第11話 一途と執念は紙一重

 手が、届かなかった。

主人マスター!」

「おい!」

 メーラの叫ぶような声と、ウェルのとがめるような驚きの声。

 聴こえてはいたけど、止まれない。

「メルっ……!」

 地下へ。迷宮へ、続く階段。

 生暖かい風が頬を撫でる。

 薄白い闇が両手を広げて待つそこへ、飛び込むように足を踏み入れた。来るはずの拒絶反応は、欠片もない。

 当然。だって、拒む為の装置をリューエストが壊したのだから。

「ワンコ! 連絡!」

「なるべく奥に行かせるなよ! 引き留めろ!」

 私が言うのも何だけど、ウェル、無茶言うね?

 メーラとウェルのやり取りを置き去りにする勢いで、固い音を響かせ、階段を駆け降りる。

「お、おい、待てよ!」

 おろおろとしたリューエストの声がついてきた。待てと言われて待つのかとか、何より……。

「何? てか来なくて良いよ」

「悪かった……」

 謝って済むならメルシーは連れてかれなかったよね? そんな言葉を口にする暇も惜しい。

 薄白い迷宮の通路をひたすら奥へ。

 どこにいる。

御主人様マスター、待って下さい!」

「パロマ、ごめん。無理。急がないと」

 それこそ奥へ、深く、連れ去られてしまう。

(まだ。まだ間に合う!)

 だから急ぐ。あの禍々しい気配が足跡のように漂い残るうちに。

(ふふ。イイ度胸してるよね……)

 二度目だ。これで。

 一度目は師匠の妹。今度は友人。

(どっちも、絶対取り戻す)

「マスター」

 分かれ道で立ち止まった一瞬を待っていたのか、セレーヤが上着の袖を指先で掴む。

「お手伝い、させて」

「セレーヤ」

「ずるいよセレーヤ。それ、俺が言いたかったのに」

 ぷりぷり怒ってメーラが合流する。

「主人。俺達が止めると思った?」

 うっすらと微笑んでメーラが葡萄酒ワインレッドの髪を揺らす。

「止めないの?」

「何で止めるの? だって、主人の為に、主人の助けになるのが俺達の存在意義なのに」

 それでね? とメーラがにっこり笑っていつの間にか、リューエストの首根っこをがっちり掴んでいる。

「せめてこういう時くらい、この駄犬だけんが働くべきだと思うんだよね!」

 てい! と軽くそのまま分かれ道にべシャッと放り出されたリューエストは、若干涙目でメーラを見た。

「な、何させる気だ……」

「駄犬でも一応臭い辿たどるくらい出来るでしょ」

 いいから働け。笑顔の背後にそんな文字が浮かんでいる幻視ができそうな、見事な女王様だ。

 メーラ、立派になって……。などと流石にふざけている暇はない。

 けど確かに、使えるものは何でも使うべきである。

 リューエストが助けを求めるようにこちらを見てくるのが、今言った心構えのわけで。

「ん。頑張って。やれば出来るよ。出来るよね?」

「!」

 いや、君一応元凶だからね? 元凶に「鬼!」みたいな顔されるのは心外だよ。

「や、やってみる……」

 うん。完全に私達がいじめっ子みたいになったね。

 何はともあれ。リューエストが不安げに辺りを見回し、片方の路を指差す。

「じゃ、行こうか」

「行くよー。駄犬」

「オレも行くのっ?」

 メーラがリューエストに声を掛けると、驚いたようなビビってるような、情けない声と言葉が返ってきた。

 その事に、メーラが心底呆れたような顔になる。

「ねえ、駄犬。本当にしでかした事、わかってる?」

「っ!」

 リューエストが唇を噛み締めた。

「駄犬が主人に嫉妬しっとして、迷宮の入り口にある結界壊して、主人のお友達がさらわれたんだよ?」

「わかってる……」

 俯くその姿はいっそ哀れなのだが。

「メーラ、もう良いよ。行こう」

「主人?」

 メーラが不思議そうにこちらを見る。

 リューエストも、チラリとうかがうような目を向けてきた。

「怖いんだし、仕方ないよ。それに……彼はウェルじゃない」

「え……」

 あれ……?

