マリオネッツ・ワン・ナイト・スタンド

 迂闊だった。

 “翼竜ワイバーン” を退けたあとの一瞬の気の緩みを突いた、“精霊スピリット” による壁の中からの不意打ちスニーキーアタック


 いや、これはもう避けられない事態だった。

 アッシュロードは気持ちを切り替える。

 今は自分を責めている場合でもなければ、その余裕もない。

 先ほどの “精霊” との戦闘でパーティは大きなダメージを受けた。

 現在の生命力ヒットポイントは、


 アッシュロード 100/115

 フェリリル    20/ 40

 パーシャ     7/ 31


 自分はともかく、他のふたりは半減――魔術師のパーシャに至っては三分の一以下である。

 事態は逼迫していた。

 ……。

 ……三人?


「おい、“あの男” はどうした?」


 ようやくアッシュロードは、自分たちがいつの間にかになっていたことに気づいた。

 周りを見回しても、“あの男” ――アレクサンデル・タグマンの姿はどこにもない。

 あの惨劇の夜に “羆男ワーベア” によってバラバラにされ、運び込まれた寺院で “半不死属アンデッド” として甦った男。

 不死属でありながら人としての理性を持ち、人としての感情を持ちながら不死属としての驚異的な身体能力を持つ存在。


 自分たちがこの危機的状況に陥ったそもそもの原因が、魔物との連戦に気を取られている間に姿が見えなくなっていた。

 一瞬、大声で名を呼ぶことが頭をよぎったが、論外だ。

 そんなことをすれば周辺をうろついているかもしれない 、徘徊する魔物ワンダリングモンスター を呼び寄せてしまうかもしれない。

 事ここに至っては、あとは本人のツキに頼るしかなかった。


(……あとは自力でなんとかしてくれや)


 アッシュロードは胸の内で呟いた。


「……シャ、しっかりし……今楽にしてあげる……ら!」


 聴力を半分失っていたうえ姿の見えなくなったアレクに気を取られていたため、アッシュロードはフェルの行動に気づくのが遅れた。

 フェルは運良く無事だった自分の雑嚢から水薬ポーションの小瓶を取り出すと、封を切ってパーシャの口に押し当てた。


「――おい、よせ!」


 まったく、何から何まで後手に回る。

 止める間もなくフェルは、水薬――解毒薬アンチドーテをほぼすべてパーシャに含ませ、飲ませてしまった。


「パーシャ、もう大丈夫よ。すぐに楽になるから」


「……ううっ! うげっ!」


 しかしホビットの少女は飲まされた水薬を、抱きかかえるフェルの胸に吐き出してしまう。


「そんな、ど、どうして!?」


「…… その解毒薬は、聖水に “解毒キュア・ポイズン” の加護を付与エンチャントした品だ。飲んだ人間の体内にエーテルが存在しなければ、効果は発揮しない」


「……あ、ああ」


 コロン……と乾いた音を立てて、フェルの手から水薬の小瓶が転がり零れた。


「……もうだめ……もう無理よ……」


 フェルの瞳から生気が失せて、焦点がぼやけていく。


「――もう無理よーーーーーーーーーーッッッ!!!」


 エルフの少女が絶望に押し潰され壊れていく様を、アッシュロードは目の当たりにしていた。

 錯乱し、大声で叫き散らし、自ら魔物を呼び寄せる。

 止めなければならない。

 そして、そうするための手っ取り早い方法が、彼の手にはあった。

 自身の生存がかかった、この切迫した状況において……。

 アッシュロードの中で、生き残るための理性悪魔が鎌首をもたげ始めていた。


◆◇◆


 “影” は夜の木陰に紛れて、その城を見上げていた。


 闇夜に浮かび上がる、さらに深く濃い影。

 城壁の奥に巨大な立柱のごとき主塔ベルクフリートが、蒼黒い夜空に向かってそそり建っている。

 その傍らに建てられた居館パラスも、屋根だけが顔を覗かせていた。

 深夜であるためか、それとも国境沿いで警備が厳重なために全ての窓に鎧戸が下ろされているのか、灯りひとつ漏れていない。


 だが……妙だ。


 警備が厳重なはずなら、城壁の上には篝火が焚かれ、歩哨が見回っているはずである。

 “大アカシニア神聖統一帝国” の南の国境沿いに位置する、“タグマン辺境伯爵領”

