迷宮街

 暗い地下迷宮に順応し拡がっていた瞳孔を、眩い光が射貫きました。

 扉を開けるまでは無音だったのに、突然の音の洪水が鼓膜を激しく叩きます。

 わたしが守るべきはずの “弱くて死にやすい” 背中が、押し寄せる光と音との間に割って入ってくれました。

 その背中に引っ付いて、目と耳が慣れるのを待ちます。

 その背中がギリギリのところで、パニックに陥りかけたわたしを支えてくれたのです。

 やがて薄目に開いた瞳が、扉の奥から溢れ出た光を徐々に受け入れていったとき……。

 わたしたちの眼前に出現したのは、喧噪に満ちた “街 “でした。


「「「「……え?」」」」


 空高くん、リンダ、道行くん、そしてわたしが、異口同音に呟きました。


「「「「ええーーーーっ!!?」」」」


 そして、今度は異口同音の驚きの叫び。

 こ、こういうのって、ありなんですか?

 一瞬、アトラクションの外に出られたのかとも思いましたが、それも違いました。

 目の前の “街” を歩いている人は、皆わたしたちと同じような剣や鎧に身を包んだ “ファンタジアン” です。

 二区画ブロック(一区画はだいたい縦横高さ一〇メートルほどです)の広い通りの両側に、沢山の露天やお店が軒を連ねています。

 ポカンとした顔で上を見上げると、ずっと高いところにこれまで暗くて見えなかった迷宮の天井がありました。

 やはり……ここは迷宮の中にある街、例えるなら “地下街” なのです。

 目が慣れてくるにつれて、明るさはそれほどでもないことがわかってきました。

 電灯が煌々と点っている現実世界の地下街よりも、よほど薄暗いです。


「……大丈夫か?」


 わたしに背中をつかまれていた道行くんが振り返って訊ねました。


「だ、大丈夫です。わたしが守りますから。大丈夫です」


 コクコクッと頷いて、微妙に噛み合わない会話を交わします。


「こいつは驚いたな」


「ほ、ほんと」


「でも嬉しい発見だ。“拠点” が見つかった」


「宿屋とか武器屋とかがあるのかな?」


「これがファンタジー的なアトラクションなら、きっとある」


 空高くんとリンダが、こちらは噛み合った会話をしています。


「入ってみよう――ただし、油断するな」


「りょ、了解」


「コクコクッ」


「……」


 前にいた道行くんが振り返り、いきなりわたしの手を握りました。


「――ひゃう!」


「……守ってくれるんだろう?」


「も、もちろんです!」


 もちろんですとも!

 いきなりだったから、少し驚いただけです!

 あなたが迷子にならないように、しっかり握っててあげます!


 わたしたちは空高くんを先頭に、リンダ、そしてわたしと道行くんの順で “迷宮街” に入りました。

 混雑しているので、はぐれないように 団子状態です。

 わたしも道行くんが、ギュ~ッとその手を握りしめています。


 ――と、その時です。


 なにやら、なんとも、なんともはや、とてもとても、とてつもなく芳しくも官能的な匂いが、一軒のお店から漂ってきたのです。


「「……グ~、キュルルル……」」


 はうっ!


 初対面の時には鳴かないでいてくた “お腹の虫” が、盛大に鳴いてしまいました!

 それもどうやら “つがい” をみつけて、その虫と見事なユニゾンで!


「……腹減った……朝飯食ってねえから……」


「き、奇遇ですね。実はわたしもそうなのです……あは、あは……」


 真っ赤な顔で誤魔化します……恥ずかしいです、顔から火が噴き出そうです。


「ここは……どうやら食料品を売ってるみたいだな、入ってみるか?」


「「もちろん「です」!」」


「仲がいいわね~、お腹の虫まで」


 リンダがニヤニヤして、わたしと道行くんを見ました。


「……うぐっ」


 言い返したかったのですが、言い返したかったのですが、恥ずかしいのと、突然気づいてしまった空腹と、お店から漂ってくるあんまりな匂いのせいで、五感が支離滅裂になってしまい言葉が出てきません。

 結局、わたしはリンダに何も言い返せないままみんなと一緒に、


 “自由な野良犬の店”


 と書かれたお店に入りました。


 入った途端、目眩がしました。

 焼きたてのパンの香ばしい香り。

 お塩をふった干し肉とチーズの山。

 やはり、ここは食料品を商っているお店なのです。

 もはや殺人的としか表現のしようのない匂いが鼻腔を支配し、口の中が後から後から溢れ出てくる唾液で一杯になり、何度も何度も呑み込みます。


 わたしたちは、もし必要ならここで食料を買うことができます。

 買いたくなければ、もちろん買わなくてもかまいません。


 ――はぁ!? なんですか、↑の赤い背表紙な地の文は! 買うに決まっていますです!


 お金はあります。あるのです。

 これまでの都合三回の戦闘で、一〇〇枚近い金貨(と思しき物)を獲得しています。

 わたしたちは、ここで食料を買うことができるのです。

 無一文ではないのです。

 つまり何を言いたいのかというと、何を言いたいのかというと ――強襲&強奪ハック&スラッシュ万歳なのです!


 わたしたちは焼き上がったばかりの大きなパンに、干し肉とチーズを “うそ!” というほど挟んだ物を人数分買い込んで、かっさらうようにお店を出ました。

 お店を出るなり、全員で人目も憚らずの立ち食いです!

 な、涙が出るほど、美味しかったです……!