「ウェルだったらそもそもこんな事態起こさないだろうけど、起こしたとしたらつべこべ言わずにさっさと協力して、力を貸してくれるだろうけど、彼は違う」

 おかしいな。私、もしかして……。

「あ、う……」

「でも主人」

「私の『怖い』と、彼の『怖い』は違う。『この場所』の方が、『誰かを失う』より怖いなら、仕方ない」

 なんてこった。自分が思っていた以上に、どうやら怒ってたみたいだ。

 向けた言葉に傷ついたのか、リューエストの肩が震える。

「……連れてかれたの、ウェルじゃないし」

 ポツリと最後に呟いた言葉に、今度こそリューエストが固まった。

「……そだね。主人。急ごう」

 興味を失ったように、メーラもあっさりとリューエストを視界から外して路に向き直る。

(項垂れるリューエストをそのまま放置もまずそうだよね)

「リューエスト」

「っ!」

「ありがと。戻って良いよ」

 戻って良いと言ったのに、リューエストは凍ったように動かない。

 言い方がまずかったか。

「ごめん。出口まで送ってけないから、怖くても一人で戻って」

 気を遣ったつもりだったけど、何故かリューエストが余計涙目になった。

御主人様マスター、私がお送りして戻って参りましょうか?」

 控え目にパロマが手を上げてそう言うけど、メーラがぷるぷる首を振る。

「もうっ。パロマ、ダメだよ。駄犬より、主人の友人の方が優先!」

「ですが……」

 パロマが心配そうにリューエストを見た。

 こう言っちゃ何だけど、良い歳して涙目で震える様は確かに色々な意味で心配にはなる。

(……八つ当たりしちゃったしね)

 急がないと。その焦りは消えるどころか募るけど。

(頭、冷やそう)

「リューエスト」

 ビクッとして、リューエストがこちらを見る。

「私達は先に進むけど、どうする?」

「……オレ、は」

 行きたくないだろう。こんな所、早く出たいだろう。なのに、帰って良いって言っても、何故帰らないのか。

 リューエストの涙で潤んだ金の瞳が、揺れた。

「オレも……行く」

 絞り出すような声が、その心の葛藤かっとうを表していたけど、選んだのなら後は私がとやかく言う事じゃない。

「ん。じゃ、行くよ。止まった分、急ぐから。あ、でもね」

「な、何だ」

 何か凄く警戒されて身構えられてる。

「そんな身構えなくても……。まぁ、いいけど。とりあえず」

 進むべき方向へ目を向け、踏み出す。

「本当に危なくなったら、逃げてね。ウェルが悲しむから」



 空っぽ。

「次、どっち?」

「真っ直ぐ、だと思う!」

 虚ろ。

 誰にも、必要となんかされてなかった。

「了解」

 だけど、信じられないくらいの幸運で、必要だと言ってくれる人達が現れた。

 空っぽなのだと知っても、空っぽだからと、沢山の知らない物語を教えてくれた人。

 世界は広い事を教えてくれて、一緒にいようと言ってくれた人。

 友人だと、もっと知りたいと、初めて言ってくれた人。

 可愛くて、天使みたいな笑顔と親愛を寄せてくれる、人。きっと今、とても怖がっていると思うから。

(早く……早く……!)

