乙女心と地下迷宮

「「「「GaRuRururuーーーッ!!!」」」」


 前方から “犬の頭をした毛むくじゃらの怪物” ―― “犬面の獣人コボルド” というらしいです――が、唸り声を上げながら突進してきます!

 数は四匹!

 手には赤錆びた蛮刀を振りかざし、大きく裂けた口から鋭い犬歯を覗かせて、涎を吹き零しています!

 正直に言って――ひとりで出会っていたら絶対に気絶しています!

 絶対の自信があります!


 両手で戦棍メイスを握って変な自信に満ちていたわたしを、が追い越していきました。

 それは人でも物でもなく言葉 ―― それも真言トゥルーワードと呼ばれる魔法の言葉でした。


 唐突に、四匹の “犬面の獣人” がつんのめるように転倒しました。

 手にしていた湾曲した剣が回廊の石畳に転がり滑り、騒々しい音を立てます。


「今だ!」


 空高くんがロングソードを手に、転倒――ではなく昏倒した四匹の魔物に駆け寄りました。

 リンダとわたしもおっかなびっくり続きます。

 空高くんは躊躇なく “犬面の獣人” の心臓に剣を突き立てていきますが、リンダとわたしは……とても無理です。

 そうこうしているうちに、空高くんは四匹すべてにトドメを刺してしまいました。


「「……ごめん「なさい」」」


「いや、戦棍や短剣ショートソードで魔物を平気で殺せる女の子方がよっぽど恐いから」


 空高くんが額の汗を手の甲で拭いながら、引きつった苦笑を浮かべました。

 これで二回目の遭遇戦ですが、さすがにまだ慣れないようです。

 それにしてもです。


「す――」


 凄いです!

 ……と言い掛けて、危なく思い止まります。

 もちろん、道行くんの使った “昏睡ディープ・スリープ” の呪文のことです。

 前回と今回の戦いは、道行くんの魔法のお陰でまったく危なげなく切り抜けることが出来ています。

 でも、それはそれ! これはこれです!


「……す?」


「す――」


 道行くんが言葉に詰まってしまったわたしを、怪訝な表情で見ています。


「………………好き?」


「違うですっ!!!!」


 “違うです” って、日本語的に違うです! でも違うです!


「……素敵……素晴らしい……」


 道行くんが首を捻ってブツブツ言っていますが――どれも違うです!

 どうしてあなたは、そうもわたしの情緒をかき乱すのですか!

 あなたは本当に “意地悪さん” です!


「道行くん、すごーい!」


 今度こそ、人がわたしを追い越していきました。

 リンダが 馴れ馴れしく道行くんにボディタッチして、黄色い声を上げます。


(――近い、近い! なんですか、その距離感は!)


「ねえ、わたしにも魔法って使えるの!?」


「……盗賊シーフには無理なんじゃねえか? 転職クラス・チェンジすりゃ使えるようになるはずだったか?」


「それじゃ、あたしも魔法使いになる! ふたりでマジカルコンビ組もう!」


「コ、コ、コ……!」


「………………コケコッコー?」


「だから、違います!(あ、ちゃんと言えた!)」


 ひぃ、ふぅ――あ、頭の血管が切れそうです!


「コンビってなんですか! そんなことしたらパーティのバランスが崩壊してしまいます! 今はをしてる余裕なんてないんです!」


「瑞穂、あんたそんなに “ゲーム” とかに詳しかったっけ?」


「詳しくはありません! でもきっとそうに違いありません! 故にわたしは断々々固だんだんだんこ反対します!」


 食生活も、人間関係も、勉強と運動も、何事もバランスが大切なのです!

 故にわたしは反対します!

 ええ、断々々断固反対します!


「~あんたは “RADWIMPS” かい」


「ね、ねえ、林田さん、ちょっといいかい?」


「なに?」


(もしかして道行と枝葉さんって、ムチャクチャ相性悪い?)


(……え?)


(いや、枝葉さんすごく機嫌悪そうだから。もしそうなら俺の方から道行に言っておくから。あいつ駄目なんだ。とにかく無自覚に人に嫌われる奴で)


(くっくっくっ! 違う、違う、それ全然逆よ! 逆!)


(えっ?)


(瑞穂のは、ただ甘えてるだけよ)


(甘えてる?)


(そう、道行くんにね)


(まさか。今日会ったばかりだよ?)


(本当にたまにだけど、いるのよねぇ。似てる人が)


(? 似てる人?)


(そ、瑞穂のお父さんにね。ルックスの話じゃないわよ。なんていうのかな、瑞穂だけが甘えやすいタイプっていうのかな? そういう空気な人が)


(……道行がそうだっていうの?)


