こんな玄室、大っ嫌い!

 わたしたちは “カエルさん” と出会った玄室から、回廊を一路 北へと引き返しました。

 地下一階へ続く縄梯子がある回廊まで戻ると、今度はそこから扉を抜けて西へ。


「この先に次元連結ループがあるから気をつけてください」


 まもなく迷宮の西端に達するというところで、注意を喚起します。


「OK~」


 すぐに背中から地図係マッパーパーシャの気安い返事がしました。

 次元の歪みによって東西の外壁が連結ループしている場所で、気づかずにマッピングすると地図が滅茶苦茶になってしまう、地味ながらも悪辣な罠です。

 直接的なダメージはないものの、地図が間違っていれば地上への帰還が困難になり、帰路を見失っている間に加護や呪文が尽きて全滅……なんて事態が起こりえるのです。


「突き当たりを南に折れてまっすぐに進んでください」


「了解」


 先頭を行くジグさんが慎重に歩を進めていきます。

 それから更に回廊を進み、玄室での戦闘をひとつ乗り越え、やがてわたしたちは、あの日 “みすぼらしい男ならず者” がねぐらとしていた玄室の前にたどり着きました。

 アッシュロードさんが十一人の “無頼漢”たちを撫で斬りにし、リンダの無残な遺体を回収した、あの玄室です。

 動悸がして、頭痛と吐き気が湧き起こります。

 フラッシュバックが起こり、人肉血の臭いに満ちた噎せ返る空気が身体にまとわりついてきました。


(……大丈夫?)


 わたしの異変に気づいたフェルさんが、耳元で囁きました。

 他のみんなも玄室の扉や周辺を警戒しながら、わたしに意識を向けています。

 特にパーシャなどは、警戒そっちのけで心配げにわたしを見上げています。

 わたしは大きく息を吸い込むとそれを吐き出し、表情と気持ちを切り替えました。


(いつでもどうぞ)


 ジグさんはすでに扉の奥の気配を探り終えていて、ハンドサインで “気配なし” と合図を出しています。

 レットさんの大兜が縦に揺れて、指を1、2――3!


 突入!


 ジグさんが扉を蹴破り、開け放たれた空間を重武装のレットさんとカドモフさんが突入しました。

棘縛ソーン・ホールド” の祝詞をいつでも嘆願できるように口ずさみながら、わたしも続きます。

 二区画ブロック四方の玄室には、ジグさんの見立てたとおり魔物の気配はありませんでした。


「隅々まで注意して確認しろ!」


 “永光コンティニュアル・ライト” の加護は四区画四方を照らし出す光量を現出させます。

 前回アッシュロードさんと訪れたときには光の加護は嘆願していなかったので、こうまで明るい玄室内を見るのは初めてです。


 玄室中央に置かれた傾いだ傷だらけの大きなテーブル

 その上に散らばる空の酒瓶と砕けた陶杯。

 汚物溜めの小樽。

 そして部屋の隅に築かれた崩れかけた煤だらけのかまどと、上に置かれた人骨が顔を出す深鍋。

 

