先陣★

「――伝令だ! 地上に伝えろ! 『第四中隊は迷宮始点に到達するも “腐乱竜ドラゴンゾンビ” の追撃を受く。負傷者多数。クレーンにて地上までの搬送を助けられたし。来援は不要。繰り返す、来援は不要』以上だ、急げ!」


 スカーレットは回廊の東から漂ってくる “鼻がもげそうな” 悪臭に顔を顰めながら怒鳴った。

 迷宮の始点。

 地下一階の座標 “0、0” には燃焼性の高い軍用オイルが燃えた異臭が充満していたが、それすらも上書きするほどの強烈――いや凶悪な腐敗臭である。

 緋色の髪の女戦士の怒号に、兵士たちの先頭にいた第二小隊長が比較的体力を残している部下二名に直ちに下達。

 伝令を命じられた兵はすぐに垂れ下がっている縄梯子に飛びつき、がむしゃらに登り始めた。


「まだ時間はある! おまえたちも登れるだけ登れ!」


 スカーレットが再び怒鳴る。

 ”来援” を求めないのは、縄梯子の数が限られているからだ。

 上と下から兵士が殺到すれば、途中でになる。


「ここまできて置いていけるか!」


 兵士のひとりがスカーレットに怒鳴り返した。

 背には別の兵士の遺体が担がれている。


「いいから登れ! 命令だ! そしてクレーンに身体を括り付けてもう一度降りてこい! 戦友を担いでチンタラ登れば死体が増えるだけだぞ!」


 仲間を置いていくことに反発する兵士たちの尻を小隊長が蹴り上げる。

 始点は現在、負傷した約五〇名の兵士で溢れている。

 今ここに “腐乱竜” が現われたら、冥府の釜が開いて阿鼻叫喚の地獄絵図が完成してしまう。


「……防げるか?」


 第二小隊長が縄梯子を登っていく部下たちを見上げながら、背中越しにスカーレットに訊ねた。潜めた声だった。


「……一体だけだろう」


 緋色の髪の女戦士は答えた。

 すでに治癒の加護も高位の攻撃呪文も使い果たしている自分たちでは、撃退できるにしても一体がせいぜいだろう。それ以上が現われたら……。

 ”緋色の矢” の六人の女探索者は悪臭の漂ってくる回廊の東に視線を送り、いつでも散開できる態勢を採っている。

 遠距離からの毒息ブレスや呪文を警戒しているのだ。


「この臭いのお陰で、先制攻撃だけは受けずに済んだな」


「だがしばらく臭いは取れないぞ。風呂に入ってもなかなか落ちない。一番強い香水を買うんだな」


 “腐乱竜” の吐く息は原型となった “火竜ファイアードラゴン” から変化し、“毒巨人ポイゾンジャイアント” と同じ腐敗ガスになっている。

 その臭いときたら側をかすめただけでも、香水の風呂にでも浸からなければ取れないほどだ。


「香水か。できれば生きて帰って女房に買ってやりたいもんだ」


 第二小隊長がしんみりと述べたときだった。

 ズルッ……ベチャ……!

 胸の悪くなる水っぽい音が響き、凶悪な腐敗臭の濃度がさらに強まった。


「ここは任かせて先に行け!」


 顔を歪めたスカーレットが叫ぶ。


「死ぬなよ!」


 それだけ言い残して、第二小隊長が縄梯子に飛びついた。

 文字どおり部下たちの尻を叩きながら自らも登っていく。

 無論、地上に辿り着いたらクレーンにぶら下がってとって返し、負傷者や遺体を回収するつもりだった。


「……当たり前だ」


 スカーレットが口の中で答えた。

 同じ死ぬにしても、こんな臭いにまかれてなどごめんだ。

 死ぬならせめて……。

 そこまで考えたスカーレットの脳裏に、ひとりの若い男の姿が浮かんだ。

 やや赤みがかった金髪をこざっぱりと刈り上げた、戦士にしては珍しく身ぎれいな若者――。

 スカーレットは狼狽し、それを振り払うように叫んだ。


「ノェル! 呪文を封じろ!」


 ”緋色の矢” の聖職者であるノエルは、リーダーの声が裏返っているのを悪臭のせいだと思ったので、疑問に思うことなく即座に帰依する男神に嘆願を始めた。

 彼女はこの城塞都市の出身で、男神 “カドルトス” の僧侶なのだ。


 “腐乱竜” はアンデッド化したことで、生前になかった呪文無効化能力を得ている。

 耐呪レジスト率は二五パーセントと決して高くはないが、それでも四分の一の確率で魔法を完全に遮断する。

 ノエルの嘆願した “静寂サイレンス” の加護は大気エーテルを伝わり、幸いにして打ち消されることなく “腐乱竜” に届いた。

 しかし、まだ届いただけだ。

 ここから純粋にノエルと “腐乱竜” との精神の鬩ぎ合いが始まる。

 ノエルのレベルは12。

 一方 “腐乱竜” のモンスターレベルも12。

 実力は伯仲している。

 そしてここでもノエルは押し切った。

 “腐乱竜” の腐った喉から漏れていた “氷嵐アイス・ストーム” の呪文が掻き消える。

 わずかに残っていた生前の記憶が紡いでいた詠唱が、真言トゥルーワードとなる前に封じ込まれたのだ。


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669552677744


 スカーレットら三人の女戦士が “不死竜” に殺到し、それぞれ “真っ二つSlashing”、“切り裂きSlicing” の銘を持つ魔剣で、腐敗した火竜の屍の解体にかかる。