 ポロポロ……。


「ちょ、ちょっと瑞穂、あんたなに泣いてるのよ」


「え? あっ、本当ですね……なんで泣いているのでしょう……」


 ゴシゴシと目を擦ります。


「……涙が出るほど美味いからな、こいつは」


「……グスッ、はい」


「もう、なんだかこっちまで泣けてきちゃったじゃない」


 泣きながら笑って、サンドイッチを頬張ります。

 涙と一緒に元気と希望が溢れてくるような気がします。

 お金があって、食べる物があって、そして何より独りではありません。


「――とりあえずサバイバルに必要な最低限は確保できる目処が立ったな」


「……ああ」


 空高くんと道行くんは男の子らしい健啖ぶりを発揮して、あっという間に特大のサンドイッチを平らげてしまいました。

 わたしとリンダはまだようやく半分です。


「ゴクンッ――サバイバルに必要な最低限ですか? ええと、“クウ、ネル、アソブ”?」


 わたしは口の中のパンとチーズとお肉を呑み込むと、首をかしげて常々お父さんが言っている “人生に大切なこと” を挙げました。

 他にも “勇気と、想像力と、少しのお金” というのもあります。

 わたしのお父さんは名言家なのです。えっへん。


「ち、近いね、かなり」


「……(……年幾つだよ)」


「取りあえず食べ物はあの店で買えることがわかった。次は “寝る場所” だ。安全に休息が摂れて、失った精神力マジックポイントを回復できる場所を探さないと」


 空高くんの意見は全面的にストンと納得できるものでした。

 確かに “クウ、ネル、アソブ” では、食べる物の次は寝る場所です。


「そうなると宿屋ね!」


 ご飯のおかげで快活さを取り戻したリンダが、躍り上がるように言いました。


「食べ終わったら一休みして全員で探そう。まだここの状況がわからない。バラけるのは危険だ」


 油断のない表情で周囲を見渡す、空高くん。

 ここを日本だと思ってはいけません。

 あくまで地下迷宮の一部だと思わなければ。

 人がいなければいない、いればいたで危険なのが地下迷宮というものなのでしょう。

 地下迷宮で大切なのは “想像力” です(もちろん “勇気” と “少しのお金” もですよ)。

 リンダとわたしが食べ終わり一休みしてから、わたしたちは宿屋さんを探して “迷宮街”の探検に出ました。

 出発するときに、しっかりと手を繋ぐわたしと道行くんを見てリンダが、


「ねえ」


「? なんですか?」


「いっそのこと “恋人握り” にしたら?」


「へっ?」


「歩きながら、手で “えっち” 出来るわよ」


 ボンッ!


 わたしの顔が “焔爆フレイム・ボム” !



 “迷宮街” には、本当にいろいろなお店があります。

 先ほどサンドイッチを買った “自由な野良犬の店” の他にも、ざっと目につくところでは、


 “赤い羽根飾りの店”

 “雨の妹の店”

 “三本の抜き身の店”

 “トウトアモンの黒き祭りの店”


 ――などのお店に興味を引かれます。

 わたしは特に、最後の “トウトアモン” さんのお店に惹きつけられました。


「あっ、見てください、見てください、“イラニスタンの油” がなんと三〇パーセントオフだそうですよ!」


「? なによそれ?」


「だから、“イラニスタンの油” ですよ!」


“おお、イラニスタン、イラニスタンよ。

 なんと至純にして浪漫あふれる名であることか。

 汝の名こそ、我らが青き春の記憶。

 汝の名こそ、我らが久遠の憧憬。

 燃えさかる炎の苗床として、黄金の勇者を救え。

 眩い清浄なる輝きとして、魔宮を照らせ。

 おお、イラニスタンよ。汝の名こそ、永遠なれ”


「――な、“イラニスタンの油” ですよ!」


「「「……なにそれ」」」


「お父さんがいつも吟じている自作の詩ですけど?」


「「「……」」」


 な、なんですか、その顔は?


「油なんて買ってどうするのよ? 揚げ物でも作る気?」


「違いますよ、“イラニスタンの油” はですね――」


「ま、まぁ、魔道具マジックアイテムの類いは、もう少し所持金に余裕が出来てから考えよう。まだ宿屋が見つかってないし、見つかったとしても、宿代がいくら掛かるかわからない」


 空高くんの意見も、もっともです。

 わたしは後ろ髪を引かれる思いで、“トウトアモン” さんのお店の前を通り過ぎました。

 お金が貯まるときまで、割引セールが続いているとよいのですが。


 “宿屋さん” は、なかなか見つかりませんでした。

 道行くん曰く、


『……宿屋ってのは街の入口近くにあるもんだ。冒険から帰ったがすぐに立ち寄れるように』


 ……だそうです。


 わたしたちが入ってきた扉は迷宮アトラクションの入口からの一本道に続くもので、戻っても袋小路です。

 街の入口ではなく、おそらく裏口のようなものなのでしょう。

 ですので、本当の街の入り口はこの大通りの行きつく先にあるはずです。

 道行くんの言葉どおりなら、宿屋さんもきっとその近くに……。


 ああ、ありました。ありました。

 迷宮の天井に届くほどの大きな石造りの建物に、“ベッド” が描かれた看板が下がっています。

 お店の名前は……。


 “アイノス”


 ははぁ、“アイノス” ですか、なかなかにオシャレな名前の宿屋さんですね。

 アイノス……あいのす……愛の巣……。


 ……。

 …………。

 ………………。


 ええーーーっ!?!?



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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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