 どれも、あの時よりもさらに荒れ果てていました。

 魔法の光のおかげで、より鮮明・詳細に室内を見渡せましたが、前回ほどの恐怖は感じませんでした。

 それが明るさのお陰なのか、たんに自分がこの種の光景に慣れてしまっただけなのかはわかりません……。


「……酷い臭い」


 澱み腐った空気に、パーシャが小さな手で口元を覆いました。


「……ええ」


 この玄室で繰り広げられた凄惨な行為を想像してか、フェルさんも美麗な顔を歪めています。


「……誰もいないようだ」


 剣を手に隅々まで抜かりなく調べていたカドモフさんが、戻ってくるなりボソリと漏らしました。


「外れか?」


「いや、もう少し様子を見てみよう」


 ジグさんの言葉にレットさんが兜の奥で答えたとき、


「見て! 宝箱チェストがある!」


 パーシャが玄室の南の壁際を指差しました。


 見ると “初心者狩り” の犠牲者とおぼしき積み上げられた白骨の下から、頑丈そうな木箱がわずかに顔を覗かせていました。

 前回来たときには気づかなかった物です。


「どれ、調べてみるか」


 ジグさんが白骨化した死体の山に近づき、宝箱を掘り起こしにかかりました。

 死体の数は多く、なかなかの重労働のようです。

 手伝いたいところですが、罠が暴発する危険性を鑑みて他のメンバーはできるだけ離れてその様子を見守ります。

 やがてすべての死体を終えたジグさんは、盗賊の七つ道具シーブス・ツールを取り出し、慎重かつ丹念に宝箱を調べ始めました。


 しばらくしたのち……。


「“強制転移テレポーター” だな」


 宝箱のかたわらに跪いていたジグさんが立ち上がりました。


「エバかフェル、確認頼む」


「それじゃ、わたしが」


「お願いします」


 ジグさんに呼ばれ、先に進み出たフェルさんに罠の確認を頼みます。

 宝箱の前をジグさんに譲られたフェルさんは、木箱に手をかざして小さく祝詞を唱えました。

 フェルさんの掌から宝箱へと延びる、緑色の光。

 聖職者系第二位階に属する、“看破ディティクト・トラップ” の加護です。

 高レベルの盗賊シーフに匹敵する九五パーセントの確率で、ほぼ確実に宝箱に仕掛けられた罠の種類を見破ります。

  盗賊の識別とこの加護の結果が一致すれば、まずその罠が仕掛けられていると見て間違いないでしょう。


「そうね、“強制転移” ね」


 同意を示す、フェルさん。


 強制転移テレポーター はその名のとおり、宝箱開放時に “転移テレポート” の魔法を発動させ、パーティ全員を迷宮内のに強制的に転移させてしまう罠です。

 大概はさらに深い階層への転移とされていますが、その転移先が分厚い岩盤の中だったりした場合、そのパーティは全滅。

 死体の回収すらできずに消失ロストしてしまうのです。

 たとえ “石の中にいる” ことを免れたとしても、自分たちの実力レベルよりも深い階層に落とされてしまえば、生還は難しくなります。

 まして、その階層の地図が完成マッピングが終了していないのなら、なおのことです。

 宝箱に仕掛けられた罠の中で、もっとも悪質な物といっても過言ではないでしょう。


「おお、怖え。これはスルーでいいんだよな?」


「ああ」


 ジグさんが大袈裟に怖気を震ったように身体をさすり、兜を脱いで小脇に抱えたレットさんが頷き返します。

 “強制転移” の罠は、ジグさんのレベルが上がって罠を解除する腕前が十分に上達するまでは見送るというのが、パーティの方針なのです。

 地下二階をどうにか探索できるわたしたちが、地図もない三階や四階に転移させられてしまったら……考えるだに怖ろしいです。


「だけど、おしいな。もしかしたら物凄いお宝が入っているかも」


「パーシャ、そういうのを “魔境” というのですよ」


「“魔境”?」


「そう、“魔の心境”。 略して “魔境”」


 わたしは物欲しそうに宝箱を見つめるパーシャに、目を閉じて人差し指を立てた芝居がかった動作で教えを垂れました。


「そういう物欲に塗れた心で行動すると、たいがい――『バタン!』――ひやぁ!?」


 わたしの得意顔を、突然開いた扉の音が見事に粉砕しました。

 開け放たれた玄室の入り口には、青緑色に変色した皮膚をした襤褸ボロをまとった人影が立っていました。

 一見すると “腐乱死体ゾンビ” のようでしたが、わたしたちは迷宮に入ってすぐに、認知力を高めて魔物の種類を即座に判別できるようになる “認知アイデンティファイ” の加護を嘆願しています。

 だからパーティの全員が、その人影がわたしたちの捜しているアレクサンデル・タグマンさんだと、即座に認識できました。

 アレクさんはわたしたちに気づくなり、またしても脱兎の如く逃げ出しました。


「追え!」


 レットさんが叫び、一番身軽なジグさんがダッシュしますが、いつもこれで追いつけずに取り逃がしてしまうのです。


 ダメ! これじゃ元の木阿弥です!


