消耗

 背後から迫る、 “犬面の獣人コボルド” たちの殺気じみた唸り声と乱雑な足音。

 ここ回廊ではダメ!

 ここ回廊では取り囲まれてしまう!

 そこまでは――そこまでは咄嗟に判断できるものの、その先が思い浮かびません。

 行動につながりません。


(ああ、ダメ。パニックになりかけてる。パーシャにも言ったじゃない。落ち着いて。冷静に――って)


 回廊でダメということは、残るは玄室しかありません。

 そうです。

 玄室です。

 玄室に立て籠もるんです。

 動けないパーシャを抱えている以上、それしかありません。

 というか、それしか “ 頭に浮かびません”


 になるかもしれませんが、に遭うよりましです。


 回廊は一区画ブロック先で分厚い煉瓦の内壁に遮られています。

 北は少し開けた広間。

 パーシャのいう東とは、一度北に向かったあとに東に折れる進路だと思われます。

 わたしは意を決するとパーシャを支えながら可能な限りの速さで歩き出しました。


 学校では体育の授業は苦手で、特に持久走は周回遅れの女王と言われるほどの体たらくぶりでした。

 でも今は息こそ上がりますが、バテて動けなくなることはありません。

 パーシャの身体が軽いせいもありますが、今のわたしは耐久度バイタリティが種族上限値の18です。

 潜在能力ボーナスポイントの極振りが活きてきました。

 訓練場の教官の言ったことはまったく正しかったのです。


 北に一区画進むと、開けた広場のような場所に出ました。

 ここは以前に来たことがあります。

 このまま “左手を壁につけて” 進むと、地下二階へ下りる縄梯子に行きつく座標です。

 今はそれとは反対の東に向かいます。


「……北に1……東に1……」


 わたしに支えられたパーシャが、顔をうつむかせたままブツブツと呟いています。


 ガバンッ!


 背後で扉が蹴破られる大きな音が響きました。


「「「Gyauッ!!!」」」


 “犬” が来ました。

 犬は大好きですが、のはちょっと困ります。

 視線の先――一区画先の北側! 扉があります!

 あそこに逃げ込んでしまえば!

 あとは “犬” との追いかけっこです。ドッグランです。

 わたしはパーシャを引きずるようにして、広場から東に延びる回廊の一番手前北側にある扉を目指します。


「「「GyauGyauGyauッ!!!」」」


 あっという間に近づいてくる吠え声と足音。

 爆発寸前の心臓。

 身体の中でアドレナリンが迸って。

 きっとこういうのが “癖” になってしまうのでしょう。

 身体が、身体の中で作られる “麻薬” の中毒になるのです。

 そんな風にはなりたくない――です。


 目前に迫る扉。

 その先は玄室でしょうか。それとも新たな回廊でしょうか。

 蛮刀がブンブンと風を切る音が、すぐ後ろで聞こえました。

 背中を切られるのが先か、扉の向こうに逃れるのが先か。


 ――もちろん、扉が先です!


  盾で体当たりをして扉をカチ開けると、パーシャと中に倒れ込みます。

 わたしだけがすぐに立ち上がり扉を閉ざし――。


「「「Guruluuッッ!!! GAUGAUッ!!!」」」


 一匹の “犬面の獣人” が隙間から得物ごと手を差し入れてきました。

 滅茶苦茶に振り回される蛮刀の切っ先が、着込んでいる鎖帷子チェインメイルをかすりますが、構わず重い扉で押し潰します。


「このぉっ! このっ! このっ!」


 ぐったりとしていたパーシャが不意に顔を上げると、短刀ダガーでめったやたらに、扉に挟まれた “犬面の獣人” の腕を切り付けました。

 黒い血が舞い散って、わたしたちの顔を汚します。

 わたしも、パーシャも、“犬面の獣人” も。

 誰も彼も必死で滅茶苦茶です。


 “犬面の獣人” は挟まれた腕を抜くに抜けず、もがいています。

 扉の隙間から、普段なら鼻が曲がるような熱く獣臭い息が吹き込んできますが、今はもうそれどころではありません。

 怯むことも忘れて、全体重を掛けて扉を押します――押します!

 押しますっっっ!!!


「っっっーーーー!!!」


 ぶちんっ!


 とてもとても嫌な音がして、急に扉が軽くなりました。

 重い扉がそれまで溜め込んでいた力を解放して、一気に密閉されます。

 扉の向こうで、のたうち回る “犬面の獣人” の悲鳴が響き渡りました。


 ガンガンガンッ!


