戦いは人の数だけ
“獅子の泉亭” は、さながら野戦病院の様相を呈していた。
城塞都市住人の治療の中心である “カドルトス寺院” が、城壁を越えて侵入した魔物の襲撃を受け、その機能を麻痺させていたためだ。
円卓と椅子代わりの洋樽を片付けられた一階の酒場は、あっという間に負傷者で埋まっていった。
それは遊撃的迎撃戦に駆り出された探索者たちだけに留まらず、近隣の住人たちにも及んだ。
「――構わん! 探索者でなくても負傷者は中に入れて治療しろ!」
「壁際の円卓や樽も運び出して、店の前の
探索者ギルドの長や酒場の主が次々に部下や従業員に指示を出す中、制服の袖をまくり上げたハンナ・バレンタインは、負傷した探索者の傷に “
本来なら小瓶一瓶を服薬させるのだが、数には限りがある。
ギルドの倉庫や数ブロック先の “ボルザッグ商店” から払底させる勢いで備蓄を吐き出させているが、ギルドの備蓄は元々数が少ない上に先に出撃する探索者たちに優先的に配給してしまった。“ボルザッグ” に至っては、いつ補給線が断たれるかわかったものではない。
“獅子の泉亭” と “探索者ギルド” の周辺には、レベル9に認定されている良編成のパーティを二組配置してあったが、寺院のように
ハンナは血で汚れた手の甲で額の汗を拭った。
立ち上がって次の負傷者の元に向かう。
今は仕事の時間。
謹厳に、実直に、的確に、自分の職務を果たす。
彼女はこの世界の女性たちの最先端を行く、キャリアウーマンなのだ。
◆◇◆
その様子を、ダイモンたちのパーティは家屋の陰の裏路地から眺めていた。
リーダーの戦士の号令一下、見事な連携で三匹の “
まずホビットの
瞬きをするかしないかのうちの神速の手際だった。
一瞬で仲間を失った緑の肌をした他の二匹よりも上等の武器と鎧を装備した上位種―― “
魔術師系第三位階の
魔術師が初めて覚える最初歩の集団攻撃魔法だが、脳足りんな “食人鬼” たちの間では、この呪文を修得しただけで
しかし “食人鬼頭” の涎まみれの醜い口が、呪文を紡ぐことはなかった。
ふたりの
それにしても、ソプラノとメゾの祝詞のなんと美しいユニゾンだろうか。
まるで聖歌のようである。
今度こそ本当に狼狽した “食人鬼頭” の隙を見逃さず、ドワーフの戦士が横殴りの強烈な一撃で、人間の胴ほどもある食人鬼の右膝から下を切り飛ばした。
鮮血が吹き零れ、“食人鬼頭” が体勢を崩して街路に両手を突く。
さらにリーダーの戦士が、巨大で凶悪な剣を持つ右手をその脅威ごと断つ。
ダイモンたちが “あっ!” と驚愕したのはその直後だった。
今まで姿が見えなかった六人目のメンバー――
華麗なまでの
目の前のパーティは三匹の “食人鬼” を鮮やかな
ダイモンが、クリスが、セダが、エドガーが、そしてリンダが……。
その姿に打ちのめされていた。
彼らは確かに守っていたのだ。
この都市を、この街を、この区画を……住人を。
自分たちように路地裏に怯え隠れてなどいない。
そもそも、そんな考えなど微塵もないのだろう。
特にかつての仲間エバ・ライスライトの姿は、埃や血や
妬み、嫉み、やっかみ、僻み……そんな言葉では言い表せない、心が押し潰されてしまうような劣等感と敗北感。
そして、それは運命だったのだろうか。
再び地響きのような足音が近づいてくると、太った
ダイモンたちは思った。
自分たちの手には剣がある。
身体には鎧をまとっている。
魔術師は呪文を修得している。
では、エバ・ライスライトにあって自分たちにないもの――それは、なんだ?
なんだ?
◆◇◆
そして……。
ビキビキビキビキッ!
