました。
「こんな長い間、誰にも触られてないんだよ! 呪いや罠があるに決まってる!」
「大丈夫です」
わたしはニッコリと微笑むと、構わずペンダントに触れました。
「エバッ!」
何も起こりません。
起こるはずがないのです。
この時のために、ポトルさんはずっと待っていてくれたのですから……。
わたしは恭しく、ポトルさんの首からペンダントを抜き取りました。
それはラピスラズリが埋め込まれた、美しい
さらさらと崩れていくポトルさん……。
亡骸はローブや安楽椅子と共に灰へ……灰から塵へ……。
「灰は灰に……塵は塵に……どうか安らかに眠ってください……そしてサマンサさんと今度こそ永遠に……ありがとう……ございました」
祈りを捧げるわたしの前で、華麗にして偉大なる古の大魔術師が、ようやく生涯を懸けて愛し慈しんだ女性の元に旅だったのです。
「…………この人はいったい」
「……竜をも凌ぐ長寿と神に比肩する叡知……
パーシャの疑問の呟きに、わたしは静かに答えました。
「“上代エルフ”!」
「パーシャ、これはあなたが」
わたしはたった今ポトルさんから譲られたばかりの護符を、衝撃を受けているホビットの魔術師に差し出しました。
「ポトルさんが旅立つ前に教えてくれました――これは “空の護符”。“
パーシャは黙って頷き、わたしから
そうしてわたしたちは、誰もいなくなったワイン倉庫を後にしました。
扉が閉ざされる前にわたしはもう一度だけ振り返り、心優しい魔術師に最後の別れを告げたのでした。
「……さようなら、ポトルさん」
・
・
・
地図を埋めながら、わたしたちはかつて応接間だった広間に戻りました。
あと埋まっていないのは、入口を出た回廊を南に戻り、そのまま道順に進んだ
道順に進むと、正面である西に扉が見えてきました。
この扉の向こうが、“肖像画の間” からの
前回はここで “北東の角” を調べるために東に向かい、ポトルさんと出会ったのでした。
わたしたちは扉は開けずに、回廊を南に折れました。
回廊は一区画先でまた西に向かっています。
ここからが未踏破区画です。
慎重に進むわたしたちの前に、やがて進行方向である西にまた扉が見えてきました。
すぐにジグさんが危険の有無を調べます。
――問題なし。
前衛を壁に扉を蹴破り、一気に乱入します。
そこは一×一の玄室で、三度西に扉がある以外は何もありません。
地図の上ではこの扉の向こうが、二重構造
全員が視線を交わし、頷き合いました。
躊躇う理由はありません。
罠がないことを確認すると、再び扉を蹴破ります。
そこには……縄梯子がありました。
下りるための梯子ではなく、登るための梯子が……。
わたしたちは……またも四階へ戻らなければならなかったのです。
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