 いつも考える。ボク……私に、出来ることは、何だろうか、と。

「主人、階段」

 メーラの声に我に返ると、下に続く階段が見えていた。

「降りよう」

 靴底のたてる音が白闇に響く。

 階段を降りた先にも同じような造りの部屋と五人くらいなら並んで歩ける通路で構成された迷宮は続く。

「うう……何か、物凄く気持ち悪い……」

 隣でリューエストがそう言いながら自身の肩や腕をさすっている。

「駄犬、うるさい」

「メーラ、仕方ありませんよ」

「マスターは、大丈夫?」

「うん。私は大丈夫。ありがとう、セレーヤ」

 どうやらこの中で気持ち悪いと感じているのはリューエストだけらしい。

「うわぁ……凄い鳥肌だね。リューエスト」

「何でお前ら平気なんだよ……。うう、ベタベタ触られてるみたいな気がする。撫で回されたりつつかれたりしてるみたいな」

「え。全然感じないけど」

 流石にそれだけ痴漢的なやつなら気付くと思うけど、実際私は感じない。

「そうですね……。そのような感じは……」

「しないよ」

「駄犬が自意識過剰なんじゃなーい?」

 ただ、リューエストの様子からして本当にそう感じているのは間違いないんだよね。

(あ、でも……)

「そんな痴漢的なベタベタ感はないけど、ずっと誰かに見られてる感はするかなぁ……」

「えっと、主人。それってアレのじゃなくて?」

 メーラの指差す先には、迷宮に入ると同時に浮き上がって追尾モードになった端末の片割れがある。

「いや、アレじゃないね」

『うふふ。今のところ、見えるところに紙魚も見えないわ』

 端末から残った師匠の幻想化身、キャロルの声がそう告げた。

「キャロル、師匠達は……まだ来てないよね」

『ええ。ウェルさんが走ってくれたけど、着くのが早くてもマイマスター達を連れての復路は……』

 恐らくどんなに急いでも一時間は掛かるし、まして今日は月祭。街の中心近くにある本館付近は人でごった返しているはずだ。

『それに、マイマスターご到着しても恐らく……もう入れません』

「あ。やっぱり、自動修復された?」

『はい』

 迷宮の入口で人間の侵入と紙魚の流出を拒んでいた四つの結界石。中央の最新技術で作られたそれは、幻想化身や指定された人間以外が触れようとすれば拒否反応を起こして火花を散らす。そうして、結界石を不用意に外すことが出来なくしていたのだが。

