道化師★
……シャン……。
澄んだ錫杖の音が、どこからともなく響き、近づいてくる。
――どこだ? どこから響いてくる?
ドーラは自慢の耳をピンと立てて、音の発生源を探った。
頭巾に空けられた穴から、三角形の
今回は諜報任務のため、いつも愛用している漆黒の “
その頭巾の下には “鉢金” の代わりに、ダイアデムと呼ばれる頭部用のリングを着けていた。
このリングも強力な魔法が付与された品で、“悪の兜” には及ばないものの、+1相当の強化がなされた魔法の兜に匹敵する
……シャン…………シャン…………。
音は四方から反響するように響いてくる。
やがて、それが徐々に集約され始めた。
頭巾の下でドーラの額に汗が滲む。
拡散していた錫杖の音は、ついに一箇所に――舞台へと収斂された。
……シャン……シャン……シャン……。
舞台の奥から、ひとりの小柄な人影が歩いてくる。
手に奇妙な形の錫杖を持ち、緑と赤の道化服に身を包んだ、男にも女にも、子供にも大人にも見えて、そして見えない人影。
有り得べからざることだ。
なぜなら舞台の奥は “書割” であり、この城のどこかの部屋を描いた大道具に――つまりは絵にすぎないのだから。
道化服姿の小柄な人影は、絵の中からこちらに向かって歩いてきているのである。
……シャン……シャン……シャン……。
――シャンッ!
最後に一際高く錫杖を鳴らすと、道化師は舞台に現れ出た。
観客席に――ドーラに向かって典雅にお辞儀をしてみせる。
“レディース & ジェントルメン.今宵はわたくしめの一夜限りの公演にお越しくださり、恐悦至極にございます”
「なにがジェントルメンだい。ここにはわたししかいないじゃないか。とんだ
ドーラは腰に片手を当てたしなやかなポーズを崩さないまま、“道化師” に向かっていった。
フラック――呼び込み係、広報係を意味する、この道化服姿の小男への蔑称である。
いや、そもそも本当に小男なのかさえ、定かではない。
顔には年老いた老婆のような奇怪で醜怪な面を付けていて、素顔を窺い知ることが出来ないからだ。
声は幼いように聞こえたかと思えば、老いているようにも聞こえ、瑞々しく聞こえたかと思えば、しゃがれて聞こえる。
判別のしようがない。
https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669396996222
“これはこれは、どなたかと思えば、ドーラ・ドラ様ではございませぬか。お久しゅうございます。お見受けしたところご壮健で相変わらず見目麗しいご様子。重畳至極にございます”
“
“このところなかなか最下層にはお見えにならないので、わたしを始め真祖などもその美しいご尊顔を拝することが叶わず、実に残念に思っておりました。はい”
「世辞はいいよ。そっちこそ、いつも穴蔵の底で三文芝居を演じてるくせに、なんだってこんなところまで出張ってきてるんだい?」
“巡回興行も、わたくしめの大事な仕事のひとつ。決して疎かにはできませぬゆえ”
――毎度毎度、苛つかされるって言ったらない。
話しても話しても本題に近づくことのない、この真面目に話しているようで、すべて冗談の上で転がしているような話し方。
まったく虫酸が走る。
ドーラは内心の苛立ちに囚われぬように務めなければならなかった。
「話す気が無いなら、腕尽くで吐かせるまでさね」
いつの間にか、利き手である右手に “
“ははは、相変わらず激しい御気性だ。よいでしょう。見事わたしを捕まえることが出来たなら、わたしの知りうる限りのすべてをお話ししましょう。わたしの知りうる限りのすべてを”
そういうと、“道化師” が再びひらりと書割の部屋に戻った。
そして部屋の奥に描かれたドアの前まで行くとそれを開け、出て行く直前にくるりと振り返った。
“この城で、もっともわたしたちの再会に相応しい
ドアが閉じられた。
その瞬間、観劇場のすべての扉を破って、騎士が、従士が、執事が、メイドが、調理人が、下男が、庭師が、馬丁が、それらの子供たちが、“道化師” によって死をもたらされ、その
夜の闇に拡がっていたドーラの瞳孔が、スッと細くなる。
――やれやれ、結局鬼ごっこかい。
「――
◆◇◆
瞬息で繰り出された拳がエバ・ライスライトの顎の先端を打ち抜くと、彼女は苦痛なく意識を失い、自身の脳を揺らした男の腕の中に倒れ込んだ。
「すまないな。でもあんたには休息が必要だ。俺たちにもな」
エバを抱きかかえながら、男――ジグリッド・スタンフィードは彼女の耳元に謝った。
「ジグ」
「心配ない。ちょっと気を失わせただけだ。朝には目を覚ます」
驚いたレットに、ジグは珍しく真面目な表情で答えた。
「それよりも、どうする? “
ボーパルキャット―― 城塞都市最強の探索者であり
彼女と連絡がつかない以上、金もツテもない、それも未だレベル5の自分たちに採れる
「ジグ、カドモフ。とにかく宿に戻って、彼女を休ませよう」
ここで立ち話をしていても、なんの解決にもならない。
少なくとも宿に戻れば、温かい食事と熟睡できる寝床がある。
「ミストレス・バレンタイン。あなたも」
「……はい」
