あだ名の由来

神田 諷

あだ名の由来

 春から一人暮らしが始まる。地元大学も受けたんだけども、遠くの大学にしか受からなかったためだ。しかも寮には入れなかったため、完全なる一人暮らしになる。

 必要な物は片っ端から段ボールに詰め込んでいく。今は本棚を整理していた。高校の教科書はいらないかな。辞書はまだ必要だし・・・。漫画や本が一番仕分けが大変そうだ。どんどん中身を出していくと、どんどん古い本が出てくる。もうどんなものが出てくるのか、怖いもの見たさになってきた。

 上から順に出していって、一番下の段に到達する。もう本棚の中よりも、外に出てる本の方が多い。そしてこんな目立たない場所になると、懐かしいどころじゃすまない代物になってくる。

 幼稚園時代にもらった絵本、小学校時代の良く解らない文集、一人で通わせるのが不安だからと、妹と一緒に突っこまれたピアノ教室の楽譜まで出てきた。もう捨てていいだろ、この辺。

「あ」

 ホワイトホールと化した本棚の最後に出てきたのは、小学校時代のアルバムだった。なんと懐かしい。高校のはこの間もらったばかりだし、幼稚園、中学の卒アルは机の本棚にしまってあった。なんで小学校のだけがここにあるんだか・・・

 普段アルバムなんて見もしないのに、思わずケースから取り出して開く。誰を見ても懐かしい。仲の良かった人も、結構覚えてるものだ。けれども今会っても、きっと誰も解らないだろう。中学から私立に行ってしまったために、皆とはほとんど連絡を取っていないのだ。

――そういえば。

 立ち上がって、机の前に移動する。上から三段目の引き出しを開けると、古いMDプレイヤーやカセットウォークマンが顔を出す。本当に懐かしすぎる。それらをかき分けてガサガサと漁る。

「あ、あった」

 奥の方に入り込んでいたそれを取り出す。折りたたみになって間もなかった、重たい携帯である。中学に入ったときに、初めて買ってもらった携帯だ。

 電源ボタンを長く押すと、ヴヴッとバイブが鳴って画面が映る。よし、まだ動く。スマホに使いなれた昨今、古すぎるガラケーはちょっと使いにくい。すらすらと使っていたはずの代物を、たどたどしく扱い、なんとかアドレス帳を開く。

 そこに並んでいるのは、小学校時代の友達の名前だった。悲しいかな、そんなに使った記憶がない。

――ってか、もしかして、一度も使ったことない?

「そんなことは・・・」

 一度電源ボタンで待ち受け画面に戻り、メニューボタンを押す。3×4で並んだアイコンから、メールボックスを開いた。やっぱりあった。「小学友達」という受信箱。開いてみると、懐かしい会話が見える。誰と誰が同じクラスになったとか、誰は違う学校に行ったみたいだとか、そんなやり取りだ。

 そこでふと目についたのは、最後の文章だった。

『ピースも連絡してくれよ!』

 ピース。そうだ。そう言えば、ピースって呼ばれてたんだっけ?

 中高はずっと名前で呼ばれていたから、渾名なんてものはなかったけど、言われてみれば思い出す。小学校の時はクラスメートはおろか、他クラスの生徒や部活の先輩、先生方にまでそう呼ばれていた。算数の合同授業の時、隣に座った初恋の女の子がそう呼んでくれて、舞い上がった記憶もある。

――でも、なんでピースだったんだっけ?

 全然思い出せない。メールをさかのぼってみるけど、当然ながらどうしてなんて書いていない。

 ガコッ!

 扉が勢いよく開いて、広げていた本に思いっきりぶつかった。

「きゃっ、最悪!」

 犯人は妹だった。大きく息を吐いて、眉間に皺を寄せる。

「ノックぐらいしろよ」

「したよ!」

 してない。音楽も流してないし、車の通りも少ない閑静な住宅街だし、ノックが聞こえないほど集中していた記憶もない。聞こえないわけないだろ。してないだろ?たった一回のノックを。

 兄に対し攻撃的になった妹を悲しく思いながら、扉の方へ近づく。と、妹が手だけを突っ込んできた。

「これ、お母さんから」

「メモ?」

 母親は今日、実家に行っているはずだ。爺さんがまた倒れたとかで、朝方飛び出していった。その時はまだ寝てたから、見送りはしなかったけど。

 それでも朝食を食べに階下まで下りている。ちなみに我が家は二階建ての一軒家で、子供たちの各部屋と親父の書斎が二階に、リビングや和室が一階にあるという、珍しくもない造りだ。

