Bパート 1

 レクシア王国北部を覆う山脈地帯……。

 そのふもとに広がる森林の一角で、ここ三日ばかりある異常な光景が繰り広げられていた。


 異常というのは、他でもない……。

 動物たちの姿が、見受けられなくなっているのである。

 森というものが、生命の坩堝るつぼと呼ぶべき場所であることは論を待たない。

 にも関わらず、その一角では大型の草食獣や鳥類は元より、小動物からアリ一匹に至るまで一切が姿を消してしまっているのだ。


 まるで、森林火災でも発生したかのように……。

 あるいは、先日までこの一帯を支配していた聖竜以上に危険な存在が現れ、生くる場を追われたかのように……。


 動物たちに即座の避難を決意させた元凶は、森の中でも一際巨大な古木の根元で、静かに座禅を組んでいた。

 一見すればそれは、人間の男である。

 王都の商人階層……その中でも使い走りなどが好んでまとう装束は、いかにもこの場にそぐわぬ。


 しかし、その身の内で練り上げられし闘志のなんとすさまじいことであろうか。

 もしも逃げ遅れた間抜けな動物がいたのならば、研ぎ澄まされた無数の針に全身を刺し貫かれる光景を幻視し、ただちに絶命していたことであろう。

 その証拠に、根元で男が座禅を組んでいる古木はその長い樹齢に終止符が打たれており、生い茂らせていた葉も全てが枯れ落ちていた。

 それは周辺の植物全てが同じであり、もしも足を生やすことがかなったならば、彼らも動物らと同じくこの場を立ち去り命をつないでいたに違いない。


 ――死。


 ただ一文字のみが支配するこの場へ降り立ったのは、一羽のカラスである。

 無論、このような場に自ら姿を現すのだから、尋常なそれではない。

 その証拠に、両目は闇の魔力に輝いており、意思も五感の全ても自らを使役する何者かへ捧げているのが見て取れた。


「――ルスカか」


 三日前、この場に姿を現すなりひと言も発さず瞑目していた男が、女のように長く艶やかな黒髪をかき上げながらそう問いかける。


『――いかにも。

 こちら側の準備が整いましたので、ご報告に上がりました』


 鳥類の発声器官では到底出しえぬはずなその声は、魔界にいる幽鬼将ルスカのものであった。


「大儀であった。

 こちらも待っている間、己を研ぎ澄ますことができたぞ」


 男――大将軍ザギが、傍らに立てかけていた魔剣を手に取りながらそう告げる。

 ただそれだけの仕草であるというのに、身もすくむほどの迫力がそこには宿っていた。


『ふ……ふふ……。

 こうしてカラス越しに見ても、仕上がりの程が見て取れます』


「うむ……ウルファのことは残念であったが……。

 もはや、私の心に一部のスキも存在せぬ!」


 ――銀光一閃!


 そう宣言したと同時、ザギの手に抜き打ちされた魔剣が握られていた。

 魔人王直々に授けられた魔剣であるとはいえ、そのこしらえは反りも何もない、ごく一般的な直剣である。

 それを見ることすらかなわぬほどの速度で抜き打つとは、なんと恐るべき抜剣ばっけん術であろうか。


 人の姿を取りながら、しかし、人間など到底及ぶべくもない魔技まぎを披露した大将軍の手で、りぃん……りぃん……と、鈴が鳴るような音を魔剣が響かせる。

 同時に、刀身の周囲へまとわせている燐光りんこうが怪しくまたたいた。


 異変が起きたのは、魔剣だけではない……。

 ルスカが使役するカラスもまた、同様である。

 その両目に宿りし魔力の輝きが、魔剣の燐光りんこうに合わせて明滅しているのだ。


 ――魔力の共鳴反応。


 地上と魔界……。

 二つの世界を結ぶ経路パスを巧妙に伸ばし、ルスカは魔界にいながらして地上に生きるカラスを使役している。

 今、発生している現象はその応用であった。


 魔人王から直々に授かりし魔剣にのみ宿る、転送能力……。

 カラスから伸びた経路パスを通じることでそれを受け取り、魔界で発現しようとしているのである。


 必要とされる魔力量も制御の繊細さも言わずもがなであり、これは幽鬼将ルスカだからこそ行使可能な大魔法であった。

 逆に言うならば、ルスカがいてくれるからこそ、ザギは単身地上に乗り込むことがかなったのだ。


 カラスを中心に、巨大な光の魔方陣が生み出される。

 周囲の木々すらも帆布キャンバスとしまがまがしい光を発するそれの全貌を、地上からはかり知る術は存在しないだろう。

 これだけの規模でありながら、魔方陣を形作る図柄も魔法文字ルーンも恐ろしく複雑で精緻せいちな代物であり、これを行使するルスカの技量がうかがい知れた。


『ザギ殿――今です!』


「うむ!」


 ルスカの声に応じ、ザギが魔剣を高々と掲げる。


「来たれ――我が軍勢よ!」


 そう叫ぶと同時、噴火する火山のごとき勢いで魔剣から漆黒の霧が生み出された。

 霧が吸い込まれるように魔方陣へ溶け消えていくと、これを形作る光はますます怪しさを増していく……。


 ――キー!


 ――キー!


 するとおお……魔方陣の下より、魔人軍の中核を成す尖兵たちの雄叫びが漏れ聞こえてきたではないか!?

 魔方陣から排出されてきたのは、声音こわねのみではない。


 ――その頭部が!


 ――胴が!


 ――腕が!


 ――足が!


 次々と魔方陣から這い出し、この場にキルゴブリンの大軍勢が結成されていくのである!


 ――キー!


 ――キー!


 ――キー!


 この日のために用意された武具を掲げ、キルゴブリンらが雄叫びを上げていく。

 言の葉を操れぬこやつらであるが、そこには大将軍直々の指揮で戦える喜びが満ちていた。


「うむ……ルスカよ、よくやってくれた」


 魔方陣が消え去り……。

 ここに結成された大軍勢を見やりながら、ザギが満足げにうなずいた。


『お褒めにあずかり、恐悦至極きょうえつしごく……』


 ――キー!


 ねぎらいの言葉をかける大将軍の下に、数匹のキルゴブリンが駆けつける。

 彼らの手には、ザギが愛用する装束と漆黒の鎧が抱えられていた。


「うむ」


 ――キー!


 軽くうなずくザギにかしずいたキルゴブリンらが、人間共の手による衣服を脱がし、魔界の大将軍にふさわしい格好へと着替えさせていく。


「これで、全ての準備が整った……」


 装着した鎧の調子を確かめながら、ザギがキルゴブリンらを見渡す。


「いざゆかん――人間共を、討ち滅ぼすために!」


 ――キー!


 王国北部の森林地帯……。

 そこに、邪悪な魔人軍によるときの声が響き渡った。

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