Bパート 6

 何故、この波止場に足を運んだのか……。

 その理由は、おれ自身にも分からない。

 やみくもに捜し回った上での帰結やもしれぬし、直感によるところかもしれぬ。

 あるいは、感情の荒波へ呼応するかのように体内で鳴動する輝石きせきリブラが、またもや不思議な力を発揮しておれを導いたのかもしれなかった。


 ともかく、そこにヌイはいた。

 いてくれた。

 いて、しまった……。


「ヌイ、ここにいたのか……」


 おれは努めて落ち着いた声音を作りながら、ゆっくりと、ヌイの方へ歩み寄っていく。

 何一つ、感情を乱す必要はないのだ。

 言ってみれば、おれは家出娘を捜していたようなものであり……陽が落ちてしまったとはいえ、こうして見つけ出すことができたのだから。


「こんなところで、一体、何をしていたんだ?」


 ついにヌイのすぐそばまで近づき終え、おれはひとまずそう話しかけた。


「月を……」


「うん……」


「月を、見てたの……」


「そうか……今夜は、特別に見事な満月だな」


「ん……こうやって満月を見るのは、初めて」


 ――こうやって満月を見るのは、初めて。


 普通ならば、落ち着いて満月を見上げるのが初めてという意味として受け取っただろう。

 だが、無機質な表情でひたすらに夜空を眺めるその横顔からは、別のニュアンスが感じられた。


「仕事が……嫌になったのか?

 それとも、他に何か嫌になることがあったとか?