 屍であるが故に痛覚を持たず、痛覚を持たぬが故に耐久力も跳ね上がっており、さらには関節の可動域を無視した不自然な動きも平然と行う。

 関節部周辺の腐肉を飛び散らせながら、死してなお強大な顎が、足が、尾が、予測不可能な挙動で女戦士たちに迫る。


 しかし彼女たちは全員が熟練者マスタークラス目前の練達の士だった。

 生体なら考えられない軌道で襲い掛かる爪や牙を掻い潜り、手練の一撃を叩き込む。

 魔法により切れ味を増した刀身はいとも容易く腐った肉を切り裂き、その下の白く巨大な骨を断ち割った。

 スカーレットたちにとって幸運だったのは、彼女たちが相手取っている個体が “毒息” を吐かなかったことだろう。

 四肢を切断され、のたうつ尾を落とされ、それでも暴れ回る首を飛ばされたとき、“腐乱竜”はようやく動きを止めた。


 うら若き女探索者たちは、惨憺たる自分たちの有様に苦笑も湧かなかった。

 返り血ならぬ返り腐汁を身体中に浴び、誰をとっても人目を引く容姿の持ち主であるにも関わらず、今は “オークゴブリン” の方がまだ清潔に見えた。

 すぐにでも解毒薬アンチドーテを飲まなければ病気になること請け合いだ。

 だが――それでも。

 ひとまず彼女たちは守ったのだ。

 傷つき疲れ果てた五〇人の兵士たちを。


 魔魅の一瞬。

 迷宮でもっとも危険であり常に警戒されながら、時として熟練者でさえ絡め取られる、文字どおり魔に魅入られたかのような瞬間。

 強大な敵を打ち倒し、意識が、身体が弛緩した瞬き程度の時間。


 無数の氷の刃が、スカーレットたち六人を切り刻んだ。

 回廊の東の闇から突如吹き荒れた氷の嵐。

 魔術師系第五位階の攻撃呪文が、ただの一撃で探索者最強パーティを半身不随に陥れた。

 裂傷の上から重度の凍傷を負ったスカーレットが仲間を見やる。

 左の目蓋の上で、額から流れた血が凍りつき開かない。

 体力のない後衛……特に魔術師のヴァルレハは、死の一歩手前までダメージを受けていた。盗賊シーフの娘も同様だった。

 ノエルがのろのろと起き上がって意識を失ったヴァルレハに近寄るが、癒やしの加護はすべて……最初歩の “小癒ライト・キュア” にいたるまでも尽きている。


 ……身体中にまとわりつく腐肉の悪臭で嗅覚が麻痺し、回廊の奥から漂ってきた新たな臭いに気づかなかった……。

 スカーレットは剣を支えに立ち上がると、どうにか動ける他のふたりの戦士に指示を出した。


 ――吶喊とっかんする。


 二体目の “腐乱竜” が二発目の “氷嵐” を唱える前に、討ち倒す。

 しかし、それが不可能だということも、スカーレットにはわかっていた。

 負傷し動きの鈍った前衛が新たな “不死竜” に辿り着く前に、次発の “氷嵐” が放たれるだろう。

 だが……これが迷宮だ。

 たとえ熟練者かそれに近い実力の者でも、凶悪な魔物に先手を取られたら簡単に命を落とす。

 その時が来ただけだ。


 ――ならばこそ、なればこそ、だ。

 

 スカーレットは盾を捨て、愛剣 “真っ二つ” を両手に構えた。

 開かぬ左目をそのままに、緋色の髪の女戦士は自らの名のように最後の闘志を燃え上がらせる。

 剣に生き剣に死ぬのなら、せめて一太刀浴びせぬままには終われない。

 呼気を吐き、吸気を吸う。

 腐敗臭に澱んだ空気も、この時は気にならなかった。

 そして、緋色の髪の女戦士は雄叫びをあげて僚友たちの先陣を切る。


「――先にゆくぞっ!」


 それが誰に向けての叫びだったのか。

 後に続くふたりの女戦士か。

 それとも戦闘力を失った、ヴァルレハやノエルたちか。

 それとも――。

 スカーレットが答えを出すよりも早く、大気エーテルを通して強い魔法が彼女の身体を突き抜けていった。


 


 スカーレットの身体を突き抜け瞬時に追い越していった “静寂” の加護が、“腐乱竜” の二発目の “氷嵐” を封じ込める。


 ――誰だ!?