(瑞穂って他人に必要以上に線引きしてるっていうか、行儀よすぎるっていうか――う~ん、上手く表現できないわ)


(古式ゆかしいとか、そういう感じ?)


(そこまでカッコイイもんじゃないけどね。とにかくそういうところがあって、それは幼馴染みのあたしや隼人にもそうなんだけど、お父さんだけは別なのよ。あの娘、ファザコンなんてレベルじゃないくらい “お父さんベッタリっ子” だから)


(つまり……枝葉さんは道行のことが好きになっちゃった?)


(本人にその自覚はないのよ、いつも。そして自覚のないまま終わっちゃうの――ほら、今もすごく切なそうに道行くんを見てる。素直になれなくて苦しいのよ……ほんと不器用なんだから)


(……)


「――道行、呪文はあと何回残ってる?」


「……一回だ」


「そうか――よし、枝葉さん」


 道行くんに魔法の残り回数を訊ねた空高くんが、不意にわたしに向き直りました。


「は、はい!」


魔術師メイジ。悪いけど、枝葉さんが守ってやってくれ」


「え?」


「道行の呪文は今の俺たちの切り札だ。絶対に失うわけにはいかない」


 守る? わたしが道行くんを?

 この弱っちいわたしが?


「やってくれるかい?」


「も、もちろんです!」


 もちろんです! もちろんですとも!

 、この不真面目で不誠実な人を!


「任せてください! 道行くんはわたしが責任を持ってお守りします!」


「……(……えーーっ)」


「なんですか、その嫌そうな顔は。あなたは魔術師さんなのですから、ボディガードが必要なのです。というわけで、これからはわたしの側を離れないでください。いいですか? わかりましたか?」


(……GJ! b)


(……b)


 なぜか “サムズアップ” をしあっているリンダと空高くんを尻目に、わたしは道行くんに “守られる者” の立場と心構えを懇々と話して聞かせました。


 それからわたしたちは、再び隊列を整えて暗い迷宮を進みました。

 ゴールを目指すのはもちろんですが、その前に安全に休息の摂れる場所を見つけるのが目下の最優先の課題です。

 “魔除けの聖水を使った魔方陣キャンプ” では、いくら休息しても減ってしまった魔力が回復しないことがわかったためです。

 身を隠す場所のない回廊では、安心して身心の疲れをとることが出来ないのです。

 せめて玄室のような場所があればよいのですが……。


 先頭に立つのはリーダーで戦士(勇者?)の空高くん。

 その後ろに、空高くんをサポートする盗賊のリンダ。

 三番目がので、わたしが守ってあげなければならない魔術師の道行くん。

 道行くんは、ブツブツ呟きながら歩いています。

 どうやら “歩数” を数えているようです。

 迷宮の構造を暗記しようとしているのでしょうか?

 集中していて足元さえ覚束ないので、最後列のわたしが守ってあげる必要があります。


 フンッ、フンッ、フンフンフンッ!


 鼻息も荒く、周囲――特に背後を警戒します。

 後ろから襲われたら、わたしが道行くんを守らなければならないのです。

 責任は重大です。


 フンッ、フンッ、フンフンフンッ!


 しかし幸運なことに、わたしたちは道行くんの最後の呪文を使わずにすみました。

 回廊を進むわたしたちの前に、大きくて見るからに頑丈そうな両開きの扉が現われたのです。

 空高くんとリンダが視線を交わすと、二人して慎重に扉を調べます。

 わたしは戦棍メイスを両手で構え、油断なく辺りを警戒します。

 水中を後ろ向きに進む海老にそっくりです。


「だ、大丈夫ですよ! 大丈夫ですからね!」


「……」


 背中からはゲンナリした気配が伝わってきますが、キニシナイ!


「なんの気配も感じない」


「うん、物音ひとつしない」


 扉に耳を当てて中の様子を探っていた前衛のふたりが、意見の一致を見ました。


「……行くか?」


「ああ、ためらう理由は何もない」


 道行くんに答えた空高くんに全員がうなずき、突入のために身構えました。


 3、2、1――バンッ!