 その領主である、“サンフォレスト・タグマン辺境伯” の居城である。

 上帝トレバーンの即位後、いくら国境警備の主力が一騎当千の元探索者を中心に編成された少数精鋭の守備部隊に移ったとは言え、これでは不用心にもほどがある。


 “影” は城の周囲に群生するパインの陰から忍び出た。

 城に向かって穏身で近づき、深く濁った水を湛える壕の淵で、背負い袋から “鈎縄” を取り出した。

 適当な長さを繰り出し頭上で旋回させると、十分に勢い遠心力がついたところで胸壁に向かって投げつける。


 ガキッ、


 金属が石材を噛む小さな音が響き、一回の投擲で鈎縄は城壁の上部に引っかかった。

 “影” は鈎縄の端を手早く足元の地面に固定し、ピンと弛みなく張られたその上をスルスルと蜘蛛よりも巧みに伝っていく。

 まったく危なげなく縄登りロープクライミングを終えると、“影” はひらりと胸壁を乗り越え、城壁の上に降り立った。

 頭上から見下ろすと、城壁の内側――中庭にはやはり篝火どころか不寝番夜警の姿も見当たらない。

 それどころか嗅ぎ慣れた、“砂場よりも臭う” あの臭いが漂ってくる。

 どうやら、“影” の予想していたよりもずっと斜め上の事態が、この城で起こったようだった。


 “影” は城壁から身を躍らし、重力を感じさせない不思議な身ごなしで、ふわりと中庭に着地した。

 全身を濃褐色の忍び装束に身を包んだ影は、漆黒よりも闇に溶け込む。

 “影” は、この一連の事件の臭いの元を求めて、城館の内部を目指す。

 つるぎのような三日月だけが、 “影” を見つめている。

 居館の壁に張り付き、窓を調べてみると、鎧戸は閉められていなかった。

 それどころか窓まで開け放たれたままだ。


 臭いはすでに鼻が曲がりそうなほど、濃くえげつなくなっていた。

 “影” はその鋭敏な聴力で周囲の音を探ると、躊躇なく窓から館内に侵入した。

 窓から罠を警戒してそろりと下ろした足の裏側に、ジュワっと不快な感触があった。

 どうやらを踏んだようだ。

 もちろん、それはただの水でもなければ酒でもなかろう。

 この館の内部に充満する “鉄錆” の臭いを嗅ぐからには。

 もはや、疑いようもなかった。

 このタグマン城内で、それもほんの一両日以内に、凄惨極まる大量殺戮が行われたのだ。

 カーペットも、天井も、壁のタペストリーもその下の壁紙も、飛び散った鮮血で重く湿っていた。

 とその時、今度こそ “影” の優れた獣耳ケモミミが、居館内の異常を捉えた。


 これは……音楽ミュージック


 館の奥深くから微かに響いてくる音階……。

 この旋律メロディは……。

 “影” には、その素朴な調べに聞き覚えがあった。

 あれはまだ “影” が幼い頃、年に一度故郷の村にやってきた巡回興行移動カーニバルの呼び込みの曲。

 底抜けに陽気で、その癖 成長した今になって聴けば、どこか哀愁を帯びた曲調……。

 その曲が聞こえてくると、村の子供たちは次々に家から飛び出していったものだった。

 その村はもうない。

 トレバーンが起こした統一戦争で、跡形もなく灰になった。

 その後 “影” は人買いに買われ、はるか東方へと売り飛ばされた。


 “影” は、慎重に音源に向かって進んでいく。

 館の中は相変わらず凄惨を極めており、濃すぎる血臭に “影” の鼻は濃褐色の覆面の下で麻痺しかけていた。

 荒れ果てた長い廊下をいくたびか折れ、やがて “影” は豪奢な両開きの扉の前にたどり着いた。

 “旋律”はこの奥から聴こえる。

 何が飛び出してきても対応できるように、猫足立ちの構えで “影” は扉を押し開いた。

 途端に、耳に響く旋律の音量が大きくなる。


 扉の奥は、広いホールだった。

 舞踏場ボールルームではなく、観劇場シアターのようである。

 扉の正面奥に華美な緞帳どんちょうの垂れた舞台ステージがあった。

 観客席には誰の姿もない。


 “影” が劇場に足を踏み入れると、物音ひとつ立てずに背後の扉が閉じた。

 取っ手レバーを倒してみたが、当然の如く開かない。

