Aパート 1

 昼時のラグネア城中庭を支配するものと言えば、それは喧噪であり、武具同士が打ち合わされる剣戟けんげきの音であり、男たちが流す汗の臭いということになるだろう。


 この世界へ来る以前、コブラの残した資料を悪用しようとしていたテロ組織を壊滅させるため、インターポール捜査官であり親友でもあるナガレの伝手つてで傭兵部隊に潜り込んだことがあった。

 その時の経験と照らし合わせるならば、練兵の光景というものは世界を隔てようと大同小異である。

 もちろん、扱っている武器は全く違うのだが、その過酷な訓練内容には傭兵のブートキャンプで見受けられたものも存在するのだ。


 例えば、中庭の一角では大人サイズのアスレチックと呼ぶべき設備が存在する。

 そこでは、吊るされたロープやネットを登攀とうはんするクライミング訓練が可能だ。

 他にも、丸太を組み合わせて作った障害物や、地面に敷き詰められた車輪が用意されており、これらを乗り越えながら走り込みをすればそれは極めて効率的な全身運動となる。

 地球のそれにも用いられる訓練方法を考案し導入したのは数代前の騎士団長という話であり、それを聞いた時はどこの世界にも天才というのは存在するものだと思い知らされたものだ。


「お先!」


「右側、失礼するぞ!」


「もう一度、右を失礼!」


 この時ばかりは大事なマフラーも脱ぎ、騎士たちと共に上半身裸となって異世界版障害物コースを何十週も駆け抜ける。

 無論、変身してないとはいえ改造人間であるこのおれだ。

 騎士の中でも竜への騎乗を許された者は光の魔力で身体能力を強化できるが、それでもおれとの間には埋めがたい差が存在する。

 結果として、おれは一人だけ早回しにされた映像のように騎士たちの間を駆け抜け、彼らを何度も何度も周回遅れとすることになったのだった。


「……ふう」


 さすがにひと息つこうと、設備から距離を取る。

 中庭のそこかしこには給水所や洗濯したての手ぬぐいが用意されており、訓練中の騎士たちはこれを好きに利用することができた。

 そこから手ぬぐいを一枚手に取り、汗をぬぐう。


「あ、あの……」


「うん……?」


 ふと見やれば、まだ騎士見習いだろう少年が上気した目でおれを見ていた。


「ど、どうですか……?」


「どうですか……? ああ! いや、綺麗に洗濯されている。助かるぞ!」


 実際に汗をぬぐってみせながら、少年に笑いかける。


「おれや他の騎士たちが集中して訓練できるのも、君たちが支えてくれるからこそだ。

 君、名前は?」


「は、はい! トマスと言います!」


「トマス! その調子で励んで、立派な騎士になるといい!」


「はい! ありがとうございます!」


 トマス少年はおれから使用済みの手ぬぐいを受け取り、他に使用されていた手ぬぐいの満載されたカゴを持ち上げると洗濯所へ全力で駆けていく。

 こういった雑用をこなすのはトマスら騎士見習いの仕事であり、こうした経験を積んで彼らもまた一人前の騎士へと成長していくのだ。


 微笑ましい気持ちでそれを見送るおれに、背後から声をかけてくる者があった。


「勇者殿、お疲れ様です」


「騎士スタンレー。君もお疲れ様だな」


 かつておれを愛竜に同乗させてくれた竜騎士と、あいさつを交わし合う。

 あんなんでも一応は聖竜であるレッカの巣へ同行を許されることから分かる通り、彼は若いながらにかなりの地位にある。

 実際、先のブロゴーン戦でヒルダさんに代わり王国騎士団の花形たる竜騎士隊を指揮したのは彼であるのだから、実質的なナンバーツーであると言って過言ではないだろう。


「いやいや、勇者殿には到底かないません……。

 私自身、体力には自信があるのですが、まさか十週以上も周回遅れにされるとは思いませんでしたよ。

 正直に尋ねますが、これ以上鍛える余地などあるのですか?」


「おれの体を構成する人工筋肉――まあ、普通の筋肉よりちょっとすごいそれだと思ってくれ。

 これも通常のそれと同様、鍛えれば鍛えるだけより強くしなやかになる。

 鍛える余地がなくなることなど、ないさ」


 説明しながら、先日虚像の魔法越しに対峙した相手を思い浮かべる。

 幻越しであり、ごく自然な立ち姿であったというのに微塵みじんの隙も見受けられなかった漆黒の戦士……。


「――大将軍ザギ。奴はとてつもない使い手だ。

 いずれ来る対決の時を考えれば、鍛錬を怠ることはできん」


「勇者殿をして、そこまで言わせしめる相手ですか……」


「ああ、奴との戦いは死力を尽くしたものになるだろう」


 そこまで話した時、中庭の一角……木製の武具を用いて模擬戦を行っている一角が常とは違う熱気へ包まれていることに気づく。


「次! かかってこい!」


 木剣を手にそう叫んでいるのは、他でもない……騎士団長たるヒルダさんだ。

 ハリウッド映画の主演女優もかくやという美貌を誇る彼女であり、一見すればこうして木剣を握っているよりドレスにでも身を包んでいた方がよほど似合うように思える。

 だが、全身を流れる汗の量と並々ならぬ気迫は決して男性騎士たちに劣るものではなく、むしろ他の何者をも凌駕りょうがしていた。

 さすがは、女だてらに騎士団長を任されるだけのことはあると言えるだろう。

 ……余談だが、さすがに女性ということもあり、男性陣と違って上着はちゃんと着用している。


「お願いします!」


「よし! 来い!」


 輪を作り待機する騎士たちの中から、一人の青年騎士が歩み出た。

 挑んだ青年騎士と受けて立つヒルダさん――二人の構えは共に、鏡写しのごとく正眼である。

 だが、おれから見てその仕上がり具合には雲泥うんでいの差があった。


「――でぃえ」


「――ふっ」


 事実、青年騎士に気合の声を上げ切るいとまも与えず、ヒルダさんの木剣は彼の木剣を跳ね飛ばし、みぞおちに鋭い突きを喰らわせてこれを吹き飛ばしたのである。


「――ぐはっ!?」


「次!」


 倒れる彼には目もくれず、次なる対戦相手を求めてヒルダさんが叫び声を上げた。


「む……?」


 その姿に、何やら違和感を覚える。


「騎士団長、今日はいつになく気合が入っておられますね」


「それはそうだが……よし!」


 また一人、同じように挑戦者が瞬殺されたのを見ておれは決心することにした。


「行ってくる」


 騎士スタンレーにそう言い残し、手を上げながらそちらへ歩みを進める。

 それに気づいたのだろう……輪を形成する騎士たちがこちらに視線を向けたのを見て、おれはこう言い放ったのだ。


「ヒルダさん、次はおれとやろう」

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