足取りも重く、レットたち五人は城塞都市目指して歩き始めた。
意識を失ってジグに背負われて運ばれるエバ以外、それぞれがそれぞれに疲労に鈍く霞む頭で、それでもなんとか打開策を模索していた。
そして何も浮かばないまま、高く分厚く堅固な城壁を潜った。
レットたちは探索者ギルドの前で、やり残した仕事があるというハンナと別れた。
四人となったレットたちは、その足ですぐ隣の “獅子の泉亭” の入り口を潜る。
“
時間と空間が歪んでいる迷宮ではよくある話だった。
“獅子の泉亭” 一階の酒場に入ると、幾人かの顔見知りがレットたちの姿を認めて声を掛けかけた。
しかし、すぐに人数が四人しかいないこと、そして四人のうち一人が仲間に背負われていることを見て取り、何も言わずまた卓に着いた。
「先に二階に上がってくれ。俺は何か食い物を持っていく」
レットの言葉に、カドモフとエバを背負うジグはありがたく従った。
食事よりも、入浴よりも、今はただただベッドが欲しかった。
ジグたちの姿が階上に消えると、レットはカウンターに向かうでもなく、また女給に声を掛けるでもなく、“善”の探索者たちが占有する領分に足を向けた。
一組のパーティが歓談する円卓の前に立つと、レットは開口一番に言った。
「――頼む、力を貸してくれ」
◆◇◆
ハンナ・バレンタインは探索者ギルドに戻ると、すぐに受付カウンター奥の職員たちの席に行った。
自分の席には着かずに、すでに帰宅しているギルド長の席に行き、机の引き出しに掛けられているドワーフ製のダイヤル錠”を、暗記している番号で開ける。
「……ハンナ、なにをしてるの?」
上司の机の引き出しから備品庫の鍵を取り出したハンナに、誰かが声を掛けた。
若い女の声。
顔を見なくても、ハンナには誰だか分かった。
同僚の受付嬢だ。
もう帰ったかと思っていたが、まだ残業をしていたようだ。
「備品庫の鍵を借りたのよ。無断でね」
ハンナは隠すことなく答える。
「ちょっと、何を言ってるの?」
「レットさんたちが還ってきたわ。三階にいた四人だけね。彼らは明日にでもまた潜る気よ。八階に残された仲間を助けるために……地図も
「だからって、ギルドの備品を勝手に貸し与えるわけ!? あなた、自分が何をしようとしているのか分かってるの!? 職務規定違反とかそんなレベルの話じゃないわよ!? ギルド財産の私的流用――業務上横領よ!? 逮捕されて城の地下牢に放り込まれるのよ!?」
「それが……それがどうしたっていうの? 彼らは明日にでも死ぬのよ? 人数割れしたパーティで、自分たちの
「……ハンナ、落ち着いて考えて。あなたがギルドの備品を貸し与えたからって、それでどうなるっていうの。地図やキーアイテムがなければ、彼らだって諦めるかもしれないじゃない。でも、もしそれらがあったら彼らは本当に……」
「その時は、わたしも迷宮に入って死にます!」
同僚を振り返ったハンナの目には、涙が溢れていた。
そして、ハンナは言う。
「待つことだけが受付嬢の戦いだなんて誰が決めたの!?
「……ハンナ」
「お願い、見逃して……お願い……」
再び同僚から顔をそらすハンナ。
涙が頬を伝って、床を濡らす。
「……本当にバカな娘。あれほど研修で探索者に感情移入はするなって叩き込まれたのに」
同僚の受付嬢は、そういって鼻をすすった。
彼女の目にも涙が浮かんでいた。
もしかしたら、これがハンナとの今生の別れになるかもしれない。
親友と呼んでも差し支えのない、かけがえのない存在との。
それでも彼女はハンナを止めることが出来なかった。
友として、なにより同じ女として。
なぜなら彼女は今、命懸けの恋を戦っているのだから――。
「わたしは何も見ていない。わたしは今の時間にはもうギルドから退庁していた――それでいいわね?」
「ありがとう!」
「ハンナ・バレンタイン。あなたに――あなたと、あなたの大切に想う人たちに、女神 “ニルダニス”の御加護がありますように」
同僚の受付嬢はそういうと、一度も振り返ることなくギルドから出て行った。
「……ありがとう」
その背中にもう一度 礼を述べると、ハンナは備品庫に向かって走った。
探索者ギルドの受付嬢でもっとも若く、もっとも利発で、もっとも美しいといわれる、名家バレンタイン侯爵家の一人娘、ハンナ・バレンタインの戦いが始まった。
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迷宮保険、初のスピンオフ
『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』
連載開始
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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m
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迷宮無頼漢たちの生命保険
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