『恐らく、中央に何らかの報せはいってしまったでしょうけど、傷や破損は見つけられないくらい、完璧に元通り』

 そう『人間』と『幻想化身』は触れないが、『どちらでもない者』は普通の石のように触れられる。

「良かったね、リューエスト。弁償はしなくて良さそうだよ」

「うぐっ……」

 それが今回の事態に至った引き金になったのだけど。

「ありがと。キャロル。師匠達が来たら、そこはかとなくあんまり怒らないで下さいね、ってフォローよろ!」

『ふふ。畏まりました。では……』

「うん。進むよ。今日で全部、笑い話にしてみせる」

 連れ去るのが紙魚の、迷宮の意思なら、取り返そうという人間こちらの一途さもなめないで頂こう。

「てなわけで、今日は行けるところまで行きます。リューエスト、ごめん。最悪、本気でやばそうになったら一人でも出口まで逃げ帰って」

「はっ?」

「でも最悪一歩手前までは道連れでヨロシク!」

「おい!」

 ツッコミ気味にリューエストが声を上げる。が。

「あれ?」

「何だよ」

「いや、拒否のタイミングが遅いな、って」

「お前……人を何だと思って…………」

 じとりとした目は向けられるのだが、ついさっき(具体的にはメルが拐われる前)までとは何かが違う。

 これは、もしかして。

「何か拾って食べた?」

「ほ、ん、と、に、人を何だと思ってんだっ?」

 いや、だって心配になるくらいの変わりようだし。

 リューエストは溜め息をついて、金色の瞳をすがめる。

「オレは、お前より年上だ」

「うん」

 どうした。頭でも打ったのか。なんて思うくらいやっぱおかしいと思うのだけど。

 さっきまで涙目で震えていたリューエストは、フンと鼻を鳴らす。

「ウェルと同い年なんだ」

「えーと、リューエストさん?」

「だから、ウェルがいない今は、オレがウェルの代わりだ」

「ほう。無理じゃね?」

「お前!」

 しまった。つい本音が。

「いやいやいや。だって無理」

「無理って言うな笑うな!生暖かい目で見るなー!」

 半泣きで良く言う。

「ともかく! オレが手伝ってやるんだから、大丈夫だ!」

「わー。頼もしーい」

「棒読みやめろ!」

「こら、駄犬! 主人に遊んでもらってないで、真面目に探しなよ。主人の邪魔するな」

「どう見たらそう見えるんだ!」

 そんな心温まるやり取りは良いとして。

「やっぱり変わってる」

「駄犬の頭が?」

「てめぇ!」

「いや、リューエストの頭じゃなく、この迷宮。この前、メーラ達が入った時はさっきの分かれ道とかなかったし」

 こちらの言葉にパロマも頷く。

「そうですね。確かに、御主人様マスターのおっしゃる通りです」

「前に見た資料にそんなような事が書いてあったけど、本当ぽいね」

「資料……ですか?」

「うん。この迷宮についての調査資料。て言っても、成り立ちの伝説とかが主で、あんま詳細じゃなかったけど」

 いくら探しても詳細な資料がなくて若干引いたのは良い思い出だ。

「この様子なら資料のなさも納得かなぁ……。入る度に変わるんじゃ、詳細資料なんて作れないよね」

 変わり方にパターンがあるかも知れないから、本当の意味で作れないわけじゃないだろうけど。

「なあ、それ、オレ達が」

「中に人がいれば変わらないみたいだよ。通った階層フロアと今いる階層はね」

 巻き込まれて大惨事、は今のところなさそうだ。資料的にも、伝聞的にも。

「前に見た資料と噂話からだと……」

 第一に、迷宮は入る度に形が変わる。

 第二に、迷宮内に人がいる間はその人が通った階層とその時点でいる階層は変化しない。

 そして第三。

「迷宮は、ある地点から全て繋がっている」

「繋がる……?」

「リューエストには言ってなかったかな? うちみたいな分館は他にもあるって」

「ウェルから聞いた」

「うん。じゃあ話は簡単。各地にある迷宮書館は入口とある程度まではそれぞれだけど、ある地点……階層かな。そこからは合流して一緒になるって事」

 そんな馬鹿なと思ってたけど、どうやら中の構造が変わるなんてトンデモ現象の起こる場所、あり得ないってのは無いかも。

「ある地点てどこだよ」

「さあ? 詳細資料じゃなかったからね。とは言え、もうちょい先じゃないかな。そんなすぐならもっと資料に記載あっても良いはずだし」

 資料に中々残らない程度には人の到達が少ない階層だろう。

 そして人の到達が少ない、と言うことは……。

「急ごう。あんまり深く行くと厄介そうだから」

 人が中々調査出来ない理由の最大原因は、多分紙魚。それもそのある地点からは、きっと手強くなる。

(幻想化身メーラたちも危険を感じるほどに)

 前々から奥に行けば行くほどヤバいって言われてたもんね。

「リューエスト、次どっち」

「ひだ……ちが、右」

 言い直したリューエストに、メーラが疑わしそうな目を向ける。

「駄犬……」

「仕方ないだろ! 女神の匂いより、ここの中に漂ってるのと似たあの化け物と似た匂いの方が強いんだ!」

「そういえば、迷宮の気配と紙魚の気配が似てるから判別し辛いって、前言ってたよね?」

 思い返し言った事に、パロマが頷く。

「はい。紙魚とこの迷宮の気配はとても近いものですから」

「なるほど。じゃ、やっぱり急いだ方が良いね。右、行こう」

 幾つもの通路を通って、何回か階段を降りた。

 けど……。

「むぅ。全然追い付いてる気がしない」

 メーラが半眼で呟く。

「確かに……。少しまずいかも知れませんね」

 パロマも再び現れた分かれ道で立ち止まり、眉根を寄せた。

(メーラの言う通り……追い付いてる手応え皆無だ)

