サバイバル
結果として、半狂乱になってアッシュロードを見つけるなりその胸に飛び込んで泣きじゃくっているエバ・ライスライトの姿は、近くに
ある者は呆気に取られ、ある者はその悲痛な姿に胸を痛め、自身が置かれている不可解な状況に、パニックになることを忘れた。
「――聖女のことはアッシュロード卿に任かせておけ。それよりも点呼だ。そして騎士は文官を中心にして防円陣を組め」
トリニティ・レインは、自分の主人に抱きついて泣き続けている少女から周囲の騎士たちに視線を移し命じた。つぎに自らの杖に “
彼女は帝国随一の
しかも本職の魔術師や
したがってレベル13の
本来、司教が魔術師系と聖職者系のすべての魔法を習得できるのは、熟練者を遙かに超えてレベル28に達してからである。
そして “魔法世界アカシニア” のすべてを見渡しても、そんな司教はトリニティ以外存在しなかった。
唯一例外があるとすれば、彼女と同じ恩寵を授かったもうひとりの賢者――リーンガミル聖王国の統治者、“女王マグダラ” だけである。
トリニティに
調整され、照明としてもっとも適切な照度の光が、周囲に溢れた。
誤って最大光度で明かりを点せば、暗闇に慣れた網膜を灼いてしまう。
その場にいた、全員が息を飲んだ。
彼らがいた場所、そこは広大な地下空間――。
しかも巨大な地底湖の畔だった。
「……聞いたことがある。“龍の文鎮” の内部に存在する迷宮の第一層に、広大な地底湖が存在すると」
「それでは、ここは “龍の文鎮” の……」
「ああ、おそらくは “
トリニティは、自分の呟きに反応したハンナに答えた。
寒さもあるのだろう。ハンナは心細さげに自分の身体を抱きしめている。
全員の服が結露で濡れていて、このままでは低体温症になってしまう。
火を熾す必要があったが、燃料がなかった。
それに食料に、なによりも水。
話に聞いていたあの地底湖の水は、淡水だったか……?
トリニティには、考えなければならないことが山程あった。
「やれやれ、大変なことになっちまったね」
「……“真龍の迷宮” か。この目で見るのは初めてだ」
娘を伴ったドーラ・ドラと、雪を置いたような真っ白な眉と髭の老ドワーフが杖に点した魔法光の中に現われたとき、トリニティは心の底から安堵した。
自分とこのふたり。さらにはグレイ・アッシュロードもいる。
伝説の最強パーティ “ソフトーク・オールスターズ-2” が揃っているのだ。
「ドーラ、点呼を頼む。完了次第、近衛と従士で文官を中心に防御の防円陣を組ませろ」
「あいよ」
「ボッシュは周囲の偵察して、防衛拠点を設営するのに適切な場所を探してくれ」
「心得た」
ここが世界三大迷宮のひとつであるなら、当然凶悪な魔物が巣くっているはずだ。
いつ大挙して襲ってくるとも限らない。
まずは、現在地での防衛。
さらには、より安全で防衛に効果的な場所の発見と確保。
「“フレンドシップ7” ! ボッシュと一緒に周辺の偵察に出てくれ!」
「了解」
トリニティの指示に、パーティリーダーのレットが頷く。
「フェル、パーシャ、行くぞ」
アッシュロードに抱きついて、小動物のように震えているエバを見つめて動かないふたりに、ジグが声を掛けた。
ややあって、エルフとホビットの少女が続く。
(ホビットはともかく、あのエルフの娘にとってライスライトは恋敵だと聞いているが……)
トリニティは目敏くフェリリルの表情を観察して、少なくとも杞憂のひとつが減ったことを喜んだ。
エルフの少女の瞳にあったのは嫉妬ではなく、心に傷を負った友人を目の当たりにしての心配と労りだった。
そしてその点は、ハンナ・バレンタインも同様だった。
ハンナの瞳にも、エバを思い遣る色調が浮かんでいた。
(まったくライスライトといい、あのアッシュにしては上出来だ)
一国の宰相が頭を悩ませる問題ではないかとも思えるが、
極限状態での恋愛感情のもつれは、容易に破滅に繋がるのだ。
誇張でも冗談でもなく、仲間内の恋愛感情の悪化が原因で、迷宮内で壊滅したパーティは枚挙に暇がないのだ。
実際パーティ内での恋愛を禁止したり、同性だけでパーティを組む探索者も多い。
“惚れた腫れたは酒場まで。切った張ったは迷宮で” と言われるほど、迷宮と恋愛は、とかく相性が悪いのだ。
