殿軍
次にエルフの少女が鋭敏な聴覚で捉えたのは、迫り来る複数の足音ではなかった。
回廊の宙空に現出した人間の頭大の火球。
胎動する橙の火球が大気を震わすその微かな振動を、フェリリルは感じ取ったのだ。
「――状況、“赤”!」
思わずパーシャは叫んだ。
なんてことだ。
あんなに苦労して張った悪魔封じの結界が破られてしまったのだ。
「フェル!」
「は、はい!」
「“
「う、うん、わかった」
いきなりアッシュロードに振られて、思わず素の口調が出てしまうフェリリル。
実は彼女は故郷の森では最年少であり、一族からはチヤホヤと甘やかされて育ってきた。
そのせいで少々我が儘であり、多少子供っぽく、かなり負けず嫌いだった。
負けず嫌いは子供らしい見栄につながり、その影響で普段は大人然とした振る舞いをしている。
いわゆる “褒められて伸びる” タイプであり、逆境に弱い半面、安心できる環境に置かれている限りは実力以上の力を発揮する、風が強ければ強いほど高く舞い上がれる “
したがってこのような状況下での彼女は、抜群の集中力を発揮する。
「慈母なる女神 “ニルダニス”よ――」
特徴である澄んだソプラノの祝詞――後に探索者でもっとも美しいと言われるようになる――が、聖歌を歌うように唱えられた。
「――“
聖職者系第二位階に属する対象の魔法を封じる加護が、膨張した火球の中から現われた山羊の頭を持つ悪魔に向かって投げ掛けられる。
高い
“低位悪魔” が詠唱していた “
「“山羊頭” をやれ!」
魔法を封じられた四本腕の悪魔をレットとカドモフに任かせて、アッシュロードは何を思ったのか回廊の壁に向かって突き進み、煉瓦塀にできた黒い沁みに向かって剣を突き立てた。
断末魔の絶叫が壁から響く。
このド派手な橙の悪魔が現われるところ、大概あの汚らしい連中が忍び寄っているのだ。
壁の染みがタール状に溶け出し、小柄な人型を形作る。
“
その名のとおり、迷宮の闇に紛れて忍び寄り探索者の精気を吸い取る不浄なる
「――油断するな! まだいるぞ!」
“夜小鬼” の最低出現数は二匹である。
一匹だけと言うことはありえない。
「“
「うん!」
「厳父たる男神 “カドルトス” よ」
「慈母なる女神 “ニルダニス” よ」
呪文を封じられた “低位悪魔” を見事な連携で斬り倒した戦士たちを尻目に、アッシュロードとフェリリルが異なる神へ祈祷を捧げる。
祈りを通じてふたりの精神がそれぞれが帰依する神に接続されると、身体の深奥から清浄無垢なる風が湧き起こり周囲の空間に拡がり満たした。
二匹、三匹、四匹、五匹……。
内壁に出来たドス黒い染みが、染みのまま次々に消えていく。
「……やったか?」
「……油断するな」
“山羊頭” を仕留めたレットとカドモフが壁に向かって剣を構えながら、背中合わせに立った。
フェリリルはやはりアッシュロードと背中合わせに立ち、
そんなエルフの親友の様子に “うへぇ” と顔面神経痛を発症させながらも、無論パーシャは気をゆるめたりはしない。
“夜小鬼” の最大出現数は六匹だ。
最悪、もう一匹どこかに潜んでいる可能性がある。
観察力――それは記憶力でもある。
自分の意識に刻み込まれている回廊と、今目の前にある回廊の差異を探す。
パーシャは頭の中で視界を上段三マス下段三マスの六等分に区切った。
それぞれのマスを記憶の回廊と照合し、違いを見つける。
下段左に違和感があった。
壁ではなく床――数々の魔物や探索者の血でドス黒く染まっている石畳。
だが、あの壁際の染みは記憶にない。
「――そこっ!」
パーシャは違和感に向かって指差した。
ホビットの魔術師の小さな人差し指の先で、染みがタール状に盛り上がり人の形を成し始めた。
「たりゃーーーっ!」
そのまだ完全に形を成さない脳天に向かって、跳躍したジグが体重を乗せた
「シャイア!」
パーシャが快哉を叫び、六匹目の “夜小鬼” は最後まで人の形をとることなく葬られた。
「……いいコンビだ」
パーシャとジグに向かってアッシュロードが苦笑した。
彼が天敵であるホビットの少女に、このような表情を浮かべるのは珍しい。
「ほんと」
「そっちほどじゃねえよ」
同意を示したフェリリルにジグがやり返し、エルフの少女が嬉しげに頬を染める。
パーシャが再び顔面神経痛を発症させたとき、アッシュロードの視線は回廊の西を向いていた。
兵士たちの最後尾はすでに回廊の突き当たりを南に折れ、姿が見えなくなっていた。
「行くぞ。結界が破られた以上、悪魔どもが隊列の真ん中に現われてもおかしくない」
アッシュロードの言葉に、全員が表情を引き締め直す。
兵士たちは氷室のような玄室に閉じ込められたことで、皆一様に
今の彼らでは “焔爆” を一発唱えられただけで、バタバタと命を落としてしまうだろう。
その味方――地上への撤退を試みていた兵士たちが、低位の悪魔などより遙かに恐ろしい魔物に行く手を遮られつつあったことは、知るよしもなかった。
◆◇◆
その日は曇天模様だった。
日も昇ったというのにどこか薄暗い。
雨が来そうでもあり、またこれから晴れ間が広がりそうでもある、そんなどっちつかずの天気だった。
“
連絡の途絶えた味方が、あるいは深淵の底から這い出てくる魔物が登ってきた際に、すぐに察知するための仕掛けである。
彼らの指揮官が迷宮に潜ってから、すでに六時間以上が経っていた。
迷宮の中は時間の流れが特殊で、時として地上との間にズレが生じることはよく知られている。
だとするなら迷宮ではまだ数分しか経っておらず、あの黒衣の指揮官も二〇〇人の味方も健在なのかも知れない――。
その思いが留守部隊の指揮を託された先任の第一中隊長をして、迷宮軍が攻め上る際の足場にもなる縄梯子を垂らす決断をさせていた。
そして今、縄梯子に取りつけられている鳴子が、激しく鳴っていた。
積み上げられた土嚢に射手たちがクロスボウを並べて射陣を形成し、その後方からさらに大型のバリスタ――竜や巨人に対する備え――が狙いをつける中、指揮官である第一中隊長は想像することを迫られていた。
(あの鳴子の鳴り方……明らかに助けを求めている。それも必死に)
しかし迷宮軍の策略かもしれない。
堅陣に立て籠もる自分たちを誘い出し、痛撃を加える。
指揮官に必要な才能をひとつ挙げるとするなら、それは想像力だろう。
だがその想像は、常に期待と不安の間で揺れ動く。
ただ想像するだけではだめなのだ。
指揮官に必要な想像力とは、もっとも的確な想像をする能力なのだ。
その想像を元に、指揮官は戦場という画布に勝利という血なまぐさい絵を描く
勝利に繋がらない想像など、夢想、空想でしかない。
軍事的才幹が、往々にして
第一中隊長にはその能力が欠けていた。
期待と不安。複数の想像が浮かんでは消え、そのどれもが正しく、どれもが誤っているように思えた。
煩悶の末、誤った決断を下しかけた中隊長を――迷宮に取り残された兵士たちを救ったのは、背後から響いた少女の声だった。
「――何をしているのです。早く救出を」
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