 それに、気になっているのはまだある。

「何か、どんどん広くなってねえか?」

「あー。リューエストとやっぱりそう思った?」

 明らかに最初の階層フロアと今は倍くらい広さが違う。

 どんどん通路が増えて、分岐点も増えている。下にいく度に、ちょっとずつその階層は広くなってる。

「距離も段々離されてる気がする」

「うーん……。まさに迷宮」

 迷うから迷宮なので正しいんだろうけど、はっきり言って迷惑。

 リューエストも難しい顔をして、腕を組んでいる。

「……」

「リューエスト?」

「ちょっと黙ってろ。お前達も」

 そう言うとリューエストは眼を閉じて息を殺すように押し黙った。

 真剣なその様子に、私は勿論、メーラ達も言われた通りに沈黙する。そうしていた時間は数秒程度だったと思うけど、次にリューエストは眼を開けると疲れたように深く息を吐いた。

「この壁の向こう。そう遠くない距離に、多分いる」

「この向こう……」

「けど、これは蹴って穴が開くようなもんじゃないよな……」

 コンコンと軽く通路の壁をノックして、リューエストは呟く。

「穴開ければ良いの?」

「メーラ……?」

 ぽつりとメーラが言って、パロマとセレーヤに目配せする。

「では、リューエストさん。両手を顔の両側に上げて下さい。あ、位置は私のなるべく影に入る感じで。……そうです。良いですね。そうしたらそこで屈んで」

「え? お。おう」

「マスター、しゃがんで。これを」

 言われた通りにしゃがむとセレーヤが自分の被っていたレースで縁取りされたベールを、こちらにふわりと被せてくれる。

「いっくよ~」

「はい、両手で耳をふさいで下さい」

「お耳、失礼します。マスター」

 すっとセレーヤの手がベールの上から優しくしっかり両耳を塞ぐと同時に、辺りが揺れた。

 あ。これ、耳塞いでないとヤバいやつ。

 床と周囲の壁が壊れそうなくらい激しく揺れ、辺りに粉塵ふんじんが舞う。

 もうもうと立ち込めるそれが晴れる。

「あ。ちょっと残った?」

 メーラが不満そうに唇を尖らせ、通路に開けた穴の中に入っていく。

「んーと、これなら、ちょいっと! えーい」

 軽い掛け声と共に、何かが瓦解がかいする音がした。

「良さそうですね」

「うん」

主人マースター!」

 メーラの呼び声に立ち上がって大穴を覗く。

「主人ー! これで良いー?」

 下への階段を背後に満面の笑みで手を振るメーラと、ぶち抜かれた二枚分の通路の壁の残骸がそこにあった。

「…………なあ」

 隣に並んでそれを見たリューエストが、そう声を掛けてくる。

 うんわかる。わかるけどね。

「人命の為には致し方ない損壊ってあると思う。てか、ここは分館の一部だしなら館長の私が問題ないって言えば問題ないと思うんだよね! 出たらどうせ中身変わるんだし! 証拠なけりゃ問題皆無!」