「バレンタイン中尉、物資のチェックを頼む。食料、衣類、その他サバイバルに必要な品がどれだけあるか確認してくれ」
小さくため息を吐くと、トリニティは気遣わしげに友人の少女を見つめるハンナに命じた。この手の作業で、ハンナの右に出る者はいない。
「承知しました」
「―― “緋色の矢” ! バレンタイン中尉の護衛を頼む!」
トリニティは周囲にいる部下たちに次々に命令を下しながら、たった今ハンナに言った自身の言葉を反芻した。
(サバイバル――だ)
◆◇◆
暗闇の中で目を覚ましたとき、わたしはまだ冷静でした……冷静だったと思います。
まず、自分が目を開けているかそれとも閉じているのかを確かめ、目蓋が上がっていることを確認しました。
そして自分の周囲が闇に包まれていることを知りました。
次に身体を少しずつ動かして、痛みがないか調べました。
どこにも痛みはありませんでした。
最後にわたしは、もっとも気になっていたことを確かめました。
「……アッシュロードさん?」
危険を最小限にするため小さな声で、近くにいるだろうあの人の名前を呼びました。
返事はありません。
まだ気を失っているのでしょうか?
“
いえ
「……アッシュロードさん?」
わたしはもう一度、小さく名前を呼びました。
呼びながら、手探りで彼を探します。
掌には冷たく結露した岩の感触があるだけで、いくら周囲を探っても、期待しているあの人の温もりはありません。
わたしは徐々に恐怖に取り憑かれていきました。
もしかしたら、また――また離れ離れになってしまったのかも!
“そんなことはない” といくら打ち消しても、その思いは――怖れはどんどんどんどん大きくなって、やがてわたしを呑み込んで――真っ暗な闇にいるのに、頭が真っ白になって――。
「いやーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」
そしてわたしは、
・
・
・
・
・
・
・
・
・
「……カイレ……カイレ……サ イリア……」
「……ファスティアイリ ベントビリア……」
「……マイレ……マイレ……サ イリア……」
「……カルテア アカシニア……」
「……グストオウル……」
目を覚ますと……アッシュロードさんがわたしを抱き締めてくれていました……。
泣いた赤子をあやすように、優しく身体を叩いてくれています……。
そして、口ずさまれている異国の……歌。
「……それ……は?」
わたしは涙と鼻水でグズグズになった顔をあげて訊ねました。
「……子守歌だ。この世界の……」
アッシュロードさんがわたしを見て、気恥ずかしげに苦笑しました。
「……アッシュロードさんも歌ってもらったのですか?」
「……いや。ドーラがグズるノーラに歌ってるのを聴いてるうちに覚えちまった。何年か前にな」
……俺自身に、覚えはない。
「……初めて聞く言葉です……」
……
「……こいつはただの言語じゃない。言霊があると言われている古代アカシニア語だ。相手を祝えば祝福を、呪えば災いをもたらすと信じられ、現実にそうだったらしい。だからいつしか忌避され使われなくなった……」
「……言霊……古代アカシニア語……」
「ああ。
「……意味……どういう意味なのですか?」
わたしの問いに、アッシュロードさんは古代の言葉に敬意を示すように、丁寧に歌詞を訳してくれました。
眠れ眠れ 愛し子
月日を忘れて
目覚めよ 愛し子
大切な
いま
「本当に効いたな」
「……はい」
わたしは泣きじゃくり、泣き疲れて眠り、そして目覚めました。
「……ごめんなさい……わたし……」
羞恥心と、それ以上の申し訳なさ。
なによりも、アッシュロードさんを失望させて、幻滅させてしまったのではないかと、不安が膨らみました。
「もう」
「……?」
「もう、気にするような仲でもないだろう」
アッシュロードさんの視線は、“永光” の明かりの中、何かしらの作業に当たっている人たちに向けられてしまっていました。
でも、その手は相変わらず、優しくわたしの背中を叩いてくれています。
「……………………うん」
また涙が一粒、零れました。
でもそれは、わたしを包んでくれている温もりのように、あたたかな涙でした。
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