マスター v.s. マスター
時間は少し溯る。
帝国軍が占拠し、迷宮内の前線基地として確保した “
その “駆け出し区域” の最前線として、迷宮軍の攻撃を一手に引き受けるのが “
築城技術では他の追随を許さないドワーフ族の工法を最大限に活用して築かれた、高さ七メートル、幅一〇メートル、厚さ三メートルの防壁である。
本来なら土嚢を積んだだけの土塁に過ぎない代物だが、強度を何倍にも増すドワーフ流の計算し尽くされた積み方によって、まさしく “迷宮の城壁” と呼ぶに相応しい堅牢さを誇っていた。
その “壁” に今回の騒乱劇が始まって以来始めて、迷宮最下層の魔物が襲来した。
“紫衣の魔女の迷宮” の最下層である地下一〇階は構造自体は単純であり、複数の玄室が一本道の回廊で繋がっているだけである。
それぞれの玄室には、地上への
その一〇階をして迷宮の最難関たらしめているのが、そこにしか生息、あるいは出現しない魔物群の存在である。
迷宮最強格の六大の魔物を筆頭に、
2レベルもの精気を吸い取るアンデッドの代名詞、“
探索者でいえばレベル12の魔術師に相当する “
同じくレベル11の聖職者に匹敵する “
高い攻撃力を誇る北方の蛮族 “
五〇人の兵士を溶解したスープに変えた “
遙か東方の島国の近衛騎士である “
あろうことか強大な火竜が不死化した “
そして今 “壁” の前面に現われたのは、その “不死竜” の生前の姿である迷宮に生息する竜属の頂点に立つ存在――。
“
「ようやくお出ましかい」
“壁” の上部。胸壁に守られた歩廊に立つ前線指揮官のドーラ・ドラは、一瞬にして乾いた鼻をペロリと舐め上げた。
開戦以来一度も姿を見せなかった最下層の魔物が、ここに来てようやく姿を現したのだ。
迷宮軍がいよいよ本気を出してきた。
ドーラはすでに、自軍が退っ引きならない状況に置かれていることを察していた。
あの魔女は “狂王トレバーン” の覇業が峠を越えるまで軍師として常にその帷幄にあって勝敗を千里の外に決し、当初は軍と呼ぶにもおこがましかった彼の弱小部隊を、常勝無敗の大陸最強の軍隊にまで仕立て上げたのだ。
単に主力を前線に投入しただけなら、それは “所要に満たぬ兵力の逐次投入” に他ならず、実際迷宮軍がそう仕向けるようにアッシュロードはこの “壁” を築いたのだ。
タネは “火竜” が現われる前から鳴り響いていた鳴子――後方からの警報にあるはず。
馬鹿正直に主力を前線にぶつけるだけではなく、後方になんらかの手を打ってきたとみるべきだろう。
真に怖れるべきは “紫衣の魔女” の魔術ではない。
軍才を含めた底の知れぬ権謀術数の手管――神算鬼謀なのだ。
ドーラは今、自分がいるべき場所はここではないと思っていた。
自分はすぐにでも後方にとって返し、異常を確認し、その芽を――おそらくはもう盛大に芽吹いて大輪を咲かせてしまっているだろう――刈り取るべきだと。
だが彼女はこの “壁” の指揮官であり、代わりの指揮を執るべき次席指揮官の第四中隊長は、異変の起こっている後方の “第三” で休息中だ。
「――ここはわたしたちに任かせて、あんたは後方を固め直せ!」
「持つべきものは “
歩廊に駆け上がってきた燃えるような赤毛の女戦士に、ドーラはニヤリと笑い返した。
「あいつらとは最下層でやり合ったことがある。手の内は分かってる」
愛剣の “
「数が多いよ。兵たちを上手く使いな」
「わかっている。わたしはこれでも昔は騎士だった。兵の差し引きは心得ている」
「ならあとは頼んだよ――あんたたち、あたしはちょっくら後ろの騒ぎを静めてくる! それまではこの元姫騎士さまの指示で動きな!」
兵士から叩き上げの小隊長がうなずく。
最下層の魔物が相手では自分には荷が勝ちすぎる。
餅は餅屋。
“火竜” 相手の指揮は、探索者最強パーティのリーダーにしてもらおう。
指揮を託したドーラが七メートルの高さからひらりと壁の内側に身を躍らせ、着地と同時にその姿は消えていた。
「――ヴァルレハ! ノエル!」
指揮を引き継いだスカーレットが仲間の名を呼ぶ。
以心伝心。
細かい指示などなくても意思は伝わる。
「魔術師はわたしに合わせて “
「聖職者は “
パーティ “緋色の矢” の魔術師と僧侶であるヴァルレハとノエルが、守備兵の
“壁” がすべて溶け流れてしまうのが先か、“火竜” をすべて打ち倒すのが先か。
もちろん “火竜” が先だ。
「守備兵の諸君! ここを乗り切れば君たちはまごうこと無き “
スカーレットの鼓舞を合図に、吹雪と沈黙の魔法が火竜に向けて解き放たれ、決戦の火蓋が切られた。
◆◇◆
そしてドーラは今、迷宮軍最強の忍者と対峙していた。
「さて、またせちまったね。殺ろうか」
「……」
“ハイマスター” が無言でうなずく。
「行くよ――師匠!」
ドーラがもはや自らの身体の一部となっている “
まったく、何の因果だろうか。
アンドリーナが遙か東方の島国から招聘したのが、彼女に忍びの術を仕込んだ
だが考えてみれば当然の成り行きだ。
ドーラが学んだのは、彼の地で忍びの中の忍びと謳われた最高の忍者だった。
“紫衣の魔女” が麾下の忍たちの頭領とするなら、真っ先に目を付けられる存在である。
そして敵味方に別れた今は、互いに躊躇なく殺し合う。
それが心を持たぬ殺人機械――忍者だ。
一寸の迷いもなくドーラが師に肉薄する。
真の達人同士の戦いに手の内の読み合いはない。
変幻自在・千変万化の流れの中で、常に一手だけ先んじる。
残像を残してふたりのマスターニンジャが跳ぶ! 斬る! 突く! 捌く! 避ける! 受け流す!
「…… “
何合目かの撃ち合いのあと、ハイマスターが初めて口を開いた。
老いしゃがれた虚無的な声だった。
「ああ、長く生きられる弊害さね。あいつはお師匠のように年寄りじゃないからね。いつまで経っても年の功がない」
ドーラが答える。
「短き生だからこそ寸暇の価値を知る――お師匠に教えられたとおりさ」
「……しかし、錆びたな。ドーラ」
「なんだって?」
「……昔のおまえはこんなものではなかった。あの時のおまえはまさに忍びの者。あれこそ我らが追い求める
覆面の奥で老忍者のくぐもった声が響く。
「……男か。しょせんは女よの」
ドーラの頭に自分でも信じられないほどの血が上った。
考えるよりも速く身体が動き、師でありいつかは超えなければならない存在に斬り掛かる。
次の瞬間、二手先を読まれていたくノ一は敗北した。
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