 空高くんがハンドサインのカウントダウンの後、勢いよく扉を蹴破りました。

 暗闇になれたわたしたちの目に、眩しい光が差し込みます。

 扉を開ける前には何の物音もしなかったというのに、押し寄せる音の洪水。


 扉の奥にあったのは、喧噪に満ちた “街” でした。


◆◇◆


「やむを得ません――血路を開きます!」


 ハンナにも躊躇はない。

 覚悟はとうに決めている。

 立ち塞がる者があるなら、暴徒だろうと狂信者だろうと打ち倒して進むまで。


「正義はわたしたちにあります! 邪魔をするなら斬り捨ててください!」


 ハンナたちを取り囲んだ住人たちは、全員が手に短刀ダガーを逆手に握っていた。

 ダイモンは背負っていたエバをハンナに預けるセダをかばいながら、これから斬り結ぶ相手がことを見て取り、早くも背筋に冷たい汗が流れた。

 

 ――斬り捨てろってったって、コイツら絶対俺たちよりレベルが上だぞ。


 目つきがヤバい。

 殺しを楽しむ “残虐” とも、殺しを何とも思わない冷酷とも違う。

 人の命を淡々と作業をこなすように奪う虚無”的な目。


 “暗殺者アサシン”!


 元の世界の歴史どおり、こっちでも阿片漬けなんじゃないのか!

 しかし、まだ俺たちは運がいい。

 城塞都市最低最弱パーティのリーダーは、それでもレベル2にまで探索者だ。

 人混みで背中から忍び寄られたら手も足も出なかっただろうが、こうして白昼 面と向かっての集団戦ならまだやりようがある。


 ダイモンの横では、クリスがロングソード木製の大きめの盾ラージシールドを構えて、慎重に間合いを取っている。

 さすがに、いきなり斬り掛かったりはしない。

 斬り掛かるのは――。


「「“昏睡ディープ・スリープ” !!」」


 セダとエドガーが倍掛けで “睡眠スリープ” 呪文をかける。

 恐怖を忘れさせ命令に絶対服従させるために、信仰という麻薬に加えて大量の阿片をキメているせいか、“暗殺者” たちには催眠系の魔法に抵抗するために何よりも必要な “強固な自我” がなかった。

 自然耐呪レジスト 出来ずにバタバタと倒れていき、八人が寝た。

 残るふたりに向かって、ダイモンとクリスが怒号を上げて斬り掛かった。

 セダとエドガーがそれぞれスタッフと短刀を構えて、エバを抱き締めているハンナをかばう。

 そのハンナは、盗賊シーフのリンダが薄ら笑いを浮かべて “暗殺者” の――それも男たちの――喉を次々に掻き切っていく姿を見て、ゾッとして顔を背けた。


 ダイモンは “暗殺者” のひとりと斬り結んでいるうちに、相手の短刀に毒が塗られていることに気がついたが、他の仲間に警告を発する余裕はなかった。

 とにかく集中し、相手の動きを見、攻撃を誘発させ、盾で受け、その一瞬の隙を衝いて一撃を加える。

 訓練場で叩き込まれる促成剣術のイロハのイ、基本のきの字だ。

 

 アッシュロードがそうであったように、“カドルトス寺院” 側にも読み違えがあった。

 守備に駆り出されているはずの探索者が、それも魔術師をふたりも含むパーティが護衛に付いているとは思わなかった。

 女神ニルダニスの信徒が集団で付き添っているとばかり思い込んでいたのだ。

 この城塞都市にも、規模は小さいながらもニルダニスを祀る寺院がある。

 そこに運び込むつもりだとばかり思っていたのだ。

 だから変装した僧兵団ではなく暗殺者の集団を送り込んだ。

 信仰心が篤いとは言え一般の信徒を相手にするには、その方が効率がいいと踏んだのだ。

 互いに “自分の尺度” で相手を推し量った結果、苦労することになったのは “現場” である。


 “暗殺者” が逆手に振り下ろした短刀の切っ先がダイモンの木製の盾に突き刺さり、ほんの半瞬 引き抜くための余計な時間が必要になった。

 狙い澄ましたわけではない。

 ダイモンは偶然その瞬間に剣を突き出したに過ぎない。

 胸を背中まで貫かれ、“暗殺者” は街路の石畳に血の池を作った。


 こうなれば、あとは一方的だった。

 ダイモンはクリスが相手取っていた “暗殺者” を背後から斬りつけ、気配を察して飛び退って躱したところをクリスに串刺しにされた。

 ホッとする間もなく、街路の石畳に激しく響く複数の跫音きょうおんが近づいてきた。


 味方の衛兵か――それとも!?

 いや、そもそも衛兵が味方とは限らないではないか!


「――ここを離れます! 急いで!」


 セダが再びエバを背負うと、ハンナたちは駈け出した。

 とにかく、逃げなければ!

 でも、どこへ!?

 もちろん王城へ!

 でも跫音はそちらから迫ってくる!

 救いは彼女たちの足元からやってきた。


「――こっちニャ! 早く! こっちニャ!」



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