雪だるまのダンと悠久を生きる僕

文木-fumiki-

雪だるまのダンと悠久を生きる僕


 ゆっくりと意識が浮上する。

 今日もきっと彼がやってきてくれている。

 そんな期待が目覚めたばかりの僕を急かす。


「やぁ、おはよう。今日は少し寒くて良い天気だよ。」


 期待していた声が聞こえて、僕は喜んで挨拶を返す。


「おはよう、ダン。来てくれたんだね。」


 彼はくぐもった優しい声をしている。だから僕は、いつも真っ暗な視界の中に差し込む一筋の光を想像した。

 目は開けないし、動けない僕にいつもお話をしてくれるダンが大好きだ。

 目覚めたらおはようと言ってくれ、僕に外の様子を教えてくれる。

 

 ダンは、僕にとっての光で、晴れで、太陽で、月。


 寒いと暖かいはよく分からないけれど、ほっとするというのが暖かいなら、君はきっととても暖かいんだろう。


「今日は何のお話をしてくれるの?」


「そうだなぁ。じゃあ今日は怒りんぼな熊の王国の話をしてあげよう。」


「クマ?」


 疑問を抱いた僕に、ダンは優しく説明してくれる。


「熊はね、雪だるまの私とは反対に、冬の間だけ眠っている生き物なんだ。毛は長くて、大きな体をしている。そして尖った爪で魚をとって食べたり、木の実なんかも食べたりする動物だよ。」


「へぇー。じゃあダンは会ったことがないの?」


「そうだね。冬でも起きたままの熊はいるけれど、それはずっと遠いところにいるんだ。だから直接見たことはないね。」


「そうなんだぁ。」


 ダンは僕を見つけてくれた時、体が雪でできている雪だるまだから、僕に触ることはできないと言った。冷たい体が僕を苦しめてしまっては申し訳ないし、暖かい僕に触れたら解けて消えてしまうからと。

 ちょっと冷たいくらいなら僕は気にしないけど、ダンが消えてしまうのは寂しいと言えば、困ったような笑い声が聞こえた。


 それからダンは毎日やってくる。寝ていることが多い僕でも季節を感じられるようになって、たくさんのお話は僕に生きる活力を与えてくれた。


「怒りんぼな熊はとってもわがままで、なぜ自分が冬を越せないのか考えた。たくさん考えて思い付いたのは、冬になると食べ物が少なくなること。」


「じゃあ、たくさん食べ物を置いておけば良いんじゃない?」


「そう。彼もそう思ったみたいだ。暖かい寝床を用意して、食べ物を置いておく場所もつくった。それだけじゃない。彼は他の熊に魚を取られまいと、魚のいる川をも独り占めにしてしまったんだ。」


「なんで?一緒に食べれば良いのに。」


「それができなかったんだよ。怒りんぼな熊は君のように優しい心を持っていなかったんだよ。でも、例外はあったよ。怒りんぼな熊は、自分のために何かをしてくれる熊を仲間に入れてあげると言って、他の熊の家族を配下にしてしまったんだ。」


「それが、熊の王国?」


「そうだよ。王国をつくりあげた熊たちは、もっと豊かな場所を目指して行ってしまった。残ったのは、荒らされてしまった川と森だけ。」


「じゃあ、他の熊たちはどうなったの?」


「たくさんたくさん、いなくなったんだ。」


 ダンはとってもとっても悲しそうに言った。


「それでも何とか生き残った熊たちは、王国の熊がいなくなった場所で、静かに暮らしているんだよ。」


「今も?」


「ああ、今も。」


「王国の熊たちは、そうやって他の川や森を荒らしてるの?」


 非難するように声を上げた僕に、ダンは少し言葉を詰まらせたが答えてくれた。


「結局、王国の熊たちは冬を超えられずに死んでしまったんだ。」


 さっきと同じくらい悲しそうに言うものだから、僕は不思議に思った。


「なんで?そんな嫌な熊たち、いなくなってしまった方が良いよ。」


「ダメだよ。」


 優しくダンは言う。


「なんで?」


「どんなに嫌な者たちでも、いなくなってしまった方がいいなんて無いんだよ。どんなに乱暴な者がいても、その命尽きるまで、自分の犯した罪を償わせなければならない。その罪を教えてやれるのは、言葉が通じる同じ種族の者なのだから。」