 同時に呼び込みの音楽が徐々に遠ざかり、劇場内に一瞬の静寂が訪れる。

 どうやら “影” は、観客としてここに招待されたようだ。

 腹を据えて、成り行きを見守ることにする。

 緞帳がするすると開き、照明の灯った舞台が現れた。


 見たところ本日の演目は、“操り人形によるマリオネッツ・ワン一夜限りの人形劇・ナイト・スタンド” らしい。

 この城の一室を模したとおぼしき書割背景を前に、人間大の操り人形が現れて、朗々と語り始めた。


『わしの名は “サンフォレスト・タグマン” 。このタグマン辺境伯爵領の領主だ』


 偉そうな服を着た偉そうな男が、偉そうに自己紹介する。


『わしの人生は苦難の連続だった。そもそも南の国境を守ることを代々の務めとしてきたの我がタグマン伯爵家だ。それなのにあのトレバーンめ! なにが “内線戦略”だ! 国境は少数精鋭の “抑えの部隊” だけでよいなどと、わしの家臣たちのほとんどを召し上げてしまいおった! 中央集権などクソ食らえた! トレバーンなど死んで犬に食われちまえ!』


 ワハハハハハ!


 と、どこからともなく響く観客の笑い声。

 劇場内には、 “影” しかいないというのに。


『しかし……死んだのはトレバーンではなく、わしの跡取り息子だった。乗馬中に馬から、首が反対を向いてしまいおった。ああ、“人を呪わば穴二つ” とはこのことか。是非もなし』


 ブー! ブー!

 今度はブーイングだ。


『心配には及びません。亡くなった兄上の代わりは、次男のこの “ベンジャミン” が立派に果たしてごらんにいれましょう!』


 から現れた、やはり偉そうな服に身を包んだ若い男が、意気揚々とサンフォレストに向かっていった。

 見るからに不健康そうに、でっぷりといる。


『ベンジャミンか。おまえは潜在能力ボーナスポイントが最低の5。すなわち “持たざるもの” ではないか。当てにはできんのう』


 ワハハハハハハハハハハハハハハハハ!


 これまでで最大の大爆笑。


『ああ、こんな時にあいつが、三男の “アレクサンデル” がいてくれたら。あいつは能力値がオール15で生まれた “転生者” だったのに。つまらぬことで喧嘩をして放逐してしまった。ああ、本当は誰よりもあいつのことを愛していたのに……』


 そしておよよ、およよ、と泣き出してしまうサンフォレスト。

 見えない観客からは、もらい泣き、啜り泣きの声。


『ぐぬぬぬぬ! なんということだ。糞で馬鹿な兄貴が死んで、やっとチャンスが巡ってきたと思ったのに、これではただの当て馬ではないか!』


 憤慨し、激高し、そして考え込む、ベンジャミン。


『ええい、どうしてくれよう? 要はあの放蕩息子のアレクサンデルがこの世から消えてしまえばいいのだ。幸いにして奴は明日をも知れぬ探索者の身。そうだ、金に物を言わせた強力な刺客を送り込んで亡きものにしてしまえ! 確かを取りそろえてる闇商人がいたはずだ……』


 再び巻き起こるブーイング。


 ――なるほど、やっぱりそういうことかい。


 “影” は納得した。

 おおよそ見当はついていたが、ほぼほぼ当たりだったようだ。

 嫡男が死に、突然跡取りとなった無能な次男。

 優秀な三男の存在に脅威を覚え、闇であつらえた刺客を送り込む。

 それにしても、悪趣味極まる “ワン・ナイト一夜限りのスタンド公演 “ だ。


 


 だなどと、こんな下品で醜悪な真似をする奴なんて、“影” はひとり……いや、一匹しか知らなかった。


「――いるんだろ。三文芝居はそれぐらいにして顔を見せな」


 “影” が言った。


 …………シャン。


 どこかで響く、澄んだ錫杖の

 一度聴いたら、二度と忘れることの出来ないそのおと

 本来なら迷宮最下層でしか聴くはずのないその音色が、徐々に近づいてくる。


  “影” ――ドーラ・ドラは、本当に久しぶりに肌が粟立つのを覚えた。



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