6-4 KEEP OUT
雁屋は関西国際空港で松田泰造が来るのを待ち構えていた。泰造はこの日に香港へ行く飛行機を予約していたのだ。もちろん、石角秀俊の出国時のように何か小細工してくる可能性は十分にあると認識していた。それでもやはり本丸はキッチリ押さえておきたいというのが雁屋の願いだ。今回は全国規模で国の玄関口を全て押さえてある。どんなトリックを使おうとも国を一歩でも出ようと思えば、たちまち網にかかる筈であった。少し缶コーヒーでも飲んで気持ちを落ち着けようと思った矢先、一人の警官が駆け寄って来た。
「やい、松田ぁ見つかったんけ?」
「ええ、見つかったんは見つかったんですが……」
「なんでぇ、のそのそいわんと、はしはししゃべれ!」
「はっ。遺体で見つかったと府警の方に報告がありました。現場は静岡の清水港です」
「なにぃ?」
雁屋は我が耳を疑いつつ、直ちに特急はるかと新幹線を乗り継いで静岡に急行した。
現場にはKeep Outと書かれた黄色いテープが張り巡らされ、機動捜査隊員と鑑識官がしきりに話していた。雁屋は清水署強行犯係の刑事に声をかけ、状況を聞いた。
「この倉庫の中から激しい銃声が聞こえてきたと近隣住民から通報があり、警官が駆け付けたところ、この被害者が血だるまになって倒れていたわけです。機関銃でメッタメタに撃ち抜かれていて身元の特定が出来るような状況ではありませんが、所持品から全国手配中の松田泰造であると判明しました」
雁屋は強行犯係の刑事に一礼した後、被害者の遺体を見た。機関銃で何発もやられていて、いわゆる「蜂の巣」状態だ。確かにこれでは身元の確認は難しい。所持品を確認すると、財布の中に浜松市内の歯医者の診察券があった。そこで雁屋は鑑識を呼んで、その歯医者と連絡を取って歯型の照合を依頼するよう指示した。その結果、遺体の歯形と歯医者に保管されていたカルテとが一致し、遺体は松田泰造のもので間違いないと結論つけられた。
念のため雁屋は被害者の元妻である花菜にも確認してもらうことにした。だが、彼女の実家に連絡すると、花菜の母親が泰造の遺体との対面に難色を示した。
「娘はあの男にひどい目に合わされて、今も傷が癒えないのです。どうかそっとしておいてくれませんか」
ところが、そのやり取りを聞いていた花菜が、母親に替わって電話口に出た。
「……伺います。場所を教えて下さい」
霊安室で待っていた雁屋は、花菜の姿を見ると、軽く会釈した。
「松田花菜さん、遠路はるばるご足労いただきありがとうございます」
「……今は中原です」
「失礼しました。では中原さん、遺体の損傷がど激しいだもんで、おとましいかもしれんけぇが、確認してくりょ」
「ええ、そのために来たのですから」
花菜が遺体の前に来ると、係員が遺体の顔を覆った白い布を取った。花菜は少しも動じることなく、遺体を見下ろしていた。その目にはかつて夫であった男への愛情も憎悪も感じられず、まるで魚河岸の魚でも見ているように呆然と立ち尽くしていた。
「中原さん、大丈夫け?」
「ああ、すみません。つい昔のことなどを考えてしまったもので……」
「こん男……松田泰造で間違いないけ?」
「顔の形からは判断できかねますが、多分松田で間違いないと思います」
「そうですか、ご協力ありがとうございました」
花菜は用が済むと足早に帰っていった。この身元確認と歯形の照合により、遺体の身元は松田泰造であることが確定した。
†
喜一は以前診察してもらった、精神科医の島田梨花のもとを訪ねた。先日見た夢のことを話すためである。
「久しぶりね。具合はどう? 道下君」
「過去のことが少しわかって、ちょっとスッキリしたような……あ、本当の名前は天草喜一というそうです……」
「いうそうです……ふふ、面白い自己紹介ね。じゃあ天草君、夢のことを話してもらてるかな?」
すると喜一は例の夢のことを事細かに話した。
「とてもリアルな夢でしたし、その登場人物の似顔絵をクラスメイトに見せたところ、失踪したクラスの男子三名で間違いないということでした。これは記憶が部分的によみがえったと考えてよいのでしょうか」
島田はしばらく考え込んで返答した。
「記憶喪失という言葉が不適切だと昨今言われているけど、それは記憶というものは本質的に消えてなくならない性質のものだからよ。パソコンのハードディスクに一度保存すればずっと記録されているように、人間の脳も一度見たり聞いたりしたことは必ず記憶されるものなの」
「え? でも僕は実際に記憶を失っているし、そうでなくても多くのことを思い出せません」
「あなたの言う通りよ。思い出せないの、覚えられないじゃなくてね」
「え? どう違うんですか?」
「脳にはちゃんと記録されるの。だけど、それを引き出して再現することが難しいのよ。人は皆、成長の過程で記憶を思い出せるようにする方法を学んでいくの。これが勉強よ。天草君の記憶の話に戻るけど、時々一度見たものを再現できるカメラアイという能力を持つ人がいるわね。あなたもそれに近いと思うけど、覚えていることが凄いんじゃなくて、スパッと思い出せるのが驚異なの。これは一概には言えないけど、脳に何らかの損傷があってそれによって通常通りではない機能が働いているんじゃないかという説が有力よ」
「僕が脳に損傷が生じたとすると、やはりトラックに撥ねられた時かな」
「そうね、その可能性が高いわ」
「では、夢の件なんですけど、僕自身の記憶として取り扱っても良いのでしょうか。例えば捜査の手掛かりとか」
「断言は出来ないけど、天草君が見た夢は並の人の記憶よりも鮮明で確かだと思う。捜査の手掛かりとするかどうかは警察の判断だけどね」
島田医師のお墨付きをもらった喜一は、恋空を通して静岡中央署に行方不明者三名の似顔絵を資料として提供した。
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