 もし、誰かから嫌がらせをされたということなら……ひとまず、おれに話してごらん?」


「ううん……」


 おれの言葉を、ヌイはかぶりを振って否定する。


「仕事は……大好きだよ。あたしはずっと、こういう風にして過ごすことを夢見てた。

 侍女の人たちも……すごく良くしてくれる。優しくしてくれる……。

 ずっとあそこにいられたら……きっと幸せだと思う」


「いればいいじゃないか?」


「……いれないよ」


 ヌイが、視線を満月からおれに移す。

 その顔には、うっすらと笑みが浮かんでいた。

 だが、それはただ笑みの形を成しているだけであり、おれの目には滂沱ぼうだの涙を流すよりも深い悲しみが感じられたのである。


「努力は……したんだ」


「ああ、みんな褒めているよ……。

 君が焼いてくれたという菓子を食べたが、本当に美味しかった」


「ありがとう……でも、そういうのじゃないんだ」


 ヌイは背を向けると、一歩、二歩とおれから距離を取った。

 そして、三歩目でぴたりと歩みを止めたのである。


「あたしがしたのはね……自分を抑え込むための努力。

 本当のあたしを……みんなに知られないための努力……」


 背中越しに、ヌイがそう話した。

 そうしている彼女の姿は、たかが少女の背だというのに……もっと大きく強大で、禍々まがまがしい気配を感じさせたのである。


「でも……駄目だった。

 あたしはやっぱり……あたしで……夢見てた風にはなれなかった……。

 きっと……本能なんだろうね。

 自分の意思とは無関係に……夜中に城を抜け出してるみたいで……」


「――よせ」


 続く言葉を、おれはさえぎった。


「それ以上は、続けるな……」


 なんとかしぼり出した言葉は……もはや懇願こんがんでしかない。


「じゃあ……言葉にするのはやめるね」


 くるりと、ヌイが振り向く。

 またも、その顔には笑み。

 だが、先ほどと違い……そこに宿っているのは闘争本能に身をひたす喜びだ。


「最後に……一つ謝っておく。

 あたし……ヌイって名前じゃないんだ」


「そうだと思っていたよ……」


「本当の名前は、ウルファ……。

 大将軍ザギの妹……かつて陛下から力を授かり、人間への変身能力も得た誇り高き魔人戦士……。

 ――赤光狼魔しゃっこうろうまウルファ」


 ヌイの全身に、血流のごとき赤々とした光の奔流が走る。


「じゃあ……始めようか」


 その言葉を合図に……。

 ヌイは、ウルファとなった。




--




 胸の中央……。

 全身に走る赤き光の核と呼ぶべき光球が、灼熱の溶岩がごとき熱を持つ。

 その熱は核から伸びた光の奔流を通じて体中に伝播でんぱしていき、かりそめの人間態――ヌイから本来の姿へと変じさせていった。


 瞬く間に置換されたその姿を端的に言い表すならば、それは、


 ――狼の特質を備えた魔人。


 ……と、いうことになるだろう。

 頭部は狼のそれを兜にしたかのようなおもむきがありながら、猛々たけだけしさは感じられず、どこか物憂ものうげな……はかなさを見る者に感じさせる。

 骨格と腰つきこそ女性的なそれであるが、その四肢は明らかに凶悪な殺傷力を秘めており、生まれつきの戦闘者であることが見ただけでうかがい知れた。


 最大の特徴はやはり、全身を走る赤々とした光の奔流であろう。

 それは血管めいて指の先に至るまでを駆け巡っており、他の魔人とは隔絶した力と……そして異形の華と称すべき美しさを同時にこの魔人へ与えていた。


 ――赤光狼魔しゃっこうろうまウルファ。


 千年前、魔人王から王を護る戦士としての力を兄たる大将軍ザギ共々に授かった、魔界最強戦士の一角が今ここに地上へと立つ。

 その左腕には、昨晩ホッパーの攻撃により受けた傷が存在した……。


「これ……痛かったな……」


 その傷を右腕でさすりながら、ウルファがそう言い放つ。

 当代の勇者――イズミ・ショウは、ただ立ったまま黙ってその言葉を聞いていた。


「借りは……返すよ」


 そして、つぶやくように続く言葉を言い放った次の瞬間だ。


 ――ウルファの姿が、消えた。


 否、そうではない。

 その踏み込みがあまりに早く、さながら瞬間移動したかのように見えたのだ!

 後に残ったのは、全身にまとう赤き光の残滓ざんしのみであり……。

 ウルファ本体は、その一瞬で勇者の眼前に到達していた。


「――はあっ!」


「――ぐうっ!?」


 技も何もない……。

 力任せに腕を振るった横薙ぎの一撃が、勇者の顔面を殴打する!

 これにはたまらず、勇者は波止場を転げ回ることとなった。

 これを見逃す、ウルファではない。

 いや、見逃すも何も……いざ戦闘となれば考えずとも体が動くからこそ、赤光狼魔しゃっこうろうまの異名を授かったのだ。


「――ふっ!」


「――ぐふっ!?」


 地に転がる勇者の腹を、これも力任せに蹴り飛ばす!

 魔人戦士の圧倒的な脚力により、勇者は球蹴りの球がごとく波止場を跳ね回り、再び地に転がった。


「ぐっ……!」


 その身を変じずとも、さすがは勇者といったところか……。

 常人ならばとうに気を失っているはずの打撃を二度も受けながら、勇者はなんとか上体を起こそうとする。


「――っ!」


 そこに再び瞬間移動じみた速さで接近し、今度はその首を掴み上げた!


「ぐっ……ほっ……」


 この状態では、呼吸もままならぬのだろう……。

 ウルファの手で宙づりとなりながら、勇者は苦しげな吐息を漏らす。


「どうして……」


 そんな勇者の様子を見ながら、ウルファは苦々しくそうつぶやく。


「どうして……戦わない!?」


 そして感情のまま、勇者を放り投げた。


「――がはっ!?」


 どうにか受け身を取った勇者は、それでも肺の中にある空気を全て吐き出すことになったが……。


「ぬ……う……」


 人間離れした耐久力を発揮し、なんとかその場に立ち上がった。

 だが、その身はあくまでも人間のままであり、それどころか戦う構えすら取ろうとはせぬ。


「変身して……! あたしと戦って……!」


 そんな勇者へ、懇願こんがんするようにそう叫ぶ。


「戦わないさ……おれは君とは、戦わない……」


 だが、勇者がほほえみと共に返したのは、戦闘を拒否する言葉であった……。

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