 固い口調で言うダンが何を言っているのか、僕にはよく分からなかった。

 嫌なものは、ない方がすっきりするんじゃないのかな。

 だって良い熊たちは、何も悪いことしてないもの。


「それにね。」


 また優しい声に戻ったダンに、僕はほっとして耳を傾ける。


「悪い熊たちから生まれた子熊は、良い子かもしれないから。」


 僕はうーん、と唸った。

 悪い熊から生まれた子熊は、良い子かなんて分からない。

 良い子かもしれない、なら、悪い子かもしれない、だ。


「じゃあ聞くけれど、君は私を良いひとだと思うかい?」


「うん。ダンは雪だるまだけどとっても優しくて、いつも僕にお話をしてくれるもの。」


「…それと、同じだよ。雪だるまも熊もひとも、関係ないんだ。」


 ダンは言う。


「怒りんぼな熊でも、家族にはとっても優しかったのかもしれないだろう?」


 時々、彼はとっても難しいことを言うんだ。


「今日は花の話をしようか。」


「ハナ?」


「良い香りがするんだよ。地面や葉っぱの色とは違う、赤や青や紫の、色とりどりの花だ。」


「地面にあるの?」


「地面に咲いていたり、木に咲いていたりするんだよ。」


 お話以外にも、ダンはたくさんの知識をくれた。

 見えない僕にも分かるように、色々な表現を使ってくれたけど、僕には理解することはできなかった。

 それでも、一生懸命話してくれるのが嬉しかった。


 そんなある日、ダンは言った。

 初めて会った日からもう、随分時が経ったように思う。


「私は雪だるまだから、冬が終われば解けてしまう。」


 ダンの低くくぐもった声は、しゃがれていた。


「どうして?」


 いつものように疑問を投げかける僕に、ダンはまた優しく答えてくれる。


「始まりがあれば、終わりがある。お話と同じさ。」


「でもダンは雪だるまだから、また冬になれば来てくれる。でしょう?」


 期待を込めて尋ねたが、ダンはただ悲しそうな声で言った。


「私は雪だるまだ。解けたら水となり大地を流れ、いずれまたどこかで雪だるまになるかもしれない。けどそれは、ここではない可能性が高い。分かるね?」


 彼からたくさんのことを教わっていた僕は、僕らのいる世界がどれほど広いのかも知っている。暖かい場所もあれば、寒い場所もある。氷だけの場所も、砂だけの場所も。


「でも、でも僕はじゃあどうすればいいの?君以外にここに来てくれる人はいないよ。」


 ダンが来てくれるまで、ずっとずっとひとりぼっちだった。それこそ、ダンがいる時間が一瞬に感じるほど。

 目が覚めても何もできない僕は、生きていても意味がない。


「君だけが、生きがいなのに。」


 目が覚めてすぐ、ダンがいることで生きようと思えた。

 いなくなってしまったら、どうしたらいいのか分からない。


「もうすぐ、冬が終わってしまう。私は、君に出会えて、たくさん話ができて良かったと思っているよ。大切な、思い出だ。」


「そんなことを言わないで。ずっと一緒にいてよ。」


 何かが、じんわりと顔に感じられる。心が苦しくなるそれは、きっと冷たい。


「…泣いているのかい?それは、涙だよ。」


「まだ、教えてもらってないことがたくさんあるよ。」


「大丈夫。君の中で僕との思い出はずっと残るはずさ。…遥か長い時を君は生きるだろう。でもきっとまた、出会えるはずだから。悲しまないでおくれ。

 生きるのを、諦めないでおくれ。」


「無理だよ、ダン。もうひとりぼっちは耐えられない。」


「私はずっとここにいるよ。」


「そんな…ダン…」


「さぁ、今日は何の話をしようか。まだ解けるまで時間はある。私の知る全てを君に教えなくてはね。」


 それからしばらく、ダンはお話をしてくれた。

 僕が眠っていなくてもダンが何も言わない時間が増えて、時々苦しそうにヒュー、と風が通る音が聞こえた。


「外は酷い嵐なんだ。」


 そう言うけれど、ダンから発せられていることは見えない僕でも分かった。

 だから僕も必死にダンの言葉を聞いて、頭の中で反芻した。ずっとこの記憶が残るように。

 ダンとの思い出を、永遠にするために。


「そうだよ。そうして水は流れて、世界へ―――――」


 話している途中、ダンの言葉が途切れた。


「ダン?」


 今までは、何度か呼んだり、待っていれば やぁ、すまない と返事が返ってきた。

 けれどもう、それを聞けることはないのだろう。


 僕は静かに涙を流した。


「やぁ、おはよう。今日はどんな天気だい?」


 あれから幾日経っただろう。

 返ってくることのない返事を想像して、僕は問う。


 ダン。雪だるまのダン。


 君は、僕にとっての光で、晴れで、時々雨で、太陽で、月だ。


 君との思い出はきっと、ずっとずっと暖かくて冷たいままだ。

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