 メモをはさんでいた人差し指と親指がぱっと開かれる。慌ててメモを拾うと、隙間から妹の姿が垣間見えた。

 毛先を少し遊ばせたような髪型を作っており、メイクも残念なくらいばっちりだ。何故残念かと言えば、彼女が化粧をすると老ける面立ちをしているからである。からし色の春用コートは、この間買ったのだと母親に自慢していた一品だ。一万円のが五千円になっていたと笑顔になっていたけど、ファッションに興味のない人から見れば、まだまだ高いと呆れたばかりである。

 つまり、出かける気満々なわけだ。

「出かけるのか?」

 聞きながらメモを確認する。どうやらあと一時間後にスーパーのタイムセールされる、お一人様二点までの赤玉卵がほしいらしい。二パックでいいから買ってきてくれと書いてあった。代金は立て替えか。

「関係ないでしょ」

 大いに関係するだろ、これがあるんだから。

「おい・・・」と声をかけた時には、リズミカルに階段を下る音が耳に届いた。

 本の山を扉で押し退け、隙間をするりと抜けて階段を駆け下る。追いつくと玄関で妹がショートブーツを履いていた。ズボンは腿の半ばまでの長さしかなく、時期を疑うカラータイツで足を隠している。寒くないのか?

 って、そうじゃない。

「これ、なんだよ」

「お遣いメモでしょ」

 こっちも見ずに答えやがった。少し前までは何かあるたびに「お兄ちゃ~ん」ってよく泣きついてきたくせに!

「帰りにでも買ってきてくれればいいだろ」

「あたしはね?お兄ちゃんみたいに暇じゃないの」

 こっちだって暇じゃない。確かにちょっと、ほんとちょっとだけ遊んじゃってたけど、本来的には一週間後に迫った一人暮らしのために、荷物をまとめなきゃならない。必要な追加物の購入もしなきゃいけないから、厳密に言えば一週間無いくらいだ。むしろ暇なのは妹だと言える。だから言い返してやった。

「こっちの方が忙しいだろ」

「あたしはね?今出ないと遅刻しちゃうの。買い物なんてしてる暇ないわけ」

「出かけるついでだろ」というと、

「外出後一時間で帰ってくるようなお兄ちゃんと一緒にしないで」と睨み返された。

 確かに外出時間は短い方だ。でも、遊ぶ時はちゃんと遊んでるぞ。丸一日を費やすぞ。

「じゃあね」と妹はさっさと出て行ってしまった。慌てて追いかけようとするけども、紺色のパジャマ度の高いスウェット姿に頭にタオルを巻いているこの格好で外に出る勇気はなかった。これはもうデリカシーの問題じゃない。勇気なんだよ。

 はぁ・・・と息をつく。意識せずとも、ガクリと力が抜けた。まあ、仕方ない。最近準備にかまけて外に出てなかったもんな。運動だ、運動。

 部屋に入ると、好奇心に駆られて広げに広げた本の山が飛び込んでくる。これも片さなきゃと思うと、気持ちが鬱屈とした。

 着替えを選ぶのが面倒で、洗濯したてのジーンズと、その辺においてあったTシャツを拾い上げた。昨夜部屋に持ってきて、ぽいっと放り投げたままだったんだ。

 スウェットを全部脱いだ時、メールが鳴った。あまり聞かない音楽なので、迷惑メールかそこらだろう。でも確かカラオケや本屋のPRもこれだった気がする。

 手に持っていたズボンだけ履いて、まだ肌寒い中電気ストーブの前でシャツのまま座り込む。スマホの電源を入れて、メールを開く。

 「件名:お久~!

  本文:メアド変えました。

     ってか、俺の事覚えてる?第三小

学校に通ってた飯橋圭吾です。

     一応登録お願いします。」

 いーちゃん!覚えてる、覚えてる!木登りして降りれなくなって、先生たちを困らせた「いーちゃん」だ!懐かしいなぁ。妙に律義なところは変わってないみたいだ。

 そこでつられて思い出す。そういえば、さっきまで小学校時代の渾名について考えてたっけ。いい機会だし、聞いてみるかな。小学校時代でも、結構古い知り合いだし。面倒くさかっただけだけど、メアド一回も変えなくてよかったよ!ってか、いーちゃんからのメアド変更はもう三回目くらいな気がするけど、毎回その時の返信にしか使ってないな。ま、いいか。

 「件名:Re:

  本文:了解。

     あと突然で悪いんだけどさ、今ち

ょうど小学校の卒アル見てたん

だけど、俺の渾名って『ピース』

だったじゃん?あれ、なんでそん

な渾名だったか覚えてる?」

 そう打って、一か八かで送ってみる。スマホをベッドの上に放り投げて、Tシャツを着込む。すぐに返信が来るなんて思ってない。でも期待はしてた。

 旅行用の、ベルトにつけられるタイプのポーチに財布を入れて、どっかのカバンに入っている家の鍵を探す。一つ探し終わるたびに、ついベッドに目が向かってしまっていた。

 見つけた鍵をポーチに突っ込み、それをベルトに取り付ける。ぼさぼさの髪の毛は直すのが面倒くさいので、特にファンでもないけれど、なぜかもらった野球チームのロゴ入りのキャップを被った。さらにTシャツ一枚じゃ寒いだろうと、チェック柄のシャツを羽織る。

 さて、やることが無くなった。・・・仕方ない。

 スマホをポケットに突っ込もうと手に取ると、いいタイミングで機械音が流れた。さっと開くと、いーちゃんからの返信だった。

 「件名:Re2:

  本文:ちょww内容唐突過ぎだろ!久々

なのにめっちゃ笑ったわ!