「最後、それで良いのか?」

「じゃないと入口の結界石の破損、リューエストが弁償だけど」

「問題無いな」

 リューエストと共にそう結論を出して、メーラの開けた穴をくぐって階段を降りる。

「近い。あっちだ」

「お待ち下さい」

「どうしたの? パロマ」

 制止をかけるパロマを見ると、メーラも両手を腰に当ててその横に立つ。

「ここからは、俺達が先に立つから。駄犬は主人マスターの前。パロマ、駄犬のおもりよろしく。セレーヤ、主人の側についててね」

「少々、紙魚しみの気配も増しているようですので、念の為です」

 メーラとパロマの言葉にセレーヤも頷く。

「なあ。その紙魚ってあの化け物の事なんだよな?」

「違ーう! あれは紙魚にとりつかれただけ。紙魚っていうのは」

 スッとセレーヤがリューエストの横へ進み出る。

 そして上がるのは、

「ひっ」

 リューエストの悲鳴。

 ガツッ! と。踏み出されたピンヒールが良い音を立てた。

「そーいうやつ」

「あ。何か今……」

「見えた? マスター」

 セレーヤが叩き潰す勢いで踏み込んだ辺りから、黒い霞のようなものが漂って消える。

「これが紙魚。今のは小さいけど、いっぱいになると厄介」

「ほんと、最初パロマとこの迷宮降りたらこんなのがうじゃうじゃいて、凄いキモかったよねー」

「ふふ、そうですね。……特に小さいものは今見たように煤のような見た目と、迷宮に似た気配が相まってとても見つけにくいので、リューエストさんも注意して下さいね」

 いきなりセレーヤに真横を踏み抜かれたリューエストはよほどビックリしたらしく、胸を手で押さえている。

「わかった……」

 ほんと良くこのビビり具合でここまでついてきてくれてるよね。

「では行きましょう」

 パロマの声に歩き始め、少し進むと少しずつ今までと違った変化が見えてくる。

 天井が少し高くなって、まっ平らだったものがアーチを描く。通路の幅もさらに広くなっている気がする。

(あ。またいた……)

 先ほどセレーヤが退けたような一番雑魚っぽい紙魚もちらほら見える。何となくだけど、こちらの様子を伺っているような気配だ。

「駄犬、次どっち?」

「いい加減その呼び方やめろよ! ……う。何かあの化け物系の匂いが強くなってるぞ」

 まあ、雑魚いのうようよしてるからね。仕方なし。

「……うぅ」

 目の前に現れた三叉路さんさろを、リューエストは忙しなく見比べる。

(あれ……?)

 不意に視界の端に過ったのは、迷宮とは違う白。

 通路の奥。ヒラリと白い何か、服の端のようなものが見えた気がする。

「リューエスト」

「なんだよ。今真剣なんだぞ」

「こっちに行こうと思う」

「は?」

 私の指差す方向を、リューエストは怪訝な眼差しで見た。

「何で」

「主人が行くって言ってるんだから行くのー。はい、つべこべ言わない、駄犬」

「お、おい!」

 半ば強引にメーラがリューエストを引きずって進み始める。

「そこの所、横路ない?」

「ある、……な」

「じゃ、そこ入って」

「…………」

 うん。まあ、正気か? って目になるのもわかる。

 それでも拒否しないのはメーラ達が聞かないと思っているのか、それとも別段危険じゃなさそうだからか。

「今のとこ、大丈夫そうだな」

 後者らしい。

 そのまま路が分かれることもなく、ひたすら進むとさらに変化が顕著けんちょになった。

「あ……」

「何だコレ」

 リューエストは訳がわからないという感じで声をこぼす。

 大きく開けたそこは図書館大広間エントランスホールのように高い天井と、神殿のような内部を支える柱が等間隔に並んでいる。

(雪の夜みたい)

 白闇も大規模に見ると雪の夜の光景に似ている。夜なのに、雪は白くて光を弾き、空の雪雲も白いから光が乱反射して明るく見えるから、まさにこれとそっくりだ。

 違うのは、気温は真冬のものより温いという事と屋内であるという事くらい。

「主人! あれ」

 メーラの緊張を孕んだ声にそちらを見る。全員、見る前から何があるかはわかっていたけど。

「アァァ……ヴァ…………」

 広間の奥。紙魚にとり憑かれた幻想化身イマジンアバターが追い付いた私達を、敵と見なして排除しようとしている姿がそこにあった。

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