 鈍臭いながらも珍しく機敏に動けたわたしは、敏捷はしっこいジグさんとパーシャの次に、玄室から飛び出しました。

 飛び出したときには、口の中で祝詞の詠唱を終えています。


 このアカシニアと呼ばれる世界の大気には “エーテル” と呼ばれる物質が含まれているそうです。

 わたしが以前にいた世界では、物理学がまだ発展途上であった時代に、“真空である宇宙空間を光が進むのは何かしらの伝達物質が介在するからでは?” との仮説から存在を想定されていた物質です。

 物理学の発展と共にその存在は否定されましたが、このアカシニアには似たような特性を持つ物質が大気中に存在するようです。

 すなわち、加護や呪文の “魔力” を伝達する物質として。


 エーテル自体に魔力はありませんが、この物質が存在しなければ聖職者の加護は傷を負った人を癒すことはできず、炎の魔法は呪文詠唱者を内側から灼くだけになってしまいます。

 魔法使いスペルキャスターだけでなく、その魔法の恩恵に与るこの世界のすべての人にとって、とても重要な物質なのです。


(名前が “エーテル” なのは、女神さまによるの際に近しい名前が振り分けられたのでしょう……多分)

 そのエーテルにすべてを賭けて!


(――お願い! 耐呪レジストはしないでください!)


 ジグさんとパーシャの遙か先を逃げるアレクさんに向かって、射程距離ギリギリの着弾点指定の支援魔法――。


「“棘縛ソーン・ホールド” !」


 わたしが叫んだ次の瞬間、目に見えない “棘” がアレクさんの身体を捕縛し、指一本動かせない金縛り――硬直状態にしました。

 走ったままの姿勢で、勢い良く転倒するアレクさん。

 生者のときでしたら、かなり痛いはずです。


「よくやった! エバ!」


 レットさんの称賛には応えず、回廊の床に倒れたアレクさんに駆け寄ります。


「アレクさん。アレクサンデル・タグマンさん。わたしたちは味方です。あなたを助けに来たのです。だから、どうか怯えないでください。逃げないでください。そして、どうかわたしたちにあなたを助ける手助けをさせてください」


 わたしは眼球ひとつ動かせないアレクさんに、出来うる限りの穏やかな口調で語りかけました。


◆◇◆


「……そうか……そういうこと……だったのか……」


「ああ、俺たちは別にあんたを捕らえにきたわけでも、討伐に来たわけでもない」


「……迷惑を……かけた……みたいだな……」


 再び、人肉血の臭い漂う玄室に戻ったわたしたちは、落ち着きを取り戻したアレクさんと、ようやく対話をすることができました。

 レットさんと話をするアレクさんの声は掠れがちで聞き取りにくく、すでに声帯がかなりの割合で劣化・損傷しているようでした。


「だいたい、なんで寺院から逃げ出したりしたんだ? 素直に助けを求めればこんな面倒にはならなかったんだぜ?」


「……無茶を……言うな……俺は 不死属アンデッド ……なんだ……寺院の中でみつかれば……即座に…… “解呪ディスペル” ……されてしまう」


 元君主ロードのアレクさんの言葉に、ジグさんも納得するしかありません。


「……不死属が……この城塞都市で……身を隠すなら……迷宮が……一番だ……君たちのことも……討ち手だと……思っていた……だから……逃げ回っていたんだ……」


「その……あなたがそういう身体になってしまった原因に、何か心当たりはないのですか?」


 わたしは控えめに訊ねました。


「……わからない……俺が覚えているのは……パーティの仲間が……酒場でいきなり斬りつけられて……殺されて……混乱していた俺を……巨大な “羆男ワーベア” が…… “羆男” が……」