     さすがに覚えてないけど、あれじ

ゃね?平和良(たいら・かずよし)

だからじゃね?」

 確かに。俺の名前は平和良だ。繋げれば「ヘイワ良し」と読めなくもない。そしてピースっぽいのも納得。でもさすがに違うと思う。

 なぜなら小学校二年生のときにはもうピースって渾名だったはずだからだ。そしてその時はまだ俺は自分の名前を全部漢字で書けなかった。さらに言えば、英語なんてしゃべれなかったし、解らないのが普通の年代だ。この年代に言わせるなら、だけど。

 お礼のメールを送ってから、スマホをポケットにしまった。そのまま一階に降りる。時計を見ると、あと四十五分でタイムセールが始まる。始まってからでは行っては遅いだろう。目的のスーパーまで二十分として、十五分前にいなきゃいけないと考える。一人暮らしのために、多少は主夫力を磨いてるんだ。

 冷蔵庫からお茶を取り出して、取り出したグラスに注ぐ。

 それにしても、他にピースって渾名の元になる要因はあるのか?

 平和以外に出てくるのは、ブイサインと言われるあのピースだけ。あのサインが他の人とは違うところがあるのだろうか。思わずブイサインを作って、じっと見つめる。すっと立った人差し指と中指は普通で、薬指と小指を押さえるように親指が置かれていた。

――なんか変か?このピース。

 いろいろと角度を変えて見てみるが、よそで見るピースと変わらない気がする。ハッと我に返ると、もう五分も経っていた。どれだけ馬鹿なんだか。

 慌ててお茶を飲んで、グラスを流しに入れる。玄関へ向かい、くたくたになった元・白色のスニーカーを履いた。

「鍵、鍵・・・」

 扉の鍵を開けて、探し出した鍵で閉める。使った鍵をポーチに入れてから、歩き出した。スーパーに向かう間もずっと考えを巡らす。どうしてピースなんだ?ってか、もはや「ピース」って何だ?いかん、ゲシュタルト崩壊が起ころうとしてる気がする。

 二十分弱歩き、スーパーに着く。同じような考えの人が多いのか、結構ごった返している様子だ。考え事なんてしてる場合じゃない。

 売り場に詳しくないので、卵売り場を探すところから始めなければならない。きょろきょろと、少し挙動不審なんじゃないかというくらい動き回っていると、案の定店員から声を掛けられた。

「あの・・・」

「うわっ!すんません!」

「いや、そうじゃなくて!平・・・だよな?」

「・・・へ?」

 先述した通り、中高は私立に行ってしまったので、この辺の知り合いは極端に少ない方だ。だから、名前を呼ばれることも少ない。

「・・・失礼ですけど、どなた?」

「いやぁ、さすがに忘れられたか!俺だよ俺、日野治」

「!ヒノっち!」

 なんて珍しい!一日に小学校の友達二人と会うなんとは。いや、いーちゃんとは会ってないんだが。ヒノっちは幼稚園の時からの知り合いだ。中学に行く時に分かれたのだが、とはいえ本当にすごい。けれどまさか金髪にかなり近い茶髪なんかにしてるなんて思わなかったし、おばさんたちから可愛いと評判だった顔がここまで縦に伸びちゃうとは想像もつかなかった。時間って残酷だ。

 しかも、こいつなら覚えてるかもしれない。なんせ、ピースと言う渾名を付けたのは、記憶が正しければヒノっちだからだ。

 一人でしみじみと懐かしんでいるヒノっちに、こっそりと尋ねる。

「俺のあだ名、覚えてる?」

「ピースだろ?」

 覚えてた!つい興奮してしまった。

「なんでだか、実は朝からずっと気になっちゃっててさ!」

 すると、きょとんとした顔で、品出ししていた商品を指差した。

「好き嫌いがほとんどないのに、グリンピースだけが食べれなかったからだろ?」

――・・・え?

 久々に頭をフル回転させて考えた答えは、思ったよりも安直な物だった。

 無事卵は買え、答えも解ったのだが、何とも言えないもやっとした気持ちだけが残ってしまった、とある一日だった。 

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