 驚愕したスカーレットが後ろを振り返るよりも早く、今度は加護でも呪文でもなく、実体を持った “闇” が彼女の横を駆け抜けていった。

 刹那、“闇” の手に握られた悪の戒律の者にしか扱えない+3相当の魔剣が、凶悪な切れ味で “腐乱竜” の胴を真一文字にぶった斬った。

 腐った皮膚を、肉を、臓物を、死してなお比類なき硬度を誇る竜骨を、羊皮紙を切り裂くように刃が抜ける。


 剛剣無双。


 わずか一刀で “不死の呪縛” を断たれた巨大な屍が、回廊の石畳にベチャリ……! と大量の腐汁をぶちまけた。


「……無事か?」


 バサッと漆黒のマントを翻して、グレイ・アッシュロードが振り返った。

 この男はどういう斬り方をしたのか、あれだけ派手な立ち回りをしたというのに腐肉や臓物をほとんど浴びていない。


「……っ」


 答えるよりも早く、スカーレットは背後を見ていた。

 僚友の女戦士がふたり、剣を支えにどうにか立っている。

 気を失ったままのヴァルレハにノエルが、 仲間の盗賊にはアッシュロードと共に “腐乱竜” の呪文を封じたフェリリルが付き添っている。

 ホビットのパーシャが、ジグリッドやドワーフの戦士とこちらに駆け寄ってきていて……。


 そして……そして…………。


 緋色の髪の女戦士の膝が折れた。

 倒れかかったスカーレットを、やや赤みがかった金髪をこざっぱりと刈り上げた、戦士にしては珍しく身ぎれいな若者が抱きとめる。

 スカーレットの意識が、好ましい温もりと匂いに包まれて闇に閉ざされる――。


「――まだだ!」


 これが迷宮だ!

 遠のきかけた女戦士の意識を、黒衣の君主の鋭い声が引き戻す!


 ズチャッ! ベチャッ!


 回廊の奥から現われる、さらに二体の “腐乱竜”!

 “腐乱竜” の最大出現数は四。

 “紫衣の魔女ダンジョンマスター” は今回、手心を加える気はまったくないようだ。

 骨の隙間からのぞく腐ってはいるが破れてはいない巨大な肺が、“大蛙ジャイアントトード” の腹のように膨張する。


 ――ギチッ!


 アッシュロードの奥歯が鳴った。

 “毒息” に “静寂” の加護は用をなさない。

 “棘縛ソーン・ホールド” の加護なら動きを封じられるかもしれないが、どちらにせよ今から嘆願しても間に合わない。

 剣で叩き切るには間合いが遠すぎる。

 残る手段は “解呪ディスペル” だが、モンスターレベル12の “腐乱竜” を退散ターンさせるのは、熟練者の彼であっても至難の業だ。

 所詮アッシュロードは君主ロードであり、 基本的に剣を振るって戦う前衛職である。


 いや、そもそも “腐乱竜” を解呪するなど、本職の僧侶でも熟練者を遙かに超えるレベルが必要だ。

 未だマスター未満のノエルやフェリリルにそれを期待するのは酷と言うものであろう。

 魔術師系第六位階に不死属アンデッド特効の攻撃呪文があるにはあったが、単体にしか効果がない上、唯一人修得しているヴァルレハが人事不省の状態だ。


(つまり――打つ手なし)


 瞬きほどの間にアッシュロードは考え得るすべての悪巧み打開策を検討し、そう結論づけた。


(――悪いが今は死んでくれ)


 アッシュロードは二発の毒息を喰らう覚悟で “腐乱竜” たちに突進した。

 彼の生命力ヒットポイントならなんとか絶えられる。

 だが半壊状態の “緋色の矢” もレットたちのパーティも、おそらく全滅に近い死人を出す。


(あとで必ず蘇生させる)


 その為にも彼はこの二体の “腐乱竜” を倒し、生き残らなければならない。


(これが迷宮だ)


 アッシュロードが無理やり納得し、二体の “腐乱竜” が破滅の息を吐きかけた、まさにその時――。

 まるで先ほどのスカーレットを模したように、アッシュロードの身体を聖なる風が吹き抜けていった。

 清浄無垢なる女神の息吹が祝福となって、火竜の魂を死してなお屍に縛り付けている強力な呪詛を解き崩す。

 二体の “腐乱竜” は動きを止め、灰となって崩れさった。

 その灰もすぐに塵となって消失する。


 灰は灰に……塵は塵に……。


 アッシュロードはこれ以上ないほどの大きな吐息を漏らした。

 ができるのは、大アカシニアに一人だけだ。

 

 ――やっと起きたか。


 黒衣の君主は後ろを振り返り、そして仰ぎ見た。


「――みなさん、大丈夫ですか!? ご無事ですか!?」


 上から “聖女” がクレーンに吊されるというあまり見栄えのしない格好で降りてきた。



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プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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