 無傷の “犬面の獣人” が向こう側から扉を乱打します。


(これから、これからどうするの!? どうするつもりなの、わたし!?)


 この扉を閉ざすための、鍵とか、かんぬきとか、そういうのはないのでしょうか。

 どうも、ないようです。

 わたし、本当に後先考えていません。

 だからといって、いつまでも扉を押さえているわけにもいかず。

 今は二匹だけですからどうにか持ちこたえていますが、仲間を呼ばれたらわたしの  筋力では支えきれません。

 強引に扉をこじ開けられて、乱入されるのは目に見えています。


 また “棘縛ソーン・ホールド” の加護で固めてしまうとか?

 ダメです。一匹でも “耐呪レジスト” されたら扉から離れることができません。そしてその一匹に仲間を呼ばれたら――。


(なにか、なにかないの!? わたしが願える加護で、この状況を抜け出せるものはなにか!?)


 ――。


 それは女神 “ニルダニス” からの天啓だったのかもしれません。

 わたしは考えるよりも早く、その加護を嘆願していました。


「慈母なる “ニルダニス” よ。身を守る術なき か弱き子に、救いの御壁みへきをお与えください―― “光壁ホーリー・ウォール” !」


 “光壁” それは聖職者系第二位階で授かる守りの加護で、短い時間ですがパーティ全員の装甲値アーマークラスを2下げる効果があります。


(それをこの扉にかければ、もしかしたら――)


 祝詞を通じて精神が女神とつながり、そして。


「――やった!」


 両手で押さえつけている扉に期待したとおりの効果が現れたとき、わたしは思わず快哉を叫んでしまいました。

 聖なる光が扉に宿り、脅威からの攻撃を弾くようになりました。

 それほど強固な守りではありませんが、“犬面の獣人” 程度の膂力ならしばらくは耐えられるはずです。


「パーシャ、今よ!」


「……了解」


 まだ辛そうなパーシャを支えて、わたしは北に長く続く回廊を進み始めました。

 足元に血塗れの “犬面の獣人” の腕が一本、湾曲した鈍刀を握ったまま転がっています。

 本来向かうべき東にではなく北に逃れ、加護は半分以上使ってしまいました。

 状況は好転しているどころか加速度的に悪くなっています……。


◆◇◆


 わたしはパーシャを支えて、北に続く長い回廊を進んでいます。

 どこかに身を潜められる玄室があればいいのですが……。

 ここではまだ休むことはできません。

 真っ直ぐに伸びるだけの回廊では、“光壁” の効果が切れてあの “犬面の獣人” たちが追ってきた時、すぐに見つかってしまいます。


 やがて回廊はジットリと結露した岩盤の外壁に行き当たりました。

 東の壁にさらなる扉があります。西は煉瓦塀です。

 耳を当てて扉の奥を探ってみますが、魔物の気配は感じられません。

 何もいないのか、それとも息を殺してわたしたちを待ち伏せているのか。


(……パーシャ、よいですか?)


(……うん)


 アイコンタクトで意思の疎通を図ると、両手でぐいと押し開いて中に入りました。

 アッシュロードさんみたいに、一蹴りで蹴り開けるような真似はできません。

 扉の中は一区画幅の回廊が区画先で再び扉に遮られていました。短い回廊です。これはもう玄室と呼んでもいいかもしれません。

 魔物の姿はありませんでした。


「パーシャ……この真ん中で休みましょう」


 真ん中なら東と西、どちらから怪物が現れても逃げることが出来ます。

 わたしとパーシャは一〇メートルほど進むと、南の壁際にヘナヘナと座り込みました。


「大丈夫ですか? 気分は?」


「あまりよくないけど、さっきよりは大分マシになったかも。フラフラしなくなった」


「失った血が戻ってきているのですね。よかった」


「……ごめん……今さらだけど、ほんとにごめん。あんたのこと巻き込んじゃって」


 パーシャが唇を噛んでうつむきました。


「友だちの命が掛かっているのです。なりふり構ってはいられませんよ。わたしだって、アッシュロー……」


 バタンッ!


「きゃっ!!?」


 その時、身体を預けていた南側の壁が、不意にのです!


「エバッ!?」


 パーシャがわたしを呼ぶ声が一瞬で遠くなり、わたしは虚無の底に沈んでいきました……。



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