 頭を抱え込むアレクさん。


「ごめんなさい、もう結構ですから。どうか、それ以上考えないでください」


「“羆男” に触れられたときに、なにか未知の病気でももらったのかしら」


「人間を不死属に変えてしまうような……ですか?」


「ええ、でもそんな病原体なんて聞いたことがないわ」


 回復役ヒーラーであるフェルさんとわたしは、いちおう迷宮で罹患する病気について基礎的な知識があります。

 ですが獣憑きライカンスロープである “羆男” が、人間を不死属にする病原菌を持っているなどという話は、寡聞にして聞いたことがありません。


「でも希望はあります。あなたにはまだ理性が残っています。それは魂がまだ消えていないことを意味します。身体の状態さえ元に戻せればきっとまた生者に戻ることができるでしょう」


 フェルさんが務めて明るい表情で、アレクさんを励ましました。

 蘇生を専門とする “カドルトス寺院” には、例え “灰” からでも死者を蘇らせることができる高位の聖職者がいます。

 彼らなら、あるいはアレクさんを元の姿に戻せるかもしれません。


「ああ、俺たちが一緒に行ってちゃんと事情を説明する。蘇生費用も君の家が出した “死人占い師の杖ロッド・オブ・ネクロマンシー” を売ればどうとでもなるしな」


「……俺の家……か……皮肉な……ものだ……俺は……死んでいるのに……死体では……ないのだから……」


 くくっ……と喉の奥で引きつった笑いを漏らす、アレクさん。

 わたしたちの受けた依頼は “生きているアレクさんを迷宮から連れ戻す” か “死んでいる場合はその遺体を回収する” ことです。

 つまり、現時点ではそのどちらにも当てはまらないのです。

 アレクさんは死んではいますが、死体ではないのですから。


「ねえ、アレクさん。あの宝箱はアレクさんのなの?」


 未だに物欲センサーを発揮し続けているパーシャが、玄室の隅に置かれた例の宝箱に視線をやりながら訊ねました。


「……宝箱……いや……そんな物は……知らない……」


「手を出さない方がいいぜ。“強制転移” の罠が仕掛けられてる」


「……今さら……財宝などに……興味はない……」


「おまえも手を出すなよ、パーシャ」


「わかってるわよ!」


 ジグさんに念を押されて、パーシャがブンむくれします。


「でも良い物が入っていたら、エバの借金の足しになるのに」


 コイツめ、泣かせることを言うんじゃないですか。


「アレクを無事に蘇生させれば、ギルドから報酬を得られる。それでエバの借金は――」


「「しっ!」」


 レットさんがそこまで言い掛けたとき、ジグさんとフェルさんの顔に緊張が走りました。


「何かが近づいてきてる」


「敵か?」


「足音だけじゃわからないが、ここは迷宮だ。十中八九そうだろうな」


「……数は?」


「多くはないわ。一人……ね、多分」


 ジグさんにレットさんが訊ね、カドモフさんの質問にフェルさんが答えます。


「ひとりだと、レベル1 魔術師メイジってところか」


 レットさんが再び兜を被ります。

 アレクさんが一緒にいる以上、近づいてくるのは魔物以外にありません。


「よし、やるぞ。敵が扉を開けた瞬間に前衛三人で一斉に斬り掛かる。奇襲攻撃サプライズ・アタックだ」


 ジグさん、レットさん、カドモフさんが、扉を半包囲するように布陣し、それぞれ武器を上段に構えます。

 その時、わたしは心の中に、わずかな違和感を覚えました。

 ここは迷宮です。

 今自分たちが採っている選択肢オプション に、間違いはないはずです。

 それなのに、なぜかわたしの中に言い知れない違和感が――不安が凄い勢いで大きくなっていったのです。


 ガチャッ、


 扉が開き、“” が入ってきます。


「ダメェェェっ!!!」


 わたしが制止する間もなく、前衛の三人が振り上げていた武器を一斉にアッシュロードさんの頭上に振り下ろしました。

 ここは――ここは呪われた玄室です!


 こんな玄室、大っ嫌い!



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迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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