「神域を侵す、不信心者どもがーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!!!」
無表情だった顔面に無数の青筋・血管を浮き上がらせ、剃髪にも関わらず怒髪天という表現がぴったりの形相で、夜空の “合成獣” を見上げた。
「このわたしが相手です――かかってきなさいっ!!!!」
そして、付き従う
「「「「「「「「「――厳父たる男神 “カドルトス” よ」」」」」」」」」
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
「「「「「「「「「“
夜空から舞い降りてくる “
男神に嘆願が届かなければ、なんの効果も現さない。
しかし嘆願が届けばどんなに高い
文字どおりの生か死か。
同じ位階に癒やしの加護としてはもっとも効果の高い “
その加護を、まるで
嘆願が届こうが届かまいが関係ない。
とにかく敵が死ぬまで加護…… “死” を願い続ける。
それは……まさしく呪詛であった。
複数の口から泡を噴き、バタバタと火の粉舞う夜空から “合成獣” が撃ち落とされてくる。
スカーレットはその様子に、思わず顔を顰めた。
“
やがて、僧正たちが祝詞を唱えるのをやめたとき、空には一匹の魔物も残っていなかった。
「――はっ! ま、まってくれ! 負傷者がいるんだ! 治療を、治療を頼む!」
毒気に当てられていたスカーレットが、我に帰ってその背中に手を伸ばす。
しかし高位の司祭たちは、そんな元姫騎士の嘆願など気にも止めずに立ち去った。
大聖堂の大扉が、再び固く、冷たく閉ざされた。
呆然とするスカーレットの耳には、一、一、五のリズムで叩かれる鉦鼓の音は届かない……。
◆◇◆
「――
アッシュロードは馴染みのセリフを守備兵に向かって叫ぶと、左手を食べる気満々で突進してくる “食人鬼” たちにかざした。
“
一一匹の巨体が一瞬の硬直のあと灰よりも細かい塵となって崩れ去ったとき、周囲の兵士たちから再度の大歓声があがった。
「――城門の上に
側で拳を突き上げる守備兵たちの隊長に確認を取る。
隊長は再び城門の上部に向かって叫んだ。
「集まっております!」
アッシュロードは頷き、次の指示を出す。
「城門の前に “滅消” の帯域を形成させろ。それでネームドの “
「はっ! ――しかし、その “炎の巨人” は?」
「俺が始末する」
「……は?」
「討って出るぞ――開門」
アッシュロードは呆気に取られる守備隊長を無視して、城門の開閉を担当する兵に命じた。
呆気に取られていたのは兵も同じだったが、慌てて我に返り開閉装置を操作する。
長大なレバーが倒されると、重々しい音と共に太い鉄鎖が巻き上げられ、巨大で堅牢無比な 城塞都市 “大アカシニア” の外郭城門が内側に向けて開放された。
アッシュロードは両手に大小の魔剣を携えて城外に出た。
口の中に、剥き出しの金属を舐めたような嫌な味が拡がる。
命じたとおりに、城門の上の魔術師たちが有毒粒子の結界を張ったようだ。
とんまな “
残るは二〇匹以上の “炎の巨人” だ。
敵としても攻城兵器がない以上、城門を破るには、
「――閉門」
再び、重々しい音がして城門が閉ざされる。
(……柄にもなく芝居がかった真似をしちまったが、これでやっと指揮官の真似事から解放されて剣を振れる)
満月に近い蒼月の下、濛々たる土煙と踏ん張っていなければ立っていられないほどの地響きを上げて、両手両足の指の数でもまだ足りない赤銅色の巨人が突進してくる。
アッシュロードが身構え、まさに
先頭を突き進んできた三体の巨人の首が飛んだ。
巨人が倒れるよりも速く、高速回転する “球体” がアッシュロードの前に着地。
鈎縄を使った “立体機動” で瞬く間に敵の数を減らした “影” がしゃなりと、その肢体を伸ばす。
「――次席近衛ドーラ・ドラ。ただ今参上!」
そして鈎縄を瞬時に収納した左手で、
右手にはもちろんメインウェポンである “
「相変わらず派手な登場しやがる」
「筆頭近衛の背中を守るのがあたしの役目だからね。あんたばかりに美味しい真似はさせないよ」
「上等だ。久しぶりに派手に踊るか」
グレイ・アッシュロードとドーラ・ドラ 。
双剣の近衛騎士がふたり。巨人の群